不沈艦は沈まない【Dパート】
七回裏、彩央大附属中のマウンドには『完全無欠の中継ぎエース』と称される変則右投げの下河辺圭二が上がった。
下河辺は白鳳の静ほどではないにしろ、多彩な変化球と緩急の使い分けを武器に、羽野、金森、藤本を凡打に仕留める。
「このピッチャーもイヤな球投げるなぁ。」
チェンジアップで三飛に打ち取られた藤本が嘆く。
「それはそうですよ。
彩央大附属中の選手はエリート中のエリートですからね。
その中で最も上手い選手がこの試合に出てるんです。」
和田はそう言うと藤本にグローブを投げ渡す。
「サンキュサンキュ。
――つまり、普通にやってたら点が入らねぇワケね。」
「――ですね。
普通にやってたら‥‥。」
「ええい、お前ら、いつまであの女子投手を打ち崩せんのだ!?
地区大会ごときでノーヒットとは前代未聞だぞ!」
彩央大附属中の監督・矢崎はいつまでもスタミナ切れを起こさない直実に脅威を感じていた。
仮に直実がスタミナ切れを起こしたとしても、その後ろに控えているのは松浦だ。
矢崎が喉から手が出るほど欲しかった、あの松浦だ。
とっとと1点をもぎ取って勝ちパターンへの流れに乗りたい。
そういった意味に於いて、選手への檄は己の焦りの裏返しと言えた。
「いつもの野球はどうした!?
普通にやっていれば勝てる相手だぞ!」
「監督! お言葉ですが、普段の練習でもあのスピードは想定してません!
普通の野球をやらせてもらってないのでは点が取れません!」
捕手の原田が矢崎に意見した。
しかし、矢崎は原田の意見を見透かしていたかのように口端を上げる。
「そこでだ。
――長沼、お前の出番だ。『死に役』をやってもらう。」
死に役、それはわざとボールに当たる隠語であった。
これは投手の動揺を誘えれば良しというもので、死球で出塁出来れば尚良しといった身を挺した役割であった。
「わ、わかりました!」
長沼は断る事が出来なかった。
断ろうものなら、ベンチ入りのメンバーから外される事を意味する。
それ程までに彩央大附属中の層は厚かった。
与えられたチャンスは何が何でも活かさなくてはならない。
それがたとえ、それが捨て駒であったとしても。
六番の森に変わって左打席に入った長沼は、ホームベース寄りギリギリの位置に立つと、極端なクラッチングスタイルの構えを取った。
ストライクゾーンに被さるように立つ行為はルール上で禁止されてはいない。
仮にボールがぶつかっても審判は通常ストライクを宣告する。
それでも敢えてそれを行う目的は、外角低めに球を集める事か、投手への嫌がらせのどちらかだが、今回の場合、明らかに後者の意味合いが強かった。
(鷹ノ目さん、ここしか‥‥。)
羽野は消去法的にミットを外角低めに構えた。
それに頷く直実。
「うおおおおおっ!」
直実はミットの位置を目掛けて鉄腕ラリアットを唸らせる。
瞬間、長沼は生物の持つ防衛本能が働き、咄嗟にクラッチングスタイルを解いてしまう。
「ストライークッ!」
思わずベンチに目を向ける長沼。その網膜には厳しい表情の矢崎が焼き付いた。
(俺に逃げの選択肢はないんだ!)
何が何でも避けないと決意した長沼。
初球の反応を見て、危険な時には身を躱してくれるだろうと踏んだバッテリー。
運命の歯車がディスティニーからフェイトにギアチェンジした。
羽野は真ん中やや低め、身体に当たらないギリギリの場所にミットを構えた。
だが、直実の投じた二球目はそこからやや高めに浮いた。
その結果、
ゴキャッ!
鈍い音が響く。直実の投げた軟球が長沼の顎を直撃した音だ。
「――ス、ストライークッ!」
一瞬、判定が遅れたが主審はストライクをコールした。
途端、長沼はその場で崩れるように昏倒した。
「ドクター!」
主審は医療スタッフをコールした。
駆けつけたドクターは、すぐさまその場で応急治療を開始する。
● ● ●
長沼は意識が戻らないまま救急搬送されたが、ドクターが言うには脳震盪の他、顎の骨折、頸椎捻挫、むち打ち症状が確認されたという。
直実の脳裏に土肥の亀裂骨折と、忠信の救急搬送のフラッシュバックが走る。
蒼ざめる直実はマウンド上に両膝を着くと、堪らず嘔吐した。
集まる宮町中ナイン。
「鷹ノ目、もういい。俺と代われ。」
松浦は直実が限界だと感じた。
心理面で容赦のない揺さぶりを掛けてきた彩央大附属中の術中にはめられた直実は震えていた。
「もう、あの鷹ノ目というピッチャーは終わりだ。」
静まり返った球場の中、矢崎は冷徹につぶやく。
(長沼の怪我は痛いが替えはいくらでも利く。
それが彩央大附属の強みだ。)
「仲間があれ程の怪我を負ったというのに、アイツら落ち着いたもんだな。」
金森がイヤなものでも見るかのような表情を浮かべる。
「誰かが怪我をすればそれをチャンスと考える。
ったく、寄せ集めのチームってのはドライっスよね。」
星野も金森に同調する。
「敵の事をあれこれ言ってるよりも、今はまず鷹ノ目だ。」
岡田がその場を仕切った。
「鷹ノ目、ベンチで休め。
後の事は俺たちに任せろ。」
松浦が直実の肩を叩く。
と、その時だった。
「こらナココ!
この私をプロレス技でボコっといて、その程度でくじけんな!」
徳子が一塁側スタンドから吠えた。
「相手の怪我でビビってたら、女子プロレスラーなんてやってけねぇぞ!」
直実は一塁側の応援席を振り向いた。
「‥‥トッコ。」
「あっちの監督、鷹ノ目さんが終わり言うとったわ。
――ホンマに終わりなん?」
羽野はマスクを被ったまま、直実に軟球を差し出した。
「おい羽野、あまりムチャな事は‥‥。」
慌てる岡田。
「俺はムカついてムカついてしゃあないねん!
この程度で鷹ノ目さんがアカンくなる、思われたないねや!」
「‥‥ホント、ムカつくよね。」
直実は軟球を掴むと、おもむろに立ち上がる。
「松浦さん、私はまだランナーを出してません。」
直実の目が鋭く変わる。
「――そうだったな。
あと一人ランナーを出すまではお前のマウンドだ。
思い切ってやれ!」
松浦は直実の闘志が蘇ったように感じた。
「はいっ!」
(どういう事だ!? まだ投げさせるのか!?)
心中、狼狽する矢崎。
吐瀉物が片付けられたマウンドに直実は立っていた。
「な、何なんだ、あいつは!?」
「何度、心を折っても立ち上がってくる‥‥。」
「不沈艦か!?」
彩央大附属中のベンチは騒然となった。
普通の野球が出来る心理状態でなくなったのは彩央大附属中の方だった。
「落ち着け、お前ら! まだ勝つ手はある!」
矢崎がその場を鎮めた。
「まだ我々は戦力を残している!
いいか、この試合は延長は十五回までだ。
そして地区大会に於いて引き分け再試合はない。
今年に限っては決勝で引き分けた場合、今までの試合で点を多く取ったチームが一位通過となるルールが適用される。
とにかく失点を防げば我々の一位通過だ!」
消極的ではあるが、矢崎は直実の体力が尽きるまではひたすら守りの野球を命じた。
● ● ●
「ストライーク! バッターアウト!
チェンジ!」
長沼の代打として出場した宇佐美、七番・岡村、八番・原田を連続三振に切って取る直実。
彼女は未だノーヒットノーラン継続中であった。
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