62 かわいいキミの名は
「あんたら、今夜の宿は決まってんのか?」
「まだですけど」
「そうか、ならせっかくだ。イナキアで一番いい宿を案内してやるよ」
「いい宿? ですか……」
「そ。小さいが、風光明媚な庭が定評のうちの宿屋。な? いいだろアルス?」
グレンの目配せに、アルスが頷く。
「彼女を助けてもらったこともある。滞在中は好きに使ってくれて構わない」
そういうアルスの申し出をありがたく受けることにした。
「じゃあ、アルス。俺、出てくるわ」
「わかった。──ティア、君もグレンについていくように」
「え? あ、はい」
「グレン」
「わかってるよ。坊主たちを宿まで連れてった帰りに、家まで送ってけばいいんだろ? 任せときなって」
グレンの返答に頷くと、アルスは執務に戻った。
そのあとは、部屋を出て行くときに挨拶をしたが、返事が無かった。
ものすごい集中力だった。
(──ん、なんだこれ?)
扉をくぐった際に、なにかに引っかかったらしい。
ほんのわずかに輝く透明な糸のようなものが靴に張り付いていた。
拾ってみると、ふつりと切れてしまった。
「クモの糸か」
これくっつくと取るの大変だよなーと思いながら軽く足を振って、階段をおりて外に出ると、一階の店先で子犬と遊ぶリィグがいた。
(そういえば……)
いつもお喋りなリィグが静かだったから、てっきりアルスの話に興味がないからだろうと思っていたら、そもそも部屋にいなかった。
それに気づいたのが、グレンが茶を運んできた時のことだった。
「リィグ。お前……まさかそれ、拾ってきたんじゃないだろうな?」
「あ、マスター」
リィグが振り向く。
同時に子犬がゼノの足元までかけてきた。
「うわっ! ちょ、犬!」
「きゃんっ!」
ゼノの足のじゃれつき、尾を振ってくる子犬。
全体的に白く、尻尾がくりんと丸まっている。
小柄で見たことのない犬種だが、首輪がない。
捨て犬、もしくは野良犬だろうか?
「お、シュバルツァーか。珍しいなー、今日はひとりで来たのか?」
「ひゃんひゃん!」
へっへっと舌を出しながら、今度はグレンのまわりをぐるぐると回る。
なかなかに愛らしい姿に、ミツバがそわそわしながら子犬を見ている。
反対に、ティアは子犬から距離を取った。
彼女は犬が苦手なのかもしれない。
それにしても。
(シュバルツァー……!)
可愛い姿に反して、無駄にかっこいい。
名前があるということは飼い犬なのだろうが、名づけた奴は相当なセンスの持ち主に違いない。
きりっとした表情で、フィーの差し出した手にお手をする子犬は、名前もあってか不思議と凛々しくみえた。
「可愛いじゃない。名前は……シュバル? だったかしら」
「シュバルツァーだ。可愛いだろ。俺の妹が飼ってる犬なんだよ」
「へぇ、おまえ、妹がいるの?」
「お前、じゃなくてグレンな、嬢ちゃん。いるよ、まぁ妹つっても血は繋がってないんだけどな」
グレンが子犬を抱きかかえると、子犬は「くぅん」と鼻をならして、嬉しそうにグレンの顔を舐めた。
「妹は自警団に所属しててさ。いまはちょっと謹慎くらって家にいるから、多分こいつだけ遊びに来たんだろ。うえにアルスがいるから、おやつでも貰ってきな」
「わん!」
子犬はグレンの腕から飛び降り、元気よく店内へ駆けていった。
ミツバが「触りたかったのに」と肩を落とした。
「ところで自警団って、さっきティアが話していた使えない兵団のことよね?」
「ミツバさん、言い方」
「確か、港とか広場とかを見回ってるとかいう人たちだっけ」
リィグが話に加わり、ティアが頷く。
「はい。街の治安維持を目的とした、有志の旅団です」
「そーそー、観光客の道案内だとか、街道に獣が出たときの討伐だとか。あとは落盤の片づけなどなど。まぁ、自警団つーか雑用団って感じだなー」
(雑用団て……)
グレンの言い方はともかく、要するにユーハルドでいう警備隊のようなものなのだろう。
もっとも、うちの場合は街道の守護よりも、街の治安維持に比重を置いているが。
「──おい。くだらんことを話していないで、さっさと行くぞ」
「はい」
王子の容赦ないひとことで、ゼノたちは宿へ向かった。




