39 地下水路
「兄上が逃げたと聞いたが」
「ライアス様」
ロイドが振り返る。
ゼノたちが慌てて駆けつけると、軍議室では地図を眺めてロイドが高官たちと作戦会議をしていた。
「数人の部下を連れて私室を抜け出されたあと正門を通過し、王都の外へと向かわれたようです。現在ラバグルドの指揮のもと、サフィール殿下の捜索隊を編成中です」
「そうか」
(予想はしていただけに……)
鉄板すぎる展開にゼノはふたりの話を聞きながら小さく息をついた。
王子がゼノに顔を向ける。
「では、ゼノ。お前が行ってこい」
「え! オレひとりで⁉」
「うむ。兄上のことだ。うまく軍を掌握して逃げ切りかねない。適当に魔法でもなんでもぶつけて捕えてこい。余は離宮へ戻る。ではな」
健闘を祈る、と告げて眠気まなこのフィーをともない王子は部屋を出て行った。
「ええ……」
「まあまあ。僕も一緒に行ってあげるからさ」
やさしいリィグの申し出に涙が出そうになった。
窓の外をちらりと見て、ロイドはゼノに夜光石のランタンを渡した。
「正門前でラバグルドが指揮を執っている。君にもそちらへ合流してほしい」
「了解しました。行くぞ、リィグ」
「はーい」
ゼノはリィグを連れて正門まで急行する。
だからその後ろを、正確にはリィグにむけてロイドが目を細めて見ていたことには気づかなかった。
◇ ◇ ◇
「すみません! ライアス王子の命で、サフィール殿下の捜索にきました」
正門前。
慌ただしく松明を持った兵士たちが馬に荷物を積んでいる。
その中心に、暗がりでも目立つまっしろなマントを羽織った騎士がいた。
ローズクイン侯爵だ。
「おや、君は……アウルの」
振り向いたローズクイン侯爵は少しばかり驚いた顔を見せたあと、きらりと白い歯を光らせて右手を差し出した。
「君のことはよくグランポーン侯爵から聞いている。私はユーハルド軍の総指揮官を任されているラバグルドだ。よろしく、ゼノくん」
「よろしくお願いします、ラバグルド閣下」
肩幅の広い骨格。
隊服の上からでもわかる引き締まった筋肉。
精悍な顔つき。
軍を率いている者だけあって、歴戦の戦士然とした雰囲気をまとっているが、まあ、よくみる貴族の軍人といった印象だ。
ゼノはラバグルドの手を握り返して、サフィールの行方をたずねた。
「サフィール殿下はどちらに?」
「それがねぇ。さきほど先兵隊が戻ってきたが、この暗がりで足取りを見失ってしまったそうだ。おそらくはいくつかある殿下の私邸にお逃げあそばされたのだと思うのだが、やはりこうも暗くてはねぇ……」
ラバグルドは腕を組み、難しい顔でうなった。
「ひとまず日が昇ってから捜索隊を派遣して、近隣の村や山中をあたろうと思う。君もそこに加わってもらえるかな?」
「わかりました。じゃあ向こうの隊に──」
「待って」
急にローブを引っ張られて振り向くと、リィグが夜空を見つめて言った。
「ねえ、そのサフィールって人、本当にこんな広野に出たの?」
「? どういうことだ?」
「いやさー、こんな時間だよ? 夜は野盗のほかにも獣が出るだろうし、城育ちのお坊ちゃんなんかがそんなハードな選択しないって」
「お前、サフィールのこと嫌いなの?」
いまひとつ棘のある言い方にラバグルドも苦笑している。
「だが、一理あるね。あのかたはとても聡明な御方だ。こんな夜更けに移動するなど無茶な真似をするとは思えないか……」
「するとあれか? 門を出たのは囮で、本物はまだ王都内にいるってことか……?」
「そーじゃない? 王都っていうか、まだ城内にいるかも知れないけどね」
「城か。たしかに脱出したと見せかけて、ということもあり得るね。──わかった。部下たちにはあらためて城の中を探させよう」
ラバグルドは待機している兵士たちに向かって、城内を探すよう告げた。
「僕たちはどーするの、マスター」
「もちろんこのまま捜索隊に加わるけど──」
そこでふと、ゼノは思い出した。
「そうか、水路……」
「すいろ?」
リィグが首を曲げる。
「王都の真下には、巨大な地下水路があるんだよ」
その主な用途は不明だが、シオンがお忍びで城を抜け出すときによく使っていた。
あそこなら人目を凌げるし、一度水路に身を隠してしまえば朝日が昇ってから移動することもできる。つまり──
「地下水路だ! サフィールなら多分そこにいる!」
ラバグルドから水路の地図を借りてゼノは地下へと潜った。
◇ ◇ ◇
鼻が曲がるような臭気にドブネズミの巣窟、と言えばいいだろうか。
地下水道といえば、そういうものをイメージしていたが、実際はきれいな水が流れる場所だった。
中央に通る浅い水路。
その両脇に、大人ふたり分が通れるだけの狭い道が続いている。
中は入り組んでいて、途中でいくつもの細い小路に分かれているが、地図通りに進めばそう迷うことはなさそうだ。
ゼノとリィグは地図とランタンを片手に地下水路を歩いていた。
「で? ここに隠し通路があるって?」
「うん、そう。王都は分厚い城壁に囲まれてるし、出入りできる門も限られている。だけど実は下に潜ると意外と簡単に外に出られるって、前にシオンが話してたんだよ」
王都のまわりにはぐるりと一周円をかくように分厚い城壁が築かれている。
ゆえに難攻不落の城塞都市なのだが、仕掛けはそれだけはないのだ。
城壁の内側。
二重にそびえたつ城壁の中には水が流れていて、外からの侵入者を防ぐ強化構造となっている。
そして、その給排水を制御しているのが、この地下中央にある制御の間だ。
そこまでたどり着くには細かい迷路のような水路をたどっていく必要があるのだが、その途中途中には地上へと出られる階段がある。
たとえば城から各門へ、軍の詰め所や貧民街なんかにもその出入り口はあるのだという。
地下迷宮、とシオンは勝手に名付けていたが、ようは王都の内にも外にも出られる脱出口をいくつも兼ね備えた隠し水路なのだ。
ちなみにこれは余談だが、ここに流れる水はふだんの生活用水には使われない。
ノーグ城を囲うように走る川。
そこから引いた水を王都の北にある浄水施設で一度きれいにしてから、各家庭に走る水道管へと給水している。
そして、排出された汚水は王都南の浄水施設でろ過してから川に戻している。
だから、ここに流れる水は完全に貯水用。
戦時のおりの籠城なんかを想定したものだろうとシオンは話していた。
「どっち方面に行ったんだろうね」
リィグがランタンを持ち上げて、周囲を見回す。
地図には隠し出口の位置は書かれていない。
そういうものは王家に口伝されているのだろう。
「そうだなー。考えられるとしたらビスホープの……」
そこまで言って口をつぐむ。
静かな水路の中を、かつん、と音が響いた。
水の流れとともにこつこつと反響する靴の音。
サフィールか?
「──リィグ、静かに」
ゼノは唇の上に人差し指を立てる。
互いにぴたりと足をとめ、灯りを消して息をひそめる。
壁を背に、奥の様子をうかがうようにその場に留まった。
かつん。かつん。かつん。
足音がだんだんと近づいてくる。
次第に人の気配と身体の右半分にわずかな光を感じた。
「まったく! なぜ私がライアスごときにおくれを取らなければならないのだ!」
「殿下……、ここはひとつお静かに」
サフィールとビスホープ侯爵の声だ。
ゼノの位置から斜め後方、足音からして数は四人。
暗くて姿はよく見えないが、おそらく内ふたりは親衛隊だろう。
だいぶ苛立ちを抱えた様子でサフィールは不満を叫ぶ。
「クソッ! だいだいペリードもそうだ。侯爵家の者だというのに魔法もロクに仕えないというから文官として取り立ててやったというにこの私を裏切るだと⁉ 恩知らずもいいところだ!」
「それは同感ですな。しかし大丈夫ですよ、殿下。ライアス様の証言など誰も信じますまい。諸侯らとフィーティアにはわたくしから手を回しておきましょう」
「ふんっ、それでうまくいけばいいがな」
刺々しく問うサフィールに「問題ありませんよ」と答える侯爵の笑い声。
そのままこちらにくるかと思い、ゼノは服の中で羽ペンを握る。が、どうやら横道にそれたらしい。
灯りは徐々に遠ざかっていった。
「うげ……ビスホープ侯爵まで一緒かよ……」
「? あのおじさんと知り合いなの?」
「いや、直接話したことはないけど。アウルの──オレを育ててくれた養父を死罪に追いこんだ奴なんだよ」
養父アウルの下についていた新米兵士こと侯爵家のせがれ。
それが〈五大候〉のひとりであるパドリック──ビスホープ侯爵の長男だったのだ。
息子の失態をなすりつけ、アウルを処刑に追いやった張本人。
ゼノにとっては憎い相手だった。
「でも当たりだな。あいつサフィール殿下の後見人だし、自分の領地へ連れていくつもりだ」
地下に潜ってすぐに見つかるとは。探す手間が省けた。
「ちょうどいい。殿下と一緒に捕らえて豚箱送りにしてやるよ」
行くぞ、とリィグに合図を出したその直後。
突如、鋭い悲鳴があがった。




