47 山の中での戦い
「ふんっ────」
王子が剣を振り下ろすと、魔獣は断末魔をあげて真っ二つに割れた。
「すご……」
刃についた黒い血を振り払い、鞘へと剣を収める王子を見てゼノは素直に驚いた。
グランに護衛がどうのと言われたが、その必要はまったくなかった。
茂みの中から飛び出す魔獣をばったばったと切り伏せ、木々の合間を縫って突き進む王子はたいへん頼もしい。
なんでこの人、山道慣れてんだろ、というゼノの疑問はさておき、彼とは反対にゼノはこの黒い霧に辟易していた。
──瘴気。
ドブのような臭気を放つ、黒い気体。
それが濃密な霧となって山中に広がり、呼吸すらままならい状況だ。
山の深い場所に入るほど瘴気は濃くなっていく。
肺が熱い。
口を開くたびに肺腑が焼かれて胸の奥が苦しい。
まるで、風邪をこじらせた時のようだ。
あの重苦しい感覚が呼吸のたびに続いてゼノが胸のあたりをさすっていると、黒い光蝶がひらりと二匹、ゼノの前を横切った。
「黒?」
いつも金色の光蝶が今日は黒い。
……違う。
よく見ると、まわりを飛び交う光蝶たちの羽は黒かった。
以前、ニアの森でも見かけたことがあったが、その時の比じゃない。
半分以上が闇の色に染まっている。
なんでだ? とゼノが眉間にしわを寄せると、リィグが口元を手で押さえて呟いた。
「ほんと……ひどい、瘴気だね」
見れば、とてもつらそうだ。
いつもお気楽な彼だがこの時ばかりは元気がない。
さっさと目的の薬草を採取して、山を降りたほうがいいかもしれない。
「それで? そのフィネージュの花ってどこにあるのよ」
素手で魔獣の相手をしていたミツバさんが振り返る。
王子もそうだが、彼女の身体能力はどうなっているのだろう。
昔ニアの森で魔獣相手に苦戦していたうら若き当時の自分とシオンが懐かしい。
「このさきの、山小屋のそば。そこにあると思う」
「ふーん? なら急ぎましょう。ケイトの言う通り、ここの結界水晶、壊れているみたいだし、あまり長居をすると大物が出てくるわ」
地面に散らばる緑水晶の欠片を集めて大樹のくぼみに戻し、涼しい顔でミツバはあたりを見渡した。
(なんでこの人たち平気なんだろ……)
ミツバはこの瘴気を物ともしていない。
それはフィーも同様で、いつもと同じ無表情。
王子は微妙に顔をしかめているがとくべつ変わった様子はない。
ゼノとリィグだけがこの瘴気の影響をもろに受けている。
花粉症ならぬ、瘴気過敏症的なやつだろうか?
そんな疑問を抱えながらゼノも周囲を警戒する。
ふいに、何かが足に絡みつくのを感じた。
「?」
下を見る。
足に絡まる蔦。
その先にあるものを見て、ゼノは色を失った。
「なんだ、あの魔獣……」
茂みの奥、大きな切り株の上に佇む小さな栗毛の獣。
リスだ。
そのリスの脚と切り株が同化し、ひとつの奇妙な魔獣と化している。
ぎらつく赤い双眸。
額には血のような色をした魔石が見える。
切り株から蔦がしゅるしゅると伸びて、こちらを捕食しようと狙っていた。
「──全員、伏せろ!」
ゼノの足に絡まる蔦が切断される。
王子が斬ったのだ。
彼の声を皮切りに、蔦の矢が、弾けるように飛んできた。
全員が地面に這いつくばる。
頭上を生い茂る蔦が通過し、後方。
樹木を穿ち、大穴と共に大木が倒れた。
土煙がぶわりと立ち昇る。
魔獣が茂みから出てきた。
「──!」
にたりと、嗤った。
いや、笑ったというよりも切り株に大きな口がついており、それが笑みを浮かべているように見えるのだ。
気味の悪い魔獣だ。
おまけに魔獣特有の瘴気をまとっているせいで、全体的に黒いもやがかかっている。
魔獣は槍のように蔦を変化させ、ミツバめがけて飛ばした。
「させるかっ!」
羽ペンを槍杖へと転じ──と、ゼノは懐に手を入れたが目当てのものが無かった。
(そうだった! 魔導品壊れてたんだった!)
一気にさーっと血の気が引くのを感じる。
その間、ミツバは魔獣の攻撃を避け切ったようで、手刀で蔦を跳ね返していた。
しかし蔦はすぐにうねりをあげて、土に幾つもの穴を開けていく。
「──もらったわっ!」
ミツバが木の側面を使って高く跳躍すると、切り株うえのリスに向かって手刀を落とす。が、わずかその手前で蔦が密集し、ミツバは弾き飛ばされた。
「ぐぅっ」
腕を組んで身を守り、彼女は魔獣から距離を取る。
だが、素早く蔦が伸びてきて足を絡めとられてしまう。
じゅわっと白煙をあげ、彼女の靴が溶けだした。
「毒液か⁉」
ゼノの脇からフィーが飛び出した。
一閃。
振り払われた鎖鎌によって蔦は切断され、ばらりと地面に落ちる。
リスがけたたましい鳴き声をあげ、身体から赤い霧を放出した。
「! 鼻と口を押さえろ!」
王子が叫ぶ。しかし、
(リィグが少し吸ったか……)
風向きが悪かった。
風が流れる道にいたリィグはその霧を吸ってしまったようで、むせながらかくりと膝を崩した。
おそらくは痺れ粉。
「大丈夫か!」
「ごめ、ちょっと……げほっ……」
ゼノはリィグのもとに駆け寄り、彼を連れて引きずるように後退した。
その隙に、魔獣との勝負はあらかたついていたようで──
「そこよ、ライアス! 上から行きなさい!」
ミツバの声が飛び、フィーが絡む蔦を両断し、剣を抜いた王子が天高く跳躍。
魔獣の頭上から剣を突き刺した。
魔獣が耳障りな声で啼く。
まるで悲鳴をあげるかのように、蔦が上下にばたついたのち、へたりと動かなくなった。
「やったわ!」
「ま、こんなもんだの」
ぱちんと鞘に剣を収め、王子が魔獣の額から魔石を剥ぎ取った。
さらさらと骨へと転じていく魔獣の死肉。
どうやら魔石を取ると魔獣は朽ちるらしい。
知っていたら、以前戦ったときにそうしていたのに。
流石は王子、知識が深い。
「すみません、王子。ぜんぜんお役に立てなくて」
「よい。魔獣相手に軍人でもないお前が戦えるとは思っていない。だが、次回からは下がっていろ。戦闘の邪魔だ」
(ええ……)
そんなはっきり言わなくても。ゼノはがくりと肩を落とした。
「きゃっ!」
「どうした──って、いない⁉」
悲鳴を聞いて振り向くと、そこにいたはずのミツバがいなかった。
「穴」
フィーが茂みの奥を覗きこみ、下を向いて呟いた。
彼女の隣に並ぶと、深さ数十メートルはあるだろうか。思ったよりも大きな穴が開いていた。
「ふむ、山土竜の穴だの」
王子も穴を覗きこむ。
「ヤマモグラ?」
「大きいモグラよ。畑に出るようなやつよりも数十倍は大きい。まあ、クマのようなモグラさんだと思えばよい」
「はぁ……」
そんなモグラさんなど見たことないが。
だが、王子がいると言うのだからいるのだろう。
「けっこう深いな……、流石のミツバでも上がるのは無理か」
この穴はリス(魔獣)の後ろに隠れていた。
おそらく新たな敵がいないか確認するべくミツバはこの茂みの奥に足を踏み入れたのだろう。
そして、落ちた。
穴の底から「はやく、助けなさい!」と声が聞こえてくる。
とはいえ、これは……。
「降りるぞ」
「え、この深さをですか?」
「うむ」
ひとつ答えて王子が穴へと飛び降りた。
そのあとをフィーが続く。
「ウソだろ……。足の骨とか、絶対折るだろ」
ミツバは頑丈だから例外として。
「せめてロープの代わりになるなにかがあれば……」
あった。
散らばる細い蔦。
リス本体は砂となって消えたが、切り取られた蔦までは消えていないようだ。
あれを使おう。
ゼノは蔦を集めて編み込み、束にして、ロープを作るとリィグと一緒に穴へと降下した。
ライアスがいる時は彼に活躍をゆずっております。
ゼノはこのあと挽回します。
ちなみにここのリィグ(とゼノ)の役立たずっぷりはのちの伏線なので大目に見てやってください。




