48 フィネージュの花
「ねぇ……これ、いったいどこまで続いているわけ?」
ミツバがぺたぺたと土壁に手をあてながら、疲れたと言わんばかりの足取りでゼノのうしろをついてくる。
山モグラの穴の中は洞穴のようになっており、土の道が奥まで続いていた。
本当ならゼノが作った蔦のロープで穴から出る予定だったのが、そこはミツバの迷惑という名の好奇心で却下され、いまに至る。
「まあ、地上のどこかには続いておるでしょう」
「どこかって言ったって、一生出られなかったらどうするのよ、これ」
「そう言われましても。姉上が歩くと言うから悪いのかと」
「ぐ……、なかなか言うじゃないライアスのくせに」
「なんでもいいけど、喧嘩しないでください。こんな暗い穴の中で……」
気が滅入ってくる。
珍しく姉弟喧嘩らしきものを繰り広げるふたりを諫め、ゼノはフィーのあとを歩いた。
途中でぶつかる複数の穴。
それをフィーが持ち前の嗅覚で『こっち(出口が)』と、かぎ分け、先導してくれたおかげで半刻ほど歩いてやっと外に出られた。
「まぶし……」
太陽が目に突き刺さる。
ずっと仄暗い中にいたからか、穴から出た瞬間にくらりと足元がふらついた。
穴の先は、美しい花が咲きほこる渓谷だった。
緋色の花びら。
その上を、光蝶たちが舞い、その鱗粉で花畑をよりいっそう幻想的に見せている。
ああ綺麗だな、とふっと心が和んだ。
「なんの花だろうね」
リィグが一輪摘んでフィーに渡した。
フィーは「いらない」と言って首を振った。
「そうか……、ここ」
「なんだ、ここを知っておるのか?」
「ええまぁ……」
間違いない。
ここは七年前に自分が拾われた場所だ。
「アウル……養父と、シオンに拾われた場所です」
「ここでか?」
王子が上を見た。
その先には高い断壁がある。
おそらくあそこから落ちたのだろうとシオンから言われた。
運よく、崖の途中に生い茂る木々が落下の速度を吸収したのではないかとの話だ。
事実、怪我を負ったとはいえ、片腕を一本折っただけで済んだ。
助かっただけ、相当に運がいいといえるだろう。
「オレ、あの崖から落ちたらしくて、アウルたちに助けられたときにはもう、怪我と一緒に、昔の記憶とか全部無かったんです。それで帰る場所がないならウチにこいって、アウルが言ってくれて」
隣に立つ王子に笑って話しながら、思い出す。
あれはベッドの上で途方に暮れていたときのことだ。
頭と腕に包帯が巻かれ、シオンに名前を聞かれて答えられなかった。
かろうじて、持ち物からゼノという名前らしきものは判明したが、自分が何者かはついぞわからなかった。
素性不明の子供。
そんな子供をアウルは引き取ってくれた。
いまでも感謝している。
それからは本当に大変だった。
シオンの元で文字の読み書きからユーハルドという国のことを一から教えてもらった。
さいわい、日常の動作は身体が憶えているらしく、食事や運動には支障はなかったが、環境に慣れるまでが苦労した。
「──シオンからは勉強を称していろいろな本を渡されて、でも興味がないからなかなか覚えられなくて大変だったなぁ」
懐かしい思い出を語り、つい口元が緩んでしまう。
「……なるほどの。常々、お前には常識が欠けているとは思っていたが……ふむ。そういうことならば、仕方がないのかもしれんの」
感慨深そうに紡がれた言葉に、『え、常識?』と思ったが、口の中にとどめておいた。
「ねぇ、これがそうじゃない?」
王子と話していると、ミツバが何かを手に持ち、こちらに向かって腕を振った。
ざっざっと、こちらに駆けてくる彼女だが、その足元では無惨にも花びらが散っている。
もう少しお姫様らしく優雅に移動できないものかとゼノは小さく息をついて彼女へ身体を向けた。
「なにが?」
「雪妖精の花」
ミツバがゼノに花を渡す。
中心が青く染まる、ゆったりと咲いた白い花。
間違いなく探していたフィネージュの花だ。
「ああ! これだよ。よく見つけたな。これ、結構珍しいやつなのに」
「やっぱりね! 感謝なさい、ゼノ」
「ありがとうございます」
ふふんと豊かな胸を張り、偉そうに立つ彼女に一応礼を言うと、隣にやって来たリィグがゼノの手元を覗いた。
「雪兎草の花かな」
「アンブローズ?」
「うん。白い花びらで……ってちょっと違うか。アンブローズの花は中心が赤いし」
リィグがうーんと首を捻る。王子が茂みの先を見て聞いてきた。
「帰りの道はわかるのか?」
「ええ。道なら向こうです。少し行くと村まで降りる道があるので、そこから帰れるはずです」
「そう。じゃあ早く戻りましょう。さすがに到着してすぐの山歩きは疲れたわ」
ミツバがふわっと大きなあくびをしてから花畑を出ていく。
奥の道へと向かう彼女たちを見ながらゼノは赤い花畑に目を向けた。
ふわりと香る甘い香り。
なんだろう。
誰かの明るい声が聞こえてくるような気がして、ゼノは山をあとにした。
◇ ◇ ◇
「なんだ……、これ」
山から戻ると村は死地のようなありさまだった。
黒い霧が村全体を覆い、先のほうがよく見えない。
しかし、土に大量の血が残っていることから、何かあったに違いない。
ゼノは目を凝らしてあたりを見渡した。
「瘴気……」
リィグが呟く。隣で口元を押さえ、苦しそうに眉を寄せている。
「まさか魔獣か?」
王子が低い声で呻いた。
霧の向こうになにか蠢くものがいる。
はっきりとは見えないが、大きな獣の類だと思う。
「嘘でしょ。さっきのあれが、またいるってこと?」
警戒した面持ちでミツバが足を踏み出すと、靴に何かがぶつかったらしい。
彼女にしては珍しい、引きつるような悲鳴をあげた。
「ひっ! なによこれ、鶏……よね?」
「鶏?」
彼女に言われて、下をみると羽だろうか。
無惨に散らした数枚の羽根と、赤く濁った血だまりがある。
そこには身体半分……のようにみえる肉塊が沈んでいた。
頭はないから、羽毛に包まれた胴体とおぼしきものから、足が二本伸びている。
「気持ち悪……、食べるならちゃんと全部食べろってのよ。まったく」
「そういう問題?」
ぶちぶちと文句をいうミツバに、こういう時に怖がらないのは、ある意味彼女のすごいところだなと感心しつつ、落ちていた長剣をひとつ拾った。
剝き出しの刃。
血がべっとりとついていることから、これの持ち主はもうこの世にはいないだろう。
(この空気……気持ち悪いな)
リィグほどではないけれど、自分もこの匂いは苦手だ。
ドブのような吐き気を催す匂いと、身体の奥底が熱い。
細胞が火を吹くような感覚に、爺さんたちは大丈夫だろうかと、心の片隅で彼らの身を案じる。
だが、その思考はすぐに中断される。
村の中央付近に辿り着いたところで、とつぜん黒霧のむこうから悲鳴が上がったのだ。
「うわあぁぁぁぁっ!」
その場の全員が、一斉に声のする方向に顔を向ける。
「あそこ!」
ミツバが叫んだ。
彼女が指をさす方向。
瘴気のなかに一匹の獣がいる。
ゆらゆらと揺れる、細長い五本の尾と顎まで伸びた鋭い牙。
黒みを帯びた毛並み。
あれは、猫だろうか?
大きさこそ熊よりも巨大だが、その身体は細くしなやかだ。
一瞬、猛獣の類かと思ったが、額に魔石がついていることから魔獣であることは間違いない。
その大きな猫が、こちらに顔を向けた。かちりと合う視線。瞬間、ゼノたちめがけて飛びだしてきた。




