27 閑話 ウェナンの大冒険その1
眩しいばかりの金の髪を揺らし、ウェナンはノーグ城の塔から王都を眺めていた。
ユーハルド王国第一王子ウェナン。
彼が退屈じみた息を吐く。
そこに、後方で控えていた緑髪の少女が声をかけた。
「殿下。そのようなお顔でどうなさいました」
「……なぁ、ミリア。あの山がさ。オレに語りかけてくるんだ。さあ、冒険に来いってな」
「はあ……」
幼馴染みの言葉に神官ミリアは首をかしげる。
そこにウェナンの側近、ストラスがやってきた。
「冒険か、いいな。俺はどこまでもお前についていくぜ、ウェナン」
隣に立つ友人──黒髪の騎士にウェナンは頷くと、美しい神官に声をかけた。
「ミリア、お前も来てくれるか。共に世界を見よう!」
「殿下……」
差し出される手。
太陽のような笑顔で無邪気に誘うウェナンを見て、仕方がありませんねと微笑み、ミリアは彼の手を取った。
それが三人の冒険の始まりであった。
「最初はどこに行くか……」
ウェナンが地図を広げる。三人は小さな馬車で街道を進んでいた。
「殿下。路銀がつきました」
ミリアが真剣な顔つきで彼に言った。
「え? もう? 王都出たばかりなのに?」
「はい。先ほどお店で食事をしたので、それで財布は空になりました」
「初期装備少なくない?」
「仕方ねぇだろ。国王様が許してくれなかったんだ。こっそり城を抜けてきた以上、贅沢は言えねぇよ」
馭者台からストラスがぼやく。ミリアも憂い顔だ。
ウェナンの父、国王はこの旅に反対だった。
そのため彼らは見張りの兵を掻い潜り、王都を出てきたのだ。
「なら、ニアの森へ行こう」
ウェナンは地図をたたみ、彼らに言った。
「あそこにある古い遺跡には、むかし賊が住み着いていたんだけど、その時の宝がまだ眠っているって言われているんだ」
「ああ、確か大祭司様が討伐なされたとかいう」
「そうそれ。だからそこに行こうぜ」
ミリアの呟きにウェナンは頷き、ストラスに森へ向かうよう伝える。
それから一時間ほどで森に到着し、三人は賊の隠れ家だったという遺跡を見つけた。
中に入ると、目当ての財宝はすぐに見つかった。
古びた庭園のような部屋。
そこには山のような金貨が無造作に置いてあり、ウェナンたちは拍子抜けした。
「なんだか、あっさり見つかったな」
「ですね……」
途中で森狼にすら出逢わなかった。
幸運といえばそうだが、冒険感が無い。
ウェナンが少しばかり肩を落としていると、ストラスが財宝に近づいた。
「いいんじゃねぇの? ひとまず路金は稼げたってことで」
彼は宝の山から王冠らしきものを手に取り、ひらひらと振った。
その時だった。
「──上だ! ストラス! そこから離れろっ!」
ウェナンの叫びにストラスが前に飛んだ。
直後、烈風とともに天井の窓が砕け散った。
舞い降りる。
古より君臨せし空の覇者、金色のドラゴンが悠然とその姿を現した。
「なっ! あれはまさか……ドラゴンか⁉」
「ドラゴン……⁉ おとぎ話に出てくる竜ですか⁉」
「実在していたのか……」
三人は驚愕し、金色の竜──ゴルドドラゴンを見上げた。
そびえたつ宝の山。
その頂きに舞い降りた覇者が咆哮をあげた。
──我が財宝を奪うつもりか
そう口にするように、鋭い竜の瞳がウェナンを射貫く。
びりびりと肌を走る緊張感。
小型の部類であろう竜種とはいえ、それでもウェナンたちはいすくみ、その場に足を縫いつけられる。
「──来ます!」
ミリアが叫ぶ。
竜が羽を動かした。甚大な風が吹き荒れる。
ミリアが魔法で援護し、剣を引き抜いたストラスが竜へ駆けていく。
しかし、ふたりもろとも旋風の前に倒れた。
四方の壁に打ち付けられた仲間を一瞥し、ウェナンは宝剣に手をかけた。
宝剣クラウスピル。
闇夜のような刀身は、選ばれた者が持つと黄金に輝くのだという。
ウェナンも幾度か試したが、剣は一度も応えてはくれなかった。
だが、今こそは──
「頼む。オレに力を貸してくれ……!」
祈るように願うように、ウェナンはゆっくりと宝剣を鞘から引き抜く。
すると、まぶしいばかりの光を放つ刀身が現れた。
「応えてくれるのか……!」
ウェナンは歓喜に震えるも、眼前の竜へ黄金の剣を向けた。
〈我を降り、敵を屠れ。光の旋律を奏でよ〉
心に直接響いてくる声。
それに耳を傾け、ウェナンは剣を振り下ろした。
「──くらえ! 閃光の斬撃!」
『────グァァァ!』
瞬間、閃光が迸り、宝の山ごと竜が呑まれていく。
天高く伸びる光の柱。
塵となって降り注ぎ、古の覇者は虚空へと消えていった。
◆ ◆ ◆
「──こうして、見事に竜を討伐し、財宝を手に入れたウェナンは貧しい者たちに宝を分け与え、次の冒険へと向かった。以上」
ペリードがぱたんと本を閉じた。
「…………あのさ。長いよ」
ゼノは素直に感想を述べた。
空いた皿。並々と盛られていたシチューも消えた。
おそらく彼の休憩時間もとうに過ぎている。
サフィールに怒られるのではないかと、こちらが心配になるほどの朗読劇だった。
ペリードが満足気な顔で聞いてきた。
「どうだった? わくわくしただろう?」
「全然」
「なに⁉ 君には少年の心がないのか?」
「まあ……もう大人だからね……」
ユーハルドでは十五が成人なので、すでに過ぎている。
それはペリードも同じだ。
「はあ……、時間。戻らないと殿下に怒られんぞ?」
ゼノが時計を示せば、ペリードは慌てたようすで椅子から立ち上がり、カーテンの隅に隠れている姫に一礼する。
そのまま扉の前に進んだところで振り向くと、彼は城下町の様子を口にした。
「豊穣祭以来、ピナートの連中がうろついていると聞いた」
「ピナート? ……ああ、確か昔、うちの領地になったっていう小国だっけ?」
「そうだね。ピナート辺境村。四十年前の大陸戦争時にユーハルドの領土となった旧公国さ。いまはグランポーン領内にあって、主な産業は牧畜。ピナート豚といえば国内でも高い値がつくものだ。ちなみに君が先ほど食べていたシチューにも入っていたよ」
「あ、そう」
丁寧に要らない説明をしてくれた。
「最近彼らが貧民地区に集まっている。あの村たちの者は国王陛下に少々攻撃的だからね。殿下が注意を促していた。君も気をつけたまえ」
「わかった」
「では僕は戻る。君と違って、午後も仕事があるからね」
「…………」
相変わらずの嫌味を言ってから、部屋を出て行こうとする彼の背に声を投げる。
「見舞い、どうも」
「ああ、また来るよ」
今度はもっと大きな菓子を期待してくれたまえ、と付け足して彼は廊下に消えた。
ゼノはバスケットに視線を移す。
ペリードは離宮の皆で食べろと言っていたが、流石に王子や姫に渡すわけにはいかない。
自分も食べはしないからどうしようかと逡巡したところで、何かが倒れる音がした。
「……?」
音の方向を見る。そこには赤い顔で倒れる姫がいた。
「リフィリア姫⁉」
◇ ◇ ◇
「すまぬの。リーアを看てくれたと聞いた」
「いえ……それより勝手に薬を飲ませてしまってすみません」
「構わぬ。適切な対応だった、礼を言う」
この人に仕えてから初めて礼を言われた。
ゼノはじーんと感慨深いものを感じた。
実はあのあと、姫が倒れてからゼノは慌てて姫に駆け寄った。
急いで助け起こすと、苦しげに喘ぐ姫の姿。
無礼を承知で彼女の額に手を当てると、驚くほどの熱さだった。
『え、熱⁉ いやでも、熱すぎじゃ……』
あまりの高熱に驚愕しつつ、ゼノは先程まで自分が寝ていたベッドに姫を運ぼうとして──やめた。
ドレスが思いのほか重い。
間違っても姫が、ではなくドレスが。
そのため姫を壁に預けてから、ゼノはサイドテーブルの引き出しを漁り、解熱薬の包みを掴んだ。
肋骨にヒビが入っては熱が出るだろうからと、城の医務官が渡してくれたものだ。
これを無断で姫に飲ませていいものかとゼノは一瞬迷ったが、苦しそうな姫を放っておくわけにはいかない。
そこでゼノはペリードが持ってきたアップルパイのリンゴの甘煮部分をスプーンでくり抜き、軽く潰し、そこに粉薬を混ぜた。
通常ならば水で飲ませるが、半ば意識が薄くなりつつある病人相手に粉薬ではむせてしまう。
なによりこの薬はひどく苦いのだ。
だから多少とろみがついていて、甘いほうが飲みこみやすいはず。
そう思って、ゼノは姫の上体を片腕で抱き寄せ、口元にスプーンを持っていき──
しゃくり。……しゃく、しゃく。ごくん。
姫の愛らしい唇が動き、やがて嚥下する。
それをゆっくり続けて、ときおり咳きこみながらも薬を混ぜたりんごすべてを姫は平らげた。
『よし、これで……』
ゼノは脇に皿とスプーンを置いて、姫の額に手を当てる。
すると姫が、ぎゅっと服の裾を掴んできた。
『……もっと』
『え?』
『りんご……、もっと、食べたい……エリィ』
どうやら姫は侍女がりんごを食べさせたと思っているらしい。
ゼノが少しばかり困惑していると、熱に浮かされた眼が開かれる。
『………』
『………』
『────っ⁉』
姫が、がたっと飛び上がる。
しかしすぐにこてんとゼノの腕の中に倒れてしまう。
『あの、動かないほうがいいと思います。いま、王子呼んでもらいますので』
『……あ、はい。ごめん、なさい……』
顔を赤らめて姫がうつむく。
そして小さく、本当に小さく、『りんご、おいしかったです。ありがとうございます』と言った。
正確にはりんごというより薬だが、まあいいか。
ゼノは王子を呼ぶために部屋を出て、門番に言付を頼んだ。
──などという一幕があり、すぐに王子が戻ってきて、姫を私室へ運んだ。
その際、連れてきたらしい医務官が今は姫を診ている。
ゼノの目の前を、水桶を持ったフィーが通過して姫の私室に入っていった。
「風邪か何かですかね」
「いや、違う。リーアは身体が弱いのだ」
「身体が……?」
そういえば、聞いたことがある。
第二王女リフィリア。
大層美しい少女ではあるが、身体があまり丈夫ではないと。
だから臣下たちの前にも、ほとんど姿を現わすことがなく、たまに見かける彼女はまるで姿なき妖精だ。
ゆえに妖精姫。
そんな話だったような気がする。
「まぁ、いつものことだ。あれはよく熱を出す。寝ていればじきに良くなるだろうよ。お前ももう休んで構わない」
まだ骨がくっつかぬであろうからの、と言って王子は姫の部屋に戻った。
「確かに、肺のあたりが痛い……」
廊下で立ち話をしていたからか、少しばかり身体のだるさを感じる。
姫じゃないが熱が出てきたのかもしれない。
うずく肋骨上に手をあてながら、ゼノはそのまま部屋へと戻った。




