無敵打者の弱点【Eパート】
「ファウル!」
太刀川は1―3からの五球目、前の回、松浦を三振に仕留めた決め球のフォークを右翼側のファウルスタンドに放り込んだ。
(こいつ、楽しんでやがる‥‥。)
江戸は蛇に睨まれた蛙のような気分になった。
「(わかってんだろ?
今の、その気になればホームランになっていたって事。)」
太刀川は小声で捕手の北条に語り掛けた。
「(当然、お前ならあの球をファウルにすると思ったよ、ホームラン量産マシン。
――いや、脆弱な精密機械か。)」
北条の言葉に、太刀川の繋がり眉がピクリと動いた。
すると、示し合わせたかのように|波鴎大附属横浜中の監督、凪島が動く。
「選手交代。ライトの上総をピッチャーに。
ピッチャーの江戸をライトに。」
ライトからマウンドに駆けてくる上総は、一二塁間で江戸とハイタッチを交わす。
(まさかリベンジのチャンスをくれるとはな。)
太刀川はほくそ笑む。
(なぜ上総を送ったか、お前はまだ理解出来ていないようだな。)
北条も上総の投球練習を受けながらほくそ笑む。
● ● ●
「プレイ!」
規定数の投球練習を終えた上総を見た主審が試合再開の号令を掛けた。
(今度こそ!)
太刀川は自らに気合を入れた。
(こいつには、この球だ。)
北条は上総にサインを送る。
頷く上総はモーションに移行する。
そして、一打席目と全く球を投げてくる。
百二十七キロのインコース真ん中のストレート。
(もらった!)
太刀川のバットが軌道を描く。
だが!
(なにっ!?)
バットは太刀川の意志とは無関係に、またもその動きを途中で止めた。
「ストライーク! バッターアウト!」
主審の甲高い声で三振がコールされた。
「なんで身体が止まるんだ!?」
太刀川はバットでホームベースを叩いた。
太刀川を打ち取ると、上総は再び江戸とポジションを交代する。
「どうした?」
三浦がベンチに戻ってきた太刀川に声を掛けた。
「わかりません‥‥。
なぜか、あのコースにあの球が来ると身体にブレーキが掛かるんです‥‥。
なんの変哲もない球なのに‥‥。」
「イップスとかでしょうか?」
希望が話に割り込んで来た。
「なにそれ? 童話みたいなの?」
直実が食いついてきた。
「イソップとは違いますよ、直実先輩。
イップスっていうのは、昔、活躍していたプロゴルファーがある日突然緊張のあまり、思うようなプレーが出来なくなった事で有名になった、一種の恐怖症です。」
「つまり、百二十七キロのインコース恐怖症って事?
すごくピンポイントだね。」
直実が小首を傾げて問う。
「まだ、そうと決まった訳じゃないですけどね。」
「思い当たる節はないか?」
三浦が太刀川に尋ねた。
「‥‥ひとつだけあります。
俺が昔、脊椎分離症を発症した打席‥‥思い切りスウィングした球のコース、スピード、球種とよく似てるんです。」
「無意識のうちにお前の身体がブレーキを掛けている原因はその辺にありそうだな。」
「もしそれが原因だとしたら、どうやって克服すりゃあ‥‥?」
「太刀川、敵は波鴎大附属のバッテリーではない。
自分の中の弱さに勝て。」
「そんな簡単に‥‥。」
太刀川は吐き捨てるかのように言葉を発した。
「全ての条件が揃うからいけないんだ。
何か一つでも自分から状況を変えてみるんだ。」
「状況を‥‥変える?」
三浦の言葉に暗闇の中で一筋の光を見つけたような思いに駆られる太刀川。
「だったらさぁ、左で打ってみたらどう?」
直実が左打者用のヘルメットを差し出す。
「ンな事、出来っかよ、バーカ。」
太刀川はそう言うとベンチの端に座り、一人考え込んだ。
五番の金森をシュートでサードゴロ、六番の土肥をスライダーで三振に打ち取った江戸は意気揚々と一塁側ベンチへ戻って行った。
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1990年という年代を考慮し、ストライクとボールのカウントはストライクが先としてあります。