52 姫との楽しいお茶会
本日はほのぼの回です。
「ライ兄さま!」
「リーアか」
ポミエ村から戻ったゼノたちを迎えてくれたのはリフィリア姫だった。
帰ってすぐにミツバは城の私室へ戻り、ゼノとリィグは王子とフィーを離宮まで送り届けた。
「侯爵のご容態はいかがでしたか?」
「心配はいらん。ただの腰痛だそうだ。あれも年だからの」
「そうなのですね。大事が無くて良かったです」
(いや、魔獣に襲われての怪我だけど)
何事もなかったかのように話す王子に、まぁむやみに姫を心配させてもなと思い、ゼノは姫を見た。
(今日は元気そうだな)
顔色は良好。
鈴のような声で楽しそうに笑う姫の姿にゼノもつい笑顔になる。
それにしても、意外と兄妹仲が良いらしい。
初めに見かけたときは、姫に対する王子の態度は素っ気なかったが、少し前にここ、離宮でゼノが療養を受けていた時は違った。
王子のあとを姫がいつも追いかけては、「兄さま、兄さま」と、おそらく庭で摘んだのであろう花を見せていた。
王子のほうというと、態度こそ変わらないが、妹姫を大切にしていることがよくわかる。
現にいまも、玄関まで駆けてきた妹の頭を優しく撫でている。
「リフィリア姫。お体の具合はどうですか?」
「──っ!」
(あぁ……)
びくっと肩をゆらし、姫は王子のうしろへ隠れてしまった。
おずおずと王子の背から、こちらを見ている。
療養中や初夏の一件で少しは打ち解けたと思ったら、全くだった。
わずかに朱がさしたその頬に、もしかしたら今日も熱があるかもしれないと少しばかり心配になる。
「……元気です。今日は体調もいいので、かくれんぼもできます……!」
かくれんぼ?
脈絡のない話の飛び方に、どこぞの友人を思い出す。シオンもそうだった。
「リーアはこう見えて、かくれんぼが得意なのだ。これが本気で隠れたら、誰にも見つけられん。余どころか、フィーでさえ無理だ」
「ん」
王子の補足にフィーがこくんと頷く。
「そうなんですか……」
かくれんぼをすることなど無いだろうからあれだが、機会があったら見てみたい。
ゼノのうしろにいたリィグが、前に出て姫の手を取る。
「いいね。せっかくだから勝負する? 僕が勝ったら、リーアちゃんに、ぎゅっとしてもらいたいな」
「ぎゅっ……?」
「やめなさい」
リィグの頭を軽く叩く。「痛いよ、マスター」と言いながら、リィグは姫の手を離した。
姫は可愛らしく小首をかしげている。
リィグがここまで近づいて、それでも彼女が逃げないのは、ひとえに王子が側にいるからもあるが、姫はリィグのことを『妖精』だと信じているからだ。
リィグ自体は『星霊だよ』と、そのたびに訂正しているが。
「リーアよ。余は疲れた。今日はもう部屋で休むゆえ、この者たちに相手をしてもらえ」
「わーい、お茶しよ。リーアちゃん」
リィグが姫の手を引く。
姫が困ったように、ちらりとゼノを見たあと、彼女の侍女──エレノアにお茶の用意を命じた。
「ではな」
「え、はい……」
一度、家に戻りたかったのに。
王子が今日はもう休むのであれば、自分の仕事はない。
サフィールの魔石騒動以降、王子がいないところで、勝手に書類仕事をするなと厳命されたからだ。
(つまり、姫の話相手をしろってことか……)
ミツバでも連れてくれば良かったな、と思いながら、ゼノは先に行ったリィグたちのあとを追いかけた。
◇ ◇ ◇
「いい香りだね、このお茶」
ティーカップに鼻を近づけるリィグに、エレノアが答えた。
「今朝、姫様が庭でお摘みになられた海雫草の葉を浸したハーブティーにございます。最近の姫様のお気に入りで、駄目だというのに一日に五杯以上お飲みになるため、大変困っております」
「エ、エリィ……!」
姫があわあわとしている。
顔を赤くして、恥ずかしそうに身体を縮めた。
その隣で、フィーがもくもくと菓子を口に詰めこんでいる。
「庭の花は姫が?」
「は、はい! 種を植えて、お水をあげています」
「へぇ」
ポミエ村からの道中、王子がその話をしていた。
なんでも、姫は花が好きらしく、自分で離宮の庭を管理しているそうだ。
一応は専属の庭師もいるが、たまにしか来ないので、日頃は彼女が見ていると言っていた。
「なんの花が好きなんですか?」
「全部、好きですが、ネモの花がいちばん好きです」
「あぁ、綺麗ですよね」
確か青い花だった気がする。
よく覚えていないけれど。
「ゼノくんはどのお花が?」
「オレは特には。花とかどれも同じに見えますし」
「そ……そうですか」
「えぇ」
「……………」
「……………」
会話が続かなかった。
いつものことなのでもう慣れたが、何故かリィグに肘でわき腹をつつかれた。
「失礼致します」
ひとりの兵士が部屋に入ってきた。
この離宮の門番の男だ。
「なにかしら?」
エレノアが門番にたずねる。
すると彼は少し眉を寄せて言った。
「それが……また例のお届け物が……」
「また?」
「はい……」
エレノアと門番が、同時に長い息を吐いた。
「エリィ?」
姫が心配そうにエレノアを見ている。
「姫様。カール様からの贈り物でございます」
「カールさま……いつも綺麗な服を贈ってくださる方ですか?」
(服……?)
服を贈ってくる相手とは一体……と一瞬驚いたが、カールという名前には聞き覚えがあった。
「カールって、ビスホープのところの長男……でしたっけ?」
「左様でございます。恋人でもないのに、毎度姫様へドレスやら装飾品やらを贈ってくる迷惑な輩です」
「エリィ、そんな言い方は……」
「事実じゃあないですか。実際、姫様はいつもお困りでいらっしゃるのですから」
「それは……」
姫がしゅんと顔を下に向けた。
それはそうだろう。
身につけるものを贈るということは、存外、何かしらの意味を持つ。
当然、深く考えずに渡すものもいるだろうが、侯爵家の息子がその意味を理解していないはずがない。
おおかた、姫との婚姻でも狙っているのだろう。
(まあ、もうひとりがあんなんじゃな……)
赤髪の幼なじみを思い出す。
あれはあれで物好きが好むのか、毎月のように求婚の申し出があるのだそうだ。
もっとも、本人談なので信ぴょう性は確かではない。
「……はぁ。とりあえずこれ、預かるから。貴方は持ち場に戻るといいのだわ。適当に中を開けて、捨てておくから」
「承知いたしました」
エレノアは煩わしそうに、門番に指示を出す。
そのようすに、姫や自分と話すときとは違い、案外雑な喋り方をするんだなと思った。
ベルルーク家の血縁だと聞いていたから、上流貴族の出身かと思っていたが、もしかしたら平民の出なのかもしれない。
「少しお待ちください、姫様」
門番が部屋から出たあと、エレノアは手持ちのナイフで荷物の包装紙をびりびりと破った。
中から出てきたのは小さな箱だった。
「オルゴールかしら……?」
エレノアが小箱を振る。
白色を基調に、金の装飾が施された品のいいオルゴールだ。
あの趣味の悪い父親を持つ息子にしては、なかなかにいい贈り物である。
「かして」
フィーがエレノアからオルゴールを受け取った。
箱を鼻先に近づけて、なぜか匂いを嗅いでいる。
すぐに彼女はひとつ頷いたあと、姫に渡した。
「安全」
「ありがとう、フィネージュ」
姫がオルゴールを手に取り、机の上に置いた。
(開けないんかい!)
姫にとっては、興味の示さない品だったようだ。
「あの……」
「……? はい」
ティーカップを両手で持ち、少し緊張した面持ちで姫が口を開く。
「ゼノくんは、ライ兄さまのことが好きですか?」
熱意のこもる瞳。
まっすぐ向けられた眼差しには、力強いものを感じる。
間違ってもそう意味ではないだろうが、その聞き方はどうなんだろうか。
「そう……ですね。好き嫌いとか以前に、王子はよくわからないので」
あの王子のことだ。
春に配属され、半年が立つが、いまだに何を考えているのか正直読めない。
多少、話すようになったといっても、ひとことふたことであり、会話らしい会話が続いたことはほとんどない。
「兄さまは……少し表情筋が硬いだけで、本当は優しい人なんです」
姫がもごもごと口を動かした。
表情筋?
「昔は、いつも笑顔な兄さまだったのですが……母さまが亡くなってからは、ずっと笑わなくなって……」
(母親……)
トトの泉で聞いた、不慮の事故で亡くなったという、母妃のことか。
「え、あのライアス様が笑顔……?」
リィグが驚いた声をあげる。
それに姫が頷く。
「庭のお花を渡すと、いつも太陽みたいに笑ってくれて、頭を撫でてくれる兄さまが、とても大好きでした」
そう語る姫の顔はひどく寂しげだ。
彼女が兄を慕っているのは見ればわかる。
だからいまでも兄を追いかけ、花を渡すのは、また笑ってほしい、そんな想いが込められているのかもしれない。
「いまは?」
リィグが言った。
「『いまも』ライアス様のことが大好き、じゃないの?」
リーアちゃん意外とブラコンだし、と茶をすするリィグに、姫がはっとした表情をした。
「好きです! いつも優しい兄さまが、いまも大好きです!」
全力で言い切った。
両手を握りしめる姫。
リィグが笑っている。
(兄弟がいたら、こんな感じなのかな)
拾い子である自分に兄弟姉妹がいるのかはわからないし、アウルたちには子供がいなかったから、当然だ。
少しばかり羨ましく感じつつ、ふたりの会話に耳を預ける。それにしても。
(この音……なんだ?)
さきほどからずっと変な音がする。
例えるなら、何かが弾けるような。
こんな風に話していると、気がつかないほどに小さな音だ。
庭に視線を侍らせながら、耳を澄ませる。
どこかで、ぱちぱちと音が鳴っている。
(部屋の中……近い場所だ)
そこで、ゼノは机に置かれたオルゴールに目をとめた。
(これか?)
オルゴールを手に取り、耳にあてる。
ばちっ! ばちっ!
「………?」
今度はより強い音だった。
「あ、オルゴール流しますか?」
「え、あぁ……」
姫が立ち上がり、ゼノの前に両手を差し出す。
妙な違和感を覚えるも、オルゴールを姫の手に置く。
その間も小さな音がする。
それはまるで、焚き木が爆ぜる火花のように弱い──
「──っ! 待って!」
「え?」
姫がオルゴールを開けた。
直後。箱から青白い閃光が走った。
海雫草=ローズマリー




