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ゼノの追想譚 かつて不死蝶の魔導師は最強だった  作者: 遠野イナバ
第三章/中『魔竜編』

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121 月下のクレハは綺麗だった(2/2)

「お母様?」


「うん。ほら、いま闘病中だって……」


「あー……、うーん、そうだね。強くて、綺麗で憧れの武人って感じかな」


 言いづらそうに少し言葉を濁すと、クレハは胸元のペンダントに触れてパカリと開ける。


 中に入っているのは『写真』だった。


 その昔、空間を切り取り、紙に映し出す技術があったらしい。

 それを『写真』と言うのだが、クレハのそれはおそらく古代の魔動機さつえいきで撮ったものだろう。


 幼いクレハとオウガ、ヒューゴ。それから長いプラチナブロンドの、美しい女性が写っていた。

 クレハの母親だろう。


「私のお母様はむかし聖国パトシナの聖騎士様だったんだ。お父様に嫁いでこっちに来てからは自警団に剣の稽古をつけるくらい剣術に長けててね。今でこそ病気で剣は握れないけど、本当はすごく強いんだよ」


 ──聖騎士。

 聖国せいごくパトシナを治める聖王せいおうの直属部隊だ。

 いわゆるエリート集団で、選りすぐりの騎士で固められたパトシナ最強を誇る兵団だと聞いている。


 ユーハルドでいうところの国王直属の赤竜せきりゅう騎士団のようなものだが、こちらはあくまで親衛隊だから団員の数も規模も小さい。


 それに比べて聖騎士団は正規の国の軍隊だ。

 戒律を重んじ、聖王宮(せいおうきゅう)(王城)を守護する騎士たち個人の技量は高く、年に一度、パトシナ聖都せいとで開催される聖ユノヴィア祭で行われる闘技大会では、毎年彼らの奮戟を見に訪れる観光客も多いと聞く。


 大会の優勝者はなんでもひとつ欲しいものを聖王に願い出ることができる。

 だから祭りの当日は自他国問わず、大勢の参加者で闘技場が埋め尽くされるのだとか。


「聖騎士かぁ。じゃあ、かなりの腕前なんだな」


「うん! お母様の剣技はね、それはもう流れる閃光のように美しいんだよ!」


 ゼノが素直な感想を漏らすと、クレハの顔が輝く。

 いかに母の剣技がすごいのか。

 洗練されているのか。

 それでいて、戦いの場に立つ母の姿がどれほど美しいのか。

 誇らしげな表情でクレハは語る。


「だからいつか、お母様みたいな立派な剣士になりたくて、毎日修行してるんだ。今日もさっきまで素振り千回、頑張ってたんだよ」


「千回……、それはまた頑張ることで……」


 豆が潰れた手のひら。

 ところどころうっすら血がにじんでいて痛そうだ。

 しかも膝の上で眠りにつく子犬の背中をクレハが撫でるたびに、白い毛並みに赤い色が付着して、ちょっと子犬が可哀想。


 ゼノがクレハの両手に注視すると、クレハは恥ずかしそうに笑みを返してうしろに手を隠した。


「あはは……。こんな手、見苦しいよね。女の子らしくないし、お父様にもよく怒られるんだ」


「いや、そんなことはないけど、……痛そうだなって思って」


 ゼノはローブのポケットをまさぐり軟膏を取り出す。

 手のひらで隠れるほどの小さい丸箱を開けて人差し指ですくう。

 血止めの薬草入りの、紅花色べにばないろのクリーム。

 それをクレハの手のひらに塗り付けると、一瞬だけ彼女の眉間にしわが寄った。

 染みるのだろう。

 これだけ豆が潰れていれば、少しの刺激でも過敏に感じるのは当然だ。


「しょうがないんだよ」


 わずかに影が差す横顔で、クレハは弱音をこぼす。


「私は剣の才能が無いからね。こうでもしないとお母様に認めてもらえないんだよ」


 次第に暗くなっていく声。

 彼女は子犬を脇に置くと、膝を抱えて遠くを見つめた。


「小さいころね。魔獣に遭遇したことがあるんだ」


「え! 魔獣に⁉」


「うん。私、八歳の時から剣の修行を兼ねて自警団でお世話になってたんだけど、九歳になってすぐのころかな? いつものように自警団のみんなについて森に入ったら、すごく大きな狼に遭遇してね。一緒に行ったみんなも死んじゃって、あのときはさすがに死を覚悟した」


 淡々と、冷静な口調で彼女の話は続く。

 魔獣から逃げ惑い、足がもつれて地べたに転がり、もうダメだと思った。


「でもね、助けてくれた人がいたの」


 死が迫る寸前。

 魔獣が真っ二つに割れた。

 美しい満月の夜だった。

 白月の光に照らされて振り返った青年は、静かな紅の瞳を向けて幼いクレハに手を差し伸べた。


 そうして、彼に導かれるままに森を出て、幼い彼女は町まで戻った。


「──そして、そのあと家に帰ったらお母様にめちゃくちゃ怒られてさ」



『魔獣のいっぴきも倒せないとは嘆かわしい。あなたには失望しました』



「悲しかった。玄関の戸をくぐったら、いきなり頬をぶたれて、それからお母様は口を聞いてくれなくなったんだ」


 だから、とクレハの唇が震える。


「私は強くなって、いつか必ずお母様ともう一度話をするんだ。そのために、剣の修行を頑張っているんだよ」


 寂しげに笑う彼女はいつもの明るい彼女らしくないといえばらしくない。

 けれどそれは、クレハの中で消えることのないつらい思い出なのだろう。


 表面上では平然を装い、力無く笑みを浮かべるクレハではあるが、その笑顔は儚げで、突いたら崩れそうなほどに脆かった。


「……」


 想像よりも過酷な幼少期を送ってきたクレハに、なんて返したらいいものかとゼノは口を閉ざす。


 まず、幼いころから自警団に所属して、危険と隣合わせだったこともそうだし、魔獣と遭遇したことも不運としか言えない。


 しかも、命からがら逃げ帰ってきた娘に対してその仕打ちをする母親も、いい親ではないのだろう。


 クレハは充分強い。

 ベリル砦でもその剣技は見たし、戦力としては申し分無かった。

 ただ、人を傷つけることにためらう節があるから、唯一の彼女の弱点といえばそれくらいだ。


 それでも、クレハにとってはまだ足りない。

 母親に振り向いてほしい。

 その願いだけが先行して、こうして真夜中だというのに剣の稽古に明け暮れている。


(せめて、なにかクレハが自信をつけられる言葉を……)


 ゼノは言葉を探してゆっくりと口を開き、


「……才能は、充分あると思うよ」


「え?」


 クレハが目を丸くする。


「だってほら、それだけ頑張れるってことは、クレハがまっすぐで、努力できる奴だってことだろ?」


 ゼノはクレハの手のひらを指して、思ったことを口にする。


「ふつうはそこまでやれないよ。痛かったり、辛かったり、面倒になったり。大抵の奴は途中で嫌になってやめていく。それをクレハは諦めずにこんなに長く続けているんだ。そうやってひたむきに努力を続けられるってことは、それ自体がひとつの才能だと思うよ」


 正直、こんな慰めでクレハの元気が出るとは思わない。

 これが歴戦の戦士からの激励ならともかく、自分のような未熟者からではなんの自信の足しにもならないし、励ましにもならないかもしれない。


 それでも、たとえ月並みな言葉であっても、彼女の心が少しでも楽になるのなら。

 固くなった手のひらの豆に触れてゼノは微笑む。


「大丈夫。いつかきっとキミの思い描く立派な剣士になれるよ。だから、いまは無理をしない程度に頑張れ。応援してるから」


「ゼノ様……」


 薄紅あかい瞳に映った月が大きく揺れ動く。

 しかしすぐにいつもの花のような笑顔を浮かべると、クレハは涙を指で払って「ありがとう」と笑った。

 ほんの少しだけ流れたしずく。

 それに気づかない振りをしてゼノは立ち上がる。


「ほら、もう戻ろう。ふたりであまり夜遅くまで出歩いて、あしたリィグからあれこれ詮索されたくはないだろう?」


 月に背を向け、ゼノがきびすを返すと、クレハは元気にゼノのあとを追いかけた。

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