129 盲点とはまさにこのことである(1/2)
それからヒューゴはユーハルド王家に対する書状をしたためてくると言って席を立った。
しばしの休憩。
堅苦しい会議も終わり、コーヒーカップに多量の角砂糖を溶かすアルスを一瞥して、ゼノは小皿を持ちあげる。
渋栗のモンブランケーキ。
茶色の細糸が折り重なり、つややかなマロングラッセがちょこんと上に乗っている。
見事な芸術品だ。
見るからにうまそうなこのケーキを作ったのはグレンだそうだが、アルスの秘書を辞めて菓子職人に転職したらいいと思う。
「うまっ!」
「だろ? それ、けっこうな自信作なんだぜ」
グレンがカップにコーヒーを注いでにこりと笑う。
黒竜豆。
ハルーニアの南部で採れる豆を炒ったものを粉砕し、湯を注いで、布で漉してやると、芳醇な香りを放つ黒い液体が抽出できる。
それを『コーヒー』と呼んでいるのだが、一説には『らぁめん』同様、異界からもたされた言葉なのだとか。
カップの中でくゆる白い湯気を見て、かすかな眠気を感じながらゼノはふと思い出す。
(そういえば、少し前まではコーヒー苦手だったのにな)
以前、アルスの事務所で同じものを出されたが、あの時は苦くてとても飲めたものじゃなかった。
それがすんなり飲めている。
ベリル砦で出された時もそうだった。
よく大人になるとコーヒーの味が分かるようになる、とは言うが、これで自分も一歩、大人の男に近づいたというものである。
……なんてことをちょっと誇らしげに考えながら、ゼノはアルスたちと歓談を交わした。
「これから経つのか?」
「ええ、このあと発つ予定です」
「そうか。では、しばらく会うこともないな。次に会える日を楽しみにしている」
「こちらこそ。おふたりも道中お気をつけて」
「おう、クレハのことよろしく頼むな」
グレンがアルスにコーヒーポットを渡して席につく。
もぐもぐとモンブランを食べながら、おかしそうに彼は話す。
「あいつ寝坊助だからなー。起きない時は耳元で叫んでやるといいぞ。最近、効果的だったのは、『シュバルツァーが空飛んでんぞ!』とかだったな」
「それで起きるクレハはどうなんですかね?」
冷静に返すと、グレンは『あいつバカだから』と笑った。
「薬の件ですが、材料の手配のご協力よろしくお願いいたします」
「ああ、すまないな。結局、君たちの手を煩わせることになってしまった。だが、助かった。これでヒューゴ殿も、もうあのような無茶な真似はしないだろう」
アルスは砂糖の瓶に手を伸ばす。
憂いを帯びた表情だ。
彼は彼でヒューゴのことを心配していたのだろう。
しかし、ゼノとしてはアルスのほうが心配だ。
(ええ……二杯目にまであの量はちょっと……)
お代わりのコーヒーにえげつない量の砂糖を投下するアルスを見てゼノは戦慄する。
そんなに甘いものを摂って平気なのだろうか。
薬商が病気になったなど、外聞が悪すぎるし単純に気懸かりだ。
もう少し糖質を控えたほうがいいと思う。
「ところで坊主たちって、なんとかっていう宝剣を探してるんだよな?」
「へ? あ、ああ……! クラウスピルの宝剣のことですね!」
アルスの奇行に目を奪われていたら、急にグレンが話を振ってきたので、軽く声が裏返ってしまった。グレンが笑っている。
──宝剣クラウスピル。
イナキアに来た目的はリフィリア姫に送られたプレゼントの爆発事件に関わっているだろう侯爵を捕えるためだった。
ヒューゴの工房を潰したのはそのついでであり、かねてから国内に出回っていた偽の宝剣の調査は、あくまで第一王子ルベリウスの管轄だ。
それが偶然にも、今回の一件でライアス王子の手柄となったわけである。
しかし、本来のゼノたちの目的は『本物の宝剣を探すこと』だ。
妖精剣を手に入れ、次の国王の座をいただく。
そのために春からゼノたちは動いているわけだがその実ぜんぜん進展していない。
むしろ偽の宝剣に振り回され、本物の行方を追えていないことに今更ながら気づいてゼノは頭を抱えた。
「そういえば、全然本物探せてなかった……」
「まあ、いろいろと忙しかったからの。おもにあのバカどものせいで」
バカどもとはサフィールとビスホープ侯爵のことを指しているのだろう。
互いに表情を曇らせられたところで、グレンが机の上に小さな紙を滑らせた。
「ほい、そんな御二方にアルスからプレゼント」
「プレゼント?」
「開けてみな」
言われるままゼノは紙を受け取り、広げてみた。
「! これは……」
「イナキア内での黒い剣の目撃情報だ」
アルスがそう言うと、王子がゼノの手から紙を奪った。
瞬く間の出来事だった。
「ほう、これは……数年前の記録か?」
「そうだ。最近出回っていた偽の妖精剣だが、実は数年前にも見かけたことがあるという話を耳にした。それは当時の内容をまとめた情報だ」
「大変だったんだぜ? スカルに調べてもらったんだけど、ひとりひとりに訊ねて回るのがしんどかったとかで、高額な依頼料をふっかけられるし。おかげで俺の今月の給料は全部吹っ飛んじまったよ」
グレンが肩をすくめる。
そのあとアルスが「経費だろうが」と付け足した。
「スカルさん? あの理髪師の?」
「おう。あいつんとこ、理髪店を装ってはいるが実は情報屋なんだよ。くそ高い依頼料を請求される代わりに仕事の腕は一級品。──ネージュメルンでラナたちに会ったろ?」
「あ……それであの手紙」
モニカの愛おしいあの人に渡してね、と言われてアルスたちと再会した時にグレンに渡した手紙(アルスが砦に行ってしまったため)がある。
商都で起きた連続髪切り事件。
通称、海霧事件でラナとモニカは被害にあった。
幸い、ラナはティアとの遭遇時ウィッグを被っていたし、モニカはゼノたちが助けたから儀式の場から無事に帰ることが出来た。
だがあれは、おそらく事前に調査したうえで対抗策を練っていたのだろう。
つまりはあの事件。
最初から誰が犯人なのかこの人は気づいていたのだ。
「……」
ゼノはグレンを見る。
いつも通りのへらへら顔だ。
あのときゼノに向かって『髪型』を伝えてきた彼はティアが犯人だと分かったうえで行動していた。
でもアルスは知らなかった。
犯人の正体を知った時のアルスの凍り付いた顔はいまでも鮮明に覚えている。
だからきっと、事件の解決をアルスから依頼された時点で犯人に行きつくよう、始めからグレンの思惑通りにゼノたちは動かされていたのでは?
「──……」
「坊主、どうした?」
「いえ……続けてください」
ゼノはかぶりを振ってあいまいな笑みを返した。
(単なる憶測だ)
確証がないのに疑うのはよくない。
いまは宝剣の情報を聞くことに専念しよう。
アルスが話を再開した。
「ネージュメルンのベル湖は知っているな? あそこは以前、闇の湖と呼ばれるほどに水が黒く濁っていた。鳥も獣も寄りつかず、魚も生息できないほどに瘴気の濃い場所だったそうだ」
「ええ、聞いてます」
ベル湖に訪れたときに王子がそんなことを話していた。
「それが四年前のある日、ネージュメルンの黒き湖に一人の男が訊ねてきた。その男はただの観光客だと答えたうえで、こう名乗ったそうだ」
そこで一度言葉を区切り、アルスはゆっくりと言い直した。
「──アウル・ペンブレード、っとな」




