41 天光のステイル
広間の入り口からゆっくりと青年が入ってきた。
「く、わかっておる。──こんなものっ!」
マルルが左足をだん! と強く踏みしめた。
途端、蜘蛛の巣のようなヒビが床に走り、マルルは天高く跳躍した。
「嘘だろ、足凍ってたよな? いま」
「うん、そうだね……」
あっけに取られたゼノとリィグは呆けた顔で少女を見る。
異常なまでの脚力。
いまのを見る限り、足になんらかの魔法を付与しているのかもしれない。
マルルが上下に足をぶらぶらと振りながら靴についた氷塊を落とす。
「うう……ちょっとヒリヒリするのじゃ……」
眉を寄せ、不満そうに呟くと、リィグに向かって吠えた。
「こら、童! 二対一とは卑怯であろう? その男のあとに遊んでやるから、大人しく待っておれ!」
「えー、でもマスターと僕は一心同体みたいなものだしー。なにより僕、このひとの奴隷だしー」
「その言い方はやめて」
絶対に人前では言ってほしくない台詞だった。姫もいるし。
「マルル。俺が白髪の彼と戦います。貴女は金髪の少年と遊んであげてください」
「むぅ。拙は童には興味がないのじゃが……」
「そう仰らずに。ね?」
青年がにっこりと微笑む。
マルルは渋々といったようすで「まぁよい」と呟き、槍を宙へと放り投げた。
ふわりと彼女の頭上に槍が浮かぶ。
「え、浮いて……」
どういう原理なのだろう。
間抜けにも口をぽかんと開けた瞬間、彼女の姿が風と化す。
リィグの足もとに一撃、マルルの拳が入った。
床が放射上にうがたれる。
素手だというのに、あり得ないヒビの入り方をしている。
うしろへ飛んで回避したリィグの後方から、くるくると回転しながら浮いた槍が彼を襲う。
まるで意志を持ったひとつの生物のようだ。
「童の相手など正直気は乗らぬが……、ここはさきの借りを返してやるとするかの」
ため息まじりにマルルがぱちんと指を打ち鳴らす。
さらに回転を増した槍が全方位からリィグを狙い撃つ。
「リィグ!」
「……っ、大丈夫。それより、マスターはそっちの人を気にしたほうがいいと思うよ!」
飛び交う槍を器用にかわしながら、氷弓を引き絞るリィグ。
一瞬だけ、こちらに視線を向けるとゼノに警告した。
その視線を追って横を向く。
「──っ!」
刃が鼻先を掠めた。
ぷつりと切れた前髪が、幾本か宙を舞う。
青年がいつの間にか至近距離にいた。
「──その通り。よそ見をしている暇はありませんよ?」
真横からの一閃。
槍杖で受けとめ、火花が散る。
そのまま数撃打ち合い、青年が半歩引いたところに槍を突き出す。
びりっと布が破れる音がして、彼の上腕が露わとなる。
銀色の義手。
一瞬、目を見開くと、右腕をつかまれ硬い床へと放り投げられた。
「……っつ」
「さて。そろそろ。名乗らせていただきましょうか」
青年が地面と垂直に剣を構える。
胸の前で凛々しく剣を掲げるその姿は、おとぎの本で見るような騎士のポーズだ。
仮面の奥の瞳が、どこか愉しげにゼノを映している。
だが、ゼノの目は彼ではなく、眼前の刃に釘付けだった。
──黒い。
最近、目撃した宝剣まがい。
それらと同じ漆黒の刀身。
宝剣クラウスピルによく酷似した得物を持った青年が、粛々と名乗りをあげる。
「フィーティア、軍事局第三騎士団並びに十二騎士、第七席ステイル。──貴方の名前を聞いても?」
「……ゼノ。ユーハルド王国、第四王子ライアス殿下の補佐官だ」
「補佐官、というと文官のかたですか。でしたら少々、手を抜かなければ可哀想ですね」
言って、青年──ステイルは剣を右から左へ持ち帰ると、地面と水平に構えた。
「……へぇ、手加減してくれるとは有り難いな。だけどいいのか? その足片方、義足だろ? さっき水のなか走って、だいぶ濡れたんじゃないのか?」
「これはこれは。よく気がつきましたね」
「動くたびに硬い音がする。……それと、その左腕も」
先ほど刃先が掠めた箇所。
銀色に光る義腕が服の下から覗いている。
「──なるほど。耳がいいんですね。でも大丈夫ですよ。俺のこれは特別製ですから。市場に流れているものと比べて、防水も動きも一級品です。それと、これでも昔は左利きでしたので、こちらでお相手しても問題はありません」
「そうか」
互いに無言の間が流れて数秒。
ゼノが前に足を踏み出したその刹那。
まるで閃光のごとき一撃が、ゼノの頭上に落ちてきた。
とっさに槍杖で受けとめ、押し返せば、今度は下から斬撃が押し寄せる。
首をうしろに反らして皮一枚で避けるも、上を向かされた反動で前が見えない。
案の定、次の瞬間。横腹に強烈な痛みが走った。
「──っ!」
氷が滑るように床の上を転がれば、手から槍杖が離れて柱に激突した。
すぐに身体を起こして態勢を整える。
ちらりと横目で見る。
落ちた槍杖まで数十歩。前方をゆっくり歩いてくる敵の姿。
拾いに行ったところで攻撃を仕掛けられて終わりだろう。
ゼノはステイルを睨みつけ、拳を構える。
すると、彼は少し困ったように笑って言った。
「拾っていいですよ?」
「は?」
「だから、拾っていいですよ。その魔導品」
視線で槍杖をさすステイル。
しまいには、「拾わないんですか?」と首を傾けている。
舐められたものだ。
ゼノは武器を取って構えた。
「では、続きと行きましょうか」
二戦目が始まる。
先ほどは殆ど受けに回っていた。
ならば今度はと、こちらから攻めに転じてみる。
右、左、右。
槍で相手の脇をつくように、攻撃を繰り出すもなんなく避けられ、剣の腹ですべてを受け流される。
何だか、剣の稽古をつけられているような気分だ。
「うーん……。駄目ですね」
言って、ステイルは剣を振り上げると、ある一点を狙って一気に腕を振りおろした。
剣が槍杖の中央にぶつかる。
ぴしり。鉄鋼が砕ける前の嫌な音が耳を掠めた。
「な……っ!」
次の瞬間。
勢いよくヒビが走り、からんと槍杖の上部が石畳の上に転がる。
自分の手には半身となった柄の残り。
──そう、折れたのだ。魔導品が。
「嘘! 折れたっ⁉」
ゼノは思わず床を凝視した。
ステイルも同様に折れた魔導品を眺めて口にする。
「──ああ、やっぱり。それ、中央の部分がくぼんでいましたから。叩いたら折れるかなぁと思ったんですよね」
そのまま彼は左足をうしろへ引くと、呆けているゼノに向かって、
「俺が言うのもなんですけど、武器の手入れはちゃんとしたほうがいいですよ」
ずしりと重い蹴りを繰り出した。
「────ッ!」
投げ飛ばされるように宙を浮いた身体は、水路の中へばしゃりと落ちた。
そして、追撃するべくステイルが歩み出し──
「妖精たちの円舞」
小さく紡がれた呪文ともに、白い蝶がステイルを取り囲う。
そのまま蝶は姿を変え、無数のナイフとなってステイルめがけて飛んでいく。
カカカッと彼のまわりにナイフが落下する。
光のナイフはステイルに当たることなく、その足元に光の円が描いた。
ゼノが振り返ると、柱の影から出てきた姫がこちらに手のひらを向けていた。
──きれいだ。
白銀の光が可憐な少女を包みこみ、その姿を幻想的にも儚げに、ぼんやりと映し出している。
その傍らには数匹の白い蝶。
おそらく魔法で編み出した光蝶なのだろう。
不覚にも、ゼノが見惚れていると、勇気を振り絞ったような面持ちで、姫は硬い声色で告げた。
「その円から出たら今度は当てます……!」
「リフィリア姫……。魔法が、使えたんですね」
ゼノが驚き、目を見張れば、姫がこくりとうなずき、
「わたしも加勢を」
そう言って、しかし、
「──あまり魔法を使われるのは、感心しませんね、姫?」
剣をひと振りして周囲の光を打ち消すと、ステイルはふっと笑った。
「また、倒れますよ?」
「──……ぁ」
姫がたじろぎ、腕をおろす。
神々しく彼女を包んでいた光が消え、白い蝶も姿を隠す。
そこにちょうど、マルルと戦っていたはずのリィグが吹き飛ばされてくる。
「いてて……」
「リィグ⁉ 平気か⁉」
「うーむ……、なんというか戦いがいが無いのう。そなた先ほどから避けてばかりではないか。もっとこう、拙の首を狙うくらいしてみせよ」
「そう言われてもね。僕、後方担当だし。槍を使うキミとじゃ相性が悪いんだよ」
姫の手を借り、立ち上がり、リィグはマルルに氷弓を向けた。
当然、矢を放ったところで、ダンスを踊るようにマルルは逃れてしまう。
確かに相性が悪い。
「はあー、つまらん!」
「まぁまぁ、マルル。そう言ってあげてはかわいそうですよ」
不満げなマルルをなだめるように、ステイルが朗らかに笑って軽口をたたく。
弛緩した空気。
戦闘中だというのにまるで緊張感のない彼らは確認するまでもなく、『余裕』なのだろう。
確かに苦戦している。
まったく勝てる気がしない。
けれど、一瞬の隙さえつければ──
「……リィグ、悪い。一分だけ時間を作ってもらえるか?」
「いいけど、なにをするの?」
リィグが小声で返してくる。
「オレが呪文を唱えたあと、お前は水の障壁を張って流されないよう姫を守れ」
「流される? なんだかよく分からないけど……、了解、わかったよ。──ええっと、お姫様? なのかな? キミ、僕にうしろに来て」
「! はい!」
姫が素早くリィグの背中に移動する。
短くなった槍杖。
横一文字に構えてゼノは目を閉じた。
「むむ? なんじゃ、もう降参か? つまらぬのう……」
残念そうなマルルの言葉を聞き流し、意識を槍杖へと集めていく。
魔法を押し出す感覚を。
ペリードとの戦いで覚えた、あの体感を呼び覚ます。
(集中……)
──リィグが矢を放った。
──おそらくはマルルが躱した。
──いまのはステイルが氷を剣で砕く音。
──見守る姫の息づかい。
それらすべての音が遠ざかり、流れる水が耳の奥へと満ちていく。
波ひとつない穏やかな水面が、脳裏に浮かんで、そこに雨が降る。
ぽたり、ぽたり。
空から雫が落ちて波紋が広がり──
「──ここだ! 捕らえろッ!〈荒ぶる海竜!〉」
かっと目を見開き、言葉にした瞬間。
後方より水の柱が飛沫をあげて立ち昇る。
それは蛇のように形を変え、いくつもの敵を襲う牙となる。
マルルが天高く飛び、ステイルは剣を振って水蛇を凌いだ。
リィグが障壁を張る。
姫とリィグ、ふたりをすっぽり覆うように半円上の水の膜が展開され、激しい津波が押し寄せ障壁ごと彼らを飲みこんでいく。
それを一瞥してステイルが叫ぶ。
「マルル! 何かにつかまってください! ──来ます!」
ステイルが剣を地面に突き立てる。
水の大蛇はとぐろを巻くように徘徊し、広間全体を埋め尽くす。
瞬く間に波嵩を増やし、地上のすべてを水の渦が覆った。
ゼノは風の腕輪を使って宙へと飛びあがる。
リィグと姫、それからステイルが水に呑まれたのを確認し、ゼノはついと前方へと視線を滑らせた。
余裕の表情で、中空を漂う少女。
例のごとく槍の上に立ちながら、眼下を一望してマルルは得意げにこちらへ指を向け──
「ふふーん! これしきの水魔法など拙には効か──」
ざぱぁんと、地上の水がうねりをあげ、天井まで一気に伸びあがる。
マルルは逃げる間もなく水の柱に捕縛された。
「な、なに……⁉ ごぼっ、拙に、水は……──」
苦しげにうめき、水中でもがく。
ゼノがぱちんと指を弾く。
「これで詰みだ!」
すべての水が爆ぜ飛んで、ざぁっと冷たい雨が降り注ぐ。
マルルは床に叩きつけられた。
「ふっ、どうだ! これぞ、一発逆転ってな!」
「いやー、ちょっとやりすぎだと思うよ?」
風の腕輪をとめて、濡れた床へ降りたところにリィグが近づいてきた。
姫も一緒だ。
心なしか安堵したようにホッと胸を撫で下ろしている。
マルルは伏して動かない。
ステイルが肘をつきながら上体を起こし、ごほごほと咳き込む。
「……なかなかに、強烈な魔法を、使い、ますね……」
剣を支えにゆっくりと立ち上がるステイル。
髪がだらりと垂れて、ぽたりぽたりと床に雫が落ちていく。
そこに、からんと何かが転がった。
仮面だ。
彼の顔から仮面が剥がれて、その素顔がほのかな灯りによって照らされる。
「……っ!」
思わず、息を呑んだ。
ステイルが面をあげたその顔は──
「……シ、オン?」
「………………」
彼はなにも答えない。
しかしゼノは目を見開き、その姿を凝視する。
昔よりも背が伸びて、大人びた顔つき。
変わらない柔らかな面差し。
間違いない。
見間違えるはずがない。
彼は自分の友人──シオンだった。
「シオン……、お前……死んだはずじゃ……」
声が震える。
青年がこちらを見た。
春の陽だまりのような優しい双眸。
その瞳は、深い深い紫水晶の光だった。
「えっ、紫……?」
確かシオンの瞳は空色だったはず。
一瞬、人違いかと思考を巡らせた時、彼の背後でふいに少女の影が動いた。
「……ふ、ふふ。それで、こそだ。やはり狩りは楽しいのう」
ゆらりと立ち上がりながら、にたりと口元を歪め、恍惚じみた声で語る。
「追い、追い詰められ、双方が倒れるまで戦う。血沸き肉躍るとはまさにこのことじゃ」
「……なっ!」
マルルが顔をあげた。
右頬が白い鱗で覆われ、瞳は赤く。
彼女の銀髪が宙を舞う。
迸る魔力と輝く光の粒。黄の風が、その足元から噴きあがる。
あれは、化物だ。
逃げなければ殺される。
そんな恐怖が全身を巡って、足を半歩引く。
「……っ! いけない、マルル! 力をおさえて」
青年が振り向き、叫ぶ。
しかし、マルルの耳には入っていない。
手を伸ばした青年を、魔力の風が壁へと叩きつけた。
「ぐっ──」
「シオン!」
「マスター、動かないで! 動いたら死ぬよ! お姫様もしゃがんで!」
リィグがゼノの腕を掴んで、姿勢を低くする。
ごうごうと風が吹き荒れる中、地を這うような声があたりに響き渡る。
「さぁ、第二ラウンドと行くとするかの」
ぎらつく赤い双眸。睨まれ、ごくりと喉奥に唾がすべり落ち──
「──そこまでだ」
凛とした声だった。
灰銀の髪がたなびき、自身の前に立ちはだかる。
「遅くなってすまないね、ゼノ」
振り向きざまに、穏やかな笑みを浮かべるその人は、武装した王佐ロイディールだった。




