68 アルスさんはワーカホリック
「──と言って、これを渡されました」
ゼノはアルスの机にオレンジ色のスカーフを置いた。
それは昼間広場で見た、自警団の男が腕につけていたスカーフと同じものだった。
「んー? 自警団の腕章か?」
グレンがスカーフの端をつまんだ。
汚いものを触るような、普段のひょうひょうとした態度と反して、布を警戒する触り方だった。
「なるほど、これを犯人が落としていったというわけか」
「そうです。それから自警団の男も言っていましたが、犯人は栗毛の髪の女だそうです。実際、ラナさんもそうだって話していました」
「栗毛にオレンジのスカーフか」
「どこぞの自警団が犯人だったりしてな」
はははと笑うグレンを一瞥して、アルスはグラタンを口に運んだ。
(いいな、グラタン……)
ゼノは自分の腹に手をあてた。
ふたりとも人の話を聞きながら夕食を取っている。
別に構わないけれど、芳ばしい香りが鼻をくすぐるたびに腹が鳴るのだ。
ちらりと時計を見る。
現在の時刻は夜の九時半。
報告に来たら、ちょうど遅い夕飯時だったようで、事務所の扉を開けたら両手を合わせるふたりがいた。
パンにスープにグラタンに。
果物までついた抜群の栄養バランス。
まだ夕飯を食べていないゼノの腹が、ぎゅるると鳴いて空腹を主張する。
「あ、そうだ。犯人はイラノキの香をつけた女性を狙うとも言っていました」
「イラノキ?」
グレンが聞き返す。
食後のデザート(みかん)に突入した。
「ええ、ラナさんが教えてくれました。なんでも被害にあった人たちが髪を整えにサロンへ来るそうですが、ほぼ全員がその香りをつけているのだとか。サロンでもイラノキの香を使ったヘアーオイルとかいうのがあって、彼女も今日それをつけていたそうです」
「イラノキの精油か……。となれば、やはりうちの商会絡みの案件か」
せっせと食事を詰め込みながらアルスが眉を寄せた。
その様子にゼノが首を曲げると、グレンが説明してくれた。
「材料が遠い地でしか採れないものでな。仕入れにも日数とコストがかかるってんで、他の店では扱ってないやつなんだよ。うち独自のオリジナル商品ってやつ。最近売り始めたもんで、すでにかなりの予約待ちなんだぜ」
「へぇ、人気商品なんですね」
そういうことなら『ラパン商会の繁盛をねたんだ輩がちょっかいを出してきている』という線もありえるが、女の髪を狙うという点だけがよくわからない。
それも若い女。
グレンの話によれば、イラノキを使った商品は複数あるらしく、精油に香水、石鹸なんかも置いてあるのだそうだ。
それこそ男女問わず、年齢問わず使える商品といえる。
うーんとゼノが思案にくれていると、アルスはグレンに目で合図を送った。
「はいよ。明日からの販売停止、各店舗に伝令出しとくよ」
アルスが頷く。
(意思の疎通すごいな)
うちとは大違いだ。
いずれ王子とともに国を背負っていく身としては、この域に達せることを祈りたい。
宿に戻ったら、雑談を持ちかけてみよう。
「ところで、イラノキって竜帝国の秘島でのみ採れる花でしたっけ。独特の甘い香りが特徴的で、情熱的な高ぶりを引き起こすとか何とかっていう……」
「ほう、知っているのか?」
意外そうな声色で、アルスが顔を上げた。
彼はいま、みかんの皮をむいている。
「ええ。本で読んだことがありますよ。実物は見たいことがないですけど」
「ならば見ていくか? ちょうど精製前のものが倉庫にある」
「いいんですか?」
「構わない。むろんそちらに興味があればの話だが」
そう言いながらアルスはみかん(食べかけ)を机に置いて立ち上がり、部屋の扉まで歩いていった。
心なしか楽しげにみえるのは、彼も薬草の話が好きなのかもしれない。親近感を感じる。
「おーい、待ってくれよ、アルス。勝手に薬草談義を交わすのはいいが、まだ仕事残ってんだから、あとにしてくれよ。それに、ほれ時間時間」
グレンが時計を指差す。十時。そろそろ宿に戻って食事がしたい。
だけど貴重なハーブをこの目で見たい。
(そして、できればちょっと欲しい)
しかしその想いは虚しく、けっきょくグレンのひとことで今日はお開きとなった。
帰りはグレンが送ってくれる。宿に向かうべく一緒に事務所を出た。
一階の、店のシャッターをおろすグレン。
どうやらアルスはまだ仕事をするそうだ。
いま夜中なのに。
(寒……)
十月ももう終わる。
寒空の下で閉店準備をするグレンを待っていると、白い子犬が足元にやってきて、抱っこをせがんできた。
「明日はどうすんだ?」
「明日ですか? とりあえず自警団の詰め所にでも行ってみようと思います」
子犬をすくいあげて腕に抱える。
ぺろぺろと鼻を舐めてきた。
「場所ってどこにありますか?」
「商王広場の近く。でも、やめといた方がいいと思うぜ?」
「どうしてですか?」
「そりゃあ、行っていきなり『この中に髪切り犯がいます!』とか騒いだら、坊主が捕まるだろ。もっと遠回しな策をおすすめするね」
「遠回し……。というか、そんな馬鹿な真似はしませんけど」
「坊主はな。でもあの嬢ちゃんならやりかねないだろ。んで、最終的にその責任を取らされるのが坊主。違うか?」
「ですね……」
容易に想像できる光景に、ゼノはげんなりと肩を落とした。
片づけを終えたらしい。
半分まで閉まっていたシャッターを全部下ろして、グレンが手をぱんぱんと叩きながら歩いてくる。
「あれだ。港にでも行ったらどうだ? あそこは自警団の連中がよく見回るし、いい飯屋もある。観光がまだなら明日行ってみたらどうだ?」
「港か。いいですね。ミツバたちに話してみます」
「おう、じゃあ明日の朝、ティアが来たら言っとくよ。今日と同じ昼くらいに事務所へ来てくれや」
にかっと笑うグレンと合わせように、子犬が「わんっ」と鳴く。
「そんじゃ、宿に向かうか」
「そうですね」
ゼノは頷いて、うしろへ身体をひねる。すると、誰かとぶつかった。
「──おっと」
頭上から落ちてきた声に驚くと、背の高い男が立っていた。
年は中老、渋めの声からして五十をすぎているだろうか。
暗くてよく見えないが、品の良さそうな男だった。
「アルスタンはいるか?」
「いるよ、仕事してる」
「そうか、では先に行っている。茶は竜帝国産の豆にしてくれ」
「へいへい」
グレンが適当に返すと、男は店の中に入っていった。
「悪ぃな、坊主。来客だ。本当は宿まで送ってやりたかったが、ここでバイバイな」
「いえ! 夜遅くまで失礼しました」
片手をあげてこちらに「じゃあな」と言うと、彼は男を追いかけた。
その背を見送り、ゼノもその場をあとにする。それにしても。
(こんな時間に来客?)
時刻は十時を回っている。
だというのに、こんな遅くに緊急の話かなにかだろうか?
ふと疑問に思いつつも、宿への道を急いだ。
「あっ! シュバルツァー……、連れてきてしまった」
腕の中ですやすやと子犬が眠りこけていた。




