36 光蝶(スピル)さんはイタズラ好き
「やったね」
まばらな拍手をしながらリィグが近寄ってくる。
勝負は終わった。
口の端から血を流して倒れるペリードを見て、ゼノは槍杖を振って羽ペンへと戻す。
「……あれ?」
見れば、剣舞が止まっていない。
ペリードはもう気を失ったというのに、転がる彼に向かって水の剣が飛来する。
このままでは死なせてしまう。
ゼノは慌てて飛び交う剣に向かって叫んだ。
「もういい! とまれ!」
しかし、止まらない。
それどころかさらに勢いを増して、じわじわと敵をいたぶるように剣が乱舞する。
(な、なんで勝手に動いているんだ⁉)
普通は術者の意で動くはずなのに。
怖い。
やまない魔法にゼノは戦慄した。
気持ちの悪い感覚に襲われていると、リィグが思い出したようにぽんと手を合わせた。
「あ、駄目だよ。ちゃんと制御できないのに、お願いしたら」
「え? お願い」
「うん。別に駄目とは言わないけれど、彼らはいたずら好きだから、下手げにお願いすると必要のない遊びをしてくるよ」
なにそれ。
「ほら、森に火をつけたこと、相当怒ってるみたいだし」
リィグがスッと人差し指を伸ばす。
いまもなお、ずたずたに引き裂かれるペリードのまわりには金色に光り輝く光蝶たちがいる。
いつもの燐光が今日はひときわ濃いようだ。
さらには、ぱたぱたとせわしない動きで飛んでいる。
「なんで光蝶が……」
疑問に眉をひそめると、やっと水の剣が消えたらしい。
周囲はずぶ濡れで、火の勢いも完全に静まった。
光蝶たちは離散とすると森の奥へと帰っていった。
「──ここにいたのか」
「王子!」
聞き慣れた声に振り向けば、茂みの中から王子が出てきた。側にはフィーとミツバもいる。
「ちょっとゼノ! お前なにやってるのよ、遅いじゃない!」
「遅いって……お前の足が速すぎるんだろ」
「ふむ。ずいぶんと濡れておるが、ここでなにかあったのか?」
「ああ、ちょっと戦闘を。それよりも王子のほうは大丈夫でしたか? そっちにも、兵が行ったと思うんですけど」
「問題ない。真っ二つにしてやった」
「そ、そうですか……」
怖い。
「──ところで、なんでサフィール殿下が軍を? あとさっきの広場のはなんだったんですか」
「これだ」
王子が懐から一枚の紙を取り出して見せてきた。
「……購入記録書?」
受け取って中身を確認すると、どうやらそれは王子が私的に買ったらしい物品の記録書だった。
「そこに魔石を買ったという記録がある」
「魔石……ああ、ほんとだ。いつのまに魔石なんか買ったんですか?」
「買っていない」
「え、でも」
「よく見ろ。その名、余の字ではない」
「……あれ、ほんとだ。確かにキレイな字だけど……誰の字だこれ」
流れるような筆跡。
王子も大概字はうまいが、それよりもうまい。
フィーの字か?
いやでも、以前見たとき読解不能のみみず文字だったから違うか。
誰だろうとゼノが逡巡していると、ミツバがふふんと胸を張った。
「それ、あたしが書いたやつよ!」
「おまえかよ」
そういえば、じゃじゃ馬な性格に反してコイツも意外と字がうまかったのだった。
「あ、なるほど、これ。あのときのやつか……」
至急確認が必要だからと回っていた書類だ。
王子がいなかったから勝手にミツバがサインして文官に渡したやつだった。
そのことはすでにミツバから話を聞いたそうで、王子は小さく嘆息した。
「……いろいろとお前には言いたいことがあるが。まあ、いまはよい。それよりもサフィー兄上にしてはやってくれる」
「そうか……。宝剣を見つければ、王子が次期国王になる。サフィールにとっては政敵になるのか……」
王子がうなずく。
「おおかた、兄上が魔石を買い、ピナートの連中に流したのであろうよ。騒動がおこり、以前より叛意を抱く彼らを捕らえることができれば兄上の功績になる。そのうえで、ていよく罪を被せ、余を排除する。あの小物にしては考えたの」
小物って。
「このあとどうします?」
「むろん城へ戻る。──だがその前に」
王子が横たわるペリードに視線を向けた。
「その男は確か、サフィー兄上の補佐官だったか」
「ええ、ペリードです。ベルルーク家の」
「ふむ。息は……あるの」
ぱしんっ!
高速ビンタがさく裂した。
(え……、急になにしてるのこの人……)
ゼノが軽く引いていると、ペリードがのろのろとまぶたを開けた。
「ライアス……、殿下?」
「問いに答えよ」
間髪入れずにひややかな声が落ちた。
「状況はまあ、聞かなくてもわかるが。おおかた余を捕まえるため、軍を率いてきたのだろう? 数は魔導師含む一師団。サフィー兄上は来ていない。いまごろ城で五大侯の招集をかけている。──いや、すでに議会を開いているかもしれんの」
「仰る……通りです」
ペリードが下を向く。
(すごい、なんでわかったんだろ)
流石は王子。
先読みが鋭いというか、もはや超人の域に達している。
でもペリードの頬が痛々しく腫れていて、ちょっとかわいそうだった。
「リーアは無事か?」
「は、はい。姫殿下の安全は確保するようにとサフィール殿下から厳命されております。もちろん離宮からはお出にならないよう、お願い申し上げておりますが」
「そうか。では、もうひとつ聞く。サフィー兄上は何を企んでいる?」
「な、なんのことでしょう」
ペリードは目を泳がせた。
「情報は入っておる。後継人であるビスホープ侯をたびたび呼び寄せては、イナキアにいたくご執心らしいな」
「イナキア……?」
北の隣国の名だ。
商業国家イナキア。
その名の通り商人の国だがなぜ急に?
ゼノが不思議に思っていると、ペリードの顔色がさっと青ざめた。
王子がじっと見つめる。
しかし数秒ほど置いて、それ以上は聞き出せないと踏んだのか、王子は傍らに立つフィーに命じた。
「フィー」
「ん」
王子の呼びかけにフィーが片腕をあげる。
茂みからぞろぞろと森狼たちが現れた。
ペリードが息をのむ。
「お片付け」
可愛らしい声で告げられた言葉とともに、森狼がペリードに向かって飛びかかった。
「──待った!」
ゼノはペリードの前に立った。
狼たちがぴたりと動きを止める。
その場で困ったように足踏みすると、彼らはしっぽを垂らしてフィーを見上げた。
「なぜ、邪魔をする」
「なんでって、そりゃあ──」
いくらなんでも同僚が狼に喰われるなど見たくはない。
けれど、王子の瞳はひどく冷たくて思わず声が詰まる。
年下相手になにを遠慮しているのかとは思うが、ゼノは途切れ途切れに声を絞り出した。
「ふ、普通にとらえて、司法会議にかけたほうが……。こいつの家、いちおう五大侯爵家のひとつですし、のちのちベルルーク家に睨まれるような遺恨は……残さない方がいいかと」
「……まあ、確かにそれは一理あるの」
「でしょう? だから──」
「いいんだ、ゼノ」
ペリードが暗い声色でゼノの言葉をさえぎった。
「どのみち僕は失敗した。戻ったところで到底サフィール殿下には顔向けできないよ」
コイツ……。
人がせっかく助けてやろうと説得してるのに!
余計なことを話すなよと、ゼノはジトっとペリードをにらんだ。
「それから家のことならば気にしなくてもいい。もともとベルルークは中立だから、僕がこうして殿下のお側付きをしていることを、父も兄たちもよく思っていないんだ」
「? なんでだ? 家にとってはいいことだろ。第二王子の側付きなんて」
ペリードが首を横に振る。
「魔導師は常に善悪の狭間に立つようにというのがウチの家訓でね。代々どの派閥にも属することなく、ただ国王陛下へのみにお仕えするのがしきたりなんだよ」
つまり、王に仕えるべき立場なのに、王位争いに参加しているペリードを、家の者たちはよく思っていない。
そういうことなのだろう。
王子が静かに口を開く。
「お前の事情などどうでもよい。余が聞きたいのは兄上の企て。それだけよ」
重々しい、低い声。
答えなければ命は無い。
言外に、そう告げるように凍えた瞳がペリードを射抜く。
(すさまじく怖い……)
がたがたと手を震わせて顔を伏せるペリードの隣で、こちらもごくりとつばを飲みこんだ。
「それで、返答は」
「──────ッ」
ペリードの肩がビクッと跳ね上がる。
やがて彼は土を握りしめると苦しげな顔で語り出した。ぽつりぽつりと。
「殿下は、僕の恩人なんです」




