05 魔獣との戦い
「向こうか⁉」
声はここよりも、奥から聞こえた。それも森の深い場所から。
「まさか最奥……!」
走りながらシオンが叫ぶ。
最奥とは、森の最も深い場所。
いまいるのも森の奥とはいえ、森の入口から歩いて一時間くらいのところだ。
最奥はそれよりもさらに奥。
普段は人が入れないようになっており、そこには大型の獣が多い。額に宝石のような石をつけた〈魔獣〉と呼ばれている獣だ。
(誰かが魔獣に襲われた⁉)
なぜ。そんな疑問が頭に浮かぶ。
森の最奥には入るな。それは誰もが知っていることで──
「──っ!」
ゼノもシオンも息を呑む。
目の前に広がるのは死地だった。
いくつもの折れた剣と、禍々しい黒い霧をまとった二匹の獣がいる。
四つ足の、イノシシのような大きな体躯に、ギラギラと光る赤い双眸。
その背からは、触手らしきものが何本も揺れており、ひとめで異形の類だとわかる。
おそらく魔獣だ。
その魔獣が、嫌な音を立てながら何かを口にしている。ぴちゃぴちゃとうるさい。
(──ああ、人を喰っているのか)
すぐに理解した。
あたりには折り重なった幾人もの死体。
見たくもないというのに、獣の口からはご丁寧に人とおぼしき五本の指がみえている。
人だったそれはどれもかれもが引き裂かれ、無残な肉塊と化していた。
「う、おえ!」
生々しい血の香り。
鉄を帯びた匂いに、こみあげるものを盛大に吐き出す。
「ゼノ、あれ……」
シオンがついと指をさす。
その横顔はまっすぐ前を向いていて、ひどく落ちつている。ゼノは伏せた顔をあげ、彼の視線の先を辿った。
「……助け……」
「っ!」
思考が止まる。誰かが助けを呼んでいる。
それは騎士学校の同期だと思うが、名前は憶えていない。
その誰かが、魔獣の触手にとらえられ、喰われようとしている。
助けなければと思うのに、体が動かない。
「──そこのふたり! 後方へ飛べ!」
「!」
鋭い声が飛び、とっさにシオンの手を引き、ゼノは後ろへ身を投げた。
自身の前を黒い塊が通りすぎる。
その数秒後、鈍い声をあげて黒い巨躯は倒れた。
『ぎゃぅ──』
今度は断末魔に反応して、さきほど同期を喰おうとしていた魔獣が一瞬動きをとめる。そこに長剣を持った男が突進した。
「うぉぉぉぉ!」
剣が魔獣の触手を切り落とす。
びしゃっと同期が血だまりのなかに落ちる。魔獣は怯んだのか、わずかに後ずさり、その隙に男が同期を助けた。
「エドル!」
「ゼノ。呆けていないで手伝え。それから、そっちの子供は危ないから下がっていろ」
エドルがシオンを一瞥する。王子だとは気づいていないようだ。
「いや、手伝えって、逃げるのが先だろ」
「無理だ。あれを見ろ」
エドルが指をさした先には、今回の指導教官──いや、正確には『教官だったもの』が転がっていた。身体の上下がわかれ、服装からしてそうだろうと判断が付く程度に血にまみれている。
「教官殿が手に持っているクリスタル。あれはここの結界水晶だ。あれを台座へ戻さない限り、このあたりの魔獣たちは森の外に出てしまうだろう」
「うそだろ……」
結界水晶。その名の通り、対象物を閉じこめ、結界を展開する水晶。
魔導師の──中でも特別な一族が作るという道具だ。
「ごめん……」
「──!」
エドルが助けた同期が苦しげに口を開いた。
その顔をみて、ようやく気がつく。今回同じチームを組んでいた、よく自分を馬鹿にしてきたひとりだ。
「手柄が欲しかったんだ。先に入ったやつらが森狼たちを狩ってしまったから。僕らもって……。水晶を動かして……そのせいでエドモンドやみんなが……」
ごぼりと吐き出される血塊。
量から見て、もう長くはないだろう。
「俺が駆けつけた時、教官殿は生きていらした。水晶を台座へ戻し、結界を正しく再展開させようとしていた。だが襲われた仲間を助けるために──」
きっと生徒たちを守ろうとしたのだろう。
彼の遺体の近くには訓練を共にした皆の亡骸もある。
「ほかに生きているやつは?」
「いない。森に入った十五名と教官、生存者は──俺たちだけになった」
エドルが下向いていった。そこには、たったいま息を引き取ったコボがいる。
(剣が十四本……)
中には折れているものもあるが、柄がついた部分を数えれば察しはつく。
「ゼノ。俺は戦う。怖ければお前は逃げろ」
「な、馬鹿かお前! いったん戻って兵を呼ぶべきだろ!」
「だから無理だと言った。確かにお前の言う通り、ここから引けば俺の命は助かるかもしれない。だが、そうすれば魔獣は森を出て、街道を通る行商人を襲うだろう。それはあってはならない」
「そうはいっても!」
「──ゼノ。俺は騎士になると誓った。この国に住む人々を守り、主君とともに戦場を駆け抜けると。だから」
エドルが剣を握り、獣へ向かって走った。
「ここは引けない!」
「ば!」
(馬鹿かあいつは……!)
無謀すぎる。力も策もないのに、勝てる見込みがない。
魔獣の恐ろしさはアウルから聞いている。
もし遭遇することがあったら、何を優先しても逃げろと。だが──
「くそ!」
腰の剣を抜き、前を向いたまま、うしろで突っ立っているシオンへ声を飛ばす。
「シオン! お前は逃げろ、オレはあいつに加勢する」
「いえ。それならば私も」
「馬鹿か! オレはアウルじゃないんだ。お前を守って戦うことなんて——」
そこまで言って、ゼノの脇を何かがすり抜ける。
「──心配は無用です! 自分の身くらい自分で守れますからっ」
剣を抜いたシオンが、魔獣の触手を切り伏せた。
そのまま軽く跳躍し、脳天から剣を突き落とす。
魔獣が苦しむように暴れて、シオンは上空へと放り投げられる。しかし、なんなく空中で身体をひねると、木の側面を蹴って、シオンは華麗に着地した。
(すご……)
アウルから指導を受けているのは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
シオンが叫ぶ。
「ゼノ! こちらはいいので、そちらに集中しなさい!」
言われて横を向けば、一匹の魔獣と目が合った。
ゼノは剣を構える。が、
「──ぐっ!」
剣はすぐに獣の触手に弾かれ、同時に身体が浮いたと思えば、強烈な痛みが腕に走った。
骨が痛い。この一瞬で、近くの木に叩きつけられたらしい。
とっさに受け身を取ったせいで、左腕が痺れている。
「げほっ!」
視界が赤く染まる。額でも斬ったらしい。
木に右手を這わせ、立ち上がろうとして地面に影が落ちた。
はっとして見上げれば、そこには鋭い歯を携えた大きな口が迫っていた。
「ゼノ!」
「──っ!」
すかさず横に身を投げる。獣が木に食らいつく。
そのすぐ直後、怒り狂ったような咆哮が聞こえたかと思うと、あたりの木が一斉に倒れた。
砂煙が舞う。その曇った視界には、いくつもの触手がゆらゆらとゆれていた。
「ぼさっとするな!」
エドルがその触手ごと本体を斬った。眼前の魔獣が真っ二つになって倒れる。
「悪い」
「言っておくがお前をかばう余裕はない。自力でなんとかしてほしい」
そういうとエドルは木々の隙間を睨みつけた。
「わかるか? 新手の魔獣がお出ましだ」
「ああ。二匹……いや三匹か? 足音が重なって聞こえる」
茂みを揺らす音。
近いなと耳を澄ませ、集中する。
「──いちおう確認するが、お前の使える魔法は風の属性であっているか?」
「うん、そう」
「ならば、後方からの支援は可能か? お前が風で奴らを蹴散らし、その合間を縫って、俺とあの少年とで斬りこむ。それならば数が増えたところで、一度に相手をする数は一匹で済む」
エドルが視線でシオンを差す。
そこには二匹の魔獣を相手取るシオンの姿があった。剣を持った左腕を振り、彼は魔獣たちを斬り伏せる。
「悪い。この腕輪、自分の周りにしか風を起こせないんだ。だから、ある程度近づく必要がある」
「む……そうか、近接用のものか。ならば仕方がない。気合いで乗り切るぞ」
「了解」
「いい返事だ!」
その声を皮切りに、飛び出してきた獣たちへエドルが斬りかかる。
ゼノは弾かれた剣の代わりに、服から羽ペンを取り出す。ロイドがくれた魔導品だ。ペンを翻し、槍杖へと変化させる。
『▲■▼▲■▼!』
獣が啼く。びりびりと肌にしびれる声。
その声に反応するように新たな獣が増える。その数六匹。
(仲間を呼んだのか……!)
姿形はすべて同じもの。
大小あれども、どうやらここはあの異形のイノノシの住処らしい。
槍の切っ先で魔獣を斬る。傷が浅い。毛が硬いのか、刃がすぐに弾かれた。
「なら!」
左手をかざす。腕輪が光り、周囲に風が吹き荒れる。それを槍で薙ぎ払い、風刃を魔獣へぶつける。
『ギャアアアアアア』
悲鳴とともに絶命した屍を飛び越え、真上から後ろの魔獣へ槍刃を突き立てる。
「ゼノ! すみません! そっちへ一匹、行きましたっ」
「了解!」
シオンの声をきき、振り返れば大きな口を開け、魔獣が突進してきた。
「ぐっ」
槍の柄で受け止めるも、鋭い牙がギリギリと柄に噛みついている。
(意外とすごいな、この槍? 杖?)
通常よりも細く、軽い槍。杖といっても語弊はないこの魔導品は思ったよりも頑丈らしい。これだけ、がりがりと噛まれているわりに傷がつかない。
むしろ、獣の歯のほうが欠けている。
魔獣はこれでは埒があかないと判断したのか、その背からゆらゆらと触手を伸ばした。
(──ちっ)
あれに捕まると厄介だ。
だけど、このまま手をはなせば、あの刃の餌食となる。
判断が遅れる。そのすきに触手が足にのびてきた。
とっさに足を半歩引く。そこでエドルの声が聞こえた。
「そのまま、抑えておけ!」
直後、ドバっと墨のように黒い血が槍の間から噴出し、びちゃっと黒い液体が手と頬を濡らした。ドブのような匂いに吐き気がする。
「気持ちわるぅ……」
「うしろ! その二匹が最後です!」
シオンの警告にエドルが振り向き、草かげから飛び出してきた敵に斬撃を浴びせる。
だが、獣も負けじと触手を伸ばし、エドルの脚に絡みつく。
「エドル!」
触手を槍の刃先で斬る。
その場に落ちたエドルの前に立ち、周囲に風を巻き起こす。
分厚い風壁にこばまれ、二匹の獣がその場で足踏みをしている。
「すまない」
「さっきの礼。それより早く」
「わかっている」
互いに背を合わせ、合わせたように風から一斉に出る。
「これで最後!」
残った力をこめて獣へ、槍を突き刺す。
ちょうどエドルも獣を仕留めたらしい。
鈍い咆哮がふたつあがり、この場にいた魔獣たちはすべて倒れた。
「……は……終わった……のか?」