12 潜入大作戦!
2024/10/14 ゼノ視点→敵(エドル)視点へ。
ユーハルドの西街道。
土埃を上げながら街道を走り去る馬車がある。
そのまわりには数人の男たちが馬で並走し、いかにも賊人といった格好で、酒片手に騒いでいる。
次第に遠ざかる王都を見つめ、青年──エドルは息を吐いた。
「おら! さっさと急げ!」
「す、すんません」
うしろからしゃがれた謝罪の声が聞こえる。
振り返るまでもない。
さきほどからずっとこうなのだ。
同乗する男が何度も何度も馭者の肩を蹴り飛ばしている。
なにをそこまで苛立っているのか。
「まったく醜い……」
エドルはぽつりと零して同乗者たちを見比べた。
男に蹴られ、背中を丸める馭者。
薄汚れたマントを羽織り、伸び放題の長い髭とぼさっとした白髪頭。
なんとも醜い老人だ。
仮にも王都の馭者ならば、もう少し身なりを整えろと思う。
一方、片目が潰れた男。
ツギハギだらけの衣服もそうだが、その風貌はまさに悪人そのものだった。
「やめておけ。苛ついたところで馬の速度は変わらない」
「──チッ」
エドルが止めると男は強烈な蹴りを繰り出し、渋々といった様子で馭者から足をどけた。
いまいるここは『通貨商』と呼ばれる国内外の銭貨を取り扱う役所の定期便だ。
幾つもの木箱が荷台に乗せられ、馬車が揺れるたびに、じゃらじゃらと甲高い音が鳴り響いている。
エドルは騎士風の制服──その上に羽織った短いマントを指で撫でた。
銀糸で編まれた光蝶の刺繍。
銀の蝶は、ライアス王子を象徴する紋章だ。
先日配属されたばかりの同僚が、まだ紋章をもらえていないとぼやいていた。
なんでも彼はまだ『仮』の補佐官という立場らしい。
あいつも大変だな、とエドルは同僚の顔を思い浮かべて頭を振り、男に声をかけた。
「このまま街道を抜ければ指定の村に着くだろう」
「だな。……へへっ、今回の仕事が成功すりゃあ、俺たちゃ金持ちになれる。盗人家業からも足が抜けられるってもんよ。ほんと協力してくれたあんたには感謝するぜ!」
男がポンと肩を叩いてくる。
不快だ。エドルは眉を寄せて返した。
「単に利害が一致しただけのことだ。俺は俺の出世のために動いている。気にするな」
「そうかい。まぁ兄ちゃんもこの分なら騎士団、だったか? それに入れるだろうさ」
フケの多そうな頭をボリボリと掻いて、男は「安心しな」と続けた。
「なんたって依頼主はお貴族様だ。提示された額がよ、もう高いのなんのって……ひひ。きっと国王の騎士くらい、伯爵様がたやすく推薦してくれるだろうさ」
男が、うひひと、気持ち悪い笑みを浮かべた。
赤竜騎士団。
国王を守る親衛隊であり、恰好よく騎士団などと呼ばれているが、その規模は数十人程度と小さな兵団だ。
それでも、一般の兵たちからは『騎士の中の騎士』と崇められる存在で、エドルはそこに入りたかった。
だから今回バーグ伯爵の──第二王子派の誘いに乗ったのだ。
『第四王子を王都の外まで連れ出してくれたら、王の騎士に推薦してくださるそうよ』
黒いフードを被った、いかにも怪しい女だった。
先ほどライアス王子をさらったのもその女であり、あの動きは間違いなく玄人のものだった。
それもかなりの手練れだろう。
本人は、伯爵に雇われている使用人だと話していたが、おそらくはもっと高位の──
(……いや、俺には関係ないことだ)
どんな思惑が裏で動いていようとも、今更どうでもよかった。
エドルが眉間をつねって思考を中断すると、とつぜん誰かが叫びを上げた。
「お、お頭ぁ!」
「んだよ、騒がしいな」
馬で並走する男の部下が、ひどく慌てた様子で報告する。
「前方! 狼の群れです!」
「あん? 狼? 森狼か」
筒状のスコープを目にあて、台から身を乗り出し、男は馭者の頭の上に右手を置いた。
手綱を握る馭者の拳が強まり、うめき声が聞こえた。
痛いのだろう。
なんとなく聞き覚えのあるその小さな声にエドルは馭者を一瞥してから進路の先に目を凝らした。
「ひぃふぅみぃ……あー、結構な数いんな」
「どうします、お頭。迂回します?」
「ちっ。面倒だな。軍はなにしてやがる。ここは西の本街道だろ? なんで駆除してねぇんだよ!」
苛つく男と戸惑う部下の声。
彼らの会話を聞いて、エドルはざわざわと嫌な波紋が胸中に広がるのを感じた。
「貸せ!」
男からスコープを奪い取り、街道の先を見る。
隣で男が「なんだよ急に」と驚いているが、それどころではない。
スコープ越しに見える森狼。
およそ二十匹はいるだろうか。
狼は集団で行動する生き物だから数自体はそう多くはないが、問題はその先頭に立つ人物だった。
「虹の銀髪……フィネージュ殿か」
「あん? フィネー?」
間抜け面の男をよそに、エドルは全身から血の気が引くのを感じた。
──恐怖。
しかし、いまは立ち向かうしか選択肢はない。
素早く荷台の弓を取ると、弦を弾いて張り具合を確認し、馭者に声を投げた。
「すぐに進路を変え、最速で駆けろ! それからお前達も弓を持て!」
「弓? 森狼ごとき別に馬で蹴り飛ばしちまえば……」
「無理だ。奴らの中に鎖鎌を持った少女がいる」
あれだ、と言ってエドルは指をさす。
森狼の大群。
平原の先で、群れる狼たちの先頭には銀髪の少女が立っている。
狼たちに囲まれ、少女は『何か』を待っているようだった。
流れる雪光の髪。
陽光に照らされ、キラキラときらめく美しい髪を持つ少女が鎖鎌を持った右腕を、ゆっくりとこちらに傾ける。
集団を統べる一匹の遠吠えが、大気を揺らした。
森狼の群れは一斉に駆け出し、矢のようなスピードで、ぐんぐんと近づいてくる。
向かうはこの馬車だ。
「──な! なんだありゃ⁉ 狼どもを従えている……のか?」
驚愕する男の声と、息を呑む馭者の気配。
無理もない。
あれを見れば誰だって目を剥くだろう。
エドルは冷静に言葉を返した。
「あれはライアス様の護衛長だ」
「は⁉ あんな小せぇ嬢ちゃんが?」
「──おい、はやくしろ!」
「へ、へい!」
エドルの怒声に、馭者が慌てて進路を変える。
車体が大きく旋回し、左へ曲がる。行き先は南街道だ。
「後ろか」
エドルは荷台に立ち、弓を構えた。
さきほどまで前方にいた森狼の群れは進路を変えたことで、今度は馬車の後方を走っている。
じりじりと詰められる距離。
甘茶の前髪が風に流れ、ビュン──と風を切る音がひとつ鳴ると、先頭を走る狼が吹っ飛んだ。
男がぴゅうと口笛を鳴らす。
「やるな、兄ちゃん! この距離で当てるとか、かなりの腕前だぜ」
「……大したことではない」
エドルはそのまま二射ほど弓をひき、敵を狙った。
倒れた狼たちの屍を越えて少女が彼らの先頭に躍り出る。
男が素っ頓狂な声で呟いた。
「おいおい、あの嬢ちゃんマジかよ……。どんな足してんだ?」
同感だ。
狼たちを先導するあの少女。
狼に乗るわけでもなく、自らの脚で、獣と同じ速さで走っている。
人間離れをした速度だ。
表情ひとつ変えずに疾走する少女に、男は開いた口をそのままに叫んだ。
「まぁガキひとりだ、大したことはねぇよ。──おい、てめぇら! 弓で足止めしろ!」
「「へい!」」
男の部下たちがその場に留まり、群れに向かって矢を放つ。
「油断して喰われんなよー!」
「へーい!」
笑いながらのやり取り。
のんきな彼らの態度にエドルは眉をひそめた。
森狼は賢い狼だ。
身体はそこまで大きくはなく、気性も穏やかではある。
だから人に危害をくわえるといっても、大群で小さな家畜を襲ったり、食料を積んだ積み荷を奪ったりする程度だ。
人を襲っても、その肉を好むという話はあまり聞かない。
──そう、『あまり』聞かないだけ。
だから油断していたのだろう。
「ぎゃっ⁉」
足止めをしていたひとりが狼に右腕を噛みちぎられる。
続いて、もうひとり。喉元に噛みつかれる。
最後。今度は少女の鎌の餌食となった。
計三人いた男の部下は全員、追ってきた彼女らに一瞬で潰された。
「……はっ、相変わらず怖い娘だ」
エドルは思う。
あのように愛らしい姿に反して慈悲のない攻撃。
本当におそろしい、と。
「ひっ! あの森狼、人を喰うのか……?」
隣に立つ男が顔を青くしている。
情けない、とエドルは思った。
男に対しても、その部下に対しても。
あの場に『留まる』から悪い。
なぜ馬上から敵に当てることも出来ないのか。
簡単なことだろう。
そんなことを考えながらもエドルは弓を引き続ける。その間も狼にあたる。
「──いや……違うか、簡単じゃない」
エドルはぼそりと呟く。
そうだ、簡単ではない。
自分がそれを出来るのは、日々の鍛錬の成果だ。
他人に求めるものじゃない。
遠く離れた敵を打ち落とせるように。
敵を一撃で倒せるように。
弓も、剣も、槍も。
立派な騎士になるべくエドルはおのれを鍛え続けた。
だから、おかしい──
「……矢が当たらない」
「あん? 矢なら当たってんだろ? ほら」
倒れた狼を男が指差した。
「違う。そうじゃない」
エドルは森狼ではなく、その先頭を走る同僚に当てたはずだった。
それなのに矢は少女の脇をすり抜け、彼女のまわりを走る狼たちにあたっていく。
どうやら少女の周囲には、見えない障壁があるらしい。
それはおそらく風によるもので。強い風が、少女を中心に立つ巻いている。
近くまで追いつかれてやっと視認できた。
距離として百メートル、五〇メートル。
まるで、嵐が近づくような土埃。
肉眼でも見える少女の細腕には、銀色に輝く腕輪が光っており、それはある男が好んで使っていた魔法だった。
「風の、魔法……」
養父にもらったと、彼は言っていた。
その養父の名はアウル。
自分が憧れてやまない、騎士の中の騎士で──
「──ああ、やってくれたな、ゼノ」
エドルは今まで生じていた違和感に気付き、馭者台へと首を回そうして、しかし時はすでに遅く。
彼の後頭部にぴたりと短剣があてられた。
「おっと、動くなよ? 残念だが、これで終幕だ」
さきほどまで馭者台に座っていた老人──ゼノがニヤリと笑った。




