一章番外編『新人の名前』
少し未来からのライアス視点です。
そう名乗った新人の印象は、ひとことで言って、素直だな。
そして、使えない。
だってそうだろう。
就任当日の、それも顔合わせの場で、「なにかの間違いじゃ…」なんてぼやき出す馬鹿がいると思うか?
いないだろう。
大抵の奴なら媚びた笑顔を浮かべてすり寄ってくるものだ。
それが無意識なのかなんのか、心底嫌そうな顔でうつむいているのだから素直な奴だなと思う反面、宮廷では使いものにならない。
ライアス王子にとって、新人──ゼノの心証はその程度のものだった。
***
ジャラジャラと反響する音。
馬車の振動により跳ね回るコイン。
普段ならば気にとめることもないだろうその響きも、ここまで近くで鳴れば、気絶から目を覚ますほどに十分な騒音だった。
ライアスは箱の中にいた。
「うるさい。暗い。そして痛い……」
路地裏から出た瞬間。
とつぜん何かの薬品をかがされ、そこから彼の記憶は無かった。
おおかたいつもの刺客だろうが、どうやってここから抜け出すか。
ライアスは腕を組み、目を細めた。
暗がりの中を舞い散る紙切れ。
箱の隙間から差す光で、顔に貼りつくそれが隣国の通貨だとわかる。
王冠を被ったうさぎの紋章。
硬貨ではなく、手の平大の四角い紙切れに印字されたそれは、
「ラビーコイン……いや、紙幣か。つまりここは通貨商の荷馬か」
一行商がこんな大金は運ばない。
思いつくとすれば、国内外の通貨を扱う役所くらいだ。
祭りが盛んなこの時期は市場が動くから、よく地方行きの馬が出ている。
国内となれば手形で対処可能となるが、外国との取引ではそうはならない。
これだけの大金が積まれているとなると、どこぞの貴族が隣国から何か買い付けでもしたか。
「ふむ……なるほどの。そういえば兵や役人どもは検問を素通りできると聞いたことがある。つまり余は誘拐され、どこかの地へ運び込まれる最中か……」
ライアスは小さく息をついた。
いつものことだ。
王子の身分を持つ彼は刺客の襲撃には慣れている。
誘拐されたとはいえ落ちついているのはそのためだ。しかし。
「あの鈴……」
身体が宙を浮いた瞬間に、鈴の音が聴こえた。
聞き覚えのある甲高い音。
あれは確か、妹の侍女がつけていた鈴の髪飾りだ。
うるさいから外せと注意した記憶がある。
つまり、あの侍女も一枚噛んでいる、というわけか。だが──。
ライアスは頭を振る。
彼女は味方だ。妹を守るため──いや、監視するために用意された、王の駒。
だから敵ではない。少なくとも今は。
「……ま、適当な頃合いで逃げるかの」
幸い、手足に巻かれているのはただの草縄だ。
鎖ではないから、これならば簡単にほどける。
ライアスは手早く縄をほどくと、最近入った新人補佐官のことを思い浮かべた。
いちばん初め、どんよりと沈む新人の顔を見て、ああ、これは三日も持たないなと思った。
なぜならこの辞令は左遷通告だから。
権力者の怒りを買った者。
優秀だが身分の低い者。
理由は様々だが、どう転んでもこの辞令に未来はない。
つまりは『王子の補佐官』という大役は与えるが、出世からは外されるということだ。
だというのに、新入りはそれを知ってか知らずか、いまだに辞めていない。
「確か、【ゼノ】と言ったか。左遷されてもなお、頑張るとは馬鹿なやつよな」
まぁ余には関係ない話だ、とつぶやきながら、彼は頭上の板へ手を当てた。
「さてと、外に出るかの」
ぐっと手に力をこめ、木箱のふたを押す。
「む?」
動かない。再度押す。
「……動かんの」
板はビクリともしなかった。
おそらく何か上に乗っているのだろう。
開かないものは仕方がない。
もう少し様子をみるか……と、彼は木箱の中で目を閉じた。
***
箱の外から声が聞こえる。
野太い悲鳴と例の新人の声。
もうひとつかすかに聴こえてくる静かな声は護衛の青年か。確か名は……忘れた。
ライアスは木箱に手をかけた。
蓋を軽く押すと先刻とは違い、すぐに開いた。
夕陽が眩しい。
ライアスが一瞬目を細めると、新人の声が飛んできた。
「王子!下がっててください。できれば剣の届かない範囲まで」
こちらに背を向けて短剣を構える彼は、なんというかこう、頼りなかった。
剣の扱いがまるでなってない。
あれではすぐに勝敗がつく。
ライアスは数歩下がり、様子をうかがった。
案の定、すぐに剣を弾かれている。
助けに入ってやるかとわずかに足をあげたとき、新人の手から槍のような杖が飛び出した。
器用にそれを反転させ、護衛の腹を突く。
護衛は片ひざを曲げ、腹を抱えて呻いた。
「さて、勝負はついた。街道まで大人しくしてもらおうか──」
護衛を見据えて新人が言い張った瞬間。
馬車が大きく揺れた。
「なんだ!?」
新人の焦る声と護衛の息を呑む音。
ライアスはすぐに近くの木箱に掴まり、姿勢を低くした。
荷台を滑る木箱。
大きな革袋からは金貨が転がり流れている。
やがて鋭い馬の嘶きとともに馬車は転倒した。
いや、厳密にいえば車輪が外れたといっていいか。
広めの荷台はそのままに。全員が宙へと投げ飛ばされ、野に転がった。
「………っ」
ライアスはむくりと身を起こすと、倒れた二頭の馬に目を向けた。
足をばたつかせ、苦しげに啼いている。
はやく助けに起こしてやらねばと、彼が立ち上がった時だった。
「動くな!」
首の横から剣が伸びてきた。
短剣。あの新人が持っていたものだ。
背後に誰かがいる。
目の前に焦った顔の新人と、眉を潜める護衛がいることから、うしろの男はまぁ敵なのだろう。
(このまま殺してしまってよいが……)
ちらりと新人を見る。
アレは表情を隠すということができないのか?
敵が何か喚いたあと、護衛が新人の首に長剣を向けた。
「投稿しろ。そうすれば命は取らない」
──と、このあとの話を割愛するが、なんだかんだで新人が敵どもを捕らえた。
見事だった。
とはいえないが、最初の印象から『まぁ使える』くらいにはなった。
(……高い魔力を持つ者、か)
新人が配属されたあの日。
『仮』の補佐官として迎えてやると伝えたあと廊下を歩いていると、王佐ロイディールが追いかけてきた。
「殿下。先ほどお渡しした書類には目を通されましたか?」
「見ていない」
「左様ですか」
苦笑を浮かべてロイドは途切れた会話を繋げた。
「実はですね、彼はとても高い魔力を有しているのですよ」
「ほう、異郷帰りか?」
「さあ……それはわかりかねますが。なんでも、四大属性すべての魔法が扱えるのだとか」
「それは珍しいの」
「ええ。普通は一属性、多くても二属性ですから。才に関しては稀代の魔導師団の団長と比べても引けを取らないとのことですよ」
「そうか。ならばなぜ、魔導師団に入らぬ。文官などにしておくのは惜しいのではないか?」
ライアスが指摘すると、ロイドは困ったように首を振った。
「そうですな……。魔導師団長、アレクサンダーの言葉を借りるなら、彼は異郷返りとはいえ『欠陥品』。魔法の操作がうまくいかず、発動させる魔法はすべて大技。もしくはまったく発動しないかのどちかなのだとか。数年前の話になりますが──」
中庭で休憩している魔導師団の兵を一瞥してロイドは続ける。
「実力を測るため、風の魔法を使わせたところ、厩舎ごと馬たちを吹き飛ばしてしまったことがありましてな。さらには別の日の試験では、小さな風すら起こせなかった。どうも魔力の質が日によって変動するようでして、あまり実戦向きではないのですよ。本人も、文官を希望しておりましたから、それならばと軍への所属は見送ったというわけです」
「なるほどの。それは確かに使えんな」
ばっさりと切り捨てたライアスにロイドが再び苦笑する。
そのあとは、新人の優秀さ(おそらく話を盛っている)をロイドが力説してきたが、ライアスは興味がなかったので聞き流した。
その時のことを思い出し、ライアスは目の前の新人を見下ろした。
賊を捕らえたあと、危ない目に合わせてすみませんと、彼が謝ってきたのだ。
(危ない目……)
正直、どこがだと思った。
しかし真剣に頭をさげる彼に、流石にそれを言っては可哀想だろう。
ライアスはひとこと「構わない」とだけ返してやった。
そのあとのことは本当に気まぐれだった。
シオン──自分の兄との約束を果たすため、王佐を目指すと彼は言った。
だから訊ねた。
王佐になって何がしたいのかと。
そうしたら、『誰もが笑顔で希望に満ちた国作り』と彼は答えた。
こいつの頭は花畑か、と呆れた。だが、
(まぁ、いいか)
ライアスは口を開いた。
「合格だ」
「え?」
ひどく間抜けな顔だった。
本当に素直な男だが──嫌いではない。
「明日より正式に余の補佐官に任命してやろう」
それだけ言ってライアスは倒れた馬のもとへと足を向けた。
「あの! 待ってください!」
うしろから新人が叫んでくる。
「いいんですか、本当にっ」
しつこい。二度も言わせるな。
本当はそう言ってやりたかったが、ライアスは「構わぬ」とだけ返して馬を助け起こした。
「ちょうど退屈していたところだしの。お前のその、ケーキのように甘い夢想話に余も付き合ってやろう」
***
それからは知っての通り、彼とは長い付き合いになった。
当時のことは、今でも思い出す。
【ゼノ】
そういえばあの時。
普段ならば、どうでもいいまわりの名前など覚えていない自分が、唯一、その名前だけは記憶していた。
それはきっと。
この男が未来、自分の隣に立ち、自分を導いてくれる存在だと、どこかで予感していたのかもしれない。
などと言ったら、妹は──リーアは笑うだろうか?




