06 『ソレ』
息があがり、ゼノはその場に崩れた。
額の血をぬぐう。木にうちつけられた時の身体の痛みが少し残っている。
「立てるか?」
エドルがこちらに手を差し出す。そのようすは、多少息はあがっているがまだ余裕がうかがえる。手を取り、立ち上がると、シオンがこちらに駆けてきた。
「ふたりともっ、ご無事ですか!」
「ああ……、お前は?」
「私は大丈夫です。それよりも早く止血を」
シオンが布をくれた。額に押し当て、血をとめる。
「そちらの方は、怪我は?」
「エドルだ。騎士の見習いをやっている。此度は助力を感謝する。それと怪我だが、おそらく骨の数本は折っているが問題ない」
「それは良かった」
(いや、良くはないだろう)
ふたりは互いに握手をしている。その際、シオンは偽名を名乗ったようで、エドルは彼が王子とは気づいていなかった。
ちなみに偽名は、シオーン。適当すぎる。
「急いでこれを台座に戻して、王都へ戻りましょう」
シオンの手には結界水晶が握られていた。いつのまにか拾っていたらしい。
「ああ、でもどうする? その……こいつらは」
辺りには多くの死体。このまま放置しておけば新たな獣の餌になりかねない。
エドルが死体を横目で見て、拳を握る。
「……ひとまず置いていく。家族の元へ返してはやりたいが、いまは運ぶ余裕がない」
「そう、だな……」
もたもたしていて新たな魔獣がきたら元もこうもない。
ゼノたちは結界水晶の台座まで歩いた。
(ん……あれ?)
腕輪の石の光が淡くなっている。
いつもならば、もっと光輝いていたはずなのに。
もしかして壊れたか? と気を取られていたら、いつのまにか台座についたらしい。
すぐ近くだった。
シオンが台座に水晶をおくと、水晶は光を放ち、いままで自分たちがいた場所と、いまいる地点の間に薄い膜がはられた。
「これで、あの魔獣たちはこちらには出られないでしょう」
「じゃあ帰るか」
「ですね」
森から出るために、入り口を目指して歩き出す。そこでふいに心臓がどくんと跳ねた。
(……?)
音が聞こえる。木々がざわめく音。光蝶たちが一斉に飛び舞っている。
肌が粟立つような風が通り抜け、頭の中で警鐘が鳴り響く。
「──待て」
「……?」
立ち止まる。シオンとエドルが不思議そうに振り返った。直後、思わず耳を塞ぎたくなるほどの咆哮が聞こえた。
『▲■▼▲■▼──▲■▼!』
「なんだ⁉」
「──っ⁉」
急に地面が大きく揺れ、地鳴りとともに大地が裂けると足場が崩れた。
「な──っ」
落ちる。ばっくりと開いた地の底へ。そう思ったとき、腕を掴まれた。
「呆けるなと言ったはずだ……!」
「ごめん!」
エドルが手を掴んで、ゼノを引き上げた。
「こちらへ!」
シオンの誘導で、地中が割れていない箇所へと移動する。
そこで、やっと『ソレ』は見えた。
◇◇◇
「なんだ、あれは……?」
真っ白な、城よりも大きい巨大な何か。
はるか先の、魔獣たちがいた場所よりもさらに奥地。
ぼさっとした体毛に包まれた、雪山のようなその姿は──
(獣……? 鳥……、いや……竜?)
まるでお伽話に出てくるような、竜の雛。
二本の角が生えたソレを的確に表現しろと言われたら言葉にできない。
「──ゼノ! 呆けていないで逃げますよ!」
「へ?」
シオンに手を引かれて走る。
「待て! ここへきて逃げるのかよ!」
「当り前です! あんなものをどうやって倒すんですか! それより彼のあとをついていきますよ。森の入り口まで先導してくださるそうです」
言われて前を見れば、少し先を走り、剣で草木を薙ぎ払い、道を作るエドルの姿が見える。割れた大地をうまく避けつつ、疾走してゼノは叫んだ。
「いいのか⁉ あれ、放っておいて!」
「大丈夫。追ってくる気配がない。というよりも、おそらくあそこから動けないのでしょう」
「どういうこと⁉」
首だけうしろへ巡らせると、確かに白い何かはその場から動かない。
ソレに表情など無いが、ただ、ぼーっと立っているだけ。シオンが振り向かずに言った。
「──最奥の、さらに奥地。そこには触れてはならない禍つ神が眠っていると母が言っていました。そしてそれは強固な結界により、外界に出られないとも!」
「神⁉ なにそれ⁉」
シオンの言葉はよくわからないが、とにかく足を動かした。
走って、走って、走って。
もうすぐ森の入り口へ辿り着く。
そこで、振り返ってしまった。
「────!」
思わず足がとまる。
「──⁉ ゼノ! 何をやって──っ!」
シオンも止まり、この光景に気がついたのか息をのんだ。
竜の雛のようなソレからは、体毛から形どられた、いくつもの触手が生えていた。
ゆらゆらと揺れる触手が、森の生き物たちを捕らえはじめる。
捕獲し、口に運ぶ。その場にあった魔獣たちの死肉をも喰らう。
そこから動くこともなく、ただ黙々と作業のように周りのものを片付けていく。
そして──
「伏せろ! ふたりとも!」
ゼノはシオンを突き飛ばした。
続いて、一足先を走る同僚を守るべく、飛んできた触手を槍で弾き返す。
しかし、それがいけなかった。
「ゼノ!」
一瞬で足を取られ、逆さまに吊るされ、すぐ目の前にはソレの口があった。
──あ、これ死ぬ。
そう思ったときには既に口の中だった。
真っ暗で何も見えない。ぬめっとした感触が気持ち悪い。
〝喰われたのか〟
何もわからない頭でわかったのはそれだけ。
だからそのあとは無意識。
「──ラ……ス・オヴィ……ン」
たぶんそう呟いたあと、完全に意識がなくなった。