63 紅葉(もみじ)を別の読み方にすると、この章のヒロインの名前になる
案内された木造の建物は、落ち着いた雰囲気の宿だった。
周囲を緑に囲まれ、街中にあるというのに、そこだけを切り取ったような静かな空間があった。
「すごいな……」
玄関を抜けてすぐに見える大きなガラス窓。
そこには庭園らしき一角があり、初めて見る景色だった。
砂地に波のような模様と、苔に覆われた大きな岩。
ユーハルドの城の庭園も見事なものだが、ここは別の意味で趣がある。
ゼノとリィグとミツバは、庭に釘付けになった。
「綺麗だろ。アルスが世話になってるじいさんが、こういうのが好きでな。サクラナの庭を模したものらしいが、もう少しすると紅葉が色づいて赤一色になるんだぜ」
「もみじ?」
「サクラナの木だよ。葉っぱが手みたいな形してるやつ」
「手……」
ゼノにはまったく想像がつかないが、ガラス窓に張りつくミツバが、紅葉、紅葉とはしゃいでいる様子から、おそらくあの緑の木がそうなのだろう。
「ほい、部屋のカギ。受付はしといたから、また明日にでもうちに来な。なにか新しい情報が入るかもしれねぇから」
「ありがとうございます」
「ゼノ! こっちも凄いわよ!」
「わかってる! 今行くからちょっと待ってろ」
廊下の先から騒ぐ声に返事をしてグレンからカギを受け取ると、ティアがぺこりと頭を下げてきた。
「ゼノさん。今日はありがとうございました」
「いやっ、オレたちの方こそありがとう。それよりごめんな? 今日は休みだったみたいなのに、仕事に行くようなこと頼んじゃって」
「そんな、大丈夫ですよ。それよりも明日からよろしくお願いします」
「ああ、出来る限り頑張るよ」
本当は厄介事には関わりたくはないけれど。
という本音は隠して、そう答えておくと、ティアが安心したように微笑んだあと、「それにしても」と、ずいっと顔を近づけてきた。
心なしか、目がきらきらとしている。どこぞの友人を思い出した。
「ゼノさんが魔導師だなんてびっくりしました! やっぱりすごい魔法が使えるんですか?」
「へ? すごい魔法……? いや、全然だよ。簡単な風を出したり、水を出したり。王……ライ様が言ってたように魔法師団にも入れないほどの実力だから」
「そうなんですか? でも妖精国の魔導師といったらかなり有名ですし……ね?」
「おう。魔導師ひとりで国をひとつ落とせるって聞くよな」
「はい。彼らが通ったあとには草一本、残らないとも」
頷くふたりを見て、ゼノはぽかんと口を開けた。
「……え? うそ……」
「「本当」です」
重なる肯定の声。
一体どんな情報が他国には流れているのだろうか。
ゼノはふたりの話を聞いて不安になった。
さらにグレンが追い打ちをかけるように話を付け足す。
「ほれ、四十年前の大陸大戦時。当時の妖精国の魔導師団長がすげぇ活躍したって話。坊主も知ってるだろ?」
「え? あー……竜帝国を窮地に追いやり、停戦の条約を結ばせたとかなんとか……。確かペリードの……、ベルルーク家の先々代当主が講じた策がどうのって……」
実はその辺りには詳しくない。
シオンから国の歴史を叩きこまれてはいるが、興味がないので殆ど聞き流していた。
苦笑まじりにグレンが言った。
「はは、えらく曖昧な物言いだなぁ。自国の話だろうに」
「すみません……」
「いや、構わねぇよ。んで、その大戦時だが、うちはその頃はまだ国っつー国でも無かったし、この商都あたりは帝国から離れていたからな。戦時中でものんびりしてたみてぇだが……、前線に行った商人曰く、それはもう、すごい魔法戦が繰り広げられていたとかで、大地がどかーんと吹っ飛んだって話だぜ」
「ですね。わたしも帝国の山岳地帯の一部が削れた、とも聞きました」
「それな。そんな話もあったなぁ」
「へー」
(そんな記録なんかあったか?)
楽し気に語るふたりには悪いが、その情報はおそらくガセだろう。
ユーハルド側に大規模な魔法戦をしたという記録は無いし、実際にあったとしてもそんな威力の高い攻撃魔法は存在しないと思うが。
まあ、噂には尾ひれがつくものだしなぁと、ゼノがふたりの話に耳を傾けていると、リィグが間に入ってきた。
「ねぇ、その『妖精国』ってなぁに?」
「うちの異名だよ。知らないのか?」
「うん。だってマスター、そういうの教えてくれないし」
「オレのせいかよ」
真顔で頷かれ、ゼノはごほんと咳払いをする。
「──東の『竜帝国』ハルーニア、南の『聖国』パトシナ、北の『商業国家』イナキア、西の『妖精国』ユーハルド。大陸にある四つの国にはそれぞれ二つ名みたいなものがあって、うちは昔からそう呼ばれているんだよ」
「なんで?」
「さあ……緑ばっかの田舎国だからじゃないのか?」
「えー、雑な理由だなぁ」
リィグが渋い顔をする。
そういえば、こいつはよく『妖精』という言葉に反応する。
理由はわからないが、本人曰く妖精とはいい意味ではないらしい。
それを見たティアが補足するように説明した。
「今日で『妖精』といえば、神秘的で美しい存在を指しますが、古い時代では魔性を意味したそうですよ」
「魔性?」
「ええ。妖しき精、つまりは妖精だと。古い文献ですが、そう書かれているのを読んだことがあります」
「へー。物知りだな、ティア」
「そんなことは。歴史にお詳しいかたなら皆さん知っていることですから」
「ってことは、つまりユーハルドは魔性の国ってこと?」
リィグが小首をかしげる。
「なんかすごい悪口に聞こえるのは僕だけ?」
「確かに……」
そう聞くと、結構ひどい言われようである。
妖精国と呼ばれるたびに、魔性が住む国とでも揶揄されているようなものなのだから。
ゼノがもやもやした気持ちを抱えていると、それが顔に出たのだろう。
グレンが盛大に笑い飛ばした。
「安心しな。誰も悪口なんか言ってねぇし、むしろ敬意を払っての言葉だ。なにせ、ユーハルドは大陸で最も古い歴史を持つ国だからな。沈んだサクラナと同じで、ある種の神格化の表れなんだろうよ」
だから気にすんなと、大きく笑う彼を見て、どこかアウルの明るさを思い出した。
「……と、そろそろ行かねぇと。ティアの家ってどこだっけ?」
「あ、この通りの二本向こうです」
「んじゃ近ぇな。そういうことで坊主、また明日な」
「はい。明日の午前中には伺います」
「おう、待ってるよ」
ひらひらと手を振るグレンと、ぺこりと頭をさげるティアと別れ、ゼノはリィグを連れて先に部屋へと向かった王子たちを追いかけた。
「来るのが遅い」
「すみません」
すでに鍵が開いていたのか、指定された部屋にいた王子に怒られた。
全員そろったところで食堂へ行こうとなり、その日は宿の夕飯を満喫して終わった。
「ねぇ、マスター。ここの女湯がさー」
「うるさいから、はやく寝て」




