80 犯人を追って/地下の船
「その傷! いったいなにが……っ」
左腕を押さえ、その場にしゃがみこむグレンに駆け寄ると、ひどい傷を負っていた。
白いシャツは赤黒く染まり、傷口を押さえている指の隙間にも、べっとりと血がついている。
(出血量が多い……)
はやく止血をしなければ。
ゼノは懐から布を取り出すが、グレンは大丈夫だと笑って反対の手で制した。
「アルス、モニカが連れていかれた」
「……ティアにか」
「あたり。去り際に仮面をひっぺがしてやったら、ティアだったよ。いやー、びっくりしたわー」
「……………」
はははと笑うグレンに、アルスが目を細める。
「仮面? ティア? どういうことだ……? まさか犯人は——」
「ティアだったってわけね」
ゼノの隣でミツバがぽつりと呟いた。
それを一瞥し、アルスが続きを促した。
「それで、ティアの行方は?」
「さぁな。そこまでは知らねぇよ。ただ、ティアの後ろには長い影が伸びていた」
「影だと?」
「そ、髪みてぇな細長い影。それが、どこからか続いてる感じだった」
「……細長い、影?」
ふたりのやり取りを聞き、ゼノはあることを思い出す。
そういえば、港の廃倉庫でそんなものを見た。
「……廃倉庫」
「倉庫?」
リィグが聞き返した。
「港の廃倉庫。きのう、そこで影を見た」
あれは、見間違いじゃなかったのか。
(いや、それよりもティアが犯人……?)
信じられない。
「……っ!」
「ちょっとゼノ!」
急いで扉を出て、階段を駆けおりる。
自分を呼びとめる声が飛んでくるが、立ち止まっている暇はない。
ひどく嫌な予感がする。
理由はわからない。だけど、急がなければ。
今宵は収穫祭。
ランタンが灯る暗い夜道を、ゼノは脇目も振らずに走った。
「ティアがいるのは、きっとあそこだ……!」
◇ ◇ ◇
「——ここか!」
上がった息を整え、ゼノは廃倉庫の扉にはりついた。
この嫌な気配。
港に近づくにつれて、どんどん濃くなっていく感覚に、あの時をこと思い出す。
イナキアに着いた日も、こんな悪寒に襲われた。
ねっとりとした糸が絡みつく、寒気をともなう感覚に、ごくりと唾を呑んだ。
「ゼノ!」
「ミツバ」
振り返ると、ミツバとリィグ、それから彼の足元に白い子犬もいる。
はぁはぁと肩で息をしながらミツバが顔をあげた。
珍しく息を切らしている。
体力馬鹿なところがあるくせに、この気配に当てられたのかもしれない。
そう思ったら、
「お前、どれだけ早いのよ。いつもはもっと、遅い、くせに……げほっ」
「え?」
「うん。マスター、かなり早かったよ。風の魔法でも使った?」
「いや、使った覚えはないけど……?」
リィグに指摘され、左の腕を見る。
風の腕輪。
アウルにもらったものだが、発動させて覚えはない。
「わんっ!」
「——っ、そうだった」
警戒するように吠える子犬の声を聞いて、ゼノは倉庫に視線を戻した。
「ここだ。おそらくここにティアがいる」
「なんでわかるのよ。こんな人気のない……ううん、廃棄された倉庫なんかに」
「勘だよ。この中から感じる気配、オレはこれを知っている。イナキアに来た日に路地裏で感じた気配だ」
「気配……?」
ミツバが眉をひそめる。
その隣でリィグが眠そうにあくびをした。
「なるほどね。マスターがきのう言ってた、港で見た影ってこれのことだったんだ」
「お前はよく落ちついていられるな……この状況で」
「ま、こういうのには慣れてるからね。それよりも、まさかティアちゃんが犯人とは思わなかったよ。びっくりだね」
「それはオレもだけど、いまはその話をしている暇はない。入るぞ」
「おっけー」
ふたりと一匹を連れて倉庫の中に足を踏み入れる。
扉に鍵はかかっていなかった。
キィと古びた金属音が鳴り、ゆっくりと扉を押す。
中は静かだ。
静寂といっていいほど音がしない。
壁の隙間か壊れた窓か、夜風の音くらいは聞こえるだろうに。
不気味なほどに無音な室内を警戒しながらさっと見渡す。
想像通り、壊れた樽や木箱が無造作に散乱している。
例の黒い影はない。
しかしリィグには何かが見えているようで、「あそこ」と言って、部屋の隅を指した。
「これは……。地下につづく階段か?」
「うん。そうみたいだね。黒い糸みたいなものが、この先に続いてるよ」
「おまえ、そんなものが視えるの? 変わった目をしているのね」
「僕は星霊だからねー」
「人の気配はしない……。オレが先に降りるから、ふたりは後から入ってこい」
「わんっ!」
「わかってる。シュバルツァーも一緒にな」
ゼノは地下へとつづく階段に足を踏み入れた。
中の広さはひとりずつ入って歩ける程度に狭い。ゼノの脇を小さな子犬が並んで歩く。
かつん、かつん。
石造りの階段を降りていくこと数分、やや広めの廊下に出た。
「どっちだろ」
右と左。
階段の先は二股の通路に分かれていた。
「二手にわかれる?」
「そうだな。じゃあ、リィグはミツバと一緒に行ってくれ」
「はいはーい」
「ええ……、お前と一緒なの? 気が進まないわね……」
「ひどいよ、ミツバちゃーん」
「馬鹿。あんまり大きな声を出すな。オレは左に行くから、そっちは右で頼む」
「わかったわ」
「りょーかい」
ゼノはふたりと分かれた。
「くぅん」
「ああ、わかってるよ。頼りにしてるって」
足元に擦り寄る子犬に笑いかけ、ゼノは先を急いだ。
◇ ◇ ◇
「はー……、なんでお前と一緒なのよ」
「そんなこと僕に言われてもー」
リィグはミツバと共に薄暗い廊下を歩いていた。
しばらく歩いてわかったことは、ここが何かの大きな施設だということだ。
廊下の途中途中に扉があり、足元には夜光石が設置されていることから、元は多くのひとが出入りしていたのだろう。
内部のつくりはそう古くはないが、ひどく荒れている。
「それにしても随分と広いわよね、ここ」
ミツバが首をめぐらせ、眉を寄せた。
リィグは彼女を一瞥し、頭のうしろで両手を組んだ。
彼と分かれてからどれくらい経っただろうか。
こっちは自分がいるから大丈夫だとしても、向こうは心配だなぁとリィグは思いを馳せた。
なんたって彼はこう、ちょっと頼りないところがあるのだ。
魔導師としての素質はあるくせに魔法はからっきし。
いや、使えるけれども制御がうまくできないのだと言っていた。
だから使用する魔法はおのずと大技になってしまうのだとか。
「うーん、心配だなぁ」
「ゼノが?」
「うん。ほら、髪切り犯は魔法を使うからね。もしマスターが先にティアちゃんのところに着いて戦うことになったら不利かなーって」
「そうかしら? あれでも魔法の才能があるってシオン……あたしの弟が、むかし言っていたわ。それこそ、うちの魔導師団でも十分にやっていけるくらいだって」
「そうなの? 何かライアス王子が言ってたことと全然違うね」
先日、魔導師としては使えないという評価をライアスが下していたような気もするが。
とはいえ人それぞれ物事の尺度は違う。
彼はそのあたりが少し厳しいのかもしれない。
「いいわよねー、魔法。あたしは使えないから使える奴って羨ましいわ」
「使いたいの? 使ってみればいいのにーって、まあミツバちゃんには無理か」
「……なんか癪に障る言い方ね。当然でしょ? 異郷の血なんて普通は引いていないわよ。そんなのフィネージュと……リフィリアくらいでしょうよ」
「リーアちゃん? 彼女、魔法が使えるの?」
「知らない。だけどあの子には光蝶が見えるそうよ」
「ああ、それは知ってる」
しかし、光蝶が見えることと、魔法が使えることに、なにか関係があるのだろうかとリィグは不思議に思った。
「……ゼノも、異郷の血筋なのかしら」
ミツバがぽつりと呟いた。
「魔法の才能があるってことはそういうことよね?」
リィグはちらりと横を見た。
並んで歩くミツバが珍しく饒舌だ。
いつもはリィグが雑談を振っても、彼女はそこまで話に食いつかない。
こうして聞いてくるということは、単に魔法に興味があるのか、それともゼノに関係することだからなのか。
どっちにしろ、魔法とは縁遠い彼女にその原理を説いたところで意味などないだろう。
リィグは話題を変えることにした。
「そういえばさ。さっきからちょこちょこある扉ってなんだろうね?」
「……お前。いま話をそらしたでしょ」
「だってその話、飽きちゃったんだもん。それより、ちょっと開けてみる?」
「ええ……。やめておきなさいよ。変なものがあったら嫌だわ」
「変なものって?」
「………骨とか」
「骨って、人の、ってこと? 意外と物騒な発想するね、ミツバちゃんも」
隣でわずかに肩を震わすミツバに、リィグは本当に怖がりだなと思う。
普段からそのくらいしおらしくしていれば、マスターも多少は気にかけてくれるだろうに。
短くなった赤い髪を見ながらリィグは手近な扉を開いてみた。
「ちょっと! なに、勝手に開けて——って、なによこれ」
「何かの作業室みたいだね」
扉の先は広い部屋だった。
ぱっとみ、何かの工房みたいだ。
床に大きな角材や平板が積み重なり、のこぎりや釘などが散らばっている。
どれも分厚い埃が被っていることから、長らく使われていないのだろう。
部屋の奥にある緑色のボードには、たくさんの紙が貼られていた。
「これ、船の設計図かしら」
「船? 僕たちがここに来るときに乗ってきたやつ?」
「ええそうよ。だけどこれは……随分と大型船のようね」
ミツバがボードから紙を一枚、剥ぎ取った。
「……これ、うちの機関に見つかったらヤバイものじゃないかしら」
「うちって?」
「フィーティアよ、フィーティア。うちでは大型船を作ることを禁止しているの。そういうのを作っている造船所を見つけたら、間違いなく消されるわ」
「消されるって、またまた物騒な話だね」
「まあね。あたしも理由は知らないけれど、フィーティアが出来た頃からそうだったみたい。実際、軍事局の任務のひとつとして造船潰しがあるくらいだし」
「へー。じゃあ、ここもフィーティアに伝えるの?」
「いいえ。すでに廃棄されているみたいだし、おおかたうちの連中が踏み込んで潰したんだと思うわ。流石にこの場所までは放置せざるをえなくて、このままにしてあるって感じかしらね」
「広いもんね。ここの施設」
ちらりとリィグは部屋の外を見た。
長々と続く廊下。
歩いてきた感覚としては、王都の王立研究室。それくらいの敷地はありそうだ。
(と、なると、単純にあの廃倉庫の下ってわけでもなさそうかな)
おそらくは港の倉庫街、その下が丸ごと地下通路で繋がっていると考えて良さそうだ。
そして、目の前にある造船作りの道具。
もしかしたら上の倉庫街はフィーティアから隠れて事を運ばせるための偽装用として作られたのかもしれない。
これはちょっとめんどくさそうな所に来ちゃったなぁと思いながら、リィグは床に落ちていた古びた紙を一枚拾った。
「なんだろうこれ。魔動、砲……?」
そうつぶやいた時、後ろから黒い影が現れた。
ミツバはまったく気づいていないようだ。
リィグはくるりと振り向くと、
「あーあ。だから夜は出歩きたくないんだよねぇ」
氷の弓を顕現させた。




