暴力探偵ジム ――消えた花詠みの少女――
どうも、星野紗奈です。
先日、ミステリーズ新人賞に応募したところ、一次選考に通過していたというお知らせをいただき、大変驚きました。二次選考へは進めませんでしたが、サイトに名前が載っただけでもびっくりです。
正直なところを言いますと、この作品の主人公はとっても強引で、読者を置いていくどころか引きずり回すタイプです。推理小説としては致命的ではないかと思っています()
また、著者はミステリー初心者のため、伏線のはり方が下手糞で推理どころではないかもしれません。
そういうわけなので、「とにかくなんでも大丈夫!」という強い方だけお進みください。
ちなみにですが、本作は「暴力探偵ジム」としての連作になります。気になる方はシリーズから他の作品もぜひ読んでみてくださいね~。
心の準備ができた方から、どうぞ↓
「おいおい、カロン。なんでまた絡まれてやがる」
「……面目ないです」
バーニーズ・タンド、路地裏。積み上がった三人の厳つい男たちを椅子にして、小さな影はうんざりした声で言う。
「お前の力で解決できないことにわざわざ首を突っこむな。そして私を巻き込むな」
彼女の名は、ジム。歳は十五、性別は女。ピンクブロンドの長髪を持つ美少女であるが、そのうちに秘められた凶暴性は侮れない。とある事件をきっかけにグレイ・リバースに拾われ、現在は探偵事務所ローファード・ハウスに所属している。
「そ、そうしたいのは山々なんですが……さすがに見て見ぬふりは出来ないじゃないですか」
一方こちらが、リオード・カロン。ローファード・ハウスの雑用兼探偵見習いである。いつもオドオドしていて頭を下げてばかりいるが、逆に言えばこの街では珍しく人の良さそうな少年だ。しかし残念なことにと言うべきか、グレイに目をつけられてしまったので、現在は監視役を兼ねてジムと共に行動しなければならない時間が大半となっていた。
「ここじゃ人攫いなんて日常茶飯事だ。お前がたった一人助けたところで、世界は変わりゃしない」
そう言うと、ジムは倒れ伏す男の頭の一つを軽く蹴り飛ばして、すとんと軽やかな音と共に地に降り立った。
ここ、バーニーズ・タンドは、世界でも名の知れた無法地帯である。「犬も歩けば棒に当たる」とはよく言うが、この街では「人が歩けば死体に出会える」と言われているくらいだ。
「うっ、そうですが……」
「大体な、勝てない相手に喧嘩を売る奴がいるか。この馬鹿」
ジムに小突かれたリオードは「いてっ」と声を上げ、それからめそめそと自身の行動を反省し始めた。
「お姉ちゃん、ありがとう」
そんな中、ひときわ明るい声を響かせたのは、被害者の少女だった。
「おうよ。あんた、名前は?」
「セシリア」
「そうか。いい名前だな」
ジムが頭を撫でてやると、セシリアはくふくふと笑みをこぼした。
「行先はどっちの方向だ?」
「あっち!」
ジムはセシリアを連れ、路地裏を抜けた。リオードも慌ててそれを追いかける。
「あっ、待ってくださいよ。家まで送っていくんですか?」
「どうだかな」
「『どうだかな』って……」
「あいにくこの街には家がない奴なんてごまんといるんだ。セシリアだってそうじゃないとは言い切れない。まったく、ちっとはその脳味噌を使え」
ジムにそう言われ、リオードははっと言葉を飲み込んだ。
治安の悪いバーニーズ・タンドだが、中でもひどいのは「ミドル」と呼ばれる人々が住まう路地などである。とはいえ、その地域自体を指してミドルと呼ぶこともある。一般的に言われるスラムと大方同じようなものととらえてもらってかまわない。しかし注意しなければならないのは、ミドルは必ずしも貧困層とは限らないことである。噂によれば、他国から逃げて来た貴族なども、ミドルとしてひっそり暮らしているとのことだ。
「セシリアは、あんなところで何をしてたんだ?」
暇つぶしにか、ジムはふとそんなことを尋ねた。
「花詠みさんを探してたの」
「ああ、花を持って行くと占ってくれるっていう」
セシリアの言葉に、リオードもピンと来たような表情を浮かべる。
「花詠み」は、最近女性の間で流行っている占い及びそれを行う人物のことを指す。花詠みは、客が持って来た花の種類や状態からその人のことを占う。一部の花詠みは、驚くほどよく当たると評判らしい。
「私がやってやろうか」
「えっ」
突然そう言いだしたジムに、リオードは驚きの声を上げた。
「ほんとに⁉」
「ああ、花を見せてくれ」
セシリアは喜んでジムに花を差し出した。
「タンポポか。タンポポは、どんな所でも粘り強く頑張れることを象徴する。特に鮮やかな黄色だから、頑張っているセシリアの姿は周囲の人々の元気の源なんだろう。あとは……そうだな、道端で摘んできたにしては花の状態が良い。夢に向かう途中で壁にぶつかっても、そこで挫折することはないはずだ」
「じゃあ、セシリアも花詠みさんになれるかな?」
「ああ、なれるだろうな」
「やったー!」
セシリアは嬉しそうに笑った。そんな様子をほほえましく眺めながらも、リオードはジムに耳打ちする。
「ジムさん、花詠みなんて出来たんですか」
「まあな」
「雑誌や新聞を読んでいても、事務所ではあんなに興味なさそうだったのに……」
「花詠み自体は随分前から存在していた文化だ。だから少し知識をかじったことがあってな。まあ、何で最近になってこんなに流行っているのかはさっぱりだが」
リオードは感心したように息を吐いた。そうしてコソコソ話が終わったころ、セシリアがジムをつんつんとつついて合図を出した。
「ここだよ!」
セシリアの家の扉を叩くと、両親がおずおずと出て来た。見知らぬ人が突然やって来て、いかにも困惑しているといった様子である。それを何となく察したリオードに状況を説明されて、我が子の遭遇した危険をようやく理解した両親は、目を潤ませながら慌てて二人に向かって頭を下げた。知らない間に子どもが攫われかけていたなんて、夢にも思わなかったのだろう。
「御存じの通り、ここは物騒な街だ。今回はこのお人よしカロンが気付いて、偶然私が来たからこういう方向に進んだが……次はどうなるかわからないぞ」
子どもをあたたかく抱きしめる両親に向かって、ジムは無遠慮に冷たい言葉を投げかけた。リオードは、さっと蒼ざめるセシリアの両親のフォローに必死である。
「ちょっ、ジムさん。そんなふうに脅さないでくださいよ」
「悪かったな、脅し文句で。ま、次さらわれたときにはこちらまで……」
「あー、えっと、今後はどうぞお気をつけて!」
探偵事務所の名刺まで渡そうとするジムの背中を強引に押し、大きく手を振るセシリアの姿が見えなくなったところで、リオードはやっと息をついた。
「なんだよ、カロン。商売の邪魔しやがって」
「お子さんが事件に巻き込まれたってだけでも気が気じゃないでしょうに、『次さらわれたら』なんて宣伝する人がいますか」
「馬鹿だな、この世の条理はな、『パワー・イズ・パワー』って決まってんの。金だって立派な力だ。後になって持っていない奴が泣き目を見るんだよ」
「そういうことじゃないんですってば……」
呆れながら肩を落とすリオードを無視して、ジムはずんずん先へ進み、扉を開けた。
「や、おかえり」
事務所に入ると、一人の男が椅子に背を預けたまま声をかけて来た。彼が探偵事務所ローファード・ハウスの代表、グレイ・リバースである。グレイは、一見するとただのだらしなさそうな中年のおじさんだが、意外と頭が切れるため決して侮ってはいけない。実際、ここらでは少し名の知れた探偵なのである。
「ただいま戻りました」
「ただいま。優雅に座ったまま御挨拶だなんて、随分な御身分だな」
「仕事中じゃないんだから許してくれよ。あと一応言っておくけど、俺は君の上司だぞ? あ、リオード、買って来てくれた?」
「……あ」
グレイに問いかけられて、リオードはたらりと汗を流した。そう、彼が今日事務所を出ていたのは、紛れもなくお使いのためであった。
「ぼ、僕行ってきますね⁉」
「おうおう、うっかり死なないように気をつけてなー」
ばたばたと再び事務所を後にするリオードに、グレイは笑いながらひらひらと手を振った。
「まったく。たかがお使いで人攫いに出会うなんて、どんな巻き込まれ体質だよ」
「まあまあ、そう文句を言うなよ、ジム。無事解決してくれたんだろ?」
グレイがパチンとウインクを飛ばすと、ジムはますます苦い顔になった。
「ったく、せっかくランチタイムを満喫してきたっていうのに、帰りにこうなるんじゃ台無しだ。大体、骨々カロンがいなくなったら、問い詰められるのは私だろ? これじゃどっちが世話役だかわかりゃしない」
「ははっ、違いないな」
グレイは、いつものようにジムの言葉をのらりくらりと交わす。ジムもグレイが馬鹿ではないことを知っているので、これ以上のことを仕掛けるのは労力の無駄だと考え、早々に諦めた。
少しだけ真面目な面持ちを取り戻すと、ジムは口を開いた。
「で。わざわざ事務所で待ってたってことは、仕事が来たんだろ?」
「御名答」
ジムの言葉を待っていましたと言わんばかりに、グレイは準備していた資料を机上に落とした。
「御両親からの依頼でな、帰ってこない娘を探してほしいとのことだ」
ジムが資料に目を通しているのを横目に、グレイは依頼を受けた時のことを話し始めた。
「依頼人は、母親のドーラ・ファルカと父親のローグ・ファルカ。依頼内容は、行方不明になっている娘のナターシャ・ファルカの捜索だ。彼女はここ二カ月ほど、花詠みとして活動していたらしい。これは家族公認だったそうだ。しかし六日前、いつもと変わらぬ午後二時頃に家を出て行き、そのまま帰ってこない。ここまでがご両親の話だ」
「誘拐じゃないか?」
「さあね。まだ情報が足りないから何も言えないけど、面倒だからって適当に片づけるのはやめてほしいかな」
グレイに図星を刺されて、ジムは軽くため息をついた。
「それと、ここからは俺個人の感想だが、なんだか妙に焦ったような様子だったのが気にかかる。特に父親の方だ。とても純粋に心配しているようには思えなかった」
「グレイがそこまで言い切るのか。珍しいこともあるんだな」
「まあな、俺だってやれば出来るんだよ」
「うざ。ガキじゃあるまいし」
相変わらずヘラヘラしているグレイに呆れてジムがため息をついた時、突然事務所のドアが大きな音を立てて開いた。
「ジム!」
「いきなり入ってくんなよ。ポリスのくせにアポイントメントも知らねえのか?」
黒髪を揺らし、ヒールを鳴らながら登場したのは、ユエ・ヤジマだ。彼女はバーニーズ・タンドの治安維持組織「ポリス」のメンバーの一人である。彼女の実力は、ポリスのトップから直々に単独任務が課せられるほどだという。
「ジム、君の仕業だろう」
「何だよ、人のことを悪党みたいに呼ばないでもらえるかな」
「セカンドストリートの路地裏に男が三人倒れていた」
「『許さねえぞ、あのクソガキ』って?」
「……彼らの口から出る台詞までわかっているならとぼけるな」
「へーへー、すんませんね」
「……グレイ・リバース、君からも注意してやってくれないか。君は彼女の保護者みたいなものだろう」
「うちのじゃじゃ馬娘が毎度ご迷惑を掛けまして。まあ、善処しますよ」
「……まったく、この台詞を何度聞かされていることか」
全く反省する様子のないジ二人を見て、ユエは眉間にぐっと皺を寄せた。
「君の対処の仕方は目に余る行為ではあるが、手柄を譲られている以上見逃すようにと上から言われている。だが、毎度犯人を重症にするのはやめてくれ。今回は折れただけだったからマシだが……あんまりやられると捜査も進まない」
「それはそちらの皆さんが無能だから、仕方がないのでは?」
煽るように言い返すジムに、ユエはいよいよ大きなため息をついた。
「……こっちにだって事後処理があるんだ。とにかく、何かやったら放置するな。ポリスに連絡を入れろ。私からは以上だ」
これ以上話し合っていても自分の神経がすり減らされるだけだと理解したユエは、それだけ言うと事務所をあとにした。
「ちえっ、つまんねー奴」
ユエが出て行く姿を見送り、扉が閉まると、ジムは玩具を取り上げられた子どものようにそうこぼした。
「まあまあ。最近は誘拐事件も多くて、あちらさんも忙しいんだろうよ」
「ああ、例の目玉コレクター、まだ捕まってないのか?」
ジムはそう言いながら、ちらりと机の端に寄せられた新聞に目を向けた。そこには、『目玉コレクターにご注意を!』という文句が大きく張り付けられている。
最近は目に見えて誘拐事件が多い。それを怪しく思ったポリスが調査したところ、それらはある目玉コレクターなる人物の引導によるものらしい。何でも、少年少女の美しい目玉を見たら、たちまち攫って目玉をくり抜いてしまうらしいと、世間では持ち切りである。
どこへともなく「悪趣味だな」と呟いて、ジムはくるりとグレイの方を向いた。
「……で、話の続きだが。この仕事をわざわざ私に回す理由は?」
「乙女のことは乙女に聞くのが一番かなと思ってさ」
「クソだな。聞いた私が間違ってた」
ジムは呆れたように長くため息をつきながら、資料を雑にグレイに返した。
「一応聞くけど、いらないの?」
「いらない。もう覚えた」
「あ、そう」
今回も例外なく、あれだけ話をしながらよく短時間で資料の内容を正確に把握できるものだと、グレイはジムの記憶力に感心させられることとなった。
「ただいま戻りました!」
やがてリオードが戻って来た。今度はきちんと荷物を抱え、与えられた任務を遂行してきたようだ。
「やっと来たか。行くぞ」
「え、あ、へ⁉」
ジムはリオードを待つことなく、さっさと事務所から出て行ってしまった。ポカンと口を開けているリオードを見かねて、グレイが声をかける。
「早くしねえと行っちまうぞ?」
「え、あっと、買って来たものはここに置いておきますね! それじゃ行ってきます!」
「おーう、気をつけてな」
リオードは慌てて買って来た品々を適当な所へ置くと、急いでジムの背中を追った。
「……まったく、ここも随分賑やかになったもんだ」
一人きりになった部屋で、グレイの口からそんな言葉が吐き出された。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ、ジムさん」
「なんだよカロン。相変わらず骨ばっかでヘロヘロだな」
小走りで追いかけていたリオードは、なんとかジムに追いつくことが出来た。リオードは決してのろまではないが、ジムと比べると劣ってしまうのはどうしようもない。
「どこへ向かっているんですか」
「依頼人の家だよ」
「依頼人の家?」
ジムの言葉を復唱しながら、リオードは不思議そうに首を傾げた。
「被害者が最後に行ったはずの場所ではなく?」
「今回は珍しくグレイの言っていたことが気にかかる。あいつが真っ先に依頼者を疑うってことはそうそうない。だが、あいにく私は自分の目で見たものしか信じられないからな。自分で確かめに行くってこった」
「なるほど」
顎に手を当ててふむ、とリオードは納得した。しかし数秒後、顔をしかめた。
「ジムさんが人の話を聞きに行く……?」
「なんだ、それはお前の仕事だろ?」
ジムはわざとらしく目をぱちくりさせながらそう尋ね返した。
「えっ、僕ですか⁉」
「お、ここだな」
リオードの言葉を無視して、ジムは目的の場所を見上げた。ジムが睨みをきかせながら顎をしゃくったので、リオードはしぶしぶドアベルを鳴らした。暫くして、ドアが開けられ、金髪の女性が顔を出した。
「どちら様?」
「こんにちは、探偵事務所ローファード・ハウスのリオード・カロンです。こちらはジム」
リオードは慣れた様子で女性に挨拶をした。リオードに言われて、女性は少し濁ったアンバーの瞳をジムの方へ向けたが、ジムはマイペースにどこか別の場所を眺めているようで、女性と目を合わせることはなかった。
「ああ、グレイさんのところの。どうかされましたか?」
「えっと……担当の者が変わりまして、改めてお話を伺いに来たのですが」
「そうでしたか。どうぞ中へ」
女性は快く家の中へ二人を招いた。客間へ進みソファに腰掛けると、女性は上品に微笑んで口を開いた。
「私はドーラ・ファルカと申します。この度は娘の捜索に手を貸していただけること、大変感謝しております。さて、どこから話せばいいか……」
ドーラの戸惑う様子を察して、リオードは同情した。ふとジムの方を見やると、彼女はもううんざりしているのか、さっさと話を終わらせて自分で自由に動き回りたいようだった。
「彼女が行方不明になるまでのことはざっくり聞いたからいい。普段の外出時の連絡はどうしてる?」
「セルフォンを持たせておりますから、コールやメッセージなどで連絡をとっています。ナターシャは連絡もせず勝手にどこかへ行くような子ではないはずなのですが」
「彼女のセルフォンは今どこに?」
「それが、わからないんです。ポリスへの届け出もないようですから、彼女がまだ持っているか、家の中でどこかに紛れてしまったのか……」
ぶっきらぼうに質問を投げつけるジムに対し、ドーラはいたって丁寧な言葉を返した。ジムはドーラの口調を少々癪に触ると感じながらも、情報をしっかりと咀嚼しているようだった。ジムの質問が止まったところで、ふとリオードがこんなことを尋ねた。
「そういえば、ナターシャさんって、どんな方なんですか? 花詠みとして活動しているというのは聞きましたが……」
「ええ、娘は花詠みとして街に立つのをとても楽しみにしているようでした。セカンドストリートのあたりによく行くのだと聞いておりました。容姿については……そうですね、ダークブラウンの長い髪をサイドで編み込んでいることが多かったと思います。少したれ目の二重で、瞳はサファイアブルーです。親切で優雅だと、周りの人からも評判の娘です」
「なるほど」
リオードは、ドーラの提供する情報を律義にメモしている。その間に、ジムはもう用は済んだとでも言うかのように腰を上げた。
「彼女の部屋に邪魔するぞ」
「そうですか、ご案内いたします」
「いや、あなたはここにいてくれ。うちのリオードは、まだあなたに聞きたいことがあるらしいからな」
突然話をふられたリオードは、驚いて微かに声を洩らした。しかし、ドーラは動ずることなく、持ち上げかけた腰をもとの位置に戻した。
「そうですか、わかりました。娘の部屋は扉を出て、左手の突き当たりです」
ドーラの言葉を聞くと、返事もせずにジムはナターシャの部屋を目指して部屋を出て行った。リオードはジムの時間稼ぎをしなければならないことを悟り、なんとかため息を飲み込んだのだった。
「ここか」
一方ジムは、そんなリオードの様子を知ってか知らずか、鼻歌を歌いながらナターシャの部屋の中へと入っていった。
部屋を入って右手には、絵画が飾られている。どうやら、クラブ「パープルズ」のステージが描かれているようである。絵の端には、ナターシャの名前がサインされているので、おそらく本人がこの絵を描いたのだろう、とジムは思った。
次に、中央奥に机があることに注意が向いた。手始めに適当に引き出しを開けてみたが、入っているのは文房具くらいで、特に目ぼしいものはなさそうだった。
それから、左手にある本棚に目を向けた。壁一面を覆う本棚いっぱいに本が詰められており、ナターシャが読書家であったことが推測される。適当に本棚を眺めていたジムは、ふとあることに気がついた。
「栞が多い……?」
本棚の奥の方でひょっこり頭を覗かせているのは、恐らく栞に違いない。ざっと見たところ、その数は四つ。複数の本を同時に読み進める人間もいるにはいるが、だとすれば、栞を挿んだ読みかけの本はまとめて置いておけばよいはずである。果たしてばらばらの場所にしまっておく必要はあったのだろうか、とジムは疑問に思った。
数秒思考したのち、ジムは潔くその本を取り出してみることに決めた。まずは一冊手に取り、挿まれている栞を眺めた。
「オンシジュームか」
どうやら、押し花に加工したものを栞として使っているらしい。ナターシャは手先が器用なのだろう、とジムは考える。しかし大して面白くもないな、と思いながら裏面へ返したとき、ジムは僅かに目を見開いて口角を上げた。
《sgwgi unlgi thg clossot phik》
「ははっ、そうきたか」
ジムは面白いゲームが始まっていることにようやく気がついた。そして、ご所望ならば全力で追いかけてやろうと、早速二つ目の栞も取り出して確認した。
次の栞は、ヒマワリの押し花だった。その裏面には、こんなメッセージが残されている。
《The Leaf of the Words》
ジムはこれを読んで、すぐに何を指しているのかが分かった。ためらいなく本棚の背表紙をなぞり、目的の一冊を取り出す。
「ビンゴ」
『The Leaf of the Words』という題の本を開くと、ジムは満足げにそう呟いた。本のページの真ん中あたりがくりぬかれていて、そこへナターシャのものと思わしきセルフォンが行儀よくはめ込まれていた。
何のためにセルフォンが隠されていたのか、大変気になるところではある。が、ジムは何でもないようにそれをポケットの中へ押し込んだ。セルフォンの確認は後にして、ジムは先に全ての栞を確認することにしたのである。三つ目の栞は、どうやらルドベキアの押し花らしい。やはり裏面には言葉が綴られている。
《middle》
恐らく、これはあの「ミドル」を指しているのだろう。ジムがそう理解するまでに大して時間はかからなかった。だからといって、ジムは特に何を言うこともなかった。他人のことなんてどうでもいい、とジムは内心思っていた。だが一方で、それはもしかすると、彼女自身がミドル出身という過去を抱えているからなのかもしれなかった。
一瞬の静けさをなかったことにして、最後に取り出したのは、ストックの押し花の栞だった。裏面には、いたってシンプルな言葉が書かれていた。
《painting》
ジムはそれを読むと、部屋を入って右手に掛けられていた何の変哲もなさそうな絵画を取り外した。ジムが迷いなく目を向けたのは、キャンパスの裏面に描かれたわずかな言葉だった。
《Light will be dream》
「なるほど、これで全てのピースが揃ったってわけだ」
ジムは上機嫌だった。漁ったものを元の位置へ違和感なく戻しながら、さぞ面白いショーが見れるに違いないと、思わずにやついていた。部屋に入って来た時と同じように鼻歌を歌いながら、ジムはドーラとリオードのいる部屋へ戻って行った。
「カロン、行くぞ」
「えっ」
ジムはリオードの腕を雑に掴み、引きずるようにして椅子から立ち上げさせた。話し相手が突然奪われ、ドーラは戸惑いを隠せない様子である。
「どっ、どこへ行くんですか」
「馬鹿、決まってんだろ? 消えたレディを探しにだよ」
「まさかジムさん、もう居場所がわかったんですか⁉」
「うるせえな。行けばわかる。ほら、さっさと立て」
「ちょっ、まっ、分かりましたから引っ張らないでくださいってば!」
背の低い少女にひょろひょろの男が手を引かれているというのは、何とも滑稽な画である。体勢を大きく崩しながらも、リオードはなんとか「さようなら」の挨拶を告げてその場を離れたのだった。過ぎ去った嵐に、ドーラは唖然としたまま座って見送ることしかできなかった。
「あのー、ジムさん? 行先は教えてくれないんですか……?」
また厄介事に巻き込まれる気配を察知したのか、リオードがおどおどしながらそう問いかける。しかし、返事はない。ジムは相変わらずご機嫌な様子で、リオードの言葉を無視してずんずん前へ進んでいく。リオードには諦めるほか道は残されていなかった。それに気がつくとため息を一つついて、仕方がなくそのままジムに引きずられていくのだった。
「よーう」
そんな暢気な挨拶をしながら、ジムはクラブ「パープルズ」の扉を叩いた。勿論、返事は待たずに中へずかずかと入っていく。中で開店準備をしていた少女は、ジムたちの姿を視認するやいなや、この街に似合わない優しすぎる笑みを浮かべた。
「ジムさん!」
彼女は、シオン・テイニー。クラブ「パープルズ」のオーナーの一人だ。鮮やかな赤髪をぴょこぴょこ跳ねさせながら熱心に働く様子は、誰が見ても癒されるに違いない。
「おうおう。嫌な予感がすると思ったらお前か、ジム」
一方、カウンターの奥からやって来たこちらのガラの悪い青年が、シエン・テイニー。シオンの兄であり、パープルズを運営しているもう一人のオーナーだ。シエンとは対照的に、あのオレンジがかった赤髪を見たら決して逆らってはならないと畏怖されている人物である。
「面倒ごとの予感がする」
「いやいや、ただの人探しだよ」
「……それにしては物騒なもん連れて来てるじゃねえか」
「やっぱりばれてたか。話が早くて助かるな」
ジムの挑発的な言葉に、シエンはカウンターに突っ伏して「ケッ」とますます嫌な顔をした。リオードとシオンは一体何が起きているのか分からず、おろおろと二人の顔色をうかがうばかりである。
「おい、シオン。危ねえから奥でじっとしてろよ?」
シオンはシエンの指示にこくこくと頷いて、てこてことバックヤードへ歩いていった。シエンが気を遣って優しく接するのは、この世界でたった一人、シオンだけである。
「そこの骨々カロンもなー」
対して、ジムはリオードの背中を雑に押し出した。つんのめったリオードが何とか転ばずに耐えると、向こうでシオンがちょいちょいと手招きをしているのが見えた。そして、リオードはうんうん頷きながらシオンの方へ向かい、彼女と共に姿を潜めたのだった。
「で、一体何を連れて来たんだ?」
カウンターに片肘をついてもたれかかったまま、シオンはジムにそう尋ねた。
「依頼人」
「嘘つけ」
「例の目玉コレクターもおまけしといたんだ」
「……なんだって?」
シエンが目を見開いた時、店の扉が不吉な音を立てて動き出した。シエンは僅かに体を強張らせたが、ジムはむしろ柔らかくリラックスした様子だった。
「やあ、あなたがジムさんかい?」
扉の向こうから姿を現したのは、少しふくよかな体型の金髪の男性だった。
「ええ。依頼人のローグ・ファルカさんですね? どうしてこんなところに?」
そう話すジムは、見事な営業スマイルを浮かべていた。こういう接待は、ジムが相当機嫌のいい時にしか行われない。そのことをシオンは知っていたので、ますますジムのことをこの場から追い出したくなった。しかし、ショーは既に始まっており、その主催者がジムである以上、止めることが不可能であることもシオンは重々承知だった。
「いやあ、妻から連絡が入ったんですよ。『ジムさんが娘の居場所を突き止めたらしい』とね。それで、いてもたってもいられなくなりまして。して、娘はどちらに?」
「いやあ、娘さん探しに随分熱心なんですね」
「そりゃあ、親ですから……」
ローグがそう言いかけた時、ジムはその言葉を遮るようにぐっと距離を詰め、こう耳打ちした。
「そんなに逃げられたのが悔しかったんですか?」
その言葉を聞いて、ローグははっと息をのんだ。そして冷や汗が伝う間もなく拳銃を構えたが、ジム相手には遅すぎる動きだった。
ジムは拳銃を真上に蹴り飛ばすと、ローグの背面に回って蹴りを入れ、相手の膝を折った。そして、体勢が崩れた所を狙って腕をひねりあげる。そのまま体重をかけて地面に押し付けると、タイミングよく落ちて来た拳銃をキャッチし、一秒の無駄もなくローグの頭につきつけた。
「ははっ。頭脳戦はあの女で、力仕事はあんたの役目ってことか。わざわざここまでご苦労なこった」
鮮やかな流れで鎮圧されてしまったローグは、渋い顔を浮かべるしかなかった。出来すぎたアクション映画を見ているような気分で傍観者を務めていたシエンは、場が落ち着いたのを見計らってジムに話しかけた。
「そいつが依頼人?」
「そ」
ジムはローグに拳銃をつきつけたまま、子どものような笑みを浮かべて返事した。突然静まった店内の状況を感じ取ったのか、扉の外がやけに騒がしい。
「……おいおい、まさか本当に釣ってきたのか?」
「おい、喜べよ。超有名人の御登場だぜ?」
ジムの言葉を合図に、今度は破壊するつもりなのではないかという勢いで扉が蹴り飛ばされた。そして、派手な金色のスーツにサングラスをあわせたガタイのいい男が、気味のわるい笑みを浮かべてこちらへ歩んで来る。
「開店前にすまんねえ。ちょっと話をしようや」
「ええ、どうぞこちらに」
いつの間にかローグが気絶していたことに気がつくと、ジムはその重くなった体を軽く蹴飛ばして立ち上がり、男を端の席へ誘導した。まるで自分が店のマスターであるかのような振る舞いである。仕方がないのでジムの芝居に付き合ってやることにしたシエンは、グラスに水を注ぎ男にそっと差し出した。男はそれを一気に飲み干すと、ダンと音を立ててグラスをテーブルに叩きつけるように置いた。
「なあ、お嬢さんよう。取引先を奪われると困るんだがねえ」
「……と、言いますと?」
「ローグさん家の娘さん……正確にはその子の目玉なんだけどさあ、俺が買う予定だったのよ。それが突然いなくなったもんだから、急いで探させたら、依頼した探偵がもう見つけたって言うのさ」
「へえ、有能な探偵さんなんですね」
「だろお? だから俺も礼を言わなくちゃならんと思って一緒に来てみたんだが」
男はそこで言葉を区切ると、親指でひれ伏したまま動かないローグのことを親指でくいと指した。
「あれはどういうことさね」
じろりと睨みつけられたジムは、とびきりの笑顔でこう答えた。
「さあ、何のことだか?」
店内に響き渡った上向きな声を皮切りに、男はとうとう本性を現した。男はまず手始めに、手元にあったグラスをジムへ向かって思い切り投げた。しかし、ジムはそれを器用にシエンの方へ蹴り飛ばした。シエンはパシッと音を立ててそれを片手で受け止めた。さながらキャッチボールをしているかのような軽さである。
「おいおい、店の物を壊してくれるなよ?」
「修理費の請求はグレイによろしく」
「ならいいだろう。俺も参戦してやる」
「ははっ、こりゃ高くつきそうだな」
乗り気になったシエンは、カウンターを飛び越え、ジムの横に仁王立ちした。
先制攻撃が二人に何のダメージも与えていないことがわかると、男は地に響くような大声を出した。
「……邪魔すんじゃねえぞ、このクソガキどもが‼」
その声を皮切りに、多くの手下が店内になだれ込んで来る。シエンはその場で何度か軽くジャンプをすると、鋭い目つきで構えの姿勢に入った。その隣で、ジムはにんまりと笑みを浮かべて、久々にストレス解消が出来るなあと考えながら、拳を思い切り引き上げた。
これが、後に語り継がれる大乱闘の開幕である。
「……まったく、なんて惨状だ」
通報のあった現場へやって来たユエは、早々に頭を抱えた。
店内のあちこちに銃弾が貫通した跡があり、ぼろぼろになったグラスやら椅子やらが無残にも転がっている。そこら中に人が倒れ伏していて、もはや足の踏み場もない。それも、見るからに重傷者ばかりだ。事件の捜査はまだ終わっていないというのに、関係者が全員死んでいないか心配になる程である。
「しょうがねえだろ。相手はポリスが手を焼いていたあの目玉コレクターだぞ? それに連絡も入れた」
「連絡してきたのは君じゃないだろう」
むすっとしながらジムが発した言葉に、ユエは呆れた声色でその内容を訂正した。ついでに、ジムが手元で拳銃をくるくる回して遊んでいるのに気がつくと、ユエはそれを捜査資料として取り上げた。言うまでもなく、ジムはさらに拗ねた。
それは、目玉コレクターたちとの争いが始まってすぐのこと。直接覗いて確認することは出来ないが、響き渡る騒音からシオンはなんとなく大変なことが起きているのだろうなあということを理解した。すると、すぐ隣にいたリオードのセルフォンを借り、ポリスに一報を入れておいたのだった。その様子をただ見ていただけのリオードは、この街の住人は皆この規模のトラブルに慣れているのかと、自分の中の普通を疑うことしか出来なかった。
「シオンちゃん、慣れてるんだね……」
「ああ、連絡をくれたのは君か。ジムの被害を長時間放置しておくと、後戻り出来なくなってもおかしくないからな……。本当に助かった」
「おう、シオン。お手柄だな」
「えへへ」
様々な人に褒めちぎられたシオンは、ご満悦の様子で可愛らしく声を洩らした。クラブを運営している以上トラブルはつきものであるから、通報はお手の物なのである。
シオンの愛らしい姿に癒される反面、楽しかったショーの時間が終わってしまったことを残念がっていたジムは、ふとポケットに入れられていた存在のことを思い出した。
「あ、ポリスの忠犬くん。これいるか?」
「それは……?」
そう言って取り出して見せたのは、ナターシャの部屋からくすねて来たあのセルフォンだった。
「目玉コレクターの被害者……になる予定だった奴の所持品だよ」
「なぜそれを私に? いつもの君だったら、素直に預けたりはしないだろう」
「全部を知ってる私が持ってたって仕方がないだろ? 精々低能ポリスの皆さんで好きに使えばいいさ」
ジムは、嫌みったらしくそのセルフォンをユエの胸へ預けてやった。ユエはジムの侮辱的な発言に何か言い返そうとしたが、ジムが一瞬真面目な目つきをしたのを見逃さず、開きかけた口を閉じた。
「ここに目玉コレクターと取引した証拠がデータとして残されている。多分な」
「多分……?」
「中は見てないから知らん。あとついでに言っとくと、そのローグって男の嫁もグルだかんな」
それだけ告げると、ジムはいつものような人を茶化すふざけた雰囲気に戻っていた。ユエは眉間に皺を寄せながらも、律義にジムに頭を下げた。
「はっ、馬鹿じゃねえの」
ジムはぶっきらぼうにそう吐き捨てると、クラブの出口を目指して歩き出した。
「おい、カロン。行くぞ」
「あっ、はい!」
リオードは急いでシオンとシエンに別れを告げ、ユエにも一礼した後、小走りでジムの背中を追いかけた。
「あとは事務所へ戻って報告するだけですか?」
「馬鹿。まだ彼女のゲームは終わっちゃいねえんだよ」
ジムの発言は難解で、リオードの脳内はクエスチョンマークで埋め尽くされている。
「最初に言っただろ。『消えたレディを探しに』って」
「……ああ、確かにナターシャさんはまだ見つかっていませんもんね」
補足の説明があって、リオードはようやく自分たちの依頼の達成度を理解することが出来た。本来であれば、依頼人が犯罪に関わっていた時点で依頼自体が頓挫しているようなものだが、それについてはあえて言及しないことにした。
「それにしても、どうしてナターシャさんの居場所がわかるんですか?」
「単純なこった。彼女がメッセージを残していたからだよ」
「へ、へえ」
ナターシャの部屋に仕込まれていた謎を一度も見ていないリオードからすれば、何の話か分からないのも当然である。だから、こうしてジムの機嫌を損ない過ぎないように、分かったふりをするしかないと、リオードはそう考えたわけである。
その思考を一から十まで察したジムは、軽くため息をついた。リオードはその様子を見て、びくりと肩を揺らした。そんなに怖がらなくても、と少し戸惑ったジムは、頭を掻きながら俯き加減のリオードに話しかけた。
「あー、最初から説明してやる。二度はないからな」
「ほ、ほんとですか⁉ ありがとうございます!」
リオードはジムの言葉に目を輝かせた。ジムに少しだけ心を開いてもらえたと思ったのか、喜ぶ姿はまるで子供のようで、どこかシオンの纏う雰囲気にも似た愛嬌があった。
「まず、初めの違和感はあの女だ」
ジムは、依頼人であるドーラの発言を疑わずにはいられなかった。ドーラはナターシャとの連絡手段について、セルフォンを挙げた。そしてセルフォンの在り処を尋ねる質問に対し、彼女は「ポリスへの届け出もない」と答えた。つまり、ドーラはセルフォンを探しに一度はポリスを訪れているということである。
「行方不明の娘のことを調べに行ったっていうんなら、なくなった持ち物全体の話に広がらないのも不自然だ。隠したいことが記録されてる可能性が高いってことだよ」
「なるほど」
リオードはメモをとりながら、ジムの言葉を一つ一つ咀嚼し、うんうんと頷いた。
「もう一つ、ドーラの話で気になったのは、娘の容姿の説明だ」
リオードがナターシャについて尋ねた時、「ダークブラウンの長い髪をサイドで編み込んでいる」「少したれ目の二重で、瞳はサファイアブルー」とドーラは話していた。しかし、これはあまりに頭の上半分に偏り過ぎではないか、とジムは感じたのだ。一般的には、身長や体型、最後に見かけた時の服装などが挙げられるべきであり、特に「二重」などという情報は先に出て来るものとは思えなかった。
「ついでに言うと、『サファイアブルー』ってのもなあ」
「何かおかしいですか?」
「娘がいなくなって精神不安定の状態なら、精々『青』くらいの表現しか出て来ないと思わないか? するとあれは、前々から使い慣れていた表現ってことだろ。瞳の色を説明するのに毎回宝石の名前を出すのは普通じゃないだろと……まあ、この辺は勘だな」
ドーラを怪しんだジムは、彼女のことをリオードに押し付けて、ナターシャの部屋の調査へ向かった。そこで見つけたのが、四つの栞である。
「それぞれオンシジューム、ヒマワリ、ルドベキア、ストックの押し花が加工されたものだった。ご丁寧に、裏面にメッセージ付きでな」
四つの栞は、開花時期の早い順に考察していくことで、ナターシャの思い描いたシナリオを辿っていける。
①ルドベキア:《middle》
②ヒマワリ:《The Leaf of the Words》
③オンシジューム:《sgwgi unlgi thg clossot phik》
④ストック:《painting》
「《middle》は、恐らく彼女がミドル出身だったことを示しているんだろう」
「えっ、ナターシャさんとドーラさんとローグさんは、本当の家族じゃないってことですか?」
「髪色も瞳の色も違う血のつながった家族がいると思うか?」
「あ、言われてみれば……」
ナターシャはダークブラウンの髪にサファイアブルーの瞳である一方、ドーラの髪色はブロンドで瞳の色はアンバーだった。ローグに関しても、突っ伏して気絶している姿しかリオードは見ていないため、瞳の色までは確認できなかったが、金髪であったことは確かである。記憶を一生懸命掘り起こして、リオードは「確かに」と小さく呟いた。
「次の《The Leaf of the Words》は、書棚にあった本のタイトルだ。中に細工がしてあって、セルフォンが隠されていた」
「ああ、ユエさんに渡していたものですね」
セルフォンについて、ミドルから拾って来た子どもを育て目玉コレクターに売る約束を結んだことの証拠が残されているのではないかとジムは睨んでいる。
「ほら、あれだ、ドーラがあの目玉コレクターと通話しているのを録音したとか」
「じゃあ、彼女は自分が近々売られることを知っていたと……?」
「どこへ売られて、どうなるのかも、分かっていたんだろうな。じゃなきゃこんな選び方はしないだろうよ」
ナターシャがメッセージを残した四つの栞に用いられている花には、一つの共通点があった。それは、花詠みの知識があるジムでなければ見逃していたかもしれないことだった。
花詠みにおいて、ルドベキアは、何かを見つめるという意味を持つ。ヒマワリには、一つの物を一心に見つめるという意味がある。オンシジュームは、一般的には共存の意が有名だが、少し古い文献では美しい瞳と解釈される例がある。そしてストックからは、先の未来を見つめるという意味を読みとるのである。
「全て目に関連することばかりだ。彼女は自分の目玉がどれだけ値踏まれていたか、気づいていたに違いない」
何でもないように発せられたジムの言葉に、リオードは渋い顔をした。若き乙女が背負うには、過酷すぎる運命だとでも思っているのだろう。
「話を戻すぞ」
三つ目のオンシジュームの栞に残されていた《sgwgi unlgi thg clossot phik》というメッセージは、これだけでは使えない。これを読み解く鍵は四つ目のストックのしおりにあった。
「《painting》……絵画、ですか?」
「そうだ。彼女の部屋には彼女が自分で描いたらしい絵が飾ってあった。パープルズのステージの絵がな」
「なるほど、だからそれで……!」
「いや、違うが」
ようやく分かってすっきりした、という表情を浮かべそうになったリオードのことを、ジムはあっさりと切り捨てた。
「あそこに彼女がいるなら、私はわざわざ外へ出て来たりしない」
「そ、そうですよね……」
リオードは肩をしゅんと丸めた。
「あれは彼女なりのミスリードのつもりだったんだろうな。万が一全てのヒントが見つかったとしても、居場所がそう簡単にばれないように」
着目すべきは絵画そのものではなく、そのタイトルである。《Light will be dream》というタイトルは、そもそも文法的に不可解で成立していない。では何かといえば、これは文字の変化を表していると推測されるのである。
「要するに、『L』が『D』、『I』が『R』……っていう要領で『light』という単語に使用されている文字を『dream』に置き換えていくわけだ。そうやってオンシジュームのメッセージを読み解いていくと……こうなる」
《sewer under the clossom park》
「クロッサムパーク下の下水道……?」
「つまりここだ」
そう言って、ジムは仁王立ちの姿勢でぴたりと足を止めた。必死にメモを睨みつけていたリオードは、危うくジムの背中に衝突しそうになったのを、すんでのところでどうにか耐えた。リオードがきょろきょろと見渡してみると、確かにいつの間にか住宅街を抜けて、二人は広い公園の敷地内に立っていた。どうやら、話に夢中になっているうちに結構な距離を歩いて来たらしい。
ジムはすっとしゃがみこむと、大きなマンホールの蓋を容易くはずした。残念ながら、彼女はか弱い乙女ではないのである。
「え、まさか入るんですか」
「そのまさかだよ」
その直後、ジムは勢いよく穴の中へ飛び込み、あっという間に闇の中へ姿を晦ましてしまった。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ」
リオードはもはや半べそをかいている状態である。いつも大変だけれど、今日はこれから追加で大冒険をしなければならないなんて、と気分はダダ下がりだ。しかし時間は止まってくれないので、嫌々ながらも暗闇へと続く足場に足をかけ、一つ一つ慎重に下りていったのだった。
「ジムさーん、どうしてこんな所進んでいけるんですか……」
リオードがめそめそしながらそう聞いたが、ジムは何も言わなかった。本当のところは、ミドルの時によく使っていたという、ただそれだけの話である。同行していたのがグレイであれば話さざるを得なかったかもしれないが、半泣き状態の疲れ切ったリオードであれば何の問題もなかった。
下水道を暫く進んでいくと、遠くでぼんやりと光が見えてきた。
「……あれ、あそこ、なんか明るくないですか?」
「ああ、墓場だな」
「ひょっ⁉」
リオードはジムの肩をがっと掴んで縮みあがった。怖がりの相手は面倒だな、とジムは軽くため息をつきながらも説明を付け足した。
「あそこだけなぜかコンクリートで埋められていて、水が流れていないんだ。だからこの下水道を使う奴らは、あそこを『墓場』って呼んで標にしてるんだよ。誰かが骨でも埋めたんじゃないかってな。ははっ」
「ちょっ、怖いこと言わないでくださいよ」
リオードが引き返す方向へ強く肩を揺さぶるのを無視して、ジムは強引に前へ進んでいく。
「……まったく、こんな皮肉はないがな」
少し明るく開けた視界を確認して、リオードは短く息を吐き出した。ジムの肩に乗っていた手が、脱力してぶらりと垂れ下がる。
「ナターシャさん……?」
そこには、光る花々に囲われて、一人の美しい少女が眠っていた。
ジムは花を踏みつぶさないよう注意を払いながらナターシャの方へ近づき、容態を確認した。そっと手首に指を当てるが、脈はない。優しく瞼を持ち上げると、隠されたサファイアブルーの宝石が姿を現す。しかし、真ん中にぽっかりと浮かぶ透き通った闇への道は、ピクリとも動かなかった。
「まあ薄々勘づいてはいたが、やっぱり自殺したんだな」
「そんな……!」
瞼のカーテンを元に戻すと、ジムはすぐに花園を出てリオードの方へ戻って来た。淡々と吐き出されたジムの言葉に対し、リオードの声はかすかに震えていた。
「ナターシャさんは、逃げたんじゃなかったんですか」
「ああ、逃げたさ。これが彼女なりの逃げの勝利の形だ」
ジムはそれだけ言うと、ナターシャの遺体の方を向いて片膝をつき、片手を自分の胸に添えて静かに目を閉じた。その様子を見て、リオードもナターシャの死を認めざるを得なかった。
聖なる沈黙のあと、ジムは独り言を呟くように語り出した。
「彼女はきっと、あの目玉コレクターから生きて逃げ切る道が見つけられなかったんじゃないか、と私は思う。お前も見ただろ? あれだけの手下を用意できるってことは、金や権力は十分。おまけにあいつ自身も戦闘の場に身を投げられるくらいの強さは備えていた。ところが彼女は? ミドルに金も権力もありゃしない。いくら拾われて後ろ盾が出来たといったって、彼らに裏切られたんじゃ、そんなの砂の城も同然だ。彼女には当然、男と戦えるほどの強さもない。ただの、しがない花詠みだった。つまりだな、『パワー・イズ・パワー』ってこった」
リオードは、何も言い返すことが出来なかった。この街ではそれが全てなのだと、改めて思い知らされたのだ。リオードの中で暗く濁った感情が渦巻き始めようとしたとき、ジムは空気を一転して柔らかい声色で話し出した。
「それにしても、彼女らしい最期の舞台だとは思わないか?」
「……え?」
「トレニアは、女王の花とも呼ばれていて、多くの人に愛される魅力や知的なひらめきがあると解釈される。彼女の評価には打ってつけの花だ。実際、私たちも女王閣下の命令の下、ここまで呼び寄せられたわけだしな」
愛おしそうにナターシャを眺めながら話をするジムに納得する一方、リオードの頭には新たな疑問が浮かんできた。
「そういえば、ナターシャさんはなんでメッセージを残したんでしょう? 本当に隠れたいなら、いっそ何も残さない方が……」
「さあな。美に執着したどこぞの御伽噺の女王の素質でも備えてたんじゃねえか? まあ、死人に口なしだから、私たちが何を考えても仕方ないだろうよ」
「それもそうですね」
「だが」
ジムはそこで一度言葉を区切った。
「……光る花ってのは、無視できねえよなあ」
そう言われて、リオードははっとした。地上から僅かに差し込む光がうまく反射して周囲がぼんやりと明るんでいるのかと思っていたが、そうではなかった。確かに、花自体が発光しているのである。リオードは何度か目を擦ったが、目の前の光景が変化することはなかった。
「光る花なんて、本当にあるんですか……?」
「いや、存在しない。とはいえ、理論上は可能なはずだ。ついこの前、光る花に関する論文が出ていたから、それをもとに実現することは出来なくもないかもしれないが……」
そこまで述べると、ジムは顎に手を当ててふむ、と考えこんだ。あれはそれなりに新しい論文だったはずだが、発表時期から今日までに果たしてどれくらい時間が残されていただろうか。それに、彼女がいつ、どうやって自殺したのかもわかっていない。ナターシャが行方をくらましたのは六日前だ。家を出てすぐにここに来て身を隠すつもりだったのなら、もう一週間近くも遺体がこの状態を維持していることになり、目の前にある美しいままの体は作り物だと言われた方が納得できるくらいである。表情も非常に穏やかで、彼女が期待通りの安らぎの死を迎えたことは想像に難くない。
こんなにも短期間で凡人の空想を実現できてしまいそうな天才的な人物といえば、今まで出会った中では彼女くらいしか――――と、ジムはそこで思考を切り上げた。
「もしかすると、彼女には協力者がいたのかもな。ははっ、それにしても、こんなファンタジックなもんを現実世界に作り出しちまったのは、一体どこの誰だか」
「……なんとも、信じられない話ですね」
「……今回ばかりはお前に同感だ」
二人はそう呟くと、幻想的な花の光に照らされる墓場に眠る少女の美しい姿をじっと目に焼き付けた。そして、どちらからともなくその場をあとにしたのだった。
「じゃあ、帰りますか」
無事マンホールの穴から這い出て地上へ戻ってくると、リオードはジムにほっとした表情でそう声をかけた。一件落着し、リオードは事務所に戻る気満々だったのである。
「は?」
しかし、ジムはそんなつもりはまっぴらないぞという顔をしてみせた。
「え?」
「事務所に戻るのはお前だけだ、カロン」
「えっ、いや、でも報告が……」
「何言ってんだよ。事の経緯は全部説明したろ?」
ジムがこてんと首を傾げてそう言ったところで、リオードはようやく面倒ごとを押し付けられただけだったことを理解した。しかも今日はめられたのはこれで二回目、最悪の気分である。
「だっ、だからあんなに丁寧に説明を……⁉」
「私は自分に利がないことはしないからな」
「で、でもやっぱり、ナターシャさんの部屋は僕一切見てないですし、グレイさんに何か聞かれても答えられないし……」
「変なこと聞かれたら、まあ、そのへんは適当に誤魔化しときゃあいいんだよ」
「適当にって……」
「あーもう、今日新作バーガーの発売日なんだよ。六時半から売り出されるから、もう行かないと間に合わない」
「そ、そんなこと言われても」
「じゃ、あとは頼んだ」
「あ!」
ジムを引き留めようとリオードが伸ばした手は、虚しくも空を切った。ジムは楽しげな表情でひらと手を振ると、その後すぐに姿を消してしまった。
「……もう、勘弁してくださいよ‼」
一人クロッサムパークに取り残されたリオードは、力任せにそう叫んだのだった。
「なるほど。お疲れ様」
「ありがとうございます……」
最後の力を振り絞ってなんとか事務所へ戻って来たリオードは、無事グレイへの報告を終え、ソファーにだらりと体を沈ませていた。グレイもジムの性格をよく知っているからか、はたまた疲れ切った様子のリオードに同情したからか、特に質問攻めになることもなかった。
「ところでさ」
「はい、なんでしょう」
「そのー、ナターシャさんのご遺体は?」
「……あ」
非常にだらしのない体勢のまま、リオードはポカンと口を開けた。そして、そのまま大きく長く息をついた。
「下水道に、そのままです」
「あちゃー。こりゃ気づかれたら面倒だぞ」
「面倒」と言ってしまうあたり、グレイもジムと同類なのだろうな、とリオードは密かに思った。とその時、まるでこちらの考えを読んでいたかのようなタイミングで、事務所の扉が叩かれた。
「突然済まない」
「いや、構いませんよ。どうかされましたか?」
「実は、例の目玉コレクターとつながっていたファルカ夫妻が娘のナターシャさんについて供述しているのですが、彼女は行方知れずということで。こちらに依頼を出していたということも含めて、お話をお聞きしたいのですが」
「あー……」
ユエの話を聞くと、グレイとリオードは二人揃って不自然に目を逸らした。さすがに何かありそうだなと思ったユエが再び口を開こうとしたところ、また最悪なタイミングであの少女が戻って来てしまった。
「たっだいまー」
無事新作バーガーにありつけたのか、ジムは両手に袋を掲げてスキップしながら部屋の中へと入って来た。怖いくらいに上機嫌なジムの挨拶を耳にして、グレイとリオードはぴたりと動きを止めた。勿論、視線は逸らしたままである。どうかこの場を荒らさないでくれ、と二人は冷や汗をかきながら必死に祈ったが、その願いは呆気なく崩れ落ちた。そもそも、ポリス上位の実力を持つユエがこの不自然な行動の連なりに気がつかないはずがないのである。
「……まさかとは思うが、ナターシャさんの行方にも君が関わっているのか?」
ユエにそう尋ねられて、ジムは軽く瞬きをした。そして、早速買って来たポテトをつまみながら、こう答えた。
「ナターシャ? ああ、彼女死んでるけど」
「は」
普段と変わらない声色で発せられた衝撃の事実に、ユエははくと息を止めた。そして一拍おいた後、ユエの怒声が部屋いっぱいに響き渡った。
「まったく、美女の怒りほど怖いものはないね」
グレイは耳栓代わりにしていた手を降ろすと、そうやって暢気なことを言いながら、やれやれと首を振ったのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!