46 里帰り
馬車に揺られること約半月。
「やっと着いたか、ポエミ村。久しぶりだなぁ~」
ゼノは馬車から降り、胸いっぱいに澄んだ空気を吸い込み、大きく息を吐く。
ユーハルド王国、グランポーン侯爵領。
王都の北東に位置するこの地方は農耕が盛んであり、国内でも一、二を争う実りの豊かさを誇る。
統治者は五大侯のひとり、グラン・リリ・グランポーン。
そしてここ、ポミエ村はグランが直接統治する村だ。
土地のほとんどが赤い実の木に覆われ、ユーハルド印の赤くて丸い果実といえば、エール大陸全土に名を轟かせる名産品である。
「お帰りー、ゼノちゃん」
「久しぶり、ケイトさん」
ゼノに抱きつくこの人は養母のケイトだ。
栗色の髪に紫の瞳。
頭に三角巾。
水色のワンピースに、白いエプロンドレスをまとう彼女は相変わらず元気な人だ。
にこにこと笑ってゼノの来訪を喜んでくれている。
ケイトがスカートの裾をつまみ上げてふたりに挨拶をした。
「ライアス様もミツバ様も、ようこそおいで下さいました」
「うむ」
「久しぶりね、ケイト」
(なんで、この人たちまでついてくるのかな……)
ライアス王子に長期休暇の申請をした時のことだ。
帰郷するからしばらく休みが欲しいと告げると、『余も行く』と言ってきた。
さらにどこから嗅ぎつけたのか、出発当日、『あたしも』とミツバが仲間入り。
おかげで村に着いた時の疲労がいつもの二倍だった。
ちなみに犬耳ローブの少女ことフィーも一緒である。
「爺さんは?」
「自室で休まれているわ」
そう言って、ケイトは村の入り口から屋敷までゼノたちを案内してくれた。
村で一番大きな館。
歴史を感じる広い廊下を歩いていると、「マスターの家とは大違いだね」などとリィグが失礼なことを言ってきた。
「当たり前だろ。この国で五つしかない侯爵家だぞ。そりゃ家もでかいに決まってる」
「ふーん、なんで五つしかないの?」
「知らん。昔からそうだから」
上を向きながら歩くリィグ(いつか転ぶぞ)に適当に返してケイトのあとをついていくと、やがて大きな扉の前についた。
ケイトが部屋の中に向かって声をかける。
「お父様、ゼノちゃんが来てくれましたよ」
屋敷の一番南側。
日当たりのよいこの部屋は、グラン爺さんの私室だ。
「な、なんじゃと! ゼノが来ておるだと⁉」
──がしゃん!
大きな音とともに『旦那様!』と侍女たちの慌てふためく声が聞こえてくる。
放たれる扉。
そこから現れたのは、とても病人とは思えない元気な老人だった。
「ワシの孫! 久しいのぅ!」
「うぎゃっ!」
扉が開いて数秒で、ゼノはグラン爺さんに羽交い絞めにされた。
「会いたかったぞぉ、ゼノ。元気にしておったか? 見ない間に随分とでかくなりおって……」
「ねぇそれ、嫌味?」
「侯爵、久しいの」
「おぉこれはライアス様。春の誕生式以来ですなぁ。あれからビスホープめが殿下にいろいろと無礼なことをしたと耳にしましたが……。いっそ首でも刎ねてしまえばよろしいのに、ほっほっほっ」
「じいさん、またそんなこと言って……」
人に抱きつき、もふもふの白い髭を揺らして笑う爺さん。
どれだけかの侯爵のことを恨んでいるんだか。
ゼノは胸中でため息をつく。
(まぁ、でも当然か……)
アウルの死因を作ったのは、ビスホープ侯爵の息子だ。
長男カールが居眠りこいて見張りの手を緩めたせいで、あの日、リミュエル離宮は賊の侵入を許してしまった。
彼が一人で立っていた裏口。
そこから入られ、結果は知っての通りだ。
元からそりが合わなかった侯爵ふたりの仲はその事件を機にさらに悪化。
いまやふたりの話題は宮中にてご法度扱いなのである。
「ま、あの侯爵には少々手を焼くが、元はサフィー兄上の指示であろうからの。今回は不問にしてやった。あんなのでものちのち役に立つかもしれんしの」
あんなのって。
「それはそれは慈悲深い。しかし良かったですなぁ。サフィール殿下の失脚、これで我が孫の出世の道が開けますわい」
こっちはこっちで心の声に素直すぎて呆れてしまう。
(こう見えて爺さん、ライアス王子の後見人なんだよなぁ)
パジャマ姿で飄々と笑う老人。
王家に男児が生まれると、五大侯の誰かが後ろ盾につくのだが、シオンの場合はロイドだった。
てっきりアウルがシオンの護衛だったから、グランはシオンの後見人なんだと思っていたが違った。
こうしてみると、王子とグランの仲は良好そうで、後見人と言われると納得だ。
「ところで爺さん、思ったより元気そうだけど具合はどうなんだ?」
「うむ。良くはなった、と言いたいところじゃが……。先日、領民たちと畑の草をむしっておったら魔獣に襲われてのう。今度は腰を痛めてしもうた」
「──は⁉ 魔獣⁉ なんでそんなものが村に……」
「もう一週間も前のことよ」
ケイトが困ったように吐息をついて説明してくれた。
「急に魔獣が村に現れて、偶然うちにいらした剣士様が魔獣を倒してくれたのだけれど、お父様の腰はそのときに……」
「まさか、攻撃を受けたのか⁉」
「いや、ただのぎっくりじゃ」
「あ、そう……」
まったく関係なかった。
いや、魔獣から逃げる際に痛めたのだろうが。
王子がケイトに聞く。
「その後、どうした」
「そのあとは、村の若い子たちがうしろの山を見に行ってくれました。そうしたら、大樹の結界水晶が壊れていたそうで……。すぐにフィーティアの神官様にはお伝えしたのですが、その、騎士様たちがいらっしゃるのは聖国ですから……」
目を伏せるケイトにゼノは「ああ」と思う。
フィーティアの本神殿(本部)は大陸中央にある『大陸湖』と呼ばれる湖沿いにある。
地図上では聖国パトシナ内に位置し、ユーハルドから見て南東方面。
あそこからここまで駆けつけるのには距離がある。
討伐部隊の到着を待っている間に被害が拡大するかもしれないとケイトは言いたいのだろう。
「魔獣は? いまも来るのか?」
「いいや。その一度切りじゃが、近隣の村でも同様の被害報告が上がっておる。領内の兵へ呼びかけ、各村の防衛に当たらせとる最中じゃ」
「なら城へは?」
「ロイド坊には伝えた。増援として、隣のベルルーク領からも兵を出してもらう話になっとるよ。とはいえ、魔獣討伐となれば死人が出るだろうからのぅ。あくまでフィーティアの騎士様方の到着を待つまでの防衛線と言ったところじゃな」
「そっか」
向こうを出る際ロイドは何も言っていなかったから、そのあとに伝わった話なのだろう。
ミツバが長いため息を吐く。
「え~、軍事局の奴らが来るの? あたし、アイツら苦手なのよねぇ……」
「苦手って、お前も所属してんだろ?」
「それはそうですけれど……」
渋面を作るミツバは『十二騎士』と呼ばれるフィーティアの幹部に席をおいている。
フィーティアには『軍事局』と『神事局』。
この二つの局が存在し、ミツバが在籍するのは後者のほう。
異郷返りの保護や魔石関連の統括。フィーティア支部(各地にある神殿)での窓口対応などが主な業務内容だが、ミツバはその職員たち──神官たちのトップである『神官長』という役職に本来就くはずだったそうだ。
それが、メルディスなる娘に奪われたのだと、先月聞いた時に怒っていた。
「苦手なものは苦手なのよ。あいつら血の気が多い連中だし、そもそもほとんど会ったことも無いし……。この気まずい気持ち、わかるでしょう?」
「うーん、まあ?」
ゼノも彼女の事情には詳しくないが、ミツバは長いあいだユーハルドの西、リーナイツ領で軟禁生活を送っていた。
フィーティアに入ったのはその最中。
なんでもミツバの母である第二妃様の故郷サクラナが関係しているとかで、組織に入ってすぐに幹部入りを果たしたものの、その実、彼女はフィーティアのことをよく知らなかった。
たまに訪ねてくる使者を通してしか話が聞けず、組織の内情がまるで分からない。
それでいて、幹部の末席にいる。
つまり、やや複雑な立場というわけだった。
「いたた……」
グランが壁に手をつきしゃがみこむと、ケイトがその背中をさすってゼノを見上げた。
「ゼノちゃん。悪いのだけど、このあと湿布薬を作ってもらえるかしら?」
「湿布薬? いいけど、切れたの?」
「ええ、いつも村に来てくださる行商人の方がこの魔獣騒ぎで近くの街道を通らなくなったみたいでね。見ての通り食べものならたくさんあるけど薬となるとどうしても……。だから今からちょっと山に入って、薬草を採ってきてもらえると助かるわ」
「魔獣が出るのに?」
ええ、と憂いを帯びた吐息を落とされた。ため息をつきたいのはむしろこちらのほうである。
「湿布薬って言うと、雪妖精の花か……」
「なに、ゼノ」
呼んだ? みたいな顔でフィーが見上げてくる。
「違うよ、薬草の名前。──じゃあ、王子。オレ、少し山まで行ってくるので、王子たちは屋敷で留守番を──」
「なにを言っているのだ? 全員で採りに行くに決まっているだろう」
人の言葉を遮り、王子は颯爽と廊下を戻っていった。
ついでにミツバの姿も消えていた。
ケイトが優しく微笑む。
「よかったわね、ゼノちゃん。いい主君にお仕えできたみたいで」
「うむ、さすがはライアス様じゃの。ゼノよ、ワシはケイトと共にお前の好きなリンゴ料理を用意して待っている。だから存分にあのかたの護衛を務めあげるんじゃぞ」
しわくちゃのグランの手がぽんと肩に置かれてゼノは何も言えなかった。
オレ、護衛じゃないし。
文官だし。
リンゴ嫌いだし王子たちは勝手に行くし。
ほんとみんな話聞かないなぁとゼノは思った。
「うん……行ってきます」




