第5話 一年生 春
翌朝、紗江と環は制服姿で源三の運転する車で、学校に向かった。
村衆を招いて行われた祝宴は夜半まで続き、持ち寄られた海の幸、山の幸に紗江は大満足だったが、朝起きてきて、玄関棟にある祝宴用の座敷に転がったままのビール瓶や酒瓶、床に散らばった乾き物の残骸を見て、「村衆、はしゃぎすぎだろう」と思わずにはいられなかった。
よく見ると飯台を布団代わりに雑魚寝している村衆もごろごろいたほどだ。
「いつもああなの?」
紗江に問われると、環は困ったように頬に手を当て、
「いつも、というほどでは。だいたいは潰れる前にみなさん、奥様方に連れられて帰宅するのですが、昨日は不在だった領主跡取りである、お嬢様が帰ってきたという事で、少々、ハメを外しすぎたのかもしれませんね」
引きつった微笑で環は答える。源三も声を出して笑い、声をかけてくる。
「それだけみんな、お嬢を歓迎してるって事でさあ。
それよりお嬢、毎週の迎えは土曜でよろしいので?」
「うん。昼前に迎えに来て。お昼を家で食べて、それからお稽古」
それは祖母との約束。
毎週一日、学校の休みの日を使って、伝授途中で止まっている穂月流の稽古を、祖母直々に付けてくれる事になったのだ。
「わかりやした。当日は校門前で待ってやす」
源三の返事に頷きで応え、紗江はポケットに忍ばせた鈴鉄扇を撫でる。
朝食の時に祖母に渡されたもので、穂月流の演舞魔法を正式に行使する際の喚器だ。
かつて叔母の美咲も同じものを持っていたのを思い出し、少しだけ叔母に近づけたような気がして嬉しい。叔母にもらった鈴扇は、残念ながらあの事件で失くしてしまっていたから、なおのことだ。
車は丘の上にある穂月の屋敷から、曲がりくねったなだらかな坂を下り、平地に差し掛かると、わずかに速度を上げる。
「そういえばタマ姉、おばあちゃんに甲冑を贈ってもらったって昨日言ってたけど、どんなの? どんなの?」
昨日から聞きたかったのだが、祝宴やらなにやらでなんだかんだでこのタイミングになってしまい、紗江は目をキラキラさせて環に尋ねる。
「どう、といわれましても……」
返答に困って源三を見る環。それを受けて、源三は噴き出す。
「タマちゃんは、着る方ばっかでその辺り、あんまし詳しくねえんだよな。
あれは言っちまえば、<舞姫>の姉妹騎みたいなもんでして。
大奥様が<舞姫>の外装取りの為に、四ツ橋重工から最新鋭の<天女一〇式>を仕入れたんでさぁ。
で、素体だけになった<天女一〇式>に、それまで<宇受売>に付けてた外殻装甲を取り付けたんですが、なにぶん、美咲お嬢の元服に合わせた時が最後の改修だったもんで、規格が合わなかったり、そもそも現代戦術に沿ってなかったりで、別パーツなんかも取り付けましてね、結局、最新量産雌型の<天女一〇式>からまったく別モンになっちまったわけで。
いやあ、あの仕事は楽しかったなぁ」
要するに穂月が抱える技術陣が、趣味を先行させて最新鋭騎を魔改造をしまくった結果、伝来品に迫る性能を叩き出してしまったのだという。そしてそのベースとなった<舞姫>の稼働試験を続けるうちに、環自身の技術が向上。難なくその騎体も操れてしまって現在に至る。
「分類上はお嬢様の<舞姫>同様の特騎として登録されました。銘は<剣姫>。恥ずかしながら、父に剣術を仕込まれておりまして、源さんがその銘にしよう、と」
譜代の家臣である穂笹家は、主家安堵の為に武に力を注いできた一門だ。第二子にして女の環にも、しっかりと武を伝授していたらしい。
「今は学校に置かせて頂いておりますので、機会があれば、ご覧になりますか?」
「ぜひ! ぜひ見たい!」
そんな話をしている間にも車は田園風景を抜けて村の中心、商店街に差し掛かり、そこを北に抜けて、防人駐屯地のゲートを左手に、さらに北上。やがて高い壁に囲まれた学校の門が見えてくる。
――公国立防人大学附属上洲撫子女子高等学校
銅板に金字で銘打たれた校門の柱の前で、紗江と環は下車し、紗江は手を振り、環はお辞儀して源三の車を見送った。
「さ、いよいよですね。お嬢様」
胸の前で両拳を握りしめる環に、紗江も同じようにして頷き、二人で思わず吹き出してしまった。
入学式の今日、二、三年はまだ春休みという事で、環はそのまま寮へと向かい、残された紗江は『新入生はこちら』の案内に導かれるままに校内をねり歩く。やがて昇降口にたどり着くと、そこには掲示板が並べられていて、クラス分けが張り出されていた。
梅、百合、桜、睡蓮とあるクラスの中で、紗江は桜組だ。
花にそれほど詳しくない紗江でも、桜はさすがに知っている。むしろ知っている花でほっとした。睡蓮や梅は言葉としては知っていても、花の絵が思い浮かばない。
周囲には中等部からの持ち上がりで、友人と同じクラスになれたのを喜ぶ女の子達がたくさん居て、紗江はちょっぴり疎外感を覚えて、この後どうしたものかと、案内を探した。
掲示板の隅に『指定の教室に向かい、入学式まで待機』という一文を見つけて、その横にある見取り図で桜組の場所を確認。
「よし、行こっか」
そう呟くと、紗江は人混みから這い出し、昇降口へ向かう。
と、そんな紗江の肩が、不意に背後から叩かれる。
「――穂月!」
振り返ると、そこには長い黒髪をアップに結わえた、よく見知った人の姿。
「さ、咲良様!?」
思わず変な声が出てしまった。
この学校に居るのは知っていたけど。むしろ在校していると知ったから、この学校を選んだわけだけど、こんな不意打ちのように再会するとは思っていなかった。朝、環が梳かしてくれたけど、髪が変になっていないか気になってしまい、思わず撫で梳いてしまう。
「咲良様? どこどこ?」
「穂月って、あの女伯の?」
紗江の声が周囲にも届いたのか、にわかに新入生達が色めき立つ。
元服と進学を機に、メディア露出を控えるようになった守陵咲良だったが、それでもまだまだその人気は根強く。東の守陵の名は依然、健在のようだ。それに混じって祖母の異名も聞こえてきて、ちょっと恥ずかしい。
「――しまった。穂月、こっちだ」
手を引かれるままに、紗江は咲良の後を追い、昇降口から駆けて校舎を曲がったところで、二人で安堵の息をつく。
「すまない。騒ぎにするつもりはなかったのだが、なつかしくてつい、な」
苦笑して乱れた髪を掻き上げる仕草もまた様になっている。
さすが紗江が尊敬する撫子の双璧の一人だ。
「いえ、わたしこそ、変な声出しちゃって。周りに気づかせてしまいました」
ぺこりと頭を下げれば、咲良はその肩を叩く。
「ようやく来たな」
感極まった声音で咲良が言えば、紗江もまた頷き、
「はい。ようやく来れました」
応える言葉と共に、にやりと笑う。
あの事件以降、咲良はまるで叔母の穴を埋めようかというように、紗江の事を気にかけてくれた。上女に入学してからは伝話や伝文だけになっていたが、それまでは入院中の見舞いや、つらいリハビリに付き合ってくれたし、上女の入学を志してからは、入試の相談などにも乗ってくれていたのだ。
「まだ、おまえの意思は変わっていないな?」
それは何度も繰り返されたやり取り。だから紗江はすぐに頷く。
「昨日、祖母にも覚悟を問われました。そしてわたしは何度だって言えます」
ゆっくりと息を吸い、そして吐く。
「誰かを助けられる誰かになりたい」
そして二人の声が重なる。
「――慈雨様のように」
咲良が拳を突き出し、紗江がそれに拳を重ねる。
それはこの二年余りで、二人が辿り着いた純粋な想い。
復讐よりも、真実の解明より、ただあの人がしてくれたように、誰かを想えるようになろうと、そう誓ったのだ。
「ようこそ、上女へ。穂月紗江」