122 そのころリーアさんは…
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
久々のリーアの登場です(活動報告もぜひ)。
ユーハルド王都の西にそびえ立つ美しいノーグ城の離宮にて、リフィリアは彼女自慢の庭園を眺めながら茶会を楽しんでいた。
「とても綺麗だね。今年も見事な薔薇が咲いている」
そう言って、優雅な所作でティーカップを持ち上げる赤い軍服姿の男。
彼はリフィリアの兄──第一王子ルベリウスだ。
公務の休憩がてらリフィリアに会いに来たルベリウスは、『おいしいチーズケーキを作ってもらったから一緒に食べよう』と言ってお茶に誘ってきた。
それが今しがたのこと。
ルベリウスに言われるまま侍女のエレノアに命じて庭に丸テーブルを出してもらったリフィリアは、目の前の皿をまじまじと見つめる。
──二重層のチーズケーキ!
ひとくちに『チーズケーキ』と言っても、いくつか種類がある。
なめらか、ずっしり、ふわふわ。
これはずっしりタイプの生地の上に白いクリームチーズを敷きつめた、リフィリア考案のチーズケーキだ。
上面には摘みたての薔薇の花びらが散らされ、まさに見目麗しい彼女にぴったりなひと品である。
リフィリアは、チーズケーキをフォークで切り取り口に入れると、目を輝かせた。
──美味っ……!
なんといっても、このねっとり感!
やはりチーズケーキたるもの、濃厚かつクリーミーな味わいが肝となる。
舌に貼りつく生地はほどよく甘く、酸味があり、それでいて奥深いうまみを感じる。
出来れば兄──ライ兄様と一緒に食べたかった、と遠い地を旅する兄に思いを馳せながら、リフィリアはぱくぱくとチーズケーキを頬張った。
「おいしいのかな?」
「……っ、……、……!」
ルベリウスの問いにこくこくと頷く。
「……っん、おいしい、です。ルーベ兄さまがいつも用意してくださるチーズケーキはどれもおいしいので、何個でも食べられます……!」
リフィリアがふにゃりと笑えば、ルベリウスは満足そうに頷きケーキを口に運んだ。
そこにさくさくと、芝生を踏みしめ来客がやってきた。
「こちらにおいででしたか、ルベリウス殿下」
「うん? ──ああ、ロイドか。どうしたんだい? なにか仕事の話かな?」
「ええ。来月行われる舞踏会の件で少し」
「どれどれ」
渡された書簡を受け取り、ルベリウスは灰髪の王佐と仕事の話を始めた。
その間、リフィリアは目の前のチーズケーキに没頭する。
すると、とつぜん王佐ロイディールが声をかけてきた。
珍しい、とリフィリアは思う。
普段は人見知りのリフィリアの性格に配慮してか、ロイドから話しかけられることは滅多にない。
それがこうして話を振られた。
震える心を宥めてリフィリアは、精一杯笑顔を作ってみせた。
「姫は、ライアス様がいつお戻りになられるか聞いておりますかな?」
「……えっと、雪が降る頃には戻ってくると、今朝フィネージュから手紙が届きました」
「フィネージュから? それはまた……、よく解読できましたな。ライアス様付きの護衛官の文字は少々特殊……いえ、難解な筆跡ですから」
ロイドが顔をしかめる。
きっとフィーが書いた報告書でも想像したのだろう。
彼は表情を切り替えると「手紙にはなんと?」と訊ねてきた。
リフィリアが身振り手振りを交えてたどたどしく話すとロイドは頷きながら聞いてくれた。
「──なるほど。しかし、リフィリア様もお寂しいでしょう? いままでライアス様が国を出て遠出をなさることなどございませんでしたから」
「そうですね。でも、エリィもいますし、ルーベ兄さまも会いに来てくださるので……。心ばかりですが、ライ兄さまたちの旅の無事を毎日お祈りして過ごしております」
「はは。相変わらず、兄君想いですな」
朗らかな笑みを浮かべるロイド。
真面目で仕事熱心。
賢くて、なんでも知っている人。
けれど、その知識をひけらかすことはなく、必要な時に必要な答えだけを示し、決して前に出ることなく補佐に徹する姿勢。
愛国心が強く、いつもこの国のことを一番に考えてくれている、父の一の腹心。
落ちついた性格のロイドはこう見えて意外と社交的で、彼を悪く言う人はあまり聞かない。
ルベリウスもよくロイドのことを褒めている。
だけど──と、リフィリアは思う。
(気をつけろって、ライ兄様も言ってた……)
兄は、ロイドのことを警戒している。
それはリフィリアとて同じだ。
明確な理由はない。
けれど、なんとなくリフィリアはロイドに対して苦手意識を持っていた。
だって、この人が向けてくる瞳はまるで──
「リフィリア様?」
「ひゃいっ!」
不意に声を掛けられ、リフィリアは飛び上がる。
ちょっと舌を噛んだ。
声の主、ロイドに視線を合わせれば、彼は不思議そうな顔でリフィリアの頭部を見つめていた。
「髪飾りはどうなさいました?」
「髪……? あ、それでしたら先ほどエレノアがミルクポットに落としてしまいまして、いま乾かしているところです」
ロイドが無言で振り返る。
エレノアがさっと目を逸らした。
リフィリアの位置からは見えなかったが、ロイドの後方で待機しているエレノアの顔色を見る限り、ロイドは怒っているのかもしれない。
「でしたら、このあとすぐにお付けになった方がよろしいかと。あれは姫の魔力を安定させるもの。身につけていなければ、またいつぞやのように魔力暴走を起こしかねません」
「………っ」
──魔力暴走。
その言葉を聞いて、リフィリアの表情が曇る。
そのまま下を向くと、ルベリウスの優美な声が聴こえた。
「──ロイド」
先ほどまでぱらぱらとめくっていた書類を自身の補佐官ジュリアに渡し、彼はやや語気を強めて苦笑する。
「リーアが、困っているだろう? 言葉はもう少し選ばないとね」
「……これは。申し訳ありませんリフィリア様。出過ぎたことを申しました」
「い、いえ! その……」
頭を垂れるロイドに慌てて両手を振れば、彼は顔を伏せたまま言葉を続けた。
「ですが、あの品はとても大事なもの。どうか片時も離されぬようお願い致したく存じます」
「は、はい……! エリィ! 髪飾りっ、髪飾りを持ってきて」
「すぐに」
エレノアが音もなく庭から立ち去る。
ロイドに頭を上げるよう告げるとリフィリアはほっと息を吐いた。
その様子をちらりと一瞥したルベリウスが「そういえば」と話題を変える。
「リーアの髪飾り。確か、あれも魔導品だったっけ? あまり見ない形のものだけど、もしかしてロイドが発掘したものだったりするのかな?」
にこりと優雅に笑い、ルベリウスはロイドに目配せする。
場の空気を和ませようという意図。
ロイドも合わせるように穏やかな笑みを作った。
「いえいえ、まさか。あれは特注品ですよ」
「そうなの? じゃあ、錬金術士かな?」
「いいえ、魔導師が——私の知り合いがリフィリア様のためにと特別に作った品でして」
「ふぅん、魔導師か……。どこの誰? うちの軍に所属している人かな? 魔導品が作れるほどの優秀な人材なら、ぜひ王立研究所にスカウトしたいな」
「はは、それはまた、殿下が興味を示されるとは珍しい。ですが、それは少々難しいでしょうな」
「どうして? 君の知り合いなんだろう?」
「それが。会おうにも、どこに居るのか分からないのですよ。神出鬼没な方ですから」
ふっと目許を和らげるロイドを見て、ルベリウスが不思議そうに瞬きをした。
(神出鬼没……)
もう、おぼろげな記憶だ。
この離宮の庭園で、まだ幼かった彼女は泣いていた。
七つになった年だった。
大好きな母が亡くなった。
それからどのくらい時間が経ったのかはあまり覚えていない。
ひたすら泣いて、毎日泣いて、綺麗な秋の花々も、リフィリアの瞳には映らなかった。
そんなある日のことだった。
男の人がやってきて、髪飾りを渡してくれたのは。
──大丈夫、これを持っていれば、もう怖いことは起きないよ。
そう言って、その人は優しく頭を撫でてくれた。
涙の揺らぎと、太陽の影で、その人の顔も姿も朧気だけど、あの優しい声と、大きな手だけは覚えている。
(…………手)
リフィリアはふと、初夏の頃を思い出した。
手と言えば、ピナート辺境村の者たちが起こした騒動を鎮めるため、城下へ向かう兄ライアスと兄の補佐官の背中を見送った時。彼が──兄の補佐官が自分の頭に触れてきた。
最初はびくっとして目をつむったが、『ありがとう』と告げる心地のよい音におずおずと瞼を開けると優しい笑顔がそこにあった。
あの白髪の補佐官。
はじめて兄が連れてきた時、リフィリアは距離を取って接した。
ちょうど熱も出ていたから、ぼんやりとした記憶しかないが、兄が選んだにしてはすごく普通の人……と思った。
あの兄が、側に置く人。
最初はどんな人だろうと思って、さりげなく観察してみた。
思いのほかフィネージュが懐いていて驚いた。
姉のミツバもよく見舞いに来ていた。
兄のうしろに隠れる自分を見て、困ったように笑いかけてくれる彼。
何度か話すようになって、兄が彼を側に置く理由が少し見えた気がした。
──誠実なのだ。とても。
大抵の城の人たちは、みんな笑顔を張り付け、心の内では真逆のことを考えている。
だから信用ならないと、兄はよく言っていて、リフィリアはそれを聞くたびにいつも悲しい気持ちになるのだ。
兄は、人を信じていない。
自分やフィネージュ以外は全員敵だと思っているし、いまリフィリアの目の前に座るルベリウスに対しても辛辣な評価を下している。
肉親すらも信用できない兄。
そんな兄を、あの白髪の補佐官は変えてくれるだろうか?
良い方向に兄を導いてくれたらと、リフィリアは心の中で祈った。
「──姫様。こちらを」
エレノアが珍しく息を切らして駆けてくる。全力で取りに行ってくれたらしい。
ありがとう、と礼を言えば、少々粗い手つきで髪飾りを挿してくれた。
「うん、いいね。今日も可愛いよ、リーア。──ロイドも、そう思うだろ?」
「ええ、とても見目麗しく。流石はユーハルドの妖精姫にございます」
「ありがとうございます。ルーベ兄さま、ロイディール」
にこっと笑って返せば、ルベリウスは「でも」と言って、リフィリアの髪をひと房すくって口付けた。
「たまには、この兄の贈り物もつけてくれると嬉しいな。私だけの妖精姫?」
「「…………」」
「ええ? なにか言ってよ二人とも。──それからジュリアも、そんな目で見ないでよ」
「申し訳ありません、殿下。あまりシスコンと呼ばれるような行動と言動は、人前では避けていただきたく」
「いや、人前じゃなくても、ナイでしょ」
淡々と答える副官ジュリアにエレノアが呆れた声で返した。
「おや、雪だ」
ふいにルベリウスが上を向く。
つられてリフィリアも顔を上げれば、頬に冷たい綿が落ちてきた。
今年初めての雪だ。
季節はまだ秋だというのになんともせっかちな天候だ。
これではせっかく咲いた綺麗な赤薔薇が枯れてしまうかも……とリフィリアは少しだけ心配になる。
けれど、例年より早い風花を見てリフィリアは思う。
兄様も、向こうでこの雪を見ているのだろうか。
ミツバ姉様は風邪を引いていないだろうか。
フィネージュとリィくんは仲良くしているだろうか。
そしてゼノくんは元気にしているだろうか──と。
「リフィリア様? お顔が赤いようですが、熱が?」
「──へっ! いえ……その……」
「急に冷えてきたからね。風邪でも引いたら大変だ。もう中に入ろうか」
ルベリウスに手を引かれて離宮の中へと入る。
赤い薔薇を白く染め上げる淡い雪。
ひやりと冷たい空気にリフィリアは左の頬に手を添えた。
──熱い。
こんなに冷え込むのに、どうしてこの頬はこんなにも熱を帯びているのだろう。
不安定な魔力によるいつもの高熱か、はたまた別の理由か。
リフィリアは脳裏に浮かぶ幻影を振り払うように、ぶんぶんと可愛らしく頭を振った。




