96 らぁめんは塩もいいけど豚骨一択である
マークスさんの方言はそれっぽい感じでお読みください。
「いやぁ、あまりの忙しさに昼めし食いそびれてなぁ。うっかり倒れてしもうたわー。堪忍な、お兄さん」
「はあ……」
何かの葉入りの湯呑みをゼノが渡すと、青年マークスは明るい笑顔で受け取った。
マークス・シール。
そう名乗られて、どこかで聞いたことのある名前だなと思ったら、あのロシェのお弟子さんだった。
先月までアウロラ商会で働いてたマークス。
ある日、突然クビを宣告され、仕事場を転々として行き着いたのが、先ほどの『雪空レストラン』なのだという。
だが、彼に飲食店勤務は向いておらず、自ら退職を申し出、店から出てきたところにクレハを見かけて声をかけたのが、いまさっきというわけだった。
ロイドからは、羽ペンを直してくれた錬金術士の話は聞いている。いちおうその時の礼を伝えると、
「ほな、百万ラビーな」
と、師匠であるロシェと同じボケ(半分本気の)が返ってきた。
さすがは師弟である。
差し向けられた手のひらに苦笑を浮かべて私は彼を観察した。
リラの花を連想される紫の瞳。
跳ね返りの強い温かみのある茶髪。
服装は、ただいまイナキアの若者間で大人気のパーカーを羽織ったラフスタイルとかいうやつだ。
ロシェからは、弟子は大人しい青年だと聞いていた。
しかし、目の前の彼はやかましい。
その口縫い付けたろか、と思う程度には、さきほどから会話が途切れない。
しかも、
「しっかし、まさかお兄さんがロシェッタ師匠の知り合いだったとはなぁ。世間は狭い言うがこれもなにかの縁や。よろしゅうなぁ、ゼノ」
ぱしんと背中を叩かれた。
痛い。
そして変な訛り。
どこの田舎の出身なんやろ……とか、若干移った訛り言葉を胸中でつぶやきながら私は湯呑みをすすった。
「……あいよ、雪塩らぁめん、おまち」
「わー! おいしそうだね! あ、私、煮卵追加でお願いします」
屋台の店主に追加注文を入れて、クレハはゼノたちに箸を配った。
いまいるここは、フィーが見つけてくれた『らぁめん天竜』だ。
場所は雪空レストランのすぐ近く。ここからならば侯爵たちを観察できる。
王子からは手出し無用と言われているが、このくらいはいいだろう。
ひとまず温かいものでも食べながら張り込むことにして、寡黙な店主から大きな器を受け取り、ゼノは言葉を失った。
(これ、どうやって食うの?)
汁入りパスタ?
はじめてみる料理だ。
スープパスタにしては汁の量が多すぎるし、麺も通常のパスタと比べてやや太い。
しかも、ハムだろうか?
どでんと大きな茶色のハムが一枚、器の中央に鎮座している。
クレハからもらった箸を握ったまま、ゼノはさっと視線を滑らせた。
まず、席の左端。
クレハは手を合わせると、そのまま器用に二本の棒で麺を掴み、ずるずると麺をすすった。
店主が少し残念そうな顔をする。
「ふむふむ。つまり──ズズッ、マークス様が、はふっ、お皿をたくさん割っちゃったから、ズズッ、辞めさせられちゃったと、ズズッ」
どうやら食べながら話す方向で進めるらしい。
「そうなんよ。今日だけで六十枚も皿を割ろてしもうてなぁ。店長から『もう無理やぁ』言われてしもうたんよ」
ゼノの右隣に座るマークスは、テーブルに置かれた筒を逆さまにして、らぁめんにコショウをぶっかけた。聖なる泉のごとき澄んだスープが一瞬で泥水へと化した。
「……」
店主の顔が渋くなる。
けれどゼノの左隣、フォークを使って食べるフィーを見て、店主はにっこりと破顔する。
なるほど、ロリコンか。
──じゃなくて、
(なるほど。あれが正解か)
変わった形の陶器のスプーンを掴み、汁を堪能してから麺にいく。
ちらりと店主の顔を盗み見る。
合格のようだ。よかった。
(あれ? でも、なんでオレこれの使いかた知ってるんだ?)
いったん食事の手をとめて二本の棒を見る。
巫国サクラナの『箸』という食器だがフォークにすればよかった。
なにも考えずに使いにくい箸を受け取ってしまったが……まあいいか。
ずるずると麺をすすってゼノも会話に参加した。
淡白だが塩味がうまい。
「今回がダメでもどこか自分に合う職場がありますよ」
「そうだよ。私、いいお店いっぱい知ってるから良かったら紹介しようか?」
「いやー、こう見えて俺、けっこうなダメ人間なんよ。せっかく紹介してもろても正直続く気せぇへんわ」
「自分で言うんだ」
マークスがため息まじりに頷く。
いい塩梅に漬けられた茶色の煮卵をつまんで、クレハがもぐもぐと思案する。
「ちなみに、お父様のところはなんで辞めることになったの?」
「うっかり重要な資料捨ててもうて、取引先の嬢ちゃんがえらいおかんむり。ヒューゴ様にばれて即クビや」
「それはクビになるわな」
シュッと自分の首を掻き斬るように親指を真横に引くマークスにゼノが呆れて返せば、クレハはぺろりと唇を舐めてつぶやいた。
「でも、前にお父様がマークス様のこと褒めてたよ? 工房には欠かせない優秀な錬金術士だって。ちょっと資料捨てちゃったくらいで辞めさせたりはしないと思うけど」
……いや、それは『ちょっと』の問題なんだろうか。
「マークス様がいた工房っていうと、商都の三番街にある第一工房だよね? もしあれなら、お父様にもう一度雇ってもらえるように私から頼んでみようか?」
クレハがそう言うと、マークスは少し考える素振りをしてから「いや」と頭を振った。
「それは無理や思うで? それと、俺が第一工房におったんは去年の話や。つい最近まではネージュメルンの第六工房でお世話になっとたんよ」
「第六? あれ? ネージュメルンに工房なんてあったっけ?」
「嘘やん?」
ぽけっと首をかしげるクレハにマークスが呆れた顔をする。
「どういうことだ?」
「うーん、とね。昔ネージュメルンにも第四工房っていう、釣り具なんかを作ってた鍛冶工房があったんだけど、経営がうまくいかなくて数年前に閉鎖されたんだよ。だからいまはネージュメルンにうちの工房は無かったはずなんだけど……」
ゼノの疑問に返したのちクレハは不思議そうにマークスを見つめた。
その様子から、やはりクレハはこの地にあるヒューゴの裏工房のことを知らないのだろう。
予想はしていたが、実際に分かったことでゼノは内心安堵した。
たぶん兵器開発なんていう、父親の裏の顔を純真無垢な彼女には知ってほしくない。
そんな想いが心のどこかにあったのかもしれない。
我知れず息をつくゼノをよそに、マークスはクレハにぴしりと箸を向けた。
汁が飛んだ。汚い。
「ベル湖にある工房や! お嬢、あんた商会の跡取りやのになんで知らんの?」
「やー、ほら。私は自警団メインに活動してるから」
クレハが困ったように頬をかく。
「一応アウロラ商会には所属してるけど、普段あんまり顔を出してないんだよね。それにほら、跡取りっていっても家出した弟の代わりだし」
「ああ……あの雪の日に、べそ掻きながら裸足で町駆けてた坊ちゃんか」
「その話、有名なんですか?」
みんな知っとるわ、とのことだった。
「はあ……、ほんならしゃあないなぁ」
マークスはクレハの事情に深いため息を吐くと、「俺が説明したるわ」と言って第六工房のことを教えてくれた。
「第六工房はネージュメルンの観光地。ベル湖の中島、ほれ、氷上釣り愛好会館ちゅう館があるやろ? あそこは元々釣り具つくとった第四工房を売却した金つこうて建てた館でなぁ。その一角を間借りする形で第六工房は入っとるんよ」
アウロラ商会では工房ごとに担当する鍛冶内容が異なる。
第一工房は、商会の主力となる商品の製造がメイン。マークスがいた第六工房は、遺物の分析に力を注いでいたらしい。
「一応うちでも第四工房から引き継いだ釣り具の製造もやっとったがな、メインは遺物の分析や。魔石の解析に、失われた古代の魔動機の再生。言うなれば『研究工房』なんやな」
「「へー」」
「……んで、俺はそこで次世代型の新魔石を研究してはりました」
「新魔石? ああ、お父様が言ってたけど、なんかすごい研究らしいね」
「うん……せやね、光蝶を使わへん魔石のことやね。よく覚えとき? ──まぁ、お嬢ら素人に話してもあれやけど、簡単に言うと、従来型とは違うエネルギー変換をする魔石ってところやな」
ランクにもよるが基本魔石は高いやろ? とマークスは続ける。
「あれは古代の遺物やし、現代の技術では到底生み出せへんもんなんや。だからこっちで新しいもん作って広う供給できれば、助かる奴らもぎょうさんおるわけで。ヒューゴさんはその一助になりたいー、よく言うてたわ」
ちなみにこんな形や、とマークスは両指でひし形を作る。
その形には不思議と見覚えがあった。
「……あ、もしかして、これのことですか?」
ふいにポケットをまさぐると、思った通り手のひらサイズの石が出てきた。
美しいひし形の、淡い金光を放つ蜂蜜色の水晶だ。
石を見せるとマークスは「それや、それ!」としきりに頷いた。
「よく手に入ったなぁ。それ、いまは回収されてしもうてん、入手困難な品なんよ」
「そうなんですか?」
「おう、そうやで。知らんけど」
知ってるの? 知らないの? どっちなの?
というゼノの胸中での静かな突っ込みはさておき、マークスは頬杖をつくと水晶を眺めて言った。
「ほれ、夏にあんたんとこの第二王子様がいろいろやらかしたやん? ニセの魔石を流通させたーとかいうやつやな。あれなぁ、知りよるかもしれへんが、この町拠点にしとった魔石商が、ユーハルドの第二王子様に魔石のパチモン売りつけたー言うんで、こっちでもえらい騒ぎになりおったんよ。──んで、そのパチモンいう魔石がウチで開発中だったこの新魔石っちゅう話やな」
「え! ぶほっ──」
クレハが麺をふいた。
フィーがクレハに布巾を渡してあげている。
「この石はあくまで開発途中のもんや。市場にはまだ出回ってへん。それがなんで魔石商に渡ったんかは謎やけど。……まぁ、一回ごっそり盗難に遭うたことがあったから、おそらくそこから流出したもんなんやろなぁ……」
瞳に無感情な色を浮かべてマークスはぼやいた。
(サフィールの魔石……)
ゼノは目線をさげて思い出す。イナキアに来て知ってたことだが、確か、フィーティアではこんなパンフレットを各商会に配布していた。
一、魔石には、フィーティア発行の鑑定書類『魔石証』がついてるよ!
二、魔石の仕入れ時についてきた『魔石証』には商会印を押して大切に保管してね!
三、『魔石証』には魔石の悪用を禁止する誓約文が書かれているよ。しっかり音読した上で魔石の購入者(お客様)から確認のサインをもらってね⁉
四、『魔石証』は二枚つづり。一枚をお客様に渡して、もう一枚は近くのフィーティア支部、もしくは本部に持っていこう。係員が受取印を押すから『魔石手帳』も忘れずに持ってきてね☆
フィーティア管理本部発行、魔石売買におけるパンフレット第九版より
──という、かわいいイヌのイラスト付きで、難しい魔石売買に関する規約が説明された冊子があるのだが、これを守らないとフィーティアの法に裁かれてしまうのだ。
それを踏まえた上で、初夏の小物王子失脚大騒動。
あれは簡単に言えば『魔石のすり替え』だ。
フィーティアが発行する〈魔石証〉はそのままに、〈魔石〉だけをマークスが作った〈魔石もどき〉とすり替え、商人はサフィールへと売り渡した。
だから、付属の魔石証は本物。
なのに、サフィールが持っていた魔石は偽物、という構図が出来上がったというわけである。
しかもご丁寧にサフィールは、手元の魔石が偽物だとは知らずにそのまま反乱分子(ピナートの青年たち)へと魔石もどきを流してしまう。
そこから反乱分子の手により王都へ拡散。
結果、ユーハルド国内と一部の外国では魔石市場に混乱が見られた。
だからサフィールはフィーティアから『偽魔石の流通ほう助(犯罪の手伝い)』の罪に問われ、現在ユーハルドの東にある緑の離宮にて幽閉中だ。
そして元凶となる魔石商。
こちらは魔鉱山と呼ばれる、魔石の一種が採れる危険な鉱山行きの刑に処されたそうだ。
「偽の魔石の正体は、アウロラ商会が作っていたこの水晶……」
偽の宝剣を追っていたら、思いも寄らぬところにつながっていた。
これは王子に報告したほうがいいかもしれない。
そう思って、水晶をポケットにしまおうとしてふと気づく。
「……ん? ってことはこれ、持ってたらまずいよな?」
「せやな。フィーティアの神官どもに見られれば、ただでは済まへん思うで」
ですよね。そこの雪海にでも投げておこう。
ぽちゃんと軽やかな音を立てて魔石もどきは白い海へと沈んでいった。
「それで、新魔石の開発はどうなったんですか?」
「当然中止や。一応、魔石商が持っとった新魔石は盗品ちゅうことで、フィーティアからのお咎めはナシ。ま、そのへんは不幸中の幸いやな」
「ふーん……それで? マークスさんはそのあとは?」
「うん? いや、ふつうにほかの開発チームに異動になったやねんけど、これがまた散々でなぁ。依頼主の嬢ちゃんがえらい人使い荒いし、なんかヤバげな研究やったし。クビになったんは衝撃やったけど、結果よかったかもしれへんて今では思うで。なにせ、魔動砲の開発やなんてフィーティアにバレたら一発アウトな案件や」
「────魔動砲⁉」
がしゃんと何かが割れる音がする。
テーブルから湯呑みが落ちたのだ。
じんわりと雪に染み広がる緑茶を一瞥して、ゼノはクレハに顔を戻す。
愕然とした様子で立ち尽くすクレハはハッとすると、早口で捲し立てた。
「魔動砲ってあの古代兵器だよね⁉ 最近どこかの商会が秘密裏に復活させようとしてるって商都でも聞いたけど、確か、死の商人っていう! …………え?」
「……」
ゼノは無言の視線を隣に送る。
マークスは「まずった」みたいな表情で顔ごとそらした。
全員沈黙。
ゼノも口を閉ざしたままクレハから視線を外した。
「魔動砲ってどういうことなのマークス様! お父様がっ、まさか、うそ……」
「クレハ」
混乱するクレハにひとまず着席を促せば、彼女は顔を青くしてすとんと腰を落とした。
そのまま呆けた顔で呟く。
「……アルニカの街でこんなうわさが流れてた。古代兵器の復活を目論む商人がいる。死の商人。それは、ヒューゴ・クルニスだって、そんなうわさ」
「……」
「だから、お父様に聞いたの。違うよね? って。そしたら笑って言ってた。『そんな、みんなを不幸にする道具を父様が作るわけないだろう?』って。そう、言ってたの」
膝の上で拳を握り、クレハはうつむきながら声を落とした。
「だから、信じたのに……な、んで……」
涙は流れていない。
けれど、苦しげに洩れ出る吐息がその悲痛な想いを物語っている。
泣かないよう、必死に唇を噛みしめているのだろう。
その様子を見たマークスは首のうしろを掻くと、
「まあ……、なんや。お嬢も商会の跡取りなんや。そんくらい知っとらんとむしろいろいろあかんやろ、なぁ?」
「マークスさん! それは──」
「──……教えて」
いまにも消え入りそうな小さな声。振り向くと、クレハはまっすぐ顔を上げ、真剣な瞳をマークスに向けていた。
「教えて、マークス様。お父様がいま、何をしているのかを」
それはかつて廃倉庫でゼノに『ここを出たらなにが食べたいか』と聞いてきた、強い意志を宿した眼だった。
ゼノはすべてをクレハに伝えた。
本当は涙を流す、その心には目を背けるふりをして。