50 首狩りと賢謀
更新再開です。よろしくお願いします。
人形のように美しい少女が空から舞い降りた。
そう思ってすぐに見えたのは、飛び散る鮮血と首。
そして、己が契約主の倒れる姿だった。
「ゼノ!」
リィグの隣から、小さな悲鳴をあげてミツバが飛び出した。
リィグもすぐさま走り出す。
先刻までミツバと一緒に魔獣を戦っていたリィグは、ゼノを探そうと、彼女ともに瘴気の中を彷徨っていた。
するとなぜか急に霧が晴れ、見えた光景はゼノが倒れる瞬間だった。
彼女に支えられながら血の気を失ったゼノ。いったい何があったのか。
「しっかりしなさい! ゼノ!」
焦った声でミツバがゼノの肩を揺らす。
「気絶しているのかな。随分と血まみれになってるみたいだし」
「馬鹿! 悠長に言ってる場合⁉ まさか、大怪我とかしていないでしょうね……」
ミツバがおろおろとゼノのローブをめくる。
そこに感情を抑えたような、抑揚のない声がかかる。
「そう驚かれなくとも、そのかたに攻撃はあてておりません。返り血でございます」
頭上に影が落ちて、リィグが見上げれば、驚くほどに精巧な顔つきの少女が自分を見おろしていた。
上品に微笑み、純白のドレスを着た彼女は、本物の人形のように美しかった。
しかし、そんな美しさとは反するように、少女は大きな鎌を持っていた。
長い柄に、血濡れた鋭い刃。
まるで死神の鎌だと思った。
その存在が可憐な少女から歪なものを醸し出していた。
(この子……)
どこかで会ったことがある。
直感的にそう感じるほど、彼女がまとう空気にはなぜか見覚えがあった。
どこだろうと、ほんのわずかにリィグの思考がそれたところで、美しい少女が誰かに視線をとめた。
淡い桜色の髪が、さらりと揺れる。
少女はドレスの裾をあげ、ゆったりとお辞儀をした。
「ごきげんよう、お姉様。お久しぶりでございます」
彼女の視線の先。
そこには、不機嫌そうなフィーがいる。
ライアス王子とともに、こちらに歩いてきた。
「ちょっと、デューラ!」
ゼノを抱えたミツバが顔をあげて怒鳴った。
「来るのが遅いのよ! 見なさいよ、この町の有様。お前が早くこないから、あたしたちが戦う羽目になったじゃない!」
「そう仰られましても。デューラは持ちうる限り力を使い、最速でこの村まで参りました。褒められることはあっても、責められることには、わずかながら立腹の意を示します」
「知るかっての、そんなこと。それとその薄気味悪い笑顔。こっちに向けないでくれる?鳥肌が立つわ」
ミツバがつんと横を向くと、誰かの声が聞こえた。
「申し訳ありません、ミツバ様。本部からこの地は遠く、急遽別の地にて任務に就いていた我らが駆けつけましたが、どうやら到着が遅れてしまったようですね」
「げっ、オウガ」
ミツバが嫌そうな顔をした。
少女の後方、煙の中から少年が現れた。
年齢は十五歳前後。
くすんだ赤髪を、やや長めに伸ばした両サイドの髪だが、後ろは短く、すっきりとしている。
服装は少女とは違い、体躯にそった軽装だ。
オウガと呼ばれた少年は、魔獣の死体を避けながら、ライアス王子のもとへ歩いていった。
「お初にお目にかかります。ライアス王子殿下。わたくしはオウガ。調停機関フィーティア、神事局管理部に所属するものでございます。そして向こうにいる娘はデューラ。魔獣討伐の嘆願を受け馳せ参じました」
少年──オウガは王子の足元へ跪くと、少女──デューラへ挨拶をと呼びかけた。
デューラがドレスの裾をつまみ、淑やかに一礼する。
「デューラと申します。フィーティア、軍事局第一騎士団を任されております。以後、お見知りおきを」
「デューラ……というと、首狩りのデューラか」
「はい。皆さま、そのようにデューラをお呼びしますね」
「……で、そちらは賢謀オウガか。どちらも幹部十二席に連なる名だな」
「ええ。魔獣の討伐と結界水晶の交換ですから。わたくしどもが参りました」
「そうか、ご苦労」
王子は彼らを軽く労うと、ゼノの側にしゃがんだ。
オウガが彼の背に声をかける。
「いかがでしょう、殿下。先行した我らが騎士たちが、村民たちを侯爵様の屋敷へ避難させているはずです。こちらの後処理はわたくしどもに任せ、そちらの倒れたお仲間をお屋敷にお連れしては?」
「──そうだの。ではそうさせてもらおう」
「承知いたしました」
立ち上がると、オウガは近くの騎士にゼノを運ばせた。
リィグたちはそのあとをついて侯爵の屋敷へと戻った。
◆ ◆ ◆
夢をみた。
そこはどこかの戦場で、多くの死体が転がっている。
さあさあと湿った風が吹く中を、フードを深く被り歩いていく。
血に濡れた土を踏み、転がる死体には目もくれず。
まるで、初めからそこに存在しないとでもいうように、平然と足を動かした。
「────」
ふいに足をとめる。
首の無い死体がある。それも複数。
「……趣味が悪い」
ひどく侮蔑を含んだ声でぽつりとつぶやくと、誰かが呼ぶ声がした。
「──……ゼ──」
◆ ◆ ◆
「……あれ? ここは……」
目を覚ますと、そこは見覚えのある天井だった。
「う……なんか気持ち悪い……」
目眩と吐き気がして、ゼノは眉間を指で押した。
なんだか夢見が悪かった……ような気がする。
「って、ここ、爺さんの家か」
顔をあげて窓の外を見れば、馴染み深い侯爵領の景色が見えた。
高い丘陵の上に作られたグランポーン領主の屋敷。
村全体を見渡せるこの屋敷の下には、領民が住まう家々と、実り豊かなりんご畑が広がっている。
村の前方には広大な草原が、後方には険しい山岳地帯がそびえ立つ。
その山を越えた先に竜帝国があるのだと、昔アウルが言っていた。
「熱い……」
じっとりと汗ばむ衣服をはためいて、夏だなと背伸びをしてから、ゼノは部屋を出た。
「あれ? 起きたの? マスター」
応接広間に着いたゼノを迎えたのはリィグだった。
甘い茶の香り。
クッキーを片手に紅茶を淹れようかと聞いてくる。
「紅茶はいいや、暑いし。それより王子たちは?」
言いながら、一枚クッキーをつまむ。
うまい。
ケイトの手作りだと思うが、クッキーの中央にのったオレンジのジャムがさっぱりとして何枚でも口にできる。
「ライアス王子とフィーちゃんなら村に行ってるよ。倒れた家の片付けとかしてる」
「そっか」
(王子らしいな)
あれでも意外と民衆想いなんだよなぁと、もう一枚クッキーを口に運んだ。
「ミツバは?」
「台所ー。マスターが起きたら、リゾット食べさせるんだって張り切ってたよ」
「うそ……」
「本当」
ずずっと茶をすするリィグに、そこは止めろよと思うも、ゼノは出てくるであろう真っ黒なリゾットを想像して身震いした。
「なぁ、ところであのあとどうなったんだ? なんか途中から覚えてなくて、気がついたらベッドにいたんだけど」
「うーんとね」
口をもぐもぐと動かしながら、リィグは天井を見つめた。
それはコイツの癖らしい。
最近になって分かってきたことだが、考え事をするとき、リィグはよく上を向く。
「すっごい綺麗な女の子がさ。とつぜん空から降ってきて、こう……敵の首をざしゅっとしたんだ。そしたらマスター倒れちゃって、二日くらい寝こんでたんだよ?」
「あー、そこはなんとなく覚えてる」
意識が途絶える前。
ひどく嫌なものを見た。
鮮明な赤が目に張りついて、喉の奥から吐き気がせりあがってくる。
ゼノは口元を押さえた。
(それにしても二日か……。結構寝てたな)
王子たちには迷惑をかけてしまった。
会ったら謝っておこう。
「そのあとは?」
「んー、赤い髪の男の子がやってきてって……これはいっか。それよりもその綺麗な女の子がね。実はフィーちゃんの妹らしくてさ。仲はあんまり良くはないみたいだけど、お人形さんみたいで可愛かったよ。あれはきっと将来美人になるね」
「……あとは?」
「終わりだよ」
「……あ、そう」
女の話しかしていない。
これは王子かグラン爺さんにでも情報を聞くかと、ゼノは広間の扉に手をかけた。
「とりあえず王子のところに行ってくるけど、お前はどうする?」
「僕は力仕事とか苦手だから、ここでお茶でも飲んでるよ」
「…………」
ティーカップを持ちあげて、そう主張するリィグに半ば呆れながら、ゼノはその場をあとにした。
◇ ◇ ◇
「王子!」
「起きたのか」
村の広場へ走ると、やたらと大きな木材を運ぶ王子に出くわした。
その傍らには、短い平板を抱えたフィーもいる。
「ゼノ、おは」
フィーが、たたたっと駆け寄ってきた。
「ごめんな。リィグからざっくりとは聞いたけど迷惑かけたな」
愛らしい犬耳つきのフードを被るフィーの頭を撫でれば、じっと顔を見られた。
凝視である。
視線に圧を感じ、ゼノはそっと彼女の頭から手を離した。
「お前が迷惑をかけることはいつものことだ。気にするな」
全くフォローになっていない王子の言葉に肩を落としつつも、ゼノは村をぐるりと見渡した。
「思ったより、復旧が早いですね」
あれだけ家やら、家畜小屋が壊されていたのに。
周囲には木片ひとつ落ちていなかった。
「昨日、フィーティアの連中が手を貸してくれたからの。瓦礫やらなにやらは、すでに片付け終わった」
「あいつらが? そういえば、連中の姿が見当たりませんね」
さっと首をめぐらせると、村民たちに昼食を配るケイトの姿があった。
彼女からサンドイッチを手渡された男たちの中には、照れながらはにかんでいる奴もいる。
ああ見えて、ケイトは意外と村の男衆から人気があるのだ。
言い方はあれだが、アウル亡き後、自分が彼女の側にと名乗りをあげた猛者もいる。
(まぁ、速攻で爺さんに半殺しにされてたけどな……)
それはもう恐ろしい。
爺さんは義理の孫である自分にも大概甘いが、実の娘にはもっと甘い。
アウルとケイトの結婚も、ロイドが間に入って取りなしたからこそ、なんとか成立したようなものだったと、ロイドが以前しみじみと語っていた。
「今朝のうちに引き上げたぞ」
「……? なにがです?」
ケイトから視線を王子に戻すと、なぜか怪訝な顔をされた。
「フィーティアの騎士たちが、だ。姿が見えないとお前が言ったのだろう?」
「ああ、すみません」
自分でも間抜けな声が出たところで、王子は肩に担いでいた資材を近くに置いた。
「さて。余たちも、昼をいただくとするか」
「ごはん」
王子とフィーがケイトのところへ歩いていった。
(オレはどうしよう)
おおかた片づけが終わっているというなら、あとは職人が家々を直すくらいだ。
自分は何をするかと逡巡すること数秒。
後ろから声を掛けられた。
「おお、ゼノ! 目が覚めたか」
「爺さん」
杖をついたグラン爺さんが、豊かなひげを揺らして笑った。
「どうした。そんなところに突っ立っておって」
「え? ああ……、オレもなにか手伝いたいんだけど、なんかあるかなって思って」
「ふむ。それなら皆の薬を作ってくれんか?」
「いいけど、何の薬?」
「傷薬じゃよ。先の魔獣のせいで怪我をした奴らが多くての。フィーティアの騎士様たちから頂いた薬品もあったが使い切ってしまった。いいのをたくさん用意してもらえると助かる」
「わかった。じゃあオレ、薬草園に行ってくるよ」
「ああ、待て」
「……?」
「さきの件で薬草園が壊されてしまっての。家の修理が終わったら、取り掛かるつもりじゃが、暫くは使い物にならなんだ」
「ええ……、てことはまた山に入る感じ?」
流石にそう何度も山へは行きたくない。
ゼノは眉間に皺をよせた。
「なに。傷に効くものならば、泉のほとりにでもあるじゃろうて」
「トトの泉か。それならついでにアウルの墓参りもしてくるかな」
「ふぉふぉ、それはあやつも喜ぶな。ケイトのサンドイッチでも持っていって、たまにはゆっくり話してこい」
「うん。行ってくるよ。夕方までには戻るから」
「頼んだぞい」
爺さんに見送られて、ゼノはトトの泉へ向かうことにした。




