79 意外と身近な人が黒幕(ラスボス)だったりする
「話はわかった。だが、それはあり得ない」
しーんと静まり返る事務所の中で、凛としたアルスの声が響いた。
「そんなこと無い! モニカ見たんだからっ、犯人はクレハで間違いないわ!」
興奮した面持ちで、犯人の名を言い切る彼女はモニカだ。甲高い声が鼓膜を震わせる。
(……クレハって誰だっけ?)
その名を聞いてゼノは床に目線を落とした。
わからない。
隣に座るリィグにそっと耳打ちすると、グレンの義妹さんだよ、と返ってきた。
そういえば、きのうそんな話をしていたような気がする。
「あたしも、えーとモニカ……だったかしら? 彼女の意見に賛成だわ」
ミツバが首肯する。
しかしアルスは首を横に振って否定した。
そこにモニカが畳みかける。
「だから、モニカ見たんだってばー。絶対にクレハが犯人よ!」
「繰り返すが、あり得ない」
「うぅ~~~~っ」
──さて。なぜこんな押し問答になったのか。
事の発端は、事件の詳細をアルスに伝えたあとのことだ。
モニカが犯人はクレハだと言い出した。
なんでも、犯人の姿がクレハという人物とそっくりなのだという。
茶髪に赤いジャケット。
すらりとした肢体。
髪の長さも髪型も、そのクレハとまったく同じであったと主張したのだ。
そこへきて、例のオレンジ色のスカーフ。
これはモニカの同僚の理髪師、ラナを襲撃した際、犯人が落としていったものだが、このスカーフは商都の自警団を示す腕章だ。
そして、そのクレハという少女もまた自警団に所属している。
だから『クレハ』が犯人だと言ってモニカは譲らないのだ。
ミツバが難しい顔で腕を組む。
「あたしも見たわよ。犯人は腰に木剣を下げていたわ」
(木剣……)
たしかに、とゼノは思い出す。
凶器はハサミで、そこにばかり目がいっていたから、その場では気づかなかったが腰に木剣を下げていた。
モニカがミツバの言葉に頷き、さらに言い募る。
「自警団の中で木剣を使うのはクレハしかいないでしょ? ほかのみんなはふつうの剣を持っているし、どう考えてもクレハが犯人よ」
「いやー、警棒を持ってる奴もいるだろ? 木の長いやつ」
「それは木棒でしょ。木剣じゃいないわ」
「まー、それはそうだがなぁ」
モニカの圧力に押されつつ、苦笑を浮かべながらグレンが頬をかく。
彼にしては義妹が犯人だと疑われているのだから、本当は怒りたい心情なのかもしれない。
それでも苦笑で済んでいるのは、彼自身がモニカの話を信じていないからだろう。
それはアルスも同様で、ふたりの意見を真っ向から否定した。
「では、聞くが。本当にクレハが犯人だというのなら、これが彼女に噛みつくわけがなかろう?」
「それは……」
モニカが口ごもる。
アルスのいう『これ』とはシュバルツァーの事だ。
彼の足元で、空気を呼ばずにくつろいでいる子犬。
その飼い主はクレハなのだから、アルスの言い分は正しい。
もっとも、子犬が飼い主の言うことを聞くような、躾の届いた犬ならば、だが。
「まーまー、いったん落ちつこうよ~。こうして言い合ってても仕方ないし、情報を整理してみたらどうかな?」
「整理もなにも今の話と机に置いてある証拠で十分でしょ?」
「うーん。まぁ、そうなんだけどさー」
仲裁に入ったリィグをミツバが睨む。
短くなった髪を触り、かなり苛立ったようすで彼女はゼノに話を投げてきた。
「お前はどう思うの?」
「オレ?」
全員の視線が自分に集まる。
どうと聞かれても、話の流れからしてその『クレハ』という少女がいちばん怪しい。
しかしグレンの義妹であり、おそらくアルスにとっても知り合いの相手なのだろう。
ここは下手気なことは話せない。
そこでゼノは卓上のハサミに目を向けた。
「じゃあ、これは? この布切り用? のハサミ。今日、犯人が落としていったやつだけど、そのクレハさんって人は、仕立屋関連の仕事に就いているのかな?」
「坊主。クレハは自警団だって言っただろ」
「そうじゃなくて。自警団に入る前は? 服屋で仕事をしていたとか、もしくは趣味で裁縫が得意だとか、そういうことは?」
グレンの指摘に返せば、代わりにアルスが答えた。
「自警団に入る以前は港の食堂にいた。それよりも前は祖父君のもとで暮らしていたが、裁縫が趣味という話は聞いたことがない。破れた服を直す程度のことは出来るだろうが、手先はあまり器用ではない」
「だ、そうだ」
つまりまったく関連がない。
アルスの言葉に相槌を打つグレンを一瞥し、ゼノは悩んだ。
そこにモニカの声が飛ぶ。
「なにを言ってるのよ。アウロラ商会は、もとは服屋よ」
「え……?」
呆気に取られるゼノにアルスが補足した。
「アウロラ商会は、いまでこそ様々な品を扱う雑貨商ではあるが、その始まりは一軒の仕立屋だったと聞く。当時、まだ無名だった仕立屋を前会長が大きくし、多角的な事業に取り組んだ結果、被服商としての商いは縮小。一応、今でも店は残しているが、すでに雑貨店として形を変えている」
「へー」
てっきり、城に出入りしているくらいだから、宝石や魔石などを扱う商売がメインなのかと思っていたが、服屋も経営していたとは。
話を聞く限りだが、手広い事業を行っているのだろうなとゼノは思った。
「そーいうこと。つまり犯人がクレハでもおかしくない! なんたって服屋の娘だもの」
モニカがしたり顔で言った。
ミツバも頷く。
アルスとグレンは難しい顔をした。
リィグに至っては、半分飽きたようすで子犬と遊び始めた。
(埒が明かないな)
このままでは、両者ともども引かないまま朝を迎えてしまう。
どうするか。
ゼノは思案に暮れつつも、なんとなく思った。
(この話、うまく出来すぎているような……?)
妙なひっかかりを覚える。ゼノは目線を斜め下にさげてあれこれと情報を整理した。
最初は姿なき犯人だった。
それがだんだんと証拠を残すようになっていった。
それも、具体的な形として。
腰まで届く栗毛の髪。
オレンジ色のスカーフ。
赤いジャケットを着た女。
木剣。
布切り用のハサミ。
そこまでわかっていて、肝心の顔だけは見せない。
まるで、特定の人物へと誘導するように──
(あれ……?)
そこでふと思い出す。
イナキアに来た初日と、今日の昼に会った少女。
あの子が確かそんな恰好をしていた。
(まさかね……)
頭を振って少女の幻影をゼノが取り払っていると、アルスが小さくため息をついた。
「ひとまず今日のところは解散するとしよう。グレン、彼女を家まで送れ」
「了解」
「アルス!」
「ほらほら、モニカ行くぞ。話なら帰りがてら聞いてやるから」
「グレンさんには言ってないー!」
暴れるモニカを軽々と制して事務所から出て行くと、グレンがゼノに向かって去り際に、口をぱくぱくと動かした。
(か、み、が、た?)
髪型。
それだけを口にして、彼は背を向けて去っていった。
かんかんと階段をおりる音だけが響き、ゼノの頭の中には『?』が浮かんだ。
どういう意味だろうと考えていると、急にアルスが立ち上がり、頭を下げた。
「すまなかった」
向けられた頭の先にはミツバがいる。
先ほどの騒がしい空気とは一転して、しーんと静寂が訪れた。
「まさか君が狙われるとは思っていなかった。これはこちらの判断ミスだ。むろん許してほしいとは言わないが、謝らせてほしい。すまなかった」
「…………」
ミツバは何も言わない。
ただただアルスが頭を下げ続けている。
静寂。
流石のリィグも黙っているし、子犬ですら空気をよんで静かにしている。
居たたまれないその光景を、じっと身動きひとつ取らずに、ゼノはただ見ていることしかできなかった。しばらくしてミツバが口を開いた。
「……いいわよ、別に。この国、潮風が強いから長いと痛むし、元々そろそろ切ろうと思っていたところだから」
「…………」
「頭を上げなさい。髪を切られたのはあたしの油断とゼノのせいなんだから、お前のせいではないわ」
「オレのせいでもないだろ」
思わずつっこんでしまった。
ミツバにキッと睨まれた。
「ほら。お前はお前にしか出来ない仕事をしなさい。これだけ犯人の証拠が揃ったのだから、頭のいいお前なら犯人が誰かくらいわかるでしょ? はやく考えなさいな」
「……心遣い、感謝する」
ミツバが急かし、アルスが頭をあげた。
その顔は、深い憂いを帯びながらも、犯人に対する強い怒りを抑え込んだ面だった。
「ひとまず今日はお前達も帰れ。それから明日はあの青髪の少年をつれてこい」
「王子をですか?」
「ああ。今回の依頼だが、明日以降は打ち切らせてもらう。ただし例の件は約束通り情報くれてやるからあの子供と話がしたい」
「え! いやでも、まだ犯人捕まえていませんし……」
そう問えば、アルスは首を横に振った。
「いい。これ以上、他国の者を巻き込むわけにはいかない。それにこれだけの情報を集めてもらった。充分だ」
「いいんじゃない? 依頼主本人がそう言うなら」
リィグがゼノを見て言った。ミツバもやや不満そうではあるが同意した。
「そういうことだ。世話になったな」
呆気ない終わり。
釈然としない気持ちを抱えつつも、アルスに一礼してソファーから立ち上がる。
その際、懐にしまった硬い金属の形を感じてゼノはローブの下に手を滑らせた。
「ああ、そうだこれ……。──アルスさん、ティアって明日休みでしたっけ?」
「そうだが」
「そっか……。じゃあこれ、返すの無理か」
「これとは?」
今朝ティアから借りた髪留めをアルスに見せる。
リィグに似合いそうだからと、彼女が家から持ってきてくれたものだ。
小鳥柄の愛らしいデザイン。
洋服店を出る際に、もう使わないからあげますと言われたが、さすがに貰ったところで使い道がない。
返そうと思って懐にしまっていたのだった。
「アウロラ商会の品か」
ひと目見て、アルスが言い当てた。
「なぜそれを? それは女性用のものだと思うが。……まさか、使うのか?」
「え⁉ 違いますよ」
疑惑の目を差し向けられ、慌てて訂正する。
「今日リィグが着替えたときにティアが貸してくれたんです。一応、使わないからあげますとは言われたんですけど、貰っても困るというか……」
「なるほど。ではこちらで預かろう」
髪飾りを手渡すと、アルスが懐かしそうに飾りを見つめた。
「懐かしいな。これは俺が初めて出した店で売っていた品だ」
「あら。おまえは薬屋じゃなかったの?」
ミツバが意外そうな顔をした。
「今はな。昔は雑貨店を営んでいた。半年と待たずに潰れたが、独立してから出した小さな店だった」
「そっか……。今朝ティアが話していた……」
彼は独立後、ひとつ店を出したがすぐに畳むことになった。
その後、資金を貯め、再度作ったのが、このラパン商会なのだという。
「彼女から聞いたのか。ならばすでに知っているとは思うが、ティアは元々うちの見習いでな。店を失ったあとは別の店で働いていたが、秘書を募る際に俺から声をかけた」
「えっ、アルスさんからですか?」
驚いて返せば、アルスは静かに笑った。
「意外か? これでも商才を見抜く目は持っているつもりだ。彼女は若いが、優秀な才を秘めている。ゆくゆくは俺の秘書ではなく、支店のひとつでも任せたいと思っているくらいだ」
「へぇ、ティアちゃんってけっこうすごいんだね」
感心するリィグに頷き返したあと、アルスは微笑みながら髪飾りに目を落とした。
「あの頃の彼女は髪が長く、よくこれでまとめていた」
そのまま髪飾りを机の上にそっと置くと、彼は椅子に座った。
…………?
いまのアルスの口ぶりにわずかに違和感を覚えた。
『あの頃の彼女は髪が長かった』
それはつまり、いまは『長くない』ということだ。
それ自体はおかしくない。
現にティアの髪は肩よりも短い。しかしその言い方はまるで……。
「? 昔も何も、ティアは髪切り犯に切られて短くなったんじゃないんですか?」
「なに? 彼女のことは君たちが助けてくれたと──」
そこまで言って、アルスは一瞬訝しげに眉を寄せると、目を見開いて固まった。
「……? アルスさん?」
「…………っ」
アルスは勢いよく立ちあがり、応接用のテーブルからハサミを持ち上げると苦々しい顔をした。
それとほとんど同時に扉が開く。
「──大変だ! モニカがさらわれた!」
ドアを蹴破るように入ってきたのは、腕から血を流したグレンだった。




