24 黒刀の剣士
「──で、なんでオレが宿なんだよ!」
ゼノは宿にいた。
ミツバと分かれたあと──いや、正確には数歩歩いてすぐのことだった。
〝じゃあ、あたしがお前の部屋に泊まるから、お前は近くの宿に行きなさい〞
こうして宿を探し、いまに至る。
「あいつ。金だけせっしめて、勝手に人の家に泊まりやがったよ」
ここの宿代くらいはくれたものの、その理不尽さにはため息が出る。
「ほんと王族って、みんなああなのかね」
王子しかり、ミツバしかり。
シオンはそこまででもないが、強引なところは同じだ。
寝台に横たわりながら、ゼノはサイドテーブルに置かれた夜光石を見つめた。
ぼんやりと淡い光を放っている。
「……いーや、なんか食ってこよう」
ゼノは部屋から出て階段を降りた。
すでに宿での食事の提供時間は終わっているが、外に出ればなにか買えるだろう。
こんな時間だが、まだ祭りの屋台は出ているはずだ。
ゼノは広場の方角へと足を向ける。
(やっぱり夜は静かでいいな……)
遠くから祭りの喧騒が聞こえるものの、この安らぐ空気が好きだなと歩いていると、ちりんと音が響いた。
(鈴の音……?)
ちりん、ちりんと、まるでこちらへこいと言わんばかりに鳴る鈴音は、間違いない。
王子が誘拐された際に聞こえた音だ。
急いであとを追う。
まるで音に招かれるように疾々と走る。
立ち並ぶ建物を抜け、右に左にと走った。そして──
男がいた。朧月に照らされ、笛を吹いている。
貧民街のひらけた場所。
崩れた瓦礫の上に座り、薄墨色の髪をした男が、なにかの曲を奏でていた。
年は、五十、六十、そのくらいか。男は異国の服をまとい、すぐそばには刀が置かれている。
(サクラナの民……か?)
その姿はかの巫国のものだ。
国を失った彼らは、流浪の民として、各地を渡り歩いていると聞く。
もっとも、生き残った者など極めて少ないから、ゼノの知る限り、このユーハルドでも見かけることは滅多にない。
それにしても。
──あれは、何という曲だろうか?
心にスッと入ってくるような、温かく、それでいてどこか寂しい。
懐かしくも感じる曲。
つい、曲に聴き入っていると、おもむろに男が顔をあげた。
「ほう、まさかこんな老いぼれの曲に、足をとめる者がいるとは」
「え? あぁ、ごめん。邪魔だったか?」
「いや、構わんよ」
ゼノの言葉に男は頭を振って答えると、少ししゃがれた声で言った。
「それよりお前さんは、この曲を聴いてどう思う?」
「どうって……いい曲だと思うけど」
「いい曲か」
「うん。なんかこう、聞いてると温かいというか、アウル……オレを拾って育ててくれた義父さんと義母さんを思い出す」
「なるほど。郷愁の情というやつか」
「ああ、そんな感じ。だけど、なんとなく少し寂しい感じもした」
「ふむ……そうか」
男はぽつりとつぶやくと、瓦礫からおりた。
「そうさな。この曲は、鎮魂歌。悲しく、そして温かい曲よ」
「そう、なんだ?」
よくわからない、といった顔でゼノが見れば、男は微かに笑い、すぐそばの刀を腰に差した。
「さて、儂はもう行こう。坊主も早く家に帰るといい。最近は人斬りも出る。夜に出歩かぬほうがよいぞ」
「ああ……うん、オレもすぐに帰るよ」
男はゼノのわきを通りすぎ、暗い路地へと歩いていった。
だが、男はすぐに足をとめた。
「ほう、ここまで追ってきたか」
男の声に、殺気じみた気配が、闇の中から伝わってくる。
そこから現れたのは、
「ミツバ?」
建物のかげから、ミツバが顔を出した。
その顔は獲物を狙うような好戦的な表情だ。さらに、怒りのようなものも混じっている。
「見つけたわ! 笛泥棒!」
(笛……?)
ミツバが叫ぶと、男は懐から笛を出した。
「笛? はて、これのことかな」
それはさきほど、男が吹いていた茶色の笛だ。
長い横笛。
それを見た彼女は、男をきつく睨んだ。
「とぼけるな。白い笛よ。あたしの母様が大切にしていた笛! 返しなさい!」
言葉と同時に、ミツバが動いた。
「────!」
ミツバの拳が、男の頬をかすめる。
しかし、男は予測していたとばかりに避け、刀の柄で彼女の腹を打った。
「がは──っ」
「ミツバ!」
ミツバが崩れ落ちる。
ゼノは急いで彼女のそばに駆け寄った。
「おい、大丈夫か!」
「だい……じょうぶ」
腹をおさえ、ミツバは立ち上がる。すぐに地を蹴り、男に殴りかかった。
「バカ! 待て──っ」
「うっさい! お前も見てないで、コイツ殺るの手伝え!」
「オレ関係ないだろ!」
「──ほう、ふたりがかりでくるか。では、慎んでお相手をしよう」
男が刀を抜いた。
黒く、闇夜に溶ける黒刀。
「黒い剣……まさか、クラウスピルか⁉」
それは、ゼノが探している宝剣に近い姿をしていた。
(いや、でも。あれは刀……剣とは形が……)
刀身は背が反り返り、片刃しかない。
本に描かれていたものは、両刃だった。
一般的な長剣のそれだ。
色はともかく、あれは違う。しかし──
「あら、ちょうどじゃないの。あれ、おまえが探している剣かもしれないわよ?」
ミツバが不敵な笑みをみせる。
これで手伝うしかないわね、という心の声が聞こえてきそうな表情だ。
「あたしが、前に出るわ。お前、どうせ弱っちいし、こっちでひきつけるから、隙を見てアイツを殺して」
「殺すのは流石に……」
「なに、甘いこと言ってるのよ。あれは相当の手練れよ、殺す気でかからないと、逆にこっちが死ぬわよ!」
「そうさな。無駄口を叩いているのなら、生きのびることを考えることだ」
男が、ゼノとミツバの間に刀を振り下ろす。
「────っ」
風圧とともに、砂煙があがる。
とっさに後ろに飛び、いまいた地点を見れば、地割れのように大きなひびが見えた。
(こわっ!)
男はめり込んだ刀を引き抜き、地を蹴った。
「つっ──」
刃が頬をかすめる。熱い。
斬られる寸前で避けたとはいえ、一秒遅ければ顔の中心に穴が開いていた。
その恐怖に足がすくむ。
「遅い!」
横から迫りくる刃。
慌てて羽ペンを槍杖へと転じて刃を弾いて軌道をそらす。
足に力をこめ、男の腹へ槍を突き出すも、みごとに避けられ、空いた背に刃が落ちてくる。
まずい。
とっさにゼノは手を地面にかざし、風を出した。
「──っなに⁉」
男が驚き、ゼノから離れる。
いましがた男がいた場所に、風の塊が現れた。
びゅうびゅうと渦を巻く。
それを見て、男がつぶやいた。
「……呪言か。坊主、まさか妖術使いとはな」
警戒した男が、さらに一歩さがる。
そこをミツバが襲い掛かった。
しかし、男は予測済みだったのか、手刀を避け、ミツバに蹴りを入れた。
それを片手で易々と受けとめるミツバ。
掴んだ男の足を持ち上げ、瓦礫へと放り投げる。
そのまま流れるように跳躍し、よろめき立つ男に拳を叩きこむ。
「……っ!」
すんでのところで男が転がりよけた。
男の後方。瓦礫が音を立てて、吹っ飛ぶ。
「これはこれは……なかなかに怪力な娘よ。まるで猛獣のそれだ」
ミツバと十分に距離を取り、男はしゃがれた声で笑った。
「ふん。武を極めている、と言ってほしいわね」
ミツバはぺろりと血のついた拳をなめると、「はやく終わしましょう」と言った。
男が頷き、天を見る。
「……そうさな、美しい月も隠れてしまった。そろそろ、儂も退散しよう」
男はぱちんと鞘に刀を納めた。
「……?」
「なによ、降参でもするわけ?」
ゼノとミツバが当惑した表情で男をみる。
男が目を閉じ、深く息を吸った。
刹那。
「──えっ」
気がつけば、地面に倒れていた。
ゼノは何が起きたのか理解できなかった。
それほどまでに、男は速かった。
神速と言ってもいい。
勝負はついた。
それだけが解ったあと、強烈な痛みが襲ってきた。
「うがっ──」
「痛むか。だが、殺さぬよう加減はしてやった。なに、鞘で少し小突いた程度よ。運が悪くなければ、骨が折れることもなかろうよ」
言って、男は踵を返した。
ミツバが倒れながらに、男に手を伸ばす。
「待っ──」
がぐんと落ちる手。気を失ったらしい。
「……っつ」
ゼノはよろめきながら、上体を起こす。
口の中を切ったのか。
鉄の味が広がり、気持ちが悪い。
おまけに呼吸がうまくできない。
「ごほっ……ごほ……ひゅぅ……」
横で倒れるミツバに、ぼやけた視界を合わせる。
目立った外傷はなさそうだ。
コイツはもともと頑丈だから、このくらいは平気だろう。
とはいえ、早く治療したほうがいい。
(病院……)
いや、こんな時間に開いているところはない。
ではどこに。
ならば家。家ならば、薬が揃っているから、診てやれることができる。
だけど──
「参ったな。担いでいくことなんて、とても──」
そこで意識がぶつりと途絶えた。
◇ ◇ ◇
「あらあら、だらしないのだわ」
ぐったりと倒れるゼノの頬を指でつつく女がいた。
ロビンだ。
夕刻、赤い髪の少年と分かれた彼女は、少年からの依頼を済ませるべく、黒刀の男にゼノたちをぶつけてみた。
しかし、うまく行くどころか、この有様だ。
彼女は立ち上がると、ため息をもらした。
「流石は剣神ウヅキ。元フィーティアの幹部だけあって、やっぱり強すぎよねぇ。あんなのどう始末しろっていうのかしら?」
──逃亡中の男をふたり、捕らえることに手を貸してほしい。
そう、少年──オウガは言った。
ロビンとしては仕事が増えるから嫌だったが、上から「協力してやれ」と命じられたら仕方がない。
ひとりは先ほど捕まえた。
あの大男。
オウガ曰く、保護している異郷返りがどうのと言っていたが、ロビンは興味がないので聞き流した。
そしていましがた。
彼女は渋々、ゼノたちの戦いを傍観していた。
「せっかく、あのお姫様とこの子が使えるってアイツがいうから、ここまで誘導してやったってのに。あっさりなんだもの……」
あー、めんどくさい! と叫んでから、彼女は手紙を書いた。
「──よしっと。これでちょっと待てば、お迎えがくるでしょ。ねぇこれ、フローラ宮の庭にでも投げておいて」
「庭園にですか?」
部下の男が訊ねる。
「どこでもいいのだわ。玄関でも台所でも。ああ、でも人目につくところ希望。こっちのほう時間が経ったらマズいから」
かかとの高い靴で、ゼノの腕を小突き、ロビンは「さっさと行って」と男に指示を出した。
男は一礼すると、闇に溶けていった。
「はぁ……さてさて。お迎えがくるまで、お星様でも見ていようかしら」
彼女は崩れた瓦礫の上に座った。
ちょうどそこに翳っていた月が差しはじめる。
闇色のローブ。
そこから覗く、一本の太いみつあみ。
被ったフードをおろした拍子に、ちりんと鈴の音がした。
彼女の灰緑髪には鈴の飾りがついている。
「今夜も綺麗なのだわ。あの人も、この星を見ているのかしら」
鼻唄混じりにロビンは星空を見上げた。




