51 アウルの墓
「ヤロウ草、ヤロウ草……」
ポミエ村から馬に乗って約一時間。
トトの泉に到着し、ゼノは傷によく効くヤロウ草を探していた。
乾燥させて軟膏にすると血止めにもなるもので、痛みを和らげる効果もあるからと、古くから使われる薬草だ。
「これだけ取ればいいか」
ヤロウ草を握り締め、木網のかごに入れる。
ぐるぐると肩を回して、腰をひねり、かがんで凝り固まった身体をほぐしていく。
その間、きらきらと輝く泉を眺めた。
ここは小さな森の中。
その中心部に大きな泉がある。
水は澄んでいて綺麗だが、水棲生物は一匹も存在しない。
有毒かと思えば、飲んでみると甘いから、単に生き物が住みにくい環境なのかもしれない。
ゼノはサンドイッチを持って、墓標の前にしゃがんだ。
「久しぶり、アウル」
盛り上がった土に丸い石が置かれただけの墓。
そこに名の刻みはない。
理由は『アウル・ペンブレード』という名前が偽名だからだとケイトが話していた。
彼はもともと竜帝国からやってきた流れ者で、レオニクス王へ仕える際に持っていた名前を捨てたそうだ。
ゼノは墓前にサンドイッチを供えながら、アウルに語りかけた。
「オレ、ライアス王子の補佐官になったんだ。凄いだろ? 自分でいうのもなんだけど、結構頑張っててさ。アウルとシオンが聞いたら、『あのゼノが真面目に働いてる』とか言って驚くかな」
その言葉に返答はない。
だけど、まるで笑うように近くに咲いた花が風に揺れた。
「ケイトさんもじいさんも──オレも。みんな元気にやってる。だからアウルも、向こうで楽しく暮らしてくれよな」
それだけ言って、立ち上がる。
本当はもう少しアウルと話していたいけれど、早く戻って頼まれていた薬を作らなければ。
一歩うしろに足を引くと、ふと聞き慣れた声が耳に届いた。
「それが騎士アウルの墓か」
「王子」
横を向けば、王子がこちらに歩いてきた。
フィーの姿はない。
いつも片時も彼の側を離れないというのに珍しい。
手をうしろに組み、相変わらず読めない表情でゼノの隣までやってくると、彼は墓の前に座った。
「どうしたんです。こんなところに」
「姉上からの伝言だ。リゾットができたから冷めないうちに帰ってこい、だそうだ」
「リゾット……あぁ……」
例の昼食の件か。
黒焦げの皿を想像して戻りたくないなと思った。
「えっと、もしかしてそれを伝えに来てくれたんですか?」
「そうだ」
(まじか……)
この人を小間使いのように使うとは。
姉の力は恐るべし。
「これが墓か。はじめて見たな」
王子がまじまじとアウルの墓を眺める。
「『死者はみな、等しく火で燃やし灰にする。灰は自然に還り、新たな命を育む』そのように教育係からは聞かされていたが、例外もあるのだな」
「まぁ、アウルは帝国の生まれですから。向こうは土葬の地域もあるんですよ」
「ふむ……土葬か。しかしそれでは次の生はどうなる。死肉に魂が戻ってしまうのではないのか?」
「それは……」
聞かれても困る質問だ。
国ごとに色々な考えがある。
ユーハルドでは、死者の肉体は炎で浄化され、魂は異郷へ渡る。
その後、異郷王のもとで次の生まれ変わりを待ち、新しい生を迎えた者はまたそれを繰り返す。
しかし罪あるものは首を落とすことで魂がこの世に留まり、未来永劫、時の檻に課せられる。
という死生観が信じられているのだ。
(うーん……。そういうの興味ないし、生まれ変わりとか意味不明だし、竜帝国のことなんかもっと知らないし)
とは、言いたくても言えないので、ゼノは無難な回答へと逃げた。
「ほら、確かパトシナ聖教だと、死はただの長い眠りであって、そのうち異郷で目を覚ますとか何とかいうので、それと同じ感じなんじゃないですか?」
「土に埋めたら異郷へは行けないのでは? それと聖教では海へ死者を流すと聞いているが」
知らないよ。
いたく真面目な顔で返された。
しかしゼノが答えられないでいると、王子は「自分で調べるからよい」と墓に視線を戻した。
そのあとは互いに無言の時間が流れた。
ざっと風に吹いて、泉の水面に波紋を作る。
森の香りが鼻腔をくすぐり、約十分。
耐え切れなくなって、ゼノは話題を振った。
「そういえば国王陛下ってどんな人なんですか? オレ、見たことはあるけど、実際に話したことはないんですよ」
つとめて明るい声で言えば、王子は近くに咲いていた花をひとつ手折り、墓の前に置くと、膝に手をあて立ち上がった。
「お前は会話の振りかたが下手だの。もうすこし話題を選ぶことを覚えろ」
余計なお世話である。
「まあ、その質問に答えてやると、国王がおいそれと、そこらの者と口を利くはずがなかろうな。どんな人かと聞かれれば、良き王だと周りは言うが、余は好きではないの」
「え? そうなんですか? 意外ですね」
「意外? なぜだ?」
「だって、ピナートの奴が広場で演説をしていた時、国王を慕う民衆を見て、ミツバと一緒に誇らしそうな顔をしていましたし。てっきり大好きなのかと思っていました」
「大好き、とは語弊があるの。国王としての敬念はあるが、人柄は好かん」
「へえ……」
人柄というと、自ら戦場を駆けるほど勇ましい王だと聞いている。
いまでこそ病床についてはいるが、豪胆な気質と指導力に優れ、このユーハルドをより発展させた黎明王たる異名を持つ人物だ。
あくまで民衆に広がる噂にすぎないから、実際は暴君ということもありえるが。
王子はくるりと背を向け、空を見上げてぽつりと声を落とした。
「……父上は、リーアのことを嫌っているのだ」
「姫を?」
「うむ。お前は余の母上のことを知っておるか?」
「母親……、確かフェレン妃でしたっけ。現ローズクイン侯爵の遠縁で、すでにお亡くなりになられていますよね」
「そうだ。七年前に亡くなった。公式では病死として発表されておるが、本当はそうではない。不慮の事故……というのかの。それにリーアが関わっているゆえ、父上はいまだにリーアを恨んでおるのだ。あれが離宮から出ないのは、身体の弱さもあるが、それが原因でもある」
「そんな事情が……」
寂しげに語る背中を見て、ゼノは言葉に詰まった。
王子とリフィリア姫の母妃。
人づてに聞いた話では、線の細い、たおやかな女性で、青い髪を持つ美しいひとだったという。
王は他の妃の誰よりもフェレン妃を愛した。
だからこそ、たとえ娘であっても許せなかったのだろう。
「その、不慮の事故ってなんですか?」
「……行くぞ」
王子はさくさくと草を踏み歩き、待機させている馬にまたがった。
どうやらこの話は深く聞くなということらしい。
ゼノもその背を追いかけて、馬の鐙に足を乗せた。
泉を去る際に振り返ると、墓前に添えられた花が静かに風に揺れた。
心の中で「またな」と呟いて、ゼノは村へと戻った。
◇ ◇ ◇
翌日、ゼノたちは王都へ帰ることにした。
建物も半分まで復旧し、もうしばらくすれば元通りになる。
爺さんの見舞いも済んだことだから、そろそろ城に戻ろうという運びになったのだ。
「荷物は……全部乗せたか?」
馬車の中を覗き込む。
大きな衣装棚と、りんごの木箱が五つ。
その他、多数の土産物を積んだ荷車が一台。
もう一台が自分たちの乗る馬車だ。
「ゼノ」
「なんです? 王子」
王子がフィーを連れて静かに歩いてくる。
右手に小さな紙を持っているようだが、手紙かなにかだろうか?
「お前は先日、男が持っていた剣を覚えているか?」
「ああ、宝剣の偽物の……」
「それの出どころがわかった」
「え! 本当ですか?」
「──イナキアのエオス商会。そこが売りさばいているものだと、村人たちから聞いた」
「エオス……? 聞いたことのない名前ですね」
「小さな商会との話だからの。おそらく王都で出回っていたクラウスピルの贋作も、そこが出どころであろうよ」
王子が紙を渡してきた。
達筆で書かれた綺麗な文字。
ポミエ村の村人たちから集めたという情報の中には、爺さんやケイトからの提供もあった。
(なになに……)
簡単に要点をまとめるとこうだった。
月に一度、ポミエ村にはイナキアからの行商団がやってくる。
その商団にはエオス商会も参加しており、主に武具を販売しているらしい。
しかしポミエ村は戦いとは無縁の田舎村。
ほとんどの人は店を素通りするが、興味本位で覗いた村人たちもいて、彼ら曰く『黒い剣があった』とのことだった。
さらに本物を見たことがあるグラン爺さんが間違いないと証言している。
「すごいですね。よくこれだけの話を集めましたね」
「お前が眠っている間にフィーと集めた。みな、快く答えてくれて助かった」
「そ、そうですか……、それは助かりました。フィーもありがとう」
「ん」
フィーが嬉しそうに頷いた。
「それから、先週侯爵たちを助けたという剣士についてだが」
「ああ、爺さんが腰痛めたときの……」
そういえば、こちらに着いた時にケイトが話していたっけ……と思い出す。
「名を、ウヅキという。村ではしがない旅人だと話しておったそうが、おそらくは、さきのフィーティアの元幹部であろうな」
「元?」
「ああ。初夏のころに入れ替えがあった。後釜にオウガという少年が着き、ウヅキなる男には手配書が回った。以前、お前と姉上が王都で戦ったという黒刀を持つ男。それと同一人物だ」
「なるほど……」
それであんなに強かったのか。
フィーティアの元幹部。
男の強さを思い起こせば納得がいく。
ミツバが彼のことを知らなかったのは、彼女の境遇を考えれば合点がいく。
名前は聞いていても、顔を知らないのだ。
相手が名乗らない限り気づくことはないだろう。
……まあ、男は名乗ったかもしれないし、単にミツバの耳に入らなかっただけかもしれないが。
「でも、なんで手配書が? ミツバとも敵対していたみたいだし、そいつ何かやったんですか?」
「知らん」
ばっさりと返された。
王子曰く、手配書は出回っているが、詳細は知らされていないとのことだった。
「それよりも、そろそろ出るぞ」
王子が後方に視線を流す。
向こうから、ミツバとリィグがやってくる。
ケイトも一緒だ。
(予定よりは早いけど……)
ちらりと上空を見る。
まだ昼前の陽射しだ。
食事をとってからと思ったけれど、王子が言うなら早めに出るか。
ゼノは近くで村人と話している爺さんを呼んだ。
「爺さーん、オレたちもう行くよ」
「なにっ! もう帰るのか⁉ 午後に出発だと聞いておったが」
「うん。予定より荷運びも早く終わったし、ちょうどみんな集まったから、このまま帰るよ」
爺さんが、がくりと座りこんだ。
急いでケイトが走ってくる。
「ゼノ! 次はいつ来るんじゃ⁉」
「え? 次?」
「来月よね! 来月にはまた来てくれるわよね、ゼノちゃん!」
「え、いや……しばらくはちょっと……」
爺さんにガシっと右手を握られ、ケイトにグッと左腕を掴まれる。
逃さないといった勢いで両腕にかかる重圧に、ゼノは思わず後退った。
だが動けない。
「マスター、随分と愛されてるね」
「そうね、ちょっと引くっていうか……見ているこっちまで、なんだか恥ずかしいわ」
「ロイドから聞いていた通りだの」
「ゼノ、人気」
「ちょ、見てないで、誰か助けてくれ────っ!」
ゼノの絶叫が田舎の村を駆けめぐる。
熱烈な見送りにぐったりしながら、大量の土産とともにポミエ村を出たのだった。




