剛と柔【Fパート】
直実の後を託された松浦健太、静の後を託された鷲尾繁樹は走者は出すものの要所を締め、七回まで無失点リレーを継続していた。
そして迎えた八回表。
「この回からは加藤、金森のバッテリーでいく。」
「先生、俺はまだいけます!」
ロングリリーフを覚悟していた松浦は三浦にアピールをした。
「勝つ事より大切なものがある。
何だかわかるか?」
「‥‥選手の体調、でしょうか?」
松浦は完治していない割れた爪を他の指でさすりながら答えた。
「それもある。
特にお前は無茶をするからな。」
三浦の言葉にギクリとする松浦。
実のところ、指先の繊細な感覚が急激に鈍ってきていたのだ。
「――だが、チームとして見た場合、各個人の経験こそ一番の宝だ。」
「経験‥‥ですか。」
「言っておくが、俺はこの試合を捨てた訳ではない。
地区大会を勝ち上がる為の糧としたいんだ。」
「‥‥わかりました。」
一選手としてではなく、部長という肩書が松浦を納得させた。
加藤は決して悪い投手ではない。
もし、他の公立中に入っていればエースの肩書を得られたであろう。
コーナーを使い分けるコントロール、同じモーションで付けられる緩急。
白鳳の打者に対しても2ストライクまでは追い込める実力がある。
だが、あと一つのストライクがどうしても取れない。
カキ――――ン!!
堰を切ったかのように打ち出す白鳳打線。
気付けば九失点、加藤にとってそれは公開処刑そのものだった。
「決め球がないのが致命的だな、あの三番手のピッチャー。
それに目を切って打球を追える外野手がいないのも致命的だ。
そしてポロリの多いファースト‥‥長田と言ったか。」
ほぼ勝ちが確定的となった白鳳の監督、滝口は雄弁に語った。
三浦は加藤に代えて伊藤をマウンドに上げるも、白鳳の勢いを止める事は出来なかった。
遊撃手の星野のファインプレイで八回表の攻撃は終わったものの、得点差は実に二十一点。絶望的な展開だった。
「何とか俺まで回せ!」
この試合、二安打の太刀川が檄を飛ばす。
白鳳のマウンドには一年生投手の鎌田正市が三番手として上がっていた。
「プレイ!」
主審のコール後の初球だった。
カキ――ン!
意外性の打者と呼ばれていた八番の竹之内省吾が遊撃手の頭上を越えるヒットを放つ。
(あれくらい忠信なら捕っていたものを‥‥。)
滝口は唇を噛みながらレギュラー陣と控えの差を心中で嘆いた。
「まさに口は災いの元、ですね。」
静が滝口の心を見透かしたように続けた。
「お前は少し黙っていろ!」
滝口は正座で試合を観戦させられている静を叱咤した。
「あはは、怒られてる、怒られてる。」
静を指さして笑う直実もまた正座をさせられていた。
「鷹ノ目!」
「は、はい!」
三浦の声に背筋が伸びた。
「試合が終わったらグラウンド三十周だ。いいな?」
「は、はぁい‥‥。」
本当に口は災いの元である。
ちらりと静を見ると、右掌で口元を押さえながら直実を見ていた。
『鉄仮面』と呼ばれた少女は素の自分を抑えきれなかった。
竹之内には代走で新井隼が送られる。
ハイタッチを交わす竹之内と新井。
続く九番の伊藤はきっちり送りバントを決めて一死二塁となった。
そして打順はトップバッターの星野に回る。
この試合、太刀川の他にヒットを打っているのは、星野と金森、そして先程の竹之内だけだった。
コン!
星野は鎌田の二球目をドラッグバンド。
一塁手の熊井忠がボールを捕球した時には、俊足の星野は一塁ベースに到達する寸前だった。
「あいつ、上手ぇな。」
熊井が感嘆する。
「そりゃそうですよ。
去年のリトルの全国大会では出塁率七割五分超えのバッターですから。」
「ああ鎌田、たしかお前もリトル出身だったな。」
「決め球が弱いって理由で硬式を落とされて軟式に移ったんですが、まさか星野と当たれるとは思ってなかったですよ。」
「フッ、お前も俺と似た境遇だったか‥‥。
とにかく、二番、三番を打ち取れ。太刀川まで回すな。」
「はい。」
バントの名手、二番の岡田が新井と星野を進塁させて二死二三塁。
「頼んだぞ、和田。」
仕事をやり終えた岡田が和田とグータッチする。
続く打者は三番の和田。
打席に入った和田はカット打法でフルカウントまで粘る。
(鎌田正市。身長百六十センチ、体重五十五キロ、右投げ右打ち。
岩手県平泉市出身。
去年のリトルリーグ全国大会では準々決勝で敗退。
MAXスピード百三十五キロ。
決め球はシュート。
フルカウント時にシュートを投げるパーセンテージは七割二分八厘‥‥。)
和田の頭の中にインプットされた鎌田のリトルリーグの全国大会出場時のデータが再生される。
(ただし、このシュートがボールになるパーセンテージは六割五分。
だから自分は――)
「ボール、フォア!」
(敢えて見送る。)
一塁へ歩く和田。
博打に勝った優男のその両拳は硬く握られていた。
「よっし! 良く選んだ、和田ーっ!」
親分の仇名を持つ金森が大きな声で和田を労う。
そして満を持して打席には太刀川が入った。
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