13 形勢逆転?
街道を走り去る馬車の上、ゼノはつけヒゲとカツラを取った。
まだ少年といっても差しつかえない、やわらかな顔立ちをした青年だ。
やや長めの白い髪と、その下には限りなく赤に近い太陽石の双眸。
薄汚れていたマントを脱ぎ捨てると、ユーハルドの文官服が現れた。
「白髪の馭者。なるほど気づかなかった。どうりで妙な服装だったわけだ。あのようにみすぼらしい恰好など役人が雇うはずがない」
それに役所の車ならば専属の者がいるからな、と後ろを振り向くこともなく、エドルが言った。
「ちょっと変わってもらったんだよ。案外適当な変装でもいけるもんだな」
ゼノはエドルに向けた短剣を強く握りしめた。
足場が揺れる馬車の上。ここでの戦いは正直分が悪い。
「なっ! じじいがガキ⁉ どういうことだ!」
男が喚きだした。
剣も抜くも、だいぶ混乱した様子だ。
「うるさいな。見ればわかるだろ? それからオレはガキじゃない。今年の秋で十八になる大人ですぅー!」
「十八ぃ? おいおい嘘だろ、どうみても成人したてくれぇのガ──」
空いた左手で、ナイフを投げる。
みごと男の腕に命中した。握られていた長剣が、からんと音を立てて荷台の上に転がる。
「いてぇぇぇぇぇ!」
「──ふ、オレは大人だからな。その程度の挑発には乗らない……!」
こいつ、ひとの背を見て鼻で笑いやがった。
ひくひくと口元が引きつるのを感じつつ、ゼノはエドルに視線を戻す。
「それで? 理由を聞こうか。なぜ裏切ったエドル」
「裏切り……か」
エドルがふっと吐息をもらす。
「単純なこと。ライアス様では未来がないからだ」
そして、不敬な呼び名を彼は告げた。
「出来損ないの青豚王子」
「……」
「我らがレオニクス王は、いまだ王太子を定めていない。よって、未来の王座は空席のまま。つまり現状すべての王子や姫が次の国王になりうるわけだ。しかし、お前も知っているだろう? あのかたの宮廷内での評価を」
知っている。
出来損ない。それは他の兄弟とくらべて、王子が劣っているということ。
青豚。それは彼の体型と髪色にかけた侮蔑のあだ名だ。
「智も勇も、他の兄弟に比べ劣っている。そんな方がこのさき王座につけるとは思えない」
「だから裏切ったと?」
「そうだ。ライアス様に己が主君としての器を見いだせない。だから乗った。第四王子を指定の村まで連れ出せば、王の騎士に推薦する、という第二王子派の話にな」
エドルは暗い表情でそう言った。
そのどうしようもない理由に、ゼノは思わずため息が出た。
「お前さ。相変わらずの騎士馬鹿だよな。そうまでして騎士団に入りたいのか? そのひと売ってまでさ」
「──」
エドルは答えない。
がらがらと回る車輪の音と駆ける馬の足音だけがこの場に響く。
突如そこに、ガタっという音が追加された。
ゼノの後方。おそらくは木箱が開いた音。
そこから出てきたのは王子だろう。
エドルの隣で腕を押さえてしゃがみこむ男がゼノの後方を見て、チッと舌打ちした。
「王子、下がっていてください。できれば剣の当たらない位置まで」
無言のまま、あとずさる靴の音が聞こえる。
王子はうしろに下がったようだ。
「この先にサフィール殿下が率いる部隊がいる。悪いが誘拐は諦めてもらう」
「サフィール殿下……南街道、そうかそれで……」
すべてを理解したらしい。
エドルは悔しげにつぶやいた。
「そ。フィーの狼襲撃はこの馬車の進路を変えるため。オレは馭者として潜入。なかなかいい作戦だろ?」
まぁ流石に狼は想定外だったけれど。
増援を呼んできてと頼んだら、まさか森狼の部隊を連れてくるとは、あの少女、恐るべし。
(でも、ひとまず作戦はうまくいった)
あとはこのまま馬車を走らせるだけ。
そうすれば第二王子の部隊にぶつかるだろう。
しかし、この状況がつづくとは思えなかった。
なぜならこの騎士馬鹿が、そう簡単に捕まってくれるはずがないからだ。
ゼノはエドルの動きに注視しながら彼に投降を求めた。
「そういうわけだから、大人しく捕まってくれる?」
「……断る」
その瞬間、ぱっと視界からエドルが消えた。
下だ。
瞬時に下に目をやれば、エドルがしゃがみこみ、自分の足を払いのけようとしている。
ゼノは後ろへ飛び、エドルの攻撃を避けた。──が、着地するところで一撃。
いつのまにか剣を抜いていたらしいエドルがゼノの短剣を弾き飛ばした。
「──しまっ……!」
「ふ、相変わらず剣が苦手なようだな、ゼノ!」
崩れた防御。
そこにエドルの剣が迫る。
斬られるその寸前、
「なんてな☆」
「なにっ⁉」
ゼノの手から槍が飛び出し、エドルの剣を素早く受けとめる。
軌道を右にそらして、すぐに槍を反転。
持ち手でエドルの腹を突く。
「がは──」
腹部をおさえ、エドルはひざから崩れた。
思わぬ攻撃に避けきれなかったのだろう。
彼は苦しそうに喘いで、ゼノを見上げた。
「……槍、いや槍杖。魔導品か」
「あたり。これだよ」
そう言って、エドルの前で槍杖を元の形に戻した。
その姿はごく普通の羽ペンで、紙と一緒に置いてあってもおかしくはない。
ただし、素材は金属で、軽いが硬く、丈夫に出来ていた。
「オレは剣も弓も駄目だけど、槍だけは得意だから」
ゼノは左から右に羽ペンをひるがえし、再度武器へと変えた。
「さて。勝負はついた。街道まで大人しくしてもらおうか」
エドルに近づき槍杖を突きつける、そのときだった。
がたん! と大きな音が鳴り、馬車が揺れ、この場にいる全員が足場を崩した。
「なんだ⁉」
突然馬車が蛇行する。
すごい振動だ。
ゼノは必死に手すりにしがみつき、前方を見た。
そこには二頭の馬がいる。
この荷馬車の馬だ。
どうやら馬たちが暴走したらしい。
速度を上げ、二頭が互いにぶつかりあいながら駆けている。
いったい、何が起きたのか?
「ちょ、馬! もっと大人しく走って‼」
がくがくと脳が揺さぶられる。
手すりから振り落とされそうになりながらも、なんとか耐え抜き、そこで、木箱にしがみつくエドルがぽつりと呟いた。
「なんの冗談だ?」
「なにが⁉」
エドルが困惑顔で前方を見ている。
視線を追って、もう一度馬たちを見れば、彼らの背には木の棒がくくりつけてある。
そして棒の先端には細い糸。
さらにその糸からはニンジンが、ちょうど馬たちの鼻先にぶつかるよう、つるされていた。
(……ぐ! まさかあの本、ガセだったのか!)
当然だが、これを仕掛けたのは自分である。
さきほど馭者台を離れる際に仕込んだ。
馬の鼻先に餌をぶら下げるとなんとやら。
ライアス王子に出会う前、書庫で暇つぶしにと読んでいた本。
あれに書いてあったから試してみたらこのざまだ。
──これは、まずいかも!
青ざめるゼノを見て、何かを悟ったらしいエドルが荷台の上を走っていった。
その際、まるで馬鹿を見るような目でこちらを一瞥していったが、気のせいだと思いたい。
エドルが馭者台に飛び乗り、馬の手綱を握る。
しかし、時はすでに遅く──
「うぎゃあああああああ!」
全員の悲鳴があがり、激しい音を立てて馬車が横転した。
◇
「……いつっ」
わずかに草が生えた地面の上で、ゼノは頭を抱えて身を起こした。
すぐ隣では、エドルも体を起こし、呆れた顔を向けてきた。
「馬鹿なのか、お前は」
「や、馬の鼻先に人参がなんたらって、このまえ読んだ本に書いてあったから……」
「それは作り話だ。それで走る馬はいない」
「……」
あ、やっぱり?
ゼノは気まずくなり、横を向いた。エドルの嘆息が耳に届いた。
「……まぁ、いい。とりあえずは生きている。それだけでも運がよかっ──」
「動くな!」
低音の、野太い声が響いた。
立ち上がろうとしたエドルと、ゼノはぴたりと動きをとめる。
声の主、王子の首に短剣をつきつける男を見つけてゼノは叫ぶ。
「王子!」
まずい。失敗した。安全を確保してからにすべきだった!
ゼノは内心焦る。
もちろん相手に焦りを悟られないよう、密かに拳を握りしめながら。
「おい。傷を負わせずにつれていくのが条件ではなかったのか?」
エドルが顔をしかめながら男に声をかけた。
「うるせぇな! 少しくらい平気っつーか、すでにボロボロなんだよ! そのガキさっさと始末しやがれ!」
男の言葉にエドルはそばに落ちていた長剣を拾い、ゼノの首に押し当てた。
「投降しろ。そうすれば命までは取らない」
どうやら殺す気はないようだ。
しかし、男が怒鳴る。
「馬鹿野郎! さっさと殺しちまえ。んなガキ、生かしといても邪魔なだけだろーが!」
「──だ、そうだ。死ぬ気はあるか、ゼノ」
「ない」
「だろうな。流石に俺も同志を斬るのはごめんだ。できることなら殺したくはない」
「同志? なんのことだ?」
「あの日、共に魔獣と戦っただろう」
「懐かしいな。そういや、そんなこともあったっけ」
「ああ。俺とお前、そして……シオン殿下もご一緒だった」
エドルがまっすぐと、ゼノを見る。
互いに無言で顔を突き合わせていると、男が再度怒声を飛ばした。だが、
「こいつと話がしたい。少し黙っていろ」




