49 見たことのある光景
「構えろ! 来るぞっ」
そう叫んですぐに、ずしりと重みが襲う。
剣の腹で受けとめた鋭い爪が、ぎりぎりと音を立てて迫ってくる。
寸前先。眼前の敵が衝撃とともに横へと吹っ飛んだ。
「あのような猛獣を真正面から受けるな。隙をついて横腹から叩け」
「すみません! ありがとうございます」
見れば、王子が剣を抜いてゼノの前に立っていた。
「しかし、硬いの」
彼の視線の先。
斬り飛ばされた魔獣は、血を流しながら、よろりと身を起こした。
どうやら毛がかなり頑丈らしい。
浅く斬られた箇所から血があふれるも、唸りをあげて、こちらを値踏みするように、五本の尾を揺らしている。
「ちょっと! こっちも手伝ってよ!」
ミツバが苦しげな声が響いた。
数メートル先。ミツバとフィー、リィグが魔獣に囲まれている。
その数、五匹。
いつのまに増えた仲間に苦戦しているようだ。
「余は向こうを手伝う。お前はあれをなんとかしろ」
「了解しました」
王子が彼女たちのもとへ走り、ゼノは目の前の魔獣と対峙する。
(あいつは素早い。一瞬でこっちの間合いに詰めてくる)
油断すまいと目を見開く。
瞬いたほんのわずかな隙だった。
目の前に魔獣がいる!
「くそ!」
がきんと音を立てて、鋭い牙が剣の腹に食い込んでくる。
そのまま剣が砕かれ、牙が迫るその瞬間に、魔獣の顔へ左手をかざす。
直後。風の腕輪から、ぶわっと風が放たれる。
強風にあおられ魔獣が数歩下がる。
土にはひっかいた跡が残り、その鋭利な爪で、この竜巻から吹き飛ばされないよう耐えているらしい。
そこに水の弾を放つ。
「穿て! 水弾」
いくつもの大きな水球が、魔獣の身体を叩き打つ。
風と水。
ふたつの攻撃から後退を余儀なくされた魔獣が、じりじりと下がり、やがてばしゃんと波を立てて後ろの川に落ちた。
「やったか!」
そう思ってすぐに魔獣が川から飛び出した。
ぶるりとその身を震わせ、毛についた雫を払うと、ひとあしでこちらに舞い戻ってきた。
じぐざぐに走る敵。
水球を放つも避けられてしまう。
数秒もしないうちに振り下ろされる爪を、横に飛んで何とか避ける。
(羽ペンが壊れてなければ……!)
おのれ、フィーティア。
などと考えているうちに、足を何かで絡め取られた。
尾だ。五本の細長い尾が、しゅるしゅると足に巻かれ、そのままゼノは宙に放り投げられた。
「──なっ!」
背に響いた衝撃とともに、濡れる水の感覚。
沈む身体から、ごぼっと空気の塊が吐き出される。
自分はどうやら川に投げ入れられたらしい。
そう気づいて、水面に向かって足で水を蹴る。
そう深くはない川だが、大人ひとりくらいの深さはある。
溺れる前に、土のへりに左手をかけて水面から顔を出す。
「ごほっ、げほっげほ」
肺に空気が満ちて、口に入った水を吐き出す。
すると、頭上に影が落ちた。
(……っ!)
見上げれば、大きく開いた黒い空洞がある。
あの長い牙では、ものを食べるときに邪魔ではないのかと、そんな馬鹿な想像と同時に、さっと川のへりから左腕を引いた。
刹那、その細長い牙が、深々と地面に突き刺さる。
「っ!」
魔獣が地中から牙を引き抜こうとして、その身を強く捩りもがいている。
これはチャンスだ。
折れた剣、右手を水の中からそっと押し出す。
「ごめんな……」
ゼノは魔獣の額に向かって、勢いよく折れた剣を突き刺した。
『────!』
短い断末魔があがる。
ずぶりと肉に沈む右手の感覚に、思わず眉をよせる。
そしてその数秒後に魔獣は動かなくなった。
「なんとか、やったか……」
安堵の息を吐きながら、ひとおもいに剣を引き抜けば、インクのように黒い血がどばっと魔獣の額から溢れた。
(気持ち悪……)
相変わらず、ドブのような匂いの血だ。
魔石の横にぽっかり空いた穴から、だくだくと流れる血を見て思う。
この黒い瘴気は、魔獣がいる場所に発生する。
それはもともと、彼らがいるところに存在するのか、それとも彼らが瘴気を生み出しているのか、どっちなのだろう。
「まあ、いいや。王子たちのところへ行こう」
川からあがる。
ずぶ濡れた服が肌にはりついて嫌な感覚だが、気にしている暇はない。
ゼノは急いで王子たちのところへ戻った。
◇ ◇ ◇
「あれ? いない」
さきほど王子たちと分かれた場所に戻るも、彼らの姿はなかった。
きっと複数いた魔獣たちとの戦いで、散り散りになったのかもしれない。
擦れる鎖の音。
フィーと、おそらく王子もいるだろう場所へ走ろうとして、足をとめた。
「……?」
うっすらと晴れた瘴気の向こう。
人影がある。
最初は村の領民かと思ったが、違う。
目を凝らしてよく見ると、ひとりの男が立っていた。
ガウンを羽織った聖国式の服装だ。
彼は黒い剣を持ちながら、ふらついた足取りでこちらに歩いてくる。
敵意はない。俯いた顔は覇気がなく、瞳が死んでいるようだった。
「人……コロ……はやく……」
(……なんだ?)
ぶつぶつと何かを口にしている。
耳を澄ませれば、「はやく殺さないと」としきりに言葉を繰り返している。
気味が悪い。彼が顔をあげると、その瞳が見えた。
「あれは……」
目が赤い。そして石灰のように白い手足と髪。
それは王都で見た大男と、魔狂剤を飲んだペリードの姿に酷似していた。
すこしだけ違うのは、彼の左腕。
おとぎの本で見るような、竜の腕とかぎ爪を生やしていた。
「人だ」
ぽつりと細い声が聞こえた。
はっと視線を彼にあわせれば、こちらを見て手に持った黒剣を構えた。
刹那、振り下ろされた剣から風が迸る。
「──なんっ」
だ、と言う前に、地面が割れた。
足元まで到達する大きなヒビ。
目線を下にさげた瞬間に男がゼノの横に立った。
やられる! と身構えた直後、男は頭を抱えて一歩さがった。
「く、嫌だ!」
男が急に大声を出してその場にしゃがみこむ。
次第にがたがたと身体を震わせ、「嫌だ。違う」と呟き出した。
かと思えば、今度は「はやく殺して餌にしよう」と高笑いを始める。
それを繰り返し、数分程度。
今度は泣きだした。だいぶ壊れているようすにゼノは恐る恐る声をかけた。
「あの……」
「く、くるな!」
男が黒い剣をかざす。
(これ……)
クラウスピルの宝剣だ。
今まで気がつかなかったが、近くで見る限り、書庫で見た宝剣の姿絵によく似ている。
だけどまさか。
ゼノは彼の手から剣を奪った。
「……あっ」
男の口から小さな吐息が漏れ出す。
だが、そんなことは無視して剣を眺めた。
本物……をかなり正確に模した偽物。
なぜなら宝剣の決め手となる、竜の紋章が無かった。
なんだ違うのかと地面に剣を投げ、ゼノは彼に質問した。
「これ、どこで手に入れた?」
「あ、あう……」
(駄目か……)
男の瞳はゼノを見ているようで、別の何かを映していた。
聞いたところで返答は無さそうだから、縄で縛って王子の采配に委ねよう。
そう考えて近くに縄が落ちていないか探す。
瘴気のなかで目を凝らしていると男が突然立ち上がり、腕を掴んできた。
「なっ! 離せっ」
しまった。先に気絶させておけば良かった。
後悔しながら、男の腕を振りほどこうとしたが、びくともしない。
鋭いかぎ爪がローブに食いこみ、骨が痛みを叫び出す。
「頼む! 殺さないでくれ! 僕はちゃんと上手くやるからっ」
「はっ⁉ なにを言って!」
震える声色で、懇願するように男が喚く、その直後だった。
空から綺麗な声が落ちてきた。
「それ以上のお喋りは許しません」
「──へ?」
突如、びしゃっと視界が赤く染まった。
ぬめりとした液体。
宙を舞う首。
自身の瞳に張りついた、鮮血越しに見えるそれはまるで、一枚の絵が秒刻みに動くように、ゆっくりと地面へと落ちていった。
「任務、完了いたしました」
無機質な声が耳の中に響く。
桃色の髪をした人形が優雅に一礼する。
その瞬間、ゼノの意識は途絶えた。
自分は、この光景をよく知っている。




