25 姫との気まずい時間
夢をみた。いつも見る夢だ。
そこは森の中だろうか? 花園の中に誰かが立っている。
周りには澄んだ水のせせらぎが、円を描くように流れている。
「」
誰かが口を開いた。よく聴こえない。
深いフードのせいで顔も見えない。
花びらの上に、幾重もの雨が落ちた。
ああ、そうか。
どうやらその人は泣いているらしい。
そう気がついて、いつもならばそこで覚める夢。
だけど今日は少し違った。
その人の側にしゃがみこむ金髪の少年がいる。
やがてその人は、少年を連れて花園を去っていった──
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目を開けると、光が飛び込んできた。
頬に冷たい雫を感じる。
「…………」
ぼやけた頭で、ゼノは思い出す。
そしてはっとして、勢いよく体をおこした。
「そうだ! って痛ぅ────」
「ひゃうっ!」
ひゃう?
悲鳴のような声。ゼノは声が聞こえてきた方向を見た。
すると、ガクガクと震えながら、カーテンにしがみつく、少女の姿があった。
「………王子の妹姫……あ、リフィリア姫?」
ゼノは至って冷静に状況を判断した。
よくわからないが、震えている姫君がいる。
彼女はカーテンにしがみつくも、その手には白いタオルを持っており、すぐそばの机の上には水桶が置かれていた。
つまり、そこから導き出される回答は──
「はっ! す、すみません。リフィリア姫。看病をなさってくれていたんですね?」
こくこくと、首が取れそうな勢いで頷く姫君。
以前、挨拶をしたら、それはもう疾風のごとく逃げられてしまったから、ゼノにはとっては軽いトラウマだった。
「……む。目が覚めたのかゼノ」
ややあって、王子が部屋へと入ってきた。
その後ろにはフィーがいる。
ここはフローラ宮の一室だろうか。窓から美しい庭園が見えた。
カーテン横で震える姫君の姿がなければ、綺麗だなと外を眺めていたかもしれない。
「あの、どうしてオレはここに」
「それはの──」
「ゼノ!」
王子が何か言いかけたところで、赤い髪の女が入ってきた。
ミツバだ。
「あれ? なんでお前がここにいんの?」
「なんでって、おまえが骨折って肺に穴が開いたから、看病してあげていたんでしょ! 感謝なさい」
「うそ……」
ゼノは自身の胸部に手をあてた。
包帯が巻かれている。
血こそ滲んではいないが、確かに強い痛みを感じる。
骨はともかく、まさか肺に穴が開いていたとは思いもよらなかった。
しかし、それでよく生きていたな、と思ったところで、王子が言った。
「姉上、流石にそこまでの重症ではありません。そもそも肺が傷ついていたら、死んでおります」
「だよね……」
王子の言葉に、ゼノは安心した。
「──ち、恩を着せて手足にしようと思ったのに」
「おい、心の声が漏れてんぞ」
ミツバのつぶやきにゼノは呆れ顔で返した。
「まぁ、ともかくだ。事情は姉上から聞いた。いまは安静にしていろ。骨が折れているのは事実だからの。治るまで休みをやろう」
「ありがとうございます」
「──それと、フィーより預かった剣だが」
ゼノが礼を言うと、間髪入れずに王子が続けた。
「真っ赤な偽物だ。いま出どころを調べておるが、なにか情報はあるか?」
「出どころ……いえ、黒い剣を持った男が城下で人斬りをしているって、同僚から聞いたので、それで貧民街に行ったら犯人らしき男と戦う羽目になって……。そのあとは、倒れた男を軍部に引き渡して、剣だけ拾ってきた感じです」
「ちなみに、そいつを倒したのはこのあたしよ」
ミツバが腰に手をあてて胸を張る。彼女をちらりと横目で見て、王子がゼノに訊ねる。
「その同僚の名は?」
「ペリード。ベルルーク家の三男です。サフィール殿下の補佐官の」
「わかった」
頷いて、王子は早々に部屋から出て行った。
入れ替わりに、水桶を持ったメイドが入ってくる。
胸元についたオレンジ色のリボンと、太い一本の三つ編みが印象的な女性だ。
「姫様、こちらを」
「あ、エリィ。こっちにちょうだい」
カーテンからおずおずと離れ、メイドに手を伸ばす姫。
エリィと呼ばれたメイドは、姫に水桶を渡してから、古いほうの桶を持って出て行った。
(ベルルーク家の血縁かな……)
とくべつ鮮やかではないが、灰がかったオリーブ色の髪をしていた。
一瞬、かの同僚を思い出して、なんとなく嫌な気分になった。
「ゼノ、平気」
フィーに菓子を渡された。否、口につっこまれた。
「あ……ありがとう」
到底菓子など食べる気力などないが、心配してくれているのだろう。
礼を言えば、フィーはわずかに嬉しそうに頷き、すぐに王子のもとへ駆けていった。よって、この場にはゼノと姫君、ミツバがいる。
ミツバはともかく、姫の視線が気になるところだ。
「あの、リフィリア姫」
「────っ!」
(あぁ……)
ゼノの声に、びくりと肩を震わせ、警戒するように自分をみている。
本当に猫のようだ。
少し声をかけただけで、これなのだ。
もしかして自分は嫌われているのだろうかと落胆する。
「リフィリア」
「────ひゃいっ!」
(噛んだ)
なるほど。
どうやら自分だけではないらしい。
(そういえば前に人見知りがどうだとか、王子が言ってたな)
きっと彼女は、慣れていない相手には、こんな感じなのだろう。
しかしそれは、姉であるミツバに対して警戒している、ということにもなる。
まぁ、大人しそうな姫だから、獣のような姉を怖がるのもわかる気がする……とふたりを観察すること数分。
カーテンに隠れる姫に、ため息を落としたミツバが、鬱陶しそうに口を開いた。
「あたし、ちょっとロイドのところに顔出してくるから、ゼノのこと頼むわね」
「わ、わかりました。姉様」
「じゃあね、ゼノ。あとでまた来るわ」
「ああ、待って」
「? なによ?」
ミツバが振り返る。
「あの黒刀の男は? 結局なんだったんだ、あの人は。いきなり戦う羽目になるし……怪我まで負わされるし……」
「知らない。むしろこっちが聞きたいくらいよ、そんなこと。次に会ったら絶対に母さまの笛を取り返してやるわ!」
ふんっと鼻を鳴らすと長い髪を揺らしてミツバは部屋から出ていった。
その結果、姫とふたりきりになった。気まずい。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
気まずい。無言の時間が過ぎていく。
(何か話題を……)
と考えて、ゼノは困った。
お姫様が喜ぶような話など、持ち合わせてはいない。
なにを話せば、彼女が怯えないで済むのか、カーテンから手を離れてくれるのか。
悩んで、口を開こうとして、先に姫が動いた。
「あ、あの! 熱……その、気分とかは! 大丈夫、ですか⁉」
かなり張りつめた声。うわずった音調に、はくはくと口を動かしている。おそらく彼女もこの空間に耐え兼ね、話かけてくれたとみえる。
(気を使わせてしまった……)
見れば姫はカーテンから離れ、少しだけ前へ出てきた。
手をそわそわと、落ち着かない様子でまごついている。
これは、なにか答えないと。
「大丈夫です。心配していただき、ありがとうございます」
困惑して、出てきた言葉は、非常につまらない事務的な礼だった。
(違う……! もっとこう何かあるだろオレ!)
ほんとうは、嫌味な同僚のように笑顔のひとつでも浮かべて、対応したかったのに。
(ほらみろ!)
そんな自分に、やはりというべきか、姫はうつむいて「いえ……」とつぶやいたきり、その場に立ちつくしていた。
しゅんと肩を落とす姿には、心が痛む。
ごめん。気の利いたことが言えなくて。
その後も再び、静かな時間が過ぎていった。
気まずかった。




