133 不死蝶の魔導師
(………………)
急にすっと頭が冷える。
さっきまで感じていたひどい痛みが引いていき、避けるのに精いっぱいだった彼の矢の軌道が読める。
ゼノは静かに右手を上に向けた。
「『──狙い穿て。風弓」
大気が濃縮され、風が渦巻き、らせんの矢を造形する。
カヴァスが火力をあげて弓を放つ。
しかしそれよりも先にこちらの魔法が展開され、木の上の彼を狙い落とした。
「ぐぁっ!」
地面に転がるカヴァスが肘をついて顔をあげる。
逃げようと立ち上がるも、それを許すはずがない。
ゼノは地を蹴ると、彼を強く蹴り飛ばした。
ぽーんと、ボールのように高く跳ね上がる。
カヴァスが木に衝突して目を剥いた。
無様に垂れたよだれを拭い、左の腹に手を添えて、ゼノをねめつける。
「はっ、ほんと、意地のわりぃ……ごほ……、攻撃……だ、ぜ……」
「お前が悪いんだろう。ろくに防御をしないから」
彼が押さえる横腹は、さきほどゼノが槍杖を叩きこんだ場所だ。
二度の打撃を受ければ、再度動けるまでに時間がかかる。
木に身体を預けてへたりこむ彼を見下ろし、ゼノはたずねた。
「なぜ、宝剣を狙う」
「決まってんだろ、必要だからだ」
「理由は?」
「……教えるわけねぇだ──ぐっ!」
「言え」
足を踏んでやった。
無防備に投げ出しているから悪い。
カヴァスが苦痛に歪んだ顔で口を動かした。
「あれは……、元はあるじ様のものだ。おれが預かって何が悪い」
「主とは誰だ?」
「……っ、それ、は──」
そこで彼は急に血を吐いた。
激しく咳き込み、ヒューヒューと浅い呼吸を繰り返す。
木の幹に頭部をもたれて眼球だけ動かし、なにかを呟こうとして、それきり彼は黙ってしまった。
「……気絶したか」
その場にしゃがみ、彼の顔をのぞきこめば息はある。
死んではいないから、そのうち目を覚ますだろう。
適当に縛って捕えるか、このまま放置しておくか。
どちらがいいかと逡巡していると、背後で突風が吹いた。
「リィグ」
「マスター、そっちは片付いたよう、だね……」
傷だらけの腕を押さえて、リィグが立ち上がる。
「その傷は……」
「ちょっと、失敗しちゃって……、ね」
カヴァスを捨て置き、リィグに近寄ると彼は力なく笑った。
「マスター、逃げて。できるだけ、遠く……に」
「おい!」
膝を崩すリィグを支えると、後方で葉揺れの音がした。
ぞくりと悪寒が走る。
首をそちらに向ければ、顔を伏せたメルディスが立っていた。
彼女が面をあげる。
「──⁉」
爛々とした翠玉の瞳。
瞳孔が開き、口端を吊りあげ笑っている。
異質な雰囲気をまとった彼女が地を蹴った。
「────っぐ!」
神速の連撃。
かんかんと、かぎ爪と槍杖がぶつかりあう。
愉しげに笑いながら腕を振るうメルディスの爪を弾けば、彼女はうしろに飛んで、木の側面を足で踏む。
そのまま勢いづけて突進してくる。
まるで獣だ。
軌道の読めない交差する斬撃。
反射的に避けて、反撃を狙うも、獣じみたメルディスに隙はない。
──このままでは、あの爪に切り裂かれる!
そう思った瞬間、真横から氷の矢が飛んできた。
メルディスが茂みの中に避難する。
「キミの相手はボクだよ!」
まぶたの上を流れる血を拭ってリィグが矢を放つ。
じぐざぐに走るメルディス。
彼女は右腕を薙いで、すべての矢を叩き落とすと、高く跳躍した。
「リィグ! 避けろっ」
ずどんと風が舞って、煙の中から転が出るリィグの姿が見えた。
弓を構えて迎撃するも、そこにメルディスが突っ込んだ。
そのまましつこくリィグをつけ狙う。
ゼノは彼女の背後に回って槍杖を振り下ろす。
だが、かぎ爪の隙間で絡め取られてしまった。
メルディスは反転。身をよじると、重い裏拳をお見舞いしてくれた。
「──っぐ。あれは……人か?」
血痰を吐き、手の甲で頬を擦る。
舌でも噛んだのか、血の味が口の中に広がった。
「わかんない。でも、気を抜いたら死ぬと思う」
リィグが矢を放つ。
腕を振るう動作ひとつですべてが無効化される。
「あの俊敏さは人の動きの限界を超えているな……」
(だが……)
ゼノは泉に目を向けた。
「リィグ。高い場所に上っていろ。合図したら、そこから矢を放て」
「いいけど。なにをするつもり?」
「霧を出す」
それだけ言って、ゼノは泉に向かって走った。
(まさかこんな時にティアの魔法が役に立つとは……!)
ゼノは泉に手を沈め、魔力を注いだ。
あたりに濃霧が立ち込める。
「いまだ! 狙え!」
合図とともに空から氷の矢が降り注ぐ。
メルディスが腕を交差して、霧の中で見えない攻撃から身を守る。
ゼノは目を閉じ、音を聞き、彼女のもとに忍び寄る。
「──そこだ!」
ぱっとメルディスが振り返る。
しかし霧に視界が奪われ、動きが鈍い。
そのわずかな時間で勝負が決まる。
押し出した槍杖が彼女のみずおちを強打する。
「っ⁉」
メルディスが一瞬だけ息を詰める。
その隙に手のひらを向け、
「悪いな」
詠唱が無くても発動可能な小さな水球。
彼女の頭部を覆うようにぶつけ、その呼吸を奪う。
ぼこりと空気の塊が口から吐きだされ、メルディスは倒れた。
「やったね」
リィグが木の上から降りてくる。
腕輪の風で霧を蹴散らし、ゼノが振り向くと、リィグの背後で動く影があった。
「……っ⁉ リィグ、うしろだ!」
「!」
炎の矢が飛び、同時にリィグが前に倒れる。
「立てるか?」
手を差し出せば、リィグは「平気」と答えた。
とっさに転んで矢を避けたようだ。
だが、狙いは端からこちらだった。
ご丁寧にゼノの頬を掠めて矢が一本、通りすぎていった。
ゆらりとカヴァスが立ち上がる。
もう一度弓を引き、こちらに矢を放つ。
ゼノはリィグの腕を掴み、うしろに飛んでから舌打ちした。
今のはメルディスから引き離すために撃ったのだろう。
彼女の脇に立つと、カヴァスはぶっきらぼうな声を投げた。
「いつまで寝ているメルディス。立て」
「分かって、る……」
メルディスが立ち上がる。
さっきまでの異質な雰囲気は消えている。
最初に会ったときのようなおどおどした態度だ。
戦闘で性格が変わるタイプなのかもしれない。
メルディスが心配そうにカヴァスの顔をのぞきこむ。
「大丈夫? 血が……」
「問題ねぇよ、それよりあいつだ」
彼は血を拭うと、静かに息を吐いた。
「教えてやるよ」
ゆっくりと動き出す足。
「かつて──幾百の戦場において、冷酷無比に敵を殺す魔導師がいた」
ぱきりと小枝を踏みしめ、近づいてくる。
「待って! だめ──」
焦り顔を浮かべてメルディスがカヴァスの肩をつかむ。
しかし、彼はメルディスの手を振りほどき、歩みを進める。
「強大な魔力を持ち、どんな死線に出しても無傷で生還する白き悪魔──ゴフッ!」
吹き出される血霧が朽ちた枯れ葉を染めてあげていく。
それは、幾度となく見てきた色だった。
「──────っ」
どくんと、視界が揺れる。
少年の姿が二重にぶれる。
景色も赤い。
ザザザと耳の中でノイズが弾けてたちまち戦場のような絵に切り替わる。
折れた剣。
割れる盾。
首を刈られた敵どもがそこかしこに転がっている、そんな光景に。
「来る、な……」
もうひとりの自分が、作り上げた人格が、思い出すことを拒絶する。
だが、彼の声は止まない。
「いつ……しか、『不死蝶の魔導師』と呼ばれたそいつは……げほっ、ひとりの王に、仕えた。……いや、王が……そいつに選ばれたんだ」
そこでふたたび景色が切り変わる。
草原に立つ後ろ姿。
緋色の髪が風に流れて、夕陽が照らす。綺麗な少女だった。
「……炎の、色をした……女、だった」
すぐそばで聞こえた声にハッと意識を戻すと、眼前にカヴァスが立っていた。
苦しそうに咳き込み、血を吐き、彼はこちらに手を伸ばす。
「やめろ!」
「お前はあるじ様の……、ユーハルド、初代王リーゼに仕える大祭司」
そして胸ぐらを掴み、恨めしい目でカヴァスは叫んだ。
「不死蝶のオーゼンだっ‼」
「──────────────────────────────────────────────────────────────────」
ぱりんと、なにかが割れる音がした。
目の前で大量の血を吐いて、少年が膝を崩す。
緑髪の娘が駆けてくる。
すべてが秒刻みに遅れて動く中で、「ああ、そうだった」と思い出す。
彼は、ある少女の側にいた星霊だ。
真名はカルヴァルス。
少女が名づけた名前だ。
リィグ──キャスパリーグとは兄弟のようなもので生意気な奴だった。
記憶として見えたのはそれだけ。
ユーハルドの初代大祭司、オーゼン・アンブローズ。
オレは──いや、私はかつてそう名乗っていた。
「……そうか。ずっと忘れていた」
拳を振りかぶる少年の腹めがけて、私は宝剣の柄を押し出した──




