35 その明るい音は、懐かしいキミの声だった。
──ねぇねぇ、あなたはどっちがいい?
楽しげな声。弾けるような少女の声だ。
黒い視界にぱっと光が入り、うっすらと映ったものも黒いものだった。
つややかな毛並み。隣に眠る子犬が見える。
やがてその子犬は誰かにすくいあげられた。
──よし! じゃあ今日からキミの名前は……
「くるよ!」
「──っ!」
かけられた声に、ハッと前を向けば、雄たけびをあげたペリードが自身の眼前に迫っていた。
横一閃。
左から来る剣戟を槍杖でいなし、ゼノは彼の横に回る。
くるりと柄を回転し、その横腹を殴った。
「くっ」
よろめいた彼の隙をつき、ぱっと距離をとる。
そこに上空から火が注がれた。
ぼうっと紅蓮の壁が、ペリードとゼノを遮るように燃えさかる。
「ちっ、相変わらず厄介な火!」
せめて、いっときでもあの竜を足止めできれば。
「ねぇ、君!」
叫ぶリィグの声に右を見る。
「僕は上空の竜をやるから、君は眼鏡の彼をどうにかして」
「分かってる! だけど、火が邪魔で近づけない」
まるで結界でも張るかように、ペリードを中心に円を描くように炎が一周している。
その真ん中で、剣を地面に突き刺し、悶え苦しむ姿が目にうつる。
「イメージは、風に優しくなぶられる静かな水面だよ!」
「はい⁉」
「水の魔法! 魔法を使う時は、その情景を想像するといいんだってさ」
「情景……? いや、でもオレは──」
水魔法なんか使えない。
そう叫ぼうとして、リィグの声が重なる。
「さっき君と契約してあげたでしょ。多分、前よりは魔力の制御がしやすいと思うよ」
そう言うと、彼は上空に向けて氷矢を放った。
「やってみなよ。そのくらいの時間は稼いであげる!」
凍てつく矢が火竜を散らす。
四散した炎はうねりをあげて再び竜の形へと構築される。
そこにもう一射。
無駄なあがきだと言わんばかりに火竜の口から炎が放たれた。
「………」
苦しむ同僚を一瞥し、ゼノは目を閉じた。
やるしかない。
(水、水、水……)
大きな水。
海は知らないから、川を。
だけど川は静かじゃない。
夜の湖畔を心に浮かべた。
昔、シオンに連れられて行ったあの場所。
波ひとつなく穏やかなあの湖。
ときおり吹く風がゆったりと水面を揺らす──
「水精よ」
「……っ!」
リィグの息をのむ音が聴こえた。
瞬間的にゼノの後ろへ身を引いたらしい。
後方からの気配に目を開け、その理由に自分でも驚いた。
──剣?
水で出来た無数の剣。
それが宙に浮いていた。
「うはぁ、すごい剣の量。やっぱりキミも相当な魔力を持ってるみたいだね」
「な……に? 祈りも、ないのに、魔法を……」
(正気に戻ったのか!)
苦しげな声だが、ひとまずホッと安堵の息をついてゼノは思い出す。
そうだった。
いつもアウルの腕輪を介してだったから、すっかり忘れていた。
魔法を使う時は必ず『祈文』という呪文を口にする必要があるのだ。
「祈り……」
確か、精なるものに捧げる言葉。
「──清麗なる水精よ」
左手をかざし、続ける。
「力を貸し、敵を屠れ。水の剣!」
その瞬間、火竜とペリードめがけて剣が飛び交った。
くるくると回転し、降り注ぐ剣舞の雨。
ペリードは瞬時に頭を腕で覆うが、彼のひざに剣が突き刺さる。
「ぐあっ────」
続いて、刃が彼の腕をかすった。
血のしぶきが円を描く。
ずたずたに破れる衣装からは血がにじみ出し、殺さず活かさず、絶妙な塩梅だ。
いっぽう火竜のほうは空中で四散し、再生するもまもなくその火片を打ち消されていた。
「すごっ」
あまりの勢いに愕然としていると、まわりに光蝶たちが集まってきた。
いつもよりも光を発している。
こんな時だがなんとも神秘的な光景だった。
「まだ、だ……」
ペリードはひざから崩れ落ちて、焼けた大地に手をついた。
次第に色づく森色の髪。
白髪が緑髪に。
伸びていた髪も、元の短髪へと戻っていく。
「まだ勝負は──」
そこまで言ってペリードはぱたりと倒れた。




