26 手作りアップルパイ
「まさか、ここまで派手な怪我を負うとはね」
眼鏡に中指を押し当て、ゼノを見下ろす彼は、いつもの嫌味な同僚だ。
「うるさい、緑」
「緑っていうな!」
(なんでコイツ、離宮に見舞いに来てんの?)
怪我をしてからというもの、ゼノはこのフローラ離宮にて療養生活を送っていた。
別に家でも大丈夫ですと、王子には伝えたが、ここで過ごせと言われ、こうして離宮の一室に部屋を借りている。
そして目の前にいる彼は、どうやら自分の見舞いに来てくれたらしい。
甘いシナモンが香る、バスケットを渡された。
中身はアップルパイだ。
おそらく嫌がらせに違いない。
「はー、なんでもいいけど。大声出すな。リフィリア姫が怖がってんだろ」
「なに?」
床から上体を起こし、ゼノは横に視線を投げる。
その先にはいつもお馴染みの、カーテンを握りしめた姫の姿がある。
「…………っ」
息をのむ音。
ペリードの怒り声に驚いたのだろう。
姫が恐々とゼノと彼を交互に見ている。
「う……ごほんっ」
ペリードが気まずそうに咳払いをした。
「まぁ、いい。ともかく元気そうでよかったよ。これは見舞いの品だ。離宮の方々と食べてほしい」
「いやいらないけど」
「大丈夫さ。毒ならば入っていないよ。なにせ僕が作ったものだからね、結構いい出来だと思うんだ」
ほら、と言ってペリードがバスケットの布をめくった。
つやつやと照りの美しい網目に、そこから覗くりんごの甘煮。
やはり嫌がらせだろう。
二重の意味で、そう思う。
「……これお前が作ったの?」
「そうだとも」
「へ……へぇ……」
見舞いの品が男の手料理。そのうえ嫌いな果物ときた。
ゼノの口元が引きつった。
「味は保障しよう。うちの兄上たちにも評判はいいんだ。実は僕の趣味は菓子作りでね、もし城にあがっていなかったら、菓子店を開こうと思っていたくらいなんだ」
「あ、そう………………………ありがとう」
ひとまず、もらった迷惑品をベッドわきの机に置いた。
「で、なに? 何か用?」
「用? とくにはないが」
(ないのかよ)
ならさっさと帰ってほしいなと思いながら、ゼノは姫に声をかける。
「リフィリア姫。ここは大丈夫ですので、どうぞ部屋にお戻りください」
「い、いえ……そういうわけには……」
か細い声で姫がつづける。
「今日はエリィもお休みで……兄様もお城にいるので……」
「あー……」
つまりは、こういうことだ。
この離宮には人がいない。
確かに給仕の数人は出入りしているし、警備を任される兵もいる。
しかし、最低限の人数しかおらず、みな持ち場で忙しい。
だからこうして姫が直々に看病してくれているというわけだ。
(つっても、こうも怯えられるとなぁ)
医務官に治療してもらい、もう半月が経つ。
その間、姫の侍女──エレノアやフィー、ときには離宮へ遊び来るミツバが食事などを運んでくれる。
今日は誰もいないからと、姫が昼食を持ってきてくれた。
ちょうどそこにペリードが現れたというわけだ。
おおかた、昼休憩だからと見舞いにきたのだろう。
(まぁ……いいや)
姫のことはさておき、昼食に手を伸ばす。
今日はシチューだ。
ほんとりと淡いローズ色の豚肉。
それがごろりと入ったホワイトシチュー。
温かな香りがふわりと鼻腔をくすぐり、食欲が刺激される。
「いただきます」
ぱくりとひとくち。
口のなかに入れた瞬間、ジャガイモがほろりと崩れた。
ふたくちめ。豚肉を噛んだ瞬間に、じゅわりと広がると汁気。
うまい。文句なしの味だ。
(普段、家じゃ適当だからなぁ)
大抵はパンか、店で食べるか。
基本的には食事に頓着しないゼノでさえ、この微妙に居づらい離宮のなか、唯一の楽しみが三度のこれだった。
「うまい」
しみじみとシチューを堪能する。そこでペリードが口を開いた。
「君。ひとがこうして見舞いに来ているというのに、なぜ食事を始める」
「だって冷めるだろシチュー」
「そうだけれど……僕だって昼はまだだというのに……」
「そうなんだ」
じゃあ早く帰れよと思いながら、ペリードの話に耳を傾ける。
「ところで、先日の辻斬りの件だけれど」
「ああ、どうなった?」
「あれからぱったりと、とまったよ」
「だろうな。犯人は捕まえたし」
「なに? そうなのか? そんな報告はなかったが……」
「……? ちゃんと軍に伝えたけど」
とつぜん襲ってきた白い獣のような大男。
黒い剣は回収させてもらったが、軍部には連絡を入れた。
単にペリードの耳に入っていないだけだろう。
そう思って適当に同僚の話を聞き流していたら、ペリードが寝台脇に置いてある本を手に取った。
「ウェナンの大冒険か。懐かしいな。僕もむかしはよく読んだよ」
「ああ、それ。フィーがなんか置いていったやつ」
「第二十九代目ユーハルド国王、ウェナン陛下。殿下方の曽祖父にあたる御方で、たいそう冒険がお好きだったと聞く。これはウェナン陛下が王子だった頃に旅した記録を元に書かれたという書物だ。子供から大人まで、国を越えて大人気の冒険譚だよ」
「あ、うん……。知ってる」
得意げに説明されたところで、そのくらい自分も知っている。
「僕は特に、最初の冒険でウェナン陛下がドラゴンを倒す話が好きなんだ。物語の代表格、竜との戦いは、やはり心が踊るというものだ」
「ドラゴン……? ふーん。なんか壮大な話なんだな」
「壮大? まさか君、これを読んだことがないのか?」
「ない」
「何っ⁉」
ペリードが、がたっと勢いよく椅子から立ちあがった。
「し、信じられない……。これを、読んだことが……ない、だと⁉」
わなわなと身体を震わせ、かっと目を見開いている。
何もそこまで驚かなくても。
「仕方がないな……。僕が読み聞かせてあげよう。そこに座りたまえ」
「もう座ってるよ」
というよりも、そもそも寝台にいる。
ペリードは椅子に座り、本を開くと朗読を始めた。
「ウェナン大冒険。著オーゼン・フィラ。第一章、旅立ちとゴルドドラゴン──」




