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ゼノの追想譚 かつて不死蝶の魔導師は最強だった  作者: 遠野イナバ
第ニ章/後『海霧の怪人編』

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73 イチゴもいいけどマーマレードのほうがおいしい

 早朝六時。

 本日の空は灰雲。

 やっぱり雨が降った。


(しかも相当降ってるよ……)


 路面を叩く雨音を聞きながら、傘を差して歩くこと数十分。


「あ、グレンさん。おはようございます。それに皆さんも」


「ティア?」


 グレンに連れられ、例のアンレディという服屋に入ると、ティアが幾層にも折り重なった布を抱えて出迎えてくれた。

 手伝いかなにかだろうか?


「わりぃなティア。こんな朝早くに」


「いえ。ちょうど納品もありましたし、さきほどお店の方にもご協力をお願いしておきました」


「お、助かるわ。あんたらはそこでちょっと待っててな」


 グレンが店の奥へと向かう。

 ここの店主だろうか。

 妙齢の女性となにか談笑している。

 おそらく彼女がモニカの叔母か。


 ゼノは店内を見渡した。

 ドレスに帽子に上質なコート。

 上流階級向けの衣服が飾ってあるが、中には庶民向けの服もあるようで、それらは総じて派手なものが多かった。

 そういえば、きのう会ったモニカもこんな服装だった。


「モニカさんは? 来てないのか?」


「モニカさんですか? 今日はお仕事だと思いますよ」


 ティアが首をかしげた。


「え、こんな早くに? まだ六時だけど……」


「うーん、でも理髪師さんの朝は早いって聞きますから。それに彼女の家からここまでは少し距離がありますし。こちらに寄っていたらお店に遅刻しちゃうと思いますよ」


「ああ、そっか。あの店の……」


 髑髏が印象的なスカル・ド・サロンだったか。

 あんな店に勤めるとはモニカも物好きだなと、ゼノはちらりと時計を見た。

 六時十分。

 まだ寝床に潜りたい時間である。


「……眠い。なんでこんな朝早くに起きなきゃいけないのよ……」


 ミツバが不機嫌そうに目を擦る。

 半分うとうととしていて、かろうじでその場に立っているといったようすだ。


 それは一緒に来ているリィグも同様で、壁にもたれかかり、大きなあくびを噛みしめている。


「朝の五時起きって、流石につらいよマスター」


「大丈夫。オレもつらいから」


「その割には元気そうに見えるけど」


「四時間は寝たからな。十分だろ」


「嘘でしょ」


「嘘だよ。とりあえずオレはそこで寝てるから。終わったら起こして」


「えー、ずるいー」


「──おーい、嬢ちゃんと金髪少年。こっちだ」


 店の奥でグレンが手招きをしている。

 文句を垂れるふたりに「行ってこい」とだけ告げて、ゼノは窓際近くの席に座った。


(ん……?)


 グレンはなぜリィグを呼んだのだろう。

 働かない頭でぼんやりとしながらメニュー表を眺める。


 ここは店の一角にティールームが用意されていて、飲み物が頼めるらしい。

 もっとも、いまは注文できる時間ではないが。


「眠い……」


 テーブルに肘をつき、ぼんやりと窓の外を眺める。

 朝日は昇っているが、通りには人がいない。

 時刻は七時。

 こんな時間に開いている店などパン屋くらいなもので、向かいのガラス窓から美味しそうな食パンが見えた。


(腹減ったな……)


 早朝からばたばたしていたせいで、朝食を抜く羽目になった。


 ぐうと鳴る腹の音を聞きながら、こくりこくりと頭を傾けていると、下からすっと皿が現れた。


 分厚いトーストが一枚。

 溶けかかったバターと共に芳醇な小麦の香りが鼻腔をくすぐる。


「朝食まだかなと思いまして、向かいのパン屋さんで買ってきました。よろしければどうぞ」


「ああ、ありがとう」


 差し出された瓶を受けとる。

 苺のジャムだ。

 手早く塗ってトーストをかじる。

 うまい。流石はティア。

 気をきかして準備をしてくれたらしい。

 とても助かる。


「そういえばさっき納品がどうのって言ってたけど、こんな朝早くから? 大変だな、ティアも」


「いえ。いつもこれくらいの時間帯ですよ。午前中に納品して午後に布を織るので」


「布を織る? ラパン商会って布も扱ってんの?」


「あ、そうではなくて。わたしの祖母が布屋を経営しているので、こちらはお得意様のお店なんですよ。お祖母ちゃん、結構な年だから、わたしも時々お手伝いしていて」


「ああ、それで」


 朝早くから祖母を手伝い、その後はラパン商会で秘書を務める。

 アルスも大概だが、ティアもけっこうな働き者のようだ。


 彼女が椅子を引いて、ゼノの目の前に座る。

 ティーカップに紅茶を注いで渡してくれた。


「本当は秘書を辞めて、お祖母ちゃんのお店に入ったほうがいいかなって悩んでいるんです。お祖母ちゃんもそれを望んでいますし。だけど、なかなか決心がつかなくて……」


 ティアがほうっと息を吐く。

 紅茶を片手に憂い顔だ。

 ゼノもカップに口をつけ、彼女の話に相槌を打った。


「そうなんだ。アルスさんのところは結構長いの?」


「はい。会長が二年前にお店を出した時から。でも実は、それよりも前のお店でも雇っていただいていました」


「前の店?」


「ええ。会長は昔、小さな雑貨店ブティックを開いていたので。わたしはそこの店員でした」


「──ぶっ、へ⁉ あ、そうなの?」


 思わず紅茶を吹いてしまった。

 あの仏頂面のアルスが雑貨店の店主とは……。

 想像がつきにくい。

 ティアはくすりと笑うと、少しつらそうな顔で俯いた。


「今でこそ薬商でやっと軌道に乗りつつありますが、あの頃は本当に大変で。お店も半年くらいで潰れちゃって。あの日、閉店を告げた会長の顔を今でもよく覚えています」


 ぎゅっとティーカップを両手で握る彼女は、ひどく沈痛な面持ちだ。


「会長は元々アウロラ商会の出身なんですが、現会長とは折り合いがあまり良くなくて、そのお店も、ヒューゴ様に潰されたようなものなんです」


「ヒューゴ様?」


「あ、アウロラ商会の今の会長さんです。以前は知事の……ヒューゴ会長のお父様が商会の代表を務めていらしたんですけど、交代してからは色々あったみたいで……」


「ああ……」


 ぼんやりと返すとティアが頷いた。


「それで独立したあとも、半分嫌がらせといいますか。結局そのかたのせいでお店を閉めることになって。いまの薬屋は、会長が一生懸命お金を貯めて、再挑戦したお店なんですよ」


「そうだったんだ」


 アルスもなかなかに苦労している。

 どこも大変だよなぁと、彼に同情しつつ、ゼノはティアの話を聞いていた。


 それにしても、『ヒューゴ』という名前。

 どこかで聞いたような気がする……。


「だから、わたしなんかが大してお役に立てるとは思っていませんけど、それでも、せめて今のお店が成功するまでは、会長の秘書としてあのかたの支えになりたいなって。お祖母ちゃんには申し訳ないけど、すこしだけ待って、って伝えてあるんです」


「そっか」


 切なげに笑う彼女を見て、「がんばれ」と、小さく笑って返した。

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