72 魔導師の話
「あー……、疲れた」
ゼノは庭園の長椅子に腰かけた。
色づきはじめの黄みがかった枝葉が美しい。
夜だからそこまではっきりとは見えないが、木の下には夜光石が置かれており、ぼんやりとモミジの葉を照らしている。
あたりの仄暗さもあいまって、なんとも幻想的な光景だ。
ゼノはきのう今日と一日中歩き通しで膨れた足を手で揉みほぐしながら、ぼけーっと中庭を眺めた。
「依頼は終わったか?」
「王子」
揚げ串が乗った皿を手に持ちながら、王子がゼノの隣に座る。
(よく食うな……、こんな時間に)
時刻は夜の十一時。夜食にしてはけっこう重い、フライものである。
「まだです。もうすこしかかるかと」
「そうか」
相変わらずの無表情で王子がフライをかじる。それにしても、
「あれ? 王子、痩せました……?」
フライ片手に庭園を眺める王子の横顔は、以前と比べてすっきりしている。
ふくよかだった頬は削げ、全体的に丸みがっていたフォルムはなんというかこう、ほっそりしている。
おまけに背も伸びた。
初夏の頃はリィグよりも低かったのに、今ではゼノに迫る勢いだ。
あと数か月もしたら抜かれそう。
複雑だ。
まじまじと横顔を見ていると、食うかと串を一本渡された。
「この地の料理が合わなくてな」
こんなに食べているのに?
まったく説得力の無い王子の回答にゼノはフライをかじった。
(うまっ……!)
甘い。どうやら紫甘芋の揚げ串らしい。
秋の味覚だなーと舌鼓を打ってから、ゼノは王子にたずねた。
「ところで。オレたちが事件を追っているあいだフィーとどこに行ってるんですか?」
「闇市場」
「ブラッ……え⁉」
なんでそんなところに。
ゼノが驚愕してベンチから立ち上がると、王子は涼しい顔で言った。
「ビスホープの行方と偽の宝剣の出どころを探っておる」
「あ、ああ……それで」
てっきり、なにかヤバい品を買いに行っているのかと思った。
(闇市場か……)
ユーハルドの王都では厳しく取り締まってはいるから見かけないが、貧民街や路地裏といった場所ではよく怪しい取引が行われている。
禁制品の売買。
魔石や魔導品の裏取引。
異人狩りと呼ばれる、異郷返りを狙った人さらいの見世小屋。
その多くは巡回兵によって摘発されるが、どれだけ規制しても、取り締まっても、際限なく湧いてくるもので、王佐であるロイドもゼノの養父──アウルによく愚痴をこぼしていた。
「成果はありました?」
「まぁそれなりには。ビスホープが視察に向かったとかいう武器工場。どうやらそこと死の商人が関わっているらしい」
「死の商人?」
「戦に使われる武具を専門に扱う商人のことだ。四十年前の大陸戦争以来、大きな争いこそ無いが、内紛だの国境沿いの小競合いはある。そういう各所相手に取引している商会のひとつにエオス商会の名があった。ビスホープが向かったのはおそらく、その商会と繋がりのある鍛冶場か何かだろうな」
「エオスって、例の偽の宝剣を売っているとか言ってた……?」
「うむ」
グランポーン領内に来ていたイナキアの行商隊。
彼らが開いた市の中には武具店もあり、例の黒剣──偽の宝剣が売られていたそうだ。
その武具店の名前がエオス商会。
だから今回、ビスホープ侯を追ってイナキアに来たついでに調査をと思っていたのだが、まさか当の侯爵が関わっているとは。
「──まあそれはよい。場所もまだ分かっておらんしの。それよりもリィグから聞いた。此度の事件の犯人は、水の魔法を使う魔導師だそうだな」
「え? ああ……」
おそらくラナから聞いた情報をリィグが王子に話したのだろう。
王子は庭園を見つめると、『リィグが心配していた』と付け足した。
「リィグが?」
「以前大臣が言っていた。お前は膨大な魔力こそ持ってはいるが、魔法の扱いが下手なのだろう? だから魔導師団ではなく、文官になったと聞いた。四属性の行使が可能なくせに欠陥品だと言っておったぞ」
「欠陥品……」
ひどい言われようである。
「えっと……、それとリィグとなんの関係が……」
「『魔法のコントロールが出来ないから、犯人と対峙した時にちょっと危ないかもしれない』だそうだ。犯人は魔力の操作に長けているとも聞いた」
王子は思案顔で月を見上げた。
「あやつの話を聞く限り、おそらく犯人は異郷返りであろうな」
「異郷帰りの魔導師、か……」
通常、魔導師は二つのタイプに分かれる。
ひとつは魔導品を使って魔法を行使するタイプ。
これは魔導品さえあれば誰でもなれるから、魔導師の中では二流扱い。
それに比べて血筋によるタイプ。
大衆向けの書物に出てくる魔女だの魔法使いといえば、大抵の人がイメージするだろう魔法の形。
呪文を唱えて火を出したり、水を凍らせたり、自由度の高い魔法だが、使える者は限られている。
──異郷帰り。
妖精たちの血を引くとか引かないとか、魔力の高い人間のことを差す呼称だが、ユーハルドにおける彼らの血脈は総じて高い地位にある。
侯爵家のベルルーク家がそうだ。
そしてこれは余談だが、各人使える魔法の属性はひとつだけ。
理由は二つ。
その一、魔導品は高いので、複数の魔法を所持することが難しいから。
その二、魔導品なしで魔法が使える異郷返りたちは決まってひとつの属性に偏る傾向があるから。
だから、四属性をすべて使えるゼノは異例中の異例らしい。
けれど、極端に魔法の制御が苦手なせいで、養父アウルからもらった風の腕輪を媒介にしてしか魔法の行使ができない。
つまりは事実上、風の魔法しか扱えない。
どんなに強大な魔力を有していても、所詮は二流落ち。
だから魔導師としての職には付けず、こうして文官になったという経緯もあるのだ。
(まあ、もともとシオンの補佐官になるつもりだったから、魔導師なんてものには興味なかったけど)
どうせ魔導師の職についたところでこの時代に仕事はない。
魔法は戦い中でこそ真価を発揮する。
平和な世の中に、人を殺める魔法は必要ないのだから。
「でも、そうすると野良の魔導師ですかね?」
食べ終わった串を皿に置いてゼノがたずねると、王子は『いや』と首を振った。
「ユーハルドでは魔法を生業とする者を総じて魔導師と呼び、国の魔導師名簿に名前を登録するのが慣習だが、他国では異なる」
「え? そうなんですか?」
「そうだ」
王子がうなずく。
「南のパトシナならばうちとそう変わらぬ制度を敷いておるが、このイナキアで魔導師の仕事といえば傭兵だ。勝手に個人間で契約し、仕事を取ると聞く。国が魔導師を管理していない以上、数もわからない。それは東の竜帝国も同じであり、あそこは国としての歴も浅く、領土が馬鹿のように広い。ゆえに魔導師どころか、民の数すら正確に把握しきれていないと、シオン兄上の補佐官教育時に習わなかったのか?」
「習ったと思います……」
王子の怒涛の説明になんとか返すと、ゼノの様子を見た王子は溜息を吐いて追加した。
「……うちでいう魔導師とは元は神官だ。だから慣例的に尊ばれるがよそでは違う。怪しい術を使うといって迫害されることもある。まさに異郷返りがそうであるように、な」
ふいに王子が横を見る。
眠気まなこを擦りながらフィーが歩いてくる。
「気をつけろ。無理だと判断した場合は直ちに引くのが戦術の基本だ。もしも勝ち目がないと感じたら即座に報告しろ。その時はまあ……余がなんとかしてやる」
それだけ告げて、彼はフィーを連れて庭園を出て行った。
(つまり、困ったら助けてやるからもしもの時は言えってこと?)
だいぶ迂遠な言い方だが、心配してくれているのだろう。
しかも珍しく優しい。
明日は雨が降りそうだ。
そしてさりげなく空皿を置いていった。
ゼノは宿の厨房に皿を届けてから部屋に戻った。




