10 豊穣祭
群青の屋根が特徴的な美しい城。
王都の西端に位置するノーグ城の一角に、ライアス王子の執務室はあった。
「──と、いうわけです。彼のことをどうぞよろしくお願いいたします」
ソファに座って不遜な態度で見下ろす少年相手に、ロイドは終始にこやかな態度で経緯を説明した。
なんでも今回の急な人事は、第一王子ルベリウスが言い出したことらしい。
第二王女リフィリアの側近につくはずだった侯爵家の三男坊。
姫の側近に男はいかがなものかと第一王子がごねたことにより、本来ならば第二王子サフィール付きの補佐官になるはずだったゼノをライアス王子のもとへと移動。
そして、空いた席に侯爵家の三男坊を据えることでこの事態を解決したというわけだった。
それが今朝の話である。
(急な辞令とか迷惑すぎる……しかも、うわさの青豚王子の補佐官とか)
こんなのなにかの間違いじゃ……。
とは、口が裂けても言えないので、ゼノは黙ってロイドの話を聞いていた。
ちなみに、書庫でロイドが言っていた『ライアス様のお部屋』とはこちらのことだったようで、本来フローラ離宮は人の出入りを制限している。
今日はたまたま門番が休みだったとかで中に入れたようだが、次はない、と王子に脅された。怖い。
「事情はわかった。だが、どのみち余に補佐官などいらぬ。下がらせてよいぞ」
ゴモク(升目状の盤上に赤と白の石を置いて戦う陣取りゲーム)を少女と興じながら、ライアス王子は退屈そうな顔で返した。
ロイドが苦笑まじりに諭す。
「成人を迎えた王族、とりわけ王子殿下の補佐官決めは重要な政のひとつです。それに彼はこう見えてとても優秀な青年ですから、必ずや殿下のお役に立つことでしょう」
「そうか。要らぬ」
取りつく島もなし。
ぱちぱちと白石を置く王子の対面では、もぐもぐと銀髪少女が口いっぱいにケーキを頬張っている。
犬耳風のフードマント。そこからのぞく銀髪は、窓から差しこむ陽の光に照らされるたびに、虹のような不思議な輝きを見せていた。
(珍しい色……。異郷返りかな)
綺麗な髪だなとゼノが眺めていると、少女はすくっと席を立った。
室内に控えていた狼(ペットかな?)の頭をひと撫ですると、少女はバルコニーに繋がる窓を開け放った。
ばささと入ってくる白い鳩。
足に手紙がついている。
小さく折りたたまれた巻紙を少女が回収すると、白鳩さんは元気よく飛び立っていった。
「……」
いろいろツッコミどころがありすぎて、どうしようといった感じだ。
「──そこの」
ライアス王子はひとくち紅茶を口に含むと、こちらに虚ろな瞳を向けてきた。
どうやらロイドの説得が成功したらしい。
王子はソファから立ち上がり、
「余の補佐官とはそなたも外れくじを引いたな。──まぁよい。仮の補佐官、それで許可してやる。あすから執務室に来るがいい」
と、言って部屋を出て行った。
少女がぴょこんとソファから飛び降りる。
ゲームは王子の圧勝だったようで、白で埋め尽くされた碁盤をすばやく片付けると少女も退出した。
「これで今日からきみはライアス様の正式な補佐官となった。これから頑張りなさい」
「いや、仮って言ってましたけどあの人」
朗らかな笑みを返してロイドは仕事に戻っていった。
「──災難だったな」
「そうだね」
ゼノは立ち上がり、窓辺に寄りかかる茶髪の青年に首を向けた。
むかし通っていた騎士学校。その同期にあたるエドルがこちらに向かって歩いてくる。
相変わらず背が高い。
彼を見上げる形でゼノは肩をすくめた。
「驚いたよ、部屋に入ったらお前がいるんだもん」
「それはこちらの台詞だ。まさかお前がここに配属されてくるとはな」
実は執務室に入った時、エドルの姿を見つけてそれはもう驚いた。
彼もこちらを見て目を丸くしていたから、知らされていなかったのだろう。
懐かしい限りだ。
「五年ぶりか? 久しぶりだな。ぜんぜん変わってなくて安心したよ」
「お前もな。しかし、本当にライアス様に仕える気か? こういっては何だがうちの職場はかなりきついぞ。入った新人がすぐに辞めるおかげで殿下の側近といえば、あの少女と俺くらいなものだ」
「それ、着任そうそう言うかな……。まあいいけど。これからよろしくな、エドル」
「ああ。歓迎しよう、ゼノ」
互いに握手を交わし、その日はエドルから王子に関する細かなルールを教えてもらい終了した。
その際、ほんのわずかに曇るエドルの表情が少しだけ気になった。
だが、『フローラ離宮に足を踏み入れて、首と胴が繋がっているとは相当運がいいな』と言われて、そんな気かがりなど吹き飛んだ。
ついでに、ライアス様は時間にお厳しいから気をつけろ、とも言われた。
(長く続くかな、この仕事……)
唐突に不安を感じた。
◇
あれから一週間が経った。
「活気に満ち溢れておるの」
「ん!」
王子と銀髪少女フィー(フィネージュという名前らしい)が、軽快なステップを踏んでいる。
一方、ゼノはうなだれながら町を歩いていた。
(人混みすご……)
少し歩けば人、人、人。
馬車酔いならぬ人酔いにゼノは胸元を押さえた。
春の豊穣祭。
夏の麦狩祭。
秋の収穫祭。
冬の春羊祭。
緑豊かなユーハルド王国では、自然の恵みに感謝の祈りを捧げる祭りが年に四回、開かれる。
そして先月末──おとといから王都で開催されているのが豊穣祭だ。
通称、火の祭り。
都のあちこちにかがり火が焚かれ、夜でも明るいこの祭りは古くは夏の訪れを祝うものだったとされている。
屋台に踊り子に、集まる観客たち。
広場はとにかく人がごった返しになっており、ここを歩くだけで体力が削られる。
ゼノは重い足取りで人ごみの隙間を抜けながら、さきほどのやりとりを思い出した。
『出かけるぞ』
『え? 今日は外出のご予定は無かったかと……』
『言ってないからな』
『……ごほん。予定は事前に仰っていただきませんと警備の手配もありますので』
『は? なぜわざわざ余がお前に言わねばならんのだ。その程度、仮とはいえ補佐官ならば察してみせよ』
『……。……どちらに向かうおつもりで?』
『祭り。分かりきったことを聞くな』
『……………はい』
殴りたかった。
そんなこんなで王子の付き人としてゼノは出かけることになったわけだが、あまりの人の多さに文字通り、視界が揺れてめまいがしてくる。
「大丈夫か、ゼノ。顔色が悪いようだが……」
「いや、うん……。人混みが、ちょっとね」
隣を歩くエドルが心配そうに眉を寄せている。
ふらふらとしながら足を動かすゼノに歩調を合わせて、彼は巡回中の兵士を一瞥して話をつづけた。
「今年は例年よりも混雑しているからな。ここはまだマシなほうだが、正門のほうではいまごろ根をあげているだろう」
「正門……ああ、たしかに」
この時期の検問業務は大変だ。
毒物や禁制品、怪しいやつの出入りを検分するために、役人も兵士も大慌てで対応している。
「どうせ混むんだから、入口固定しなきゃいいのにな」
「まあな」
この王都はぐるりと一周円を描くように分厚い城壁で囲まれている。
城門は三つ。
東の正門に、北と南の小門。
普段はすべての城門が開いているが、いまは警備強化のため正門以外は閉じている。
だからどうしてもひとつの入り口に人が殺到してしまうのだ。
「フィー、串焼きでも食べるか?」
王子が店の前で足をとめる。
フィーが頷くのを確認し、ぽんと財布を投げてきた。
「そこの、これで串焼きを買ってこい」
「……はい」
財布を受け取り、串焼き屋へと向かう。
店頭に置かれた大きな豚の丸焼きが目を引く店だった。
さっそく豚の串焼きを購入するべく財布のヒモを解いたところで、とつぜん小さな悲鳴が耳をかすめた。
「イヤ!」
(いや?)
少し先の路地を見る。
にゅっと小さな手が飛び出し、すぐさま野太い男の怒号と共に路地裏へと引っ込んでいく。
──ひとさらいだ!
ゼノが慌てて駆けつけると、大柄な男が幼い少女の腕を引っ張り、いまにも麻袋に少女を詰めこもうとしているところだった。
「──おい!」
「そこの! 何をしておる!」
鋭い声がゼノの言葉を遮り、同時にうしろから勢いよく何かが飛んできた。
風を切る音の中にわずかに混じる金属音。鎖だ。
飛んできた鎖は男の身体にぐるぐると巻きつくと、瞬時にその動きを封じた。
「動くな」
男の首すじにぴたりと剣が押し当てられる。
ライアス王子だ。
いつのまにか路地の奥へと移動したらしい。
男の背後に立つ王子の腕の中には五歳くらいの女の子がいる。
つまり、フィーが鎖を飛ばして男を拘束。そのあいだに王子が駆けつけ少女を救出したようだ。
みごとな連携プレイだ。
ゼノの真横に立つフィーの鎖がきらりと光る。
「くそっ、誰だ、てめぇは!」
男が叫ぶと、王子は涼しい顔で返した。
「誰でもよい。それより人さらいとは下衆な真似をする」
「うるせぇな! いい商品がいたから捕まえようとしただけだ! 悪いか!」
「商品?」
ゼノは子供を見た。
桃色の髪。異郷返りだ。
(そういうことか)
この大陸において人身売買は禁じられている。
けれど、裏ルートというものはあるもので、とりわけ異郷返りは高値で取引されるのだ。
おおかたこの男もさらいやすい子供を選んで売りさばく算段だったのだろう。
助けた子供は震えながら泣いていた。
「悪い。人は商品ではないし、売り買いすること自体間違っている。──巡回兵に回せ」
「はっ!」
男を連行するようエドルに命じ、王子は子供の頭を優しく撫でた。
(噂とはだいぶ違うな……)
第四王子はわがままで手がつけられない。
有名な話だ。
彼に仕えた者は大抵がひと月待たないうちに辞めてしまう。
先日も、話が長くて嫌味な緑髪の同僚が勝手にぺらぺらと喋っていた。
突然補佐官を殴っただとか、難癖をつけて辞めさせただとか。
結構ひどい内容だった気がするが、目の前の彼はわりと普通だ。
確かに少し困った……いや、人に厳しすぎるきらいはあるけれど、子供を助けたところを見る限り、あれでけっこう正義心に厚い人なのかもしれない。
そんなことをゼノが考えていると、いつのまにか子供の手を引き、王子が路地裏から出ていこうとしていた。
「迷子か。では、余たちがお前の母親を探してやろう」
しかしそこで、不意にチリンと鈴の音が聞こえた。
一瞬だった。
王子が路地を出た瞬間。見知らぬ女が現れ、彼を担いで走り去って行ったのだった──




