33 火竜との戦い
火竜の両翼から焔の渦が放たれた。
とっさに横に身を投げ、やり過ごすも、すさまじい熱気にゼノは舌打ちする。
この場に立っているだけで、肌が焼ける。
さきほど自身がいた場所には、草の一本も残っていない。
焦げついた土が痛々しい。
「いきなりかよ!」
「当然。いま話すより、捕らえてから聞き出した方がいいからね。なに、大丈夫さ。友人に拷問なんてかけないし、自白剤でも用意させよう!」
「なっ!」
大きな紅蓮の火球。
火竜の口から吐き出されたそれは、ゼノめがけて飛んでくる。
反射的にしゃがんで転がり避ければ、その上を火竜が通過した。
ぱらぱらとふりかかる火の粉。
ゼノはローブのフードをざっと被り、叫んだ。
「お前馬鹿か! ここ森だぞ! 火の魔法なんか使って森燃えたらどうすんだよ!」
「心配ない。僕の火竜は賢いから、そんなへまはしないよ」
(いや、思いっきりそこの草燃えてるけど⁉)
ペリードの後方。木に絡みついたツルに火がついている。
その炎が広がり、ぼっと爆ぜた。
ぱちぱちと黒煙をあげ、見事に周囲の草木に転火していく。
「しまった。少し威力が強すぎたようだね」
驚きを含んだペリードの声。
同時に、炎に包まれた樹木がぐらりとかたむいた。
その下にはリィグがいる。
「危ない!」
間一髪。すんでのところでリィグの手を引き、倒木を避ける。
「——おま、ぼさっとすんな!」
「あ、ごめんごめん。すごい燃えてるなぁと思って」
(コイツ……)
カーくんの火みたいだ、などと口に出しながら、火竜を見上げるリィグに呆れを通り越して、ある意味感心する。
(よくこんな緊迫した状況で落ちついていられるよな、コイツ)
相当肝が据わっているに違いない。
「ねぇ早く火、消したら? 森が燃えちゃうよ」
リィグの指摘通り、燃え盛る炎が木の葉を染め上げていく。
このままでは森が全焼してしまう。だが——
「無理っ! オレ、水の魔法は使えないから!」
襲いくる火竜の爪を避けながらゼノが叫び返すと、リィグが不思議そうに首を曲げた。
「なんで使えないの?」
「なんでって……、この腕輪、風しか使えないから——って、うわっ!」
足もとに炎弾が落ちてきた。
やたらとしつこい火竜から逃れ、ペリードをみやる。
倒木の先。
剣を抜き、なにか呪文を唱えているようだ。
落下する炎をひらりとかわしててリィグが聞いてくる。
「腕輪って?」
「風の腕輪! 魔導品! 壊れてるけど、魔力を通せば使えるから使ってる! オレは魔力の制御が苦手だからっ、魔導品を媒介に魔法を発動しているんだ!」
「ふーん? そうなんだ。じゃあ仕方ないね」
リィグがあっさりと頷く。
コイツはさっきから隣をうろちょろと邪魔だ。
「——まあ、いいや。熱いから、さっさとアレ片付けようか」
リィグは立ち止まってさっと腕を振ると、『森を燃やす奴には天罰をあたえないとね』と言って、氷の弓を顕現させた。
ひやりと広がる冷気。
この炎の中でよく溶けないなとゼノが思っていると、二本の美しい氷矢が放たれる。
パンッと炎を散らす破裂音。
火竜の両翼を見事に打ちぬいた。
穴が開いた箇所からパキパキと竜体の上を氷華が走る。
やがてバリンとガラスが割れる音がして落下した。
「そんな! 炎を凍らせる……だって?」
冷たい突風が流れる中で、驚愕に目を見開くペリード。
無理もない。ゼノだって驚いた。
空から零れ落ちた氷塊が、きらきらと氷の粒へと変わり、風の中に溶けていく。
「ま、こんなもんかな。ついでに森の火も消しといたよ」
「え?」
リィグに言われてさっと首をめぐらせる。
先ほどまで木々を包んでいた炎が消えている。
代わりに枝葉が濡れていて、雫が光に反射してきらきらと輝いて美しい。
「水……?」
まるで雨でも降ったかのようなずぶ濡れ具合だ。
周囲のうだるような熱さもなくなり、ひんやりとした空気がこの場に満ちている。
「僕、本当は氷よりも水の魔法が得意なんだ。汚れるから駄目だって言われてるから、あんまり使わないんだけどね」
リィグのまわりを水の球が囲む。
ふよふよと浮かぶそれを見ていると、不思議と心が落ちつく気がした。
「——まさか、魔族か?」
集中しなければ聞こえないくらいの音量で、ペリードが呟いた。
「魔族?」
ゼノが問うと、ハッとした様子でペリードは頭を振った。
「何でもない。それよりもこれほどの魔法。てっきりライアス様の近侍か何かだと思っていたけれど、さぞや名のある家系の出なのかな」
「僕? 僕はリィグ。星霊さ」
「星霊……?」
ペリードが眉をひそめた。
(そりゃ……そんなこと言われてもそうなるよな)
案の定、ペリードは訝しげな視線をリィグに向けた。
「……まぁいい。これで終わりだと思わないことだ。兄さんたちには劣るけど、これでも魔力は高いほうなんだっ!」
ペリードが手をかざすと二頭の火狼が現れた。リィグめがけて飛びかかる。
「無駄だよ」
リィグが手のひらから水の弾を放つ。が、火狼は右に左にと避け、がうっと大きく吠えた。
とたん水が爆ぜ、一瞬にして霧となってかき消えた。
「ありゃ?」
「はは。残念だけど、この子たちは小柄で素早い。そんなものは通用しないよ」
「なら、これならどうだ!」
リィグの前に立ち、ゼノは風の腕輪を起動する。
吹き荒れる竜巻。
勢いよく飛びこんできた火の狼たちは、風圧に阻まれ四散した。
その隙に、リィグの氷矢がペリードの右腕を射抜く。
血のしぶきが上がった。
「——ぐっ」
「あ、ごめんごめん。うっかり当てちゃった」
右腕を押さえて顔を歪めるペリードを見て、リィグが振り向いた。
「あの人、君の友達なんだよね?」
「違うけど」
「そうなの? 彼、さっき君のこと友人だって言ってたけれど。もしそれならそれで、ちゃんと手を抜いてあげないとね。友達は大切にするものだから」
うんうんとひとり頷くリィグに、いやそんなこと言っている状況じゃないから、と思いながらもゼノは燃えさかる倒木の先に槍杖を向けた。
「ペリード諦めろ。魔法の相性が悪い」
「……っ」
悔しげに唇を噛んでペリードが懐から何かを取り出した。
血のように赤い、飴玉くらいの大きさの丸薬だ。
「………………」
一瞬ためらうような素振りを見せるペリード。
しかし、一気に口へと放り投げると彼はぐっと飲み込んだ。
「僕は……負けるわけにはいかないんだ。——殿下のためにも!」
刹那、彼の全身から凄まじい闘気が立ち昇る。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「なんだ⁉」
獣のような慟哭。
耳につんざく声にゼノは耳を覆った。
赤い暴風。
魔力の可視化。
天まで届く竜巻。
轟音を響かせなから吹き荒れている赤い風の中心に、顔の血管がひどく浮き出たペリードが立っている。
その凄まじい魔力の奔流に、目を細めてゼノは舌打ちをした。
「——ッチ、秘薬か」
「秘薬? なにそれ」
リィグが地面に手をついて見上げて聞いてくる。
「一時的に魔力を高めるかわりに使った後すごい疲労感に襲われるってやつ。たまに魔導師が使うドーピング!」
吹き荒れる魔力と熱風が肌を叩く。
杖槍を地面に突き差し、姿勢を低く構えると、天に向かって両腕を伸ばすペリードの姿が視界に入った
。
「さぁ、続きと行こうかゼノ!」
ペリードを中心に渦巻いていた魔力の壁が消えた。
代わりに爆大な炎が空に展開して、大きな竜が現れる。
さきほどとはとても比べ物にはならない、炎がかたちどる実体のなき紅蓮の竜が両翼を広げた。
「くるぞ!」
放たれる火の雨。
ぼとぼとと降りそそぎ、土を焼いて黒く変色させる。
ゼノは地面から槍杖を抜いて足を引き、身体に風をまとわせ高く跳躍。
眼下にいる空飛ぶ竜の頭部めがけて一気に武器を振りおろす——!
「よし!」
しかし、そう口にしたのも束の間で、着地と同時に火竜の尾で叩き飛ばされた。
瞬時に受け身をとって転がり仰げば、空にはいま屠ったはずの竜が羽ばたいている。なぜ。
「な……」
「間抜けだな、君も。斬ったところで炎の形は自由自在。すぐに戻るよ」
ほんの近距離で聞こえた声にはっとして振り向くと、頭上に炎が落ちてきた。
「炎をまとった剣……⁉」
紙一重で燃える剣を受けとめ、ぐっと押し返す。
ペリードが不敵な笑みを見せた。
「——フッ、そんな槍はこの僕が溶かしてあげよう」
彼がそういうやいなや、鋭い痛みが手に走った。
「うぐっ——!」
ぽたり。ぼたり。
金属のしずくが、手の甲に滴り落ちてくる。
(まずい……)
柄の中心から白煙があがっている。わずかに溶けだす槍に、めりこむ刃。
——折られる!
そう思ったとき、リィグの間延びした声が耳に届いた。
「おっと、危ない」
「!」
突如、全身がずぶ濡れる。
どうやら火竜を相手にしていたリィグが水を放ってくれたらしい。
おかげで一瞬息がつまったが助かった。
「悪い! 助かった!」
「どーいたしまして、——ついでにこれもあげるっ!」
計六本の矢。
一射、二射と打った矢は分裂し、ペリードの頭上に落下する。そ
の隙にゼノは彼から距離を取り——
「邪魔だ!」
ばりんと音を立てて、矢が地面に落ちる。
叩き落された矢はそのまま水となって土へと吸い込まれていった。
「ありゃりゃ、駄目だった?」
「いや!」
つぶやくリィグを背に、ゼノは土を握る。
「これで終わりだ!」
ペリードの眼前に、焼けた土を投げつける。
宙を舞う土砂。
顔を覆った彼に、槍の切っ先を向ける。
ぴたりとその首筋に槍をすえ、勝負はついた。
ゼノの勝ちだ。
「ぐ……」
「さぁ、魔力を抑えろ。さもないとこのまま首を貫く」
単なる脅しだが効果は十分。
そのままペリードの返答を待つと、彼は悔しげに口を歪めてゼノを睨んだ。
「目くらましとは、ずいぶんと汚い真似をするじゃないか、ゼノ。アウル殿が見たらなんて言うかな」
「はっ。悪いけど、そのアウルから教えてもらったんだよ。流儀なんてものより、命を繋ぐことだけ考えろって言われてな」
ペリードが押し黙る。唇を噛み、次の手を考えているようだ。
(どうするか……)
魔力の程度は人によって変わる。
ペリードは異郷の血を引く家系だから、秘めた魔力も高いのだろう。
しかし、これほど無茶な使い方をすればすぐに魔力枯れしてしまう。
そうなれば、身体が衰弱して最悪命を落としかねない。
この場でのケリのつけかたに思案していると、リィグのぼやき声が聞こえた。
「うーん、やっぱ駄目だなぁ」
ペリードの動きを封じたことで、空飛ぶ火竜も停止した。
それを狙って、氷矢をあてるも、すぐに炎で溶けてしまうらしい。
「その人、かなりの高い魔力だね。僕の水で消せない炎だなんて、その辺の人間が出来ることじゃないんだけどなぁ」
(確かに……)
ごうごうと燃えさかる木の葉を見て思う。
リィグの魔法の強さは知らないが、火と水なら水のほうが優るはずだ。
それがこうも火の勢いが強い。おかしい。
「まさか、魔狂薬……か?」
聞いたことがある。
魔力を故意に暴走させる薬があると。
秘薬よりも危険な、それは禁忌とされた薬だったはず。
「くくくっ——」
驚きに目を見開いたゼノの耳に、ペリードの笑い声が届く。
彼が顔上げたその刹那。
嵐のような熱気が巻き起こり、ゼノは宙へと放り投げられた。
(あれは……!)
吹き飛ばされる瞬間に目にうつったのは、首筋に赤い切り傷をつけたペリードと、血がついた自身の槍。
そして——彼の緑髪が白く染まる、化物じみた光景だった。




