07 異郷返り
「────っ!」
目を開けると眩しい光が入ってきた。
起き上がった拍子に、涙がぽたりと落ちる。
(ここは……)
まわりを見渡すと、どこかの部屋だった。
内装からして城の一室だろうか。
窓の外へ視線を流せば、午前中の静かな陽射しが目に飛びこんできた。
たしか最後に見た景色は夕方だったのに。
「オレ、確か森の中にいたよな? しかもアレに喰われて……」
だけど生きている。ゼノは両手を閉じて開いてを繰り返す。急に腹が鳴った。
「とりあえず、腹が減ったな……」
食堂にでも行ってなにか貰ってくるかと、寝台から飛び降りる。部屋をあとにして廊下を歩くこと数十分。
「迷った……」
食堂に行こうと思ったら、なぜか見張り塔まで来てしまい、すれ違った兵士に「?」という顔で見られる。
そこで、ズボンのポケットに飴が入っていることに気がついた。
森に行く前にロイドがくれたものだ。歩いて疲れたし、なんかもうこれでいいやとゼノは思い、飴を舐めながら、塔の螺旋階段を登った。
「お、いい眺め」
涼しい風が髪を揺らす。
塔のてっぺん。ここからは四方をぐるりと一望できる。
城下町。ニアの森。うっすらと見える遥か先の山脈。
いつもならば、ここには見張りの兵士がいるはずなのに今日はいない。
交代の時間だろうか?
ゼノは分厚い壁のへりに頬杖をついて、ぼんやりと遠くを眺めた。
「──ゼノ!」
「……? シオン?」
慌てるような声が聴こえて振り向くと、階段の入り口にシオンとエドルが立っていた。
「駄目じゃないですか! 起きたのならすぐに誰かを呼んで下さい!」
「悪い。腹が減ってさ」
シオンが駆け寄ってくる。エドルも近づいてきて静かに口を開いた。
「当然だ。お前は三日も眠っていたのだからな」
「へ? 三日……?」
ぽかんと口を空けて聞き返せば、シオンが顔を覗きこんできた。
「覚えていませんか? 森で魔力暴走を起こしたんですよ。ずっと意識が戻らないから心配しました」
「は? 魔力暴走?」
「──お前は敵に食われた。その後、敵の内側から光が溢れ、爆発。その余波で森の半数以上が消し飛んだ」
「…………はい?」
いま森が消し飛んだと聞こえたが、それは本当だろうか。
「そのあと焼けた森で倒れていたゼノを彼が運んでくれたんですよ」
「そうなのか……? なんかよくわかんないけど……ありがとう、エドル」
「いや。礼を言うのは俺のほうだ。お前がアレを倒してくれなければ共に死んでいた。感謝する」
それだけ言って、エドルは学校へ戻るからと階段をおりていった。
「さ、ゼノも早く部屋へ戻りましょう? 食事ならすぐに用意させますから」
シオンがゼノの手を引いて歩こうとする。
「いや、待って。ごめん、状況がよくわからないんだけど……あれからどうなったんだ? あの白いやつは? それからその魔力暴走……って何だ?」
「それは……」
矢継ぎ早に質問すれば、シオンはゼノの手を離すと、少し悩んだ素振りを見せたあとに口を開いた。
「……順を追って説明します」
シオンが塔のへりに腕を置く。自分も倣ってシオンの横に並ぶ。ふたりで森の方角を眺める。
「まず、あの白い巨大生物ですが、先ほど話したように貴方の魔力暴走とともに消し飛びました」
「本当か? だってアレ、かなりやばそうだったけど……」
「そうですね。でも、貴方の魔法はアレを一撃で消せるほどの威力でした」
「一撃……」
呟けば、シオンは頷いて淡々と話をつづけた。
「おそらくは魔力暴走の結果……。貴方は多分、異郷の血を引いているのでしょうね」
「異郷の血?」
「──フィーティア神話を覚えていますか?」
「ああ、うん……。竜が喧嘩してどうのってやつ」
「そうです。あれはただのおとぎ話じゃない。妖精が住まう常若の楽園。かつて、異郷とひとつだったこの世界には、彼らを祖先に持つ者たちが存在する。そうして稀にその血を色濃く受け継ぎ、生まれてくる者をこう呼んでいます」
──異郷返り、と。
シオンがゼノの目をまっすぐ見て告げた。
「異郷返り……」
聞いたことがある。
フィーティア神話を広める、調停機関妖精の涙。
そこでは異郷返りは異郷王の使いだとして、崇められているのだそうだ。
「異郷の血を引く者は、魔導品が無くても魔法を行使できる。力の強さには個人差がありますが、大抵は高い魔力を持っています。そして、彼らはときおり何かの拍子に力を暴走させてしまうことがある。その結果、最期は灰のように朽ちて死に至る。……それが魔力暴走です」
「ふーん……」
「……ふーんって、貴方はそれになったんです。へたをすれば死んでいたんですよ?」
咎めるようにシオンの目が鋭くなる。
「そう言われても……いまいちピンと来ないし……。大体、この腕輪以外で魔法とか使ったこともないから、わかんないよ」
「はあ……。つまり!」
シオンは人差し指をぴしりと向けてきた。
「貴方には、とてもつよーい魔力が秘められている、ということです! だから今後は魔法の指導を受けてください」
「ええ⁉ 指導って……誰に?」
「そこはあとで私が適任者を探しておきます。それと、健康管理も怠らずに。高い魔力を持つ者は、それだけで体調を崩しやすいとも聞きますから、注意してください」
「う……わかった」
ずいっと鼻先に指をあてられ、思わず後ずさる。
「それで……、結局アレは何だったんだ? 魔獣の一種か何かか?」
「さあ?」
訊ねれば、シオンは壁のへりに寄り掛かり、再び遠くを眺めた。
「わかりません。父上もそんな巨大な生物は聞いたことがないと驚いていましたし、一応調査はしているみたいですけど、どうせすぐに打ち切ることになるでしょうね」
「なんで?」
「記録がないから。書庫で過去の出来事を漁ってみましたけど、どこにもそんな記載はありませんでした。正体不明。だから調べたところで、結果は見えています」
「なるほど……」
溜息をつくシオンを横目に、ふと思い出す。
確かシオンの母親が、アレは触れてはならないものだとか言っていなかったか?
「──なあ、お前の母親は? 何か言ってなかったのか?」
その瞬間、シオンの表情が曇った。
「……?」
ぎゅっと眉を寄せ、なんだろうと思っていると、シオンは辛そうに笑った。
「母上は、何かご存知のようでしたけど……今回の一件で心配をかけてしまったみたいで。そのことを聞こうにもそれどころではなくて……」
段々小さくなる声と俯くシオン。その様子に察してしまった。
──容態がさらに悪くなった。
そう、シオンは言いたいのだろう。
病床の母親だ。息子が危ない目に遭ったと聞けば、心労が増すのも当然だ。自身の行動を悔いているのか、シオンは俯いたきり、口を閉ざしてしまった。
「………。あー……、あのさ。アウルは? いちおう目が覚めたし、報告がてら会いたいんだけど」
ゼノは気まずくなり、話題を変えた。シオンが顔をあげる。
「彼ですか? 彼でしたら、軍の上層部へ抗議に行っていますよ」
「抗議? なんで?」
「ゼノが処刑されそうだから、ですかね」
「え……⁉」
何でもないように言って、シオンはくるりと身体の向きを変えた。そのまま壁に背を預けて、空を見上げた。
「今回の件。ゼノが魔法で森を焼き払ったとして、貴方の処刑話が出ています。アウル殿は彼らに無実を訴えに行っています」
「うそ……」
「本当です。森を燃やすは重罪。うちの国の法律です。当然、燃やした規模にもよりますが、ニアの森の大半が消し飛んだ。通例ならば極刑にあたり首切り台行きです」
「そ、それは……。確かに……そうかもしれないけど! でも──」
「言いたいことはわかります」
叫ぶゼノの言葉を遮り、シオンは頷く。
「これは事故です。エドル殿も私も父上へそう伝えました。ただ、軍の……騎士学校が主張しているんです」
「主張?」
「学校側は貴方が勝手に結界水晶を動かし、魔獣に襲われ、仲間ごと森を焼き払ったと言っているんですよ」
「は?」
意味がわからない。
水晶を動かしたのは、同期の馬鹿たちだったはずだ。それがなぜ自分ということになっているのか。
空いた口が塞がらないでいると、シオンが目を伏せた。
「……要するに責任逃れです。結界が壊れて魔獣被害が出たのも、多くの騎士見習いたちが死んだのも、本来であれば学校側の監督不行きが原因です。だけど、それを認めたら騎士学校を管轄している軍の面子に関わる。だから、初めから貴方が意図的に事件を起こしたと、父上に報告をあげたのですよ」
「…………」
「もちろん、あの人とてそれを信じているわけではありません。幸い、息子である私の言葉が正しいのだろうとも言ってくれました」
「だったら!」
「──でも。軍の機嫌を損ねることは父上もしたくはないのですよ。あの人は元々、軍部寄りの王ですから。彼らからの信望が厚いおかげで、父上の御代は長く続いている。なので、その期待を裏切るわけにはいかないのです」
「そんな……」
あまりの衝撃に視界が揺れる。
だって、おかしいじゃないか。
訓練で森に行ったら魔獣が出てきて、やっと倒せたと思えば化物じみた生物に襲われて、わけのわからないうちに城のベッドで寝ていて。
それが起きたら、処刑です?
「ふざけるなよ……。そんな理不尽」
腹が立つ。
ぐっと指に力をこめる。冷たい石の感触が手に伝わってきた。
「…………すみません」
悲しそうに俯いて、シオンがぽつりと声を落とした。
「私に軍への発言権があれば、貴方のことを擁護することもできたのですが……。成人前の子供の話など、まともに取り合ってはくれず。アウル殿が頑張ってくれてはいますが、決定が下されるのも時間の問題だと思います」
「いや、シオンのせいじゃない! 悪いのは水晶を動かしたあいつらだ!」
慌てて首を横に振れば、シオンは苦笑した。
「ですが、死んだ人間には罪を着せられませんよ?」
「……わかってる。だから、もっと悪いのは腐った軍の連中だ!」
「ええ。もちろん。ですから──」
そこで一度言葉を切ると、シオンはにこりと口に弧を描いた。