乱入者現る【Cパート】
「ほんじゃま、五、六球、肩慣らしさせてくんない。」
巴はマウンド上からそう言うと、羽野のミットを目掛けてダイナミックなフォームからオーバースローを唸らせた。
バス――――ン!
球速にして百四十キロ前半。
直実に比べれば遅いが、中学生として見れば充分過ぎる速さだった。
「手、痛くねぇか?」
巴が羽野を気遣う。
「問題ないです。」
「へえー、そいつぁすげぇな。
あたしの球を初めて受けたキャッチャー、大抵は悲鳴を上げんのに。」
「まあ、鍛えてますから。」
羽野は座ったまま、前腕だけで巴に投げ返す。
(座ったまま? しかも、腕だけで?
ピッチャーもデタラメだけど、キャッチャーもデタラメだなぁ。
――でも!)
バス――――ン!
(このバッテリー、面白い!)
バス――――ン!
(全国大会で当たりたいねぇ。)
バス――――ン!
バス――――ン!
「ほんじゃま、始めようか。」
五球投げ終わった巴は対峙する星野に声を掛けた。
「肩はもう温まったのか?」
今まで成り行きを静観していた三浦が巴に問う。
「ええ、あたしの肩はすぐ出来るんですよ。」
『肩が出来る』とは何の心配もなくマウンドで投げられる状態の事を指す。
かなり投げないと出来ない投手もいれば、すぐに出来る投手もいる。
この辺りはかなり個人差があるが、宮町中の場合、松浦は前者、直実は後者であった。
巴は星野が右のバッターボックスに入るのを見届けると左腕を唸らせた。
バス―――――ン!
百五十キロまでギアを上げたストレートに星野は手が出なかった。
(女子の投手ってのは、みんなバケモノっスか、まったく。)
星野は、直実、静、そして巴の三者三様のすごさに身震いをした。
デタラメな速さとコントロールを持つ直実の鉄腕ラリアット。
全く同じモーションから多彩な変化球を投げるマジカル・サブマリンの静。
そして今度は二階からボールが落ちてくるかのような巴のストレートだ。
(まあ、当てられない事はない分だけ、このピッチャーはマシっスね。)
星野は構え直す。
しかし次の瞬間、自身の考えが甘かった事に気付かされる。
フォン!
空振りして尚、ミットに届かない超スローボールを巴は速球と同じ腕の振りで投げたのだった。
(チェンジアップと言うには、あまりにも遅いっス‥‥。)
百五十キロのストレートを見せられてからの六十キロ台のチェンジアップを見せられては、ヤマを張る以外に手段はなくなった。
(遅い球の次は速い球、セオリーっス!)
星野は速球にヤマを張った。
本来、星野は太刀川と同じく、来た球にバットを合わせるタイプの打者だ。
これは所属していたリトルリーグのチーム『熊谷ヤングライオンズ』の練習法の一つ、バット・キャッチボールに原点があった。
バット・キャッチボールとはその名の通りバット同士でキャッチボールを行うというもので、慣れてくるとバットで変化球にも似たドライブも掛けられるようになる。
その星野がヤマを張らなければならない時点で、勝利の天秤は巴に傾いていた。
しかし、
(フォーク!?)
星野の動体視力と観察力はテイクバックの瞬間、一瞬だけ見えた握りを見逃さなかった。
「てぃりゃあああああっ!」
巴の咆哮と共に左腕が唸りを上げる。
(抜く分だけストレートよりスピードが落ちる‥‥百三十キロ台なら見て反応出来るっスよ。)
星野の読みはセオリー通りだった。
だが、星野のバットは空を切る。
刹那、百四十キロ台後半のフォークが羽野のどてっ腹に突き刺さる。
「あっちゃー、やっぱ、ノーサインじゃ捕れなかったかぁ、薙刀フォークは。
悪りぃ悪りぃ、大丈夫か、キャッチャーくん。」
巴が羽野に駆け寄る。
「はい、大丈夫です。
捕れそうもない時は身体で止めろって言われてますから。」
羽野は腹で受け止めた軟球をミットで押さえながら、平然と言い放った。
「おいおい、それは外野ン時の話だろ?」
「羽野くんは『鋼の壁』っていう異名がありますから。」
駆け寄ってきた直実が巴に説明する。
「まあ、頑丈なんが取り柄なんで。」
羽野が照れくさそうに補足した。
「そう‥‥なのか?
ま、大丈夫ならいっか。
――勝負の方は一勝一敗の引き分けだね。」
「違いますって!
私が一勝で、コイツが一敗です。」
直実が親指で星野を指して告げた。
「何スか何スか、ひっでーなぁ!」
星野が真っ赤になって怒ると、周囲は爆笑の渦に包まれた。
「それより、大丈夫なのかはこっちの台詞だ。
修学旅行の自由時間だったんだろう?」
三浦の声で我に返る巴。
「あっちゃーっ、やばい!
えーと‥‥駅、どっちだっけ!?」
脱いだスカートを履きながら巴は誰ともなく尋ねる。
「駅はあっちですよ。」
希望が駅の方向を指さす。
「宿舎の電話番号はわかるか?
勝負を長引かせた原因は俺にある。
引率の先生に事情を説明させてくれ。」
「それはありがたいです!
電話番号は‥‥ああ、これです!」
巴は宿泊先のホテルの電話番号の入ったマッチを三浦に手渡した。
途端、眉をひそめた三浦は怪訝そうに、
「‥‥お前、まさか喫煙はしていないだろうな?」
「してません、してません。
背ぇ伸びなくなっちゃいますし!」
(まだ身長、欲しいんだ‥‥。)
誰もが心の中でツッコミを入れた。
「昨日、百物語やった時に使っただけですよ。
御嶽神社の神様に誓って、タバコなんか吸ってません!」
「ああ、わかったわかった。
わかったから早く駅へ急げ。」
「失礼します!」
巴はそう言うと一目散に駅の方向へと疾走した。
「なんか、とんでもないヤツだったな。
鷹ノ目の球を初球っから狙いにいけるなんて。」
新井が思わず漏らした。
「あのフォークもメチャメチャ早かったっス。
落差は八幡の藤原さんの方があったけど、ストレートと大して変わらない速さのフォークなんて‥‥」
星野が話し終えないうちに、
「ああっ!」
羽野が素っ頓狂な声を上げた。
「どうした、羽野!?」
「俺のグローブ‥‥返してもらってなかった。」
(――本当にとんでもないヤツだ‥‥。)
再び全員が心の中でツッコミを入れた。
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