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ゼノの追想譚 かつて不死蝶の魔導師は最強だった  作者: 遠野イナバ
第ニ章/後『海霧の怪人編』

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60 霧の髪切り事件

「で? さっきの話を聞きましょうか」


「おい」


 店に入り、注文してすぐ、ミツバが先の件をティアに問いただした。

 腕を組み、ふんぞり返るようにゼノの横に座っている彼女はなんとも偉そうだ。


「それは……その……」


 真向いの席に座るティアが恐縮して、背を丸めている。


「とりあえず、なにがあったのか聞かせてもらいたいんだけど……いいかな?」


 運ばれてきた料理をテーブルに並べながら、ゼノは彼女に訊ねた。


「あ、辛かったら大丈夫だよ? 無理には聞かないし」


 リィグが付け足す。


「いえその、大丈夫です。すこし落ちついたので、それよりも改めてお礼を申し上げます。助けてくださり、ありがとうございました」


 ぺこりとティアが頭をさげる。


「いいや、助けただなんて」


(髪、切られてるし……)


 視界の中で揺れる短い髪。

 これではとても助けたとはいえない。テーブルの上でぎゅっと拳を握る。


 そんなゼノを見て、ティアが苦笑まじりに微笑んだ。


「髪切り犯に襲われたかたの中には、髪を切られるだけではなく、大きな怪我を負ったかたもいらっしゃるんです。だからわたしは運がよいほうでした」


「そんなこと……」


「いいえ」


 ティアが首を横に振る。


「わたしが助けを呼んだとき、あなたは駆けつけてくれました。そんな優しいかたは、この町には多くはありません。みんな自分の利になることしか考えていないから」


 そう話す彼女の顔はひどく寂しげで、ここが商人の国だったことを思い出す。


 このイナキアでは国民すべてが商人だ。


 それがどうした、という話ではあるけれど、イナキア出身には冷たい人間が多いのだと、城でも聞いたことがある。


「で、本題に入りましょうよ」


 ミツバがはやくと急かす。

 パンを口に運びながら、綺麗な作法でスープを飲んでいる。

 腐っても、そこは王族というわけだ。


「はい。えっと……みなさんはユーハルドの方、ですよね?」


「そうだけど。やっぱりわかるもんか? そういうのって」


「もちろん。服装でわかりますよ。うちでは細身の服が好まれるのですが、ユーハルドではゆったりした服を選ばれるかたが多いので」


「へぇ、そんなんでわかるもんなんだ。流石は商人の国」


 さっきのグレンという男といい、この国の人間はすごい。


「ユーハルドの方でしたら隣国ですし、もしかしたらご存知かもしれませんが……。『海霧の怪人』という名前を聞いたことはありますか?」


「あるよ。確か、髪の長い女性たちを狙って霧のなかに現れる怪人。いまイナキアの商都アルニカで起こってる、連続髪切り犯……だっけ?」


「そうです。このふたつきで、もう九十名以上のかたが被害に遭われました」


「九十⁉ かなり多いな……」


「そうだね。よく捕まらないね、その犯人」


 リィグが店員から皿を受け取る。

 メインの料理が運ばれてきた。


「霧のせいで犯人の姿が見えないんです。毎回、深い霧の中で事件が起こるから、捕まえるのが難しいですし、手配書も出せなくて。それに犯人は複数いるとも言われています」


「あー……、たしかに」


 俯いて話すティアに頷き、ゼノは窓の外を見る。

 ここは料理店の二階で、窓から町のようすを覗くことができる。


 その中には先ほどいた港……は流石に見えないが、建物の間から遠くの海が見える。


 おそらくここは海沿いの街だから、頻繁に霧が起こるのかもしれない。


 事実、さっきも濃い霧が立ち込めていた。


 それに、それだけの被害数が出ているのだ。ひとりでは厳しい。


 彼女の言う通り、複数犯という線が強いだろう。


(なんか厄介そうな事件だなぁ……)


 ゼノがグラスを手に取り、ひとり唸っていると、横からだんっと勢いよくグラスを置く音がした。


「わからないわね」


「なにが?」


「それだけ派手に動いているのなら、兵たちが動くでしょ? 霧に巻かれたからって、その程度で犯人を取り逃がすとか、イナキアの兵は無能なのかしら」


「無能って、お前言い方……」


 ミツバに呆れた視線を送ると、困惑ぎみにティアが答えた。


「その、イナキアには兵士がいないんです。みなさん各商会で用心棒を雇っているので。個人となると、余程の大金を持っているかたくらいしか傭兵を雇う余裕がなくて……だから事件が起きても、基本的には自己解決が求められます」


「え? そうなの?」


「ええ。一応、自警団と呼ばれる方々もいらっしゃいますけど、主に街道の警備や観光客が多い場所の見回りが殆どで、こういったことにはあまり」


「はぁ? ならこの町の治安維持はどうなっているのよ? 窃盗に殺しに、悪いことし放題じゃない」


「だからミツバさん、言い方」


「なによ。事実でしょ?」


「そうだろうけどさ……」


 もう少し表現を改めてもらいたい。ティアが何とも言えない表情をしている。


(髪切り事件か……)


 色々と気になる点はあるが、ティアから話は粗方聞けた。


 他国のことだし、これ以上はもういいだろう。

 あとはこの件を王子に報告して終わりでいい。


 隣国で起きたことに首を突っ込んでも碌なことはならないしな、と目の前の肉料理に手をつけた。


(うまっ……!)


 チーズが混ざったパン粉をつけて、油で揚げた豚肉料理(名前がわからない)。

 トマトソースが絶妙で、最近魚ばかりを食べていたからありがたい。


「ねぇ、ちょっといい?」


 ふと、リィグが片手をあげた。


「どうした? リィグ。はやく食わないと冷めるぞ」


「うん。あのさ、事件の背景はわかったけど、結局なんでティアちゃんはあんな場所にいたの? あそこ行き止まりだったし、おまけに路地裏だよ? ミツバちゃんじゃないけれど、普通に表の通りを歩けばよかったのに」


「それは……」


 ティアが口ごもる。


「なによ。もしかして訳あり?」


 ミツバが水差しから、コップに水を注ぐ。


 からんと氷がグラスにぶつかって音が鳴った。


 すでにメインを食べ終わり、デザートを待つ彼女は先ほど船酔いしていた人物とは思えない。


 寸秒経ってから、ティアが懐から一枚の紙を取り出した。


「これを……」


 すっとテーブルの上に紙が置かれる。


「これは?」


 見たところ何かの申請書のようだ。


 細かい文字で規約のようなものが書かれ、下のほうにサインを入れるスペースがある。


 手に取ってゼノとミツバで眺めていると、ティアがあたりを窺うようにちらりと一瞥して、声をひそめて言った。


「実は今度とある品評会が行われるんですが、その受付が今日まででして。その参加申請書を出しに行くところでした」


「品評会?」


「ええ。イナキアとハルーニア帝国で行われる、薬品部門の品評会です。そこで良い評価がもらえて大きなお得意様が出来れば、その商会の未来は安泰だと言われていまして」


 そこでティアが下を向く。


「実はわたしがお世話になっているかたが、その品評会への不参加を決めていまして。だけど、その……どうしても出てほしいから、その書類をこっそり出しにいこうと思ったんです。だからなるべく人目につかないようにと思って……」


 ばつが悪そうに話すティアに、それであんな場所にいたのかと納得する。


 しかし、そんなにこそこそ出しに行くほどのものなのだろうか?


 ゼノは申請書の下のほうにあるサインを口にした。


「アルスタン・ラパンリー?」


 いまティアが言っていた『お世話になっているかた』という奴だろうか。

 サインの横に商印らしきものが押してあった。


「あ、うちの会長の名前です。わたしはラパン商会という薬を扱うお店で働いていまして。そこで秘書をしています」


「へぇ、秘書。それに薬屋か」


 ということは、薬草やら薬木などが豊富なのだろうか。

 時間があれば覗いてみようと、ゼノは心が高鳴った。


「秘書? ってことはあれよね、補佐官的な役割かしら……? それなら何も普通に出しにいけばいいじゃない。黙って行く方が後で怒られると思うわ」


「いえ。一度は出す予定だったものを取りやめたものなので、見つかったらきっと怒られてしまいます。余計なことをするなと、仰るかと」


「ふーん。よくわからないけれど、気難しい奴なのね。そいつ」


 ミツバが頬杖をつく。

 ティアに書類を返して、その話は終わった。


「会計してくる」


「ちょっと、まだデザートが残ってるわよ?」


「食っていいよ。オレ、甘いもの苦手だし」


「やった!」


 ちょうど運ばれてきたプリンを一瞥し、ゼノは立ち上がって、カウンターに向かう。


 銀貨二枚を革袋から取り出すと、店員の男に渋い顔をされた。


「お客さん、これユーハルドのお金でしょ? ラビーに交換してもらわないと困るよ」


「え? ……あ」


 うっかりしていた。

 イナキアでは『ラビー』という通貨が流通しているから、他国の金は使えない。


 ゆえに、外国から来た客は、まずいちばん最初に町の換金所へいくのが決まりだった。


 ちなみにフィーティアの神殿でも少額であれば換金してくれる。


「なにをやっているのよ、バカ」


「悪い……」


 奥の席から飛んでくるミツバの声に、ゼノはどうするかと思案する。


 するとティアが鞄から財布を取り出して、こちらに来てくれた。


「あの、わたしが払いますので」


「──ここにいたのか」


「王子」


 ちょうどいいところに王子が店に入ってきた。


「……ライ」


 王子のうしろからフィーがひょこっと顔を出して、呼び名を指摘した。


「えっと……ライさま。奇遇ですね。まさか同じ店に入るだなんて」


「奇遇なものか。フィーに匂いを辿らせて来てみれば……だから言ったであろう? 金を換えないと何もできんと」


「……すみません」


 その場の支払いは王子がしてくれた。


「わたしの分まで払っていただいて、ありがとうございます」


「うむ」


 店から出ると、ティアが王子にぺこりと頭をさげた。


「で? こんなところで何をしていた」


「ちょうど昼だったので、店に入ろうってなりまして」


「それは見ればわかる」


「彼女が例の髪切り犯に襲われていたところをマスターが助けたんだよ。だから話を聞きながら、みんなでご飯してたって感じ」


「そうか」


 ゼノの話を補足するようにリィグが王子に伝えると、彼はティアの胸元に視線を向けた。


「そなた、ラパン商会のものか」


「え? あ、はい。そうです」


「ふむ。ではひとつ聞くが、アルスタンとやらはラパン商会の長で間違いないか?」


「は、はい! うちの商会長をなさっているかたです」


「ふむ……」


(すご、なんでわかったんだろ)


 思案顔で顎に指をそえる王子。

 どうして彼女がラパン商会の人間だとわかったのだろうか。

 驚きを通り越して、純粋に気になった。


「なんでわかったんですか? 彼女がラパン商会だって」


「胸元のバッチだ。その商紋はラパン商会のものだと聞いている」


「バッチ?」


 言われて彼女の胸元をみれば、たしかに銀貨くらいの大きさのバッチがついている。

 葉っぱを抱えたうさぎの絵柄。

 葉はおそらく、薬草のことを表しているのだろう。

 さきほど申請書にあったマークを同じだ。


「詳しいですね」


「さきほど換金所で各商会の商紋リストを見てきた」


 そのまま王子が話をつづける。


「お前もアウロラ商会は知っておるだろう?」


「ええ。あの大きな商会ですよね。うちにもたまに出入りしている……」


「うむ。そのアウロラ商会にいずれは並ぶであろうと言われている商会だ。二年前に出来たばかりの小さな商会だが、長の男が相当のやり手だと聞く。可能ならば、その男に話をきいてみたい」


「それは構いませんけど、聞いてどうするんですか?」


「例の商会を知っているやもしれん。情報を聞ければビスホープの動向が探れる」


「なるほど」


「じゃあ決まりね。そのアルスタンって奴に会いに行くわよ、ゼノ」


「お前は宿に行きたいんじゃなかったのか?」


「ご飯食べたら元気になったわ」


「あっそう」


 ぐっと両拳を握るミツバをよそに、ひとまず今後の方針は決まったなと思う。


 さらにありがたいことに、ティアがアルスタンという男との仲介役を申し出てくれた。


 ゼノはそのままラパン商会まで案内されるかたちで店をあとにする。


 その時にはもう、あの嫌な気配のことはすっかり忘れていて、この数日後に後悔することを、この時の自分は知る由もなかった。

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