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ゼノの追想譚 かつて不死蝶の魔導師は最強だった  作者: 遠野イナバ
第ニ章/後『海霧の怪人編』

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56 どうして海はしょっぱいの?

「世話になったの。伯爵」


「いえ。殿下たちも道中お気をつけて。ミツバ様も、本当はお引き留めしたいところですが、やはりイナキアへ向かわれるのでしょう?」


「当然。とめたって聞かないわよ? もうこんなところに閉じ込められるのはうんざり! 今後は好きにしていいって、お父様から許可も貰ったことだし、あたしはライアスたちについてくわっ!」


 苦笑するルイスにミツバがつんっと横を向く。


 夜が明けて、早朝。

 これからディルの港へ向かうべく、ゼノたちは屋敷を出るところだった。


 ルイスへの挨拶を済ませ、ゼノが馬車に乗り込むとルイスが朝食の差し入れを渡してくれた。


「ありがとうございます」


「いえ。──それよりもミツバ様。イナキアではいま、女性の髪を切り歩く通り魔事件が起こっているそうです。御髪を狙われませんようご注意ください」


「ふんっ。心配は無用だわ。あたしがその辺のゴロツキ相手に引けを取るわけがないでしょ? くだらないことを言っていないで収穫祭も近いんだから、さっさと仕事をしなさい」


「はは。これは手厳しい。──では皆さま、旅の無事を祈っております。どうか楽しい旅になりますことを」


 ◇


 ルイスに見送られて十日。

 ディルの港町に着いた。

 船着き場の近くで馬車をとめ、扉を開け放つと潮の香りが鼻腔をくすぐった。


「あれが、海か!」


 広がる青。

 海鳥たちが空を舞い、輝く水面にはいくつもの小舟が浮かんでいる。


 おそらく漁師たちの船だろう。


 王都では見られない景色にゼノの心は高鳴った。


「──ディルの港町。別名、白亜の町とも呼ばれ、その名の通り白い建造物が立ち並ぶ景観麗しい港町は、ユーハルド最大の漁獲量を誇る。覚えておけ」


「あ、はい……」


 つい海に目を奪われていると、王子が隣にやってきて解説してくれた。


「──ま。最大といってもローズクイン領の漁村と、ここしかないけどね」


 ミツバが馬車から降りてきた。

 ぐーっと背伸びをすると、肩に手を置き、ごきごきと音を鳴らす。


「年寄りかよ」


「……は?」


「なんでもないです……」


 じとりとした視線から逃れるようにゼノは港の端まで歩き、海を眺めた。


(話には聞いてたけど、本当に向こう側が見えない)


 昔、養父アウルが言っていた。

 海は驚くほどに広いのだと。


 川よりも広大で、海の水を飲むと喉が渇くほどに塩辛いのだという。


 そんな昔話を思い出しながら、腰を下ろして、両手で海水をすくってみる。


 半透明に濁った水。

 口に含むと本当に塩の味がした。


「しょっぱ!」


「馬鹿! 何をしているのよ!」


 ミツバが走ってくる。

 その後ろを、のんびりとリィグが歩いてくる。


「いや、本当にしょっぱいのかなって思って」


「……馬鹿なの、おまえ。当然でしょう?」


「ぐ……、そんな目で見るなよ。仕方ないだろ? 海とか見るの初めてだし」


「はあ……これだから世間知らずは……」


「お前には言われたくないよ」


 肩を落とすミツバに呆れて返せば、今度はリィグがゼノの真似をする。


「しょっぱぁー」


「なんで飲んだよ」


 なんとなく、と答えてリィグがべっと舌を出した。


「どうして海って、しょっぱいんだろうね?」


「さあ……? 海の底に塩でも沈んでるんじゃないのか?」


「いや、それは流石にないでしょ」


「そうか? じゃあ、わからないよ」


 ゼノが素っ気なく返すと、ミツバが偉そうに腕を組んだ。


「海底に塩臼が沈んでいるから。だから、海はしょっぱいのよ!」


「へー、──って。絶対それ違うだろ」


「失礼ね。母様が言っていたんだから本当よ」


「えー?」


 ゼノとリィグは顔を見合わせて、本当だろうかと目で話す。

 ちょうどそこに、王子の声が掛かった。


「おい、そろそろ船に乗るぞ」


「あ、はい」


(って、うわ……)


 振り向くと、王子の腕の中には大量の海産物が収められていた。

 流石は海辺の町だけある。

 新鮮な魚がびちっと跳ねた。


「船、あれ」


 フィーがふたつ先の船を指す。

 やや大きめの船体。

 他の小舟よりも、しっかりした造りから、それが航海用の船だとわかる。


「いこ」


「だな。行くぞ、ふたりとも」


 フィーに手を引かれ、船まで向かう。

 本当はもう少し港を見たかったが、急ぐ旅でもある。

 いつかまた来ようと心に決めてゼノは乗船した。


 なお、その際フィーの頭に蛸が乗っていることに関しては、何も言わないでおいた。



 ◇ ◇ ◇



 女神ユノヴィアを崇める聖国パトシナ──その東部地方の片隅に本拠地を置くフィーティア本部内にて、赤髪の少年オウガは書類を抱えて扉を叩く。


「失礼いたします。ステイル様、いまお時間よろしいでしょうか」


「──どうぞ」


 心地のよい、優しげな声。


 短い返事を確認してオウガは扉を開く。

 ステイルの執務室。

 来客用のソファーと資料が置かれた本棚。

 それから執務机。

 隣に続く閉じた扉の先は、ステイルの私室を兼ねた一室だ。


 常に多忙を極める十二騎士たち。


 彼らはそれぞれ本拠地内に部屋を賜り、そこで生活している。


 オウガは執務机の前に立つと、ステイルに書類を渡した。


「ウヅキ殿に関する報告書です。その後の足取りと、今年の春に彼が逃亡した際に壊した研究施設より逃げ出した被験体の目撃情報をまとめて参りました」


「いつもありがとうございます。助かりますよ、オウガ」


「いえ」


 オウガは一礼し、書類に目を通すステイルの指示を待つ。


 待機の姿勢で室内を一瞥すれば、目に映るのは簡素な調度品と事務仕事の道具のみ。


(……相変わらず、飾り気のない部屋だ)


 まるでこの部屋の主を体現しているようだとオウガは思う。


 ステイルはいつもにこやかだが、それは決して心からの笑みでは無く、彼の内面はいつだって真冬のように凍てつき、虚ろで、色が無かった。


「ウヅキ殿はこちらを逃走後、妖精国のリーナイツ領主屋敷にてミツバ姫と接触。その後サクラナの神笛を奪い再び逃走……いまはハルーニアにいるとのことで間違いないですね?」


「はい、そのように監査室より報告がありました」


「なるほど、そういうことでしたらしばらくは手が出せないそうにない。ヴィクトル皇帝には喧嘩は売りたくないですからね」


「同感です」


 ハルーニア──通称〈竜帝国〉皇帝ヴィクトルは、戦好きで有名だ。


 自国における内乱誘発および粛清はもちろんのこと、他国においても一方的に難癖をつけて攻め入る、なんてことをざらでやってのける。


 まさに迷惑千万。

 愚鈍の王。

 できれば関わり合いたくない、というのがオウガの認識だった。


 そしてそれは彼の元上司──ステイルとて同じことだった。


 ステイルは書類を脇に置くと、形のよい笑みを作って近況を訊ねてきた。


「どうですか、管理局の仕事は。もう慣れましたか」


「はい、なんとか。各予算の見直しや、各神殿内での不正並びに無駄な経費削減を徹底して行っております。最近では細かい業務が苦手なメルディス様に代わり、各神殿への伝達役を代行するなど毎日忙しい日々です」


「ははは、それはまた、どうりで最近書類のチェックが厳しいはずだ。まさかあなたの仕業でしたか」


「……申し訳ありません」


「いや、ふふっ、別に構いませんよ? 流石はアウロラ商会のご子息です。金勘定を任せたら、君の右に出る者はこのフィーティアにはいませんからね。──それにほら、しっかり〈海神〉の役にも立っているようだ。彼女の保護者、〈炎帝〉に恩を売っておいて損はない。やはりあなたを推薦したのは正解でした」


 クスクスと楽しげに笑うステイルにオウガは小さく息をつく。


「私は、ステイル様の副官としてあなた様のお側でお仕えしたかったのですが、あのように言われたら頷かざるを得ません」


「ああ……、その節は申し訳ありませんでしたね」


 苦笑いを浮かべるステイル。


 オウガをウヅキの後任として、十二騎士に推挙したのは他でもないステイルだ。


 自身の部下の幹部入り。


 それはステイルにとってフィーティア内部における内情をより広く耳にする機会に恵まれるということだ。


 情報は多いほうがいい。


 いち早く組織内での情勢を知ることができるし、十二騎士かんぶ入りを目論む輩のよからぬ工作を退けることも可能だ。


 もちろんオウガの栄進を願っての面もある。


 だからこそオウガは元上司の期待に応えるべく日々邁進していた。しかし──


「デューラと離れるの、やっぱり嫌でしたよね」


 吐息混じりに告げられてオウガはぎょっと目を剥いた。


「──ちっ、違いますステイル様。わたくしは決してそのようなことは……!」


「え? 嘘はつかなくてもいいんですよ? 今回は軍事局から管理局への大きな異動でしたからね。建物の棟も違うし、こっちに所属しているデューラと会う機会も減って寂しいでしょう。彼女は魔獣狩りの専任者、本部を離れることも多いですから」


 にこりと向けられる人懐っこい笑顔。

 しかし同時にからかいじみた雰囲気を感じる。


 オウガは軽く咳払いすると話題を変えた。


「……これからアウロラ商会の、ヒューゴ会長との打ち合わせでしばらくこちらを留守にします。もし何かございましたら白鳩便を。よろしくお願いします」


「ああ、イナキアに行くんですか? じゃあお土産はオウガの御父上のお店で売っている『こいぬまんじゅう』がいいなー」


「それはなにかの嫌がらせでしょうか、ステイル様」


 冗談ですよ、と笑うとステイルは「そうだ」と続けた。


「イナキアと言えば、いま妙な事件が起きていると聞いています。確か、女性の髪を狙った通り魔が出るとか……、そんな話だったかな? オウガも髪を切られないように気をつけてくださいね」


「ご心配に及びません。わたくしは男ですので。──しかし、髪を切る、ですか……。随分と変わった犯人ですね。愉快犯かなにかでしょうか?」


「さあ? 俺はあそこの国の担当じゃないから詳しくは知らないけど、なんでも前に潰した造船施設で妙な儀式を行っている奴がいるとかいないとか。きみの大好きなデューラの飼い犬から連絡があったそうですよ。聞いてない?」


「いえ、なにも……。それと茶化すのは止めてください」


「ははは」


「……はあ。ですが、そうですか。そういうことなら、例の()()()()もイナキアへ向かったようですから、何かしらのひと騒動あるかもしれないですね」


 そう呟いて、オウガはハッとする。

 ステイルにこの話題は禁句だった。


 案の定、顔を上げるとステイルはただ笑みを浮かべるだけでなにも答えなかった。


(しまった……)


 オウガは口を閉ざしてほかの話題を探した。

 しかし、ステイルはフッと軽く目を細めると、


「そうですね、彼は少々トラブルに巻き込まれやすいきらいがありますから。けれど──」


 その先は言わず筆を走らせ、サインをした書類を渡してくれた。


 オウガは一礼してステイルの執務室を出た。

 時刻は正午前。

 昼食を取ってからここを発つかと、足を食堂へと向ける。


 ──彼なら、どんな困難でも跳ね除け退けられる。心配はいりませんよ。


 あのあと続く言葉はきっとそうだろうな。


 漠然と、元上司の台詞を想像してオウガは長い廊下を歩いていった。

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