第15話 一年生 GW
「――はい、というわけでね。気づけばわたしの貴重なGWは三日も無駄に消費されてしまったわけです」
入院着から着替えながら、紗江がブチブチとぼやけば、
「そんな事を仰っても、頭を打っていたのですから、仕方ないじゃありませんか」
引かれた間仕切りカーテンの向こうで荷物をまとめながら、環が応える。
旧講堂の突発異界災害に巻き込まれてから三日。
一昨日の朝、この病室で目覚めてから、紗江は精密検査で一日を費やされ、念の為にもう一日入院させられて、今に至る。
朝食を取って、朝の診断で退院許可をもらって、連絡を受けた環が迎えにやってきたというわけだ。
着替えを終えて、髪を手櫛で撫で付け、紗江はカーテンを開いて端に寄せる。
「お待たせ。準備オーケー」
親指を立ててポーズを決めれば、環は困ったように嘆息して、荷物を持ち上げた。
精算はすでに済ませてあるそうで、二人はナースセンターでお礼を言って、病院の外へ出る。
駐車場で車の外に出て、煙草を吸っていた源三が彼女達に気づき、携帯灰皿で揉み消してから、片手を振って見せた。
「源さん、おまたせっ」
ニヒっと上体を突き出して笑って見せれば、源三は感慨深げに身体を震わせ、
「お嬢、お帰りなせえ。本当に大事なくてよかった」
言って一礼し、後部座席を開けてくれる。
「大げさだなぁ」
紗江はコロコロ笑ってシートに滑り込み、トランクに荷物を積み終えた環がそれに続く。
「看護士さんも言ってたけど、三洲山公国は九条結界の外だから、突発異界災害もちょいちょい発生するんでしょ? たまたまそれに巻き込まれただけじゃん」
もっとも、その多くは人を巻き込む事なく発見され、防人によって駆除されるそうなのだが。
「そうは言っても心配はしますよ。お嬢様はあの晩倒れてから、朝までずっと目を覚まさなかったんですから。
大奥様も心配しておられますよ」
今日も病院に来たがったそうだが、
「おばあちゃんって言えばさ、あの子の件はどうなったの?」
旧校舎にいたあの幼女を祖母に頼んでいたのだ。
紗江と共に病院に運び込まれたあの幼女は、精密検査の結果、特に問題なく、ただ眠っているだけという事で、昨日のうちに退院している。
領主の祖母ならば、すぐに親元を辿れるのではないかと思ったのだが。
胸元を撫でて、紗江は環に顔を向ける。
あれから入院中、何度、魔道器官を意識してみても、あの時のような反応はなく、壊れた士魂が微かに響くだけ。あの時の幼女の言葉から、なにかしら関係あるものとも思えるが、紗江は思考を放棄していた。
なにせ名前すら知らない幼女なのだ。あれこれ考えるだけ時間の無駄だろう。
「――結論から言えば、身元不明です」
紗江もなんとなく、そんな気がしていた。
「発見時、突発異界災害が出現したという状況から、大奥様は神隠しからの還俗ではないかと仰っておりましたが」
昔から突発異界災害や妖精郷への誘いといった事象や、それに類する魔道災害に巻き込まれ、失踪してしまう人は存在していたのだという。
そういう現象を日本では総称として神隠しと呼んでおり、紗江の叔母もまた定義上はその被害者という事になっている。
そしてその神隠しに遭い、何かの拍子に、逆に現世に帰ってくる事も稀にあるそうで。それは還俗と呼ばれて、時代や場所を越えて起こり得るものなのだそうだ。
「本人に尋ねてもなにも――それこそ、名前すら覚えておらず、お嬢様の魔道器官の件もありますので、穂月で世話をすると大奥様は仰っております」
戸籍上は祖母の養女という事になり、紗江の叔母になるとの事。
「それじゃ名前は?」
「穂月のしきたりに則り、シロカダ様にお付け頂くと。お嬢様が到着次第、向かわれるそうですよ」
「病み上がりに山歩きとは、おばあちゃんも無茶言うよねー」
へらりと笑い、思い切り伸びをする。
「そういやタマちゃん、お嬢ちゃん方や先生の事はいいのかい?」
源三がバックミラー越しに環に声をかけると、環はポンと手を打ち合わせる。
「そうでした。お嬢様を心配した皆様がいらっしゃってるんです」
莉杏先生は、学校側からの謝罪の為だというが、友人達は長期連休の予定を変えて、今日の退院に合わせて来てくれたのだという。
「なので、大奥様が連休の間は、お屋敷で過ごすようにと招かれまして。
その方がお嬢様もよろしいでしょう? 皆様も快諾されて、私がお嬢様をお迎えに行く間に、宿泊のご用意をなされると、一度、寮に戻られています」
「そっか。みんなには悪い事しちゃったから、思いっきりおもてなししないとだね」
とりあえず手料理を振る舞うのは決定事項だろう。
いつものように内門前で車を降りる。
それを待ちわびたように出迎えたのは、蘭、紅葉、茉莉、天恵の四人と、
「えっと、どなた?」
うぐいす色の和装の知らない女の子。
日の当たり方で金にも見える色素の薄い茶髪の左右を、三編みにして後ろで髪留めでまとめている。
「ああ、そっかー。考えてみれば初めましてだねぇ。咲良ちゃんにいつも写真見せてもらってたから、勝手にもうお友達のつもりになっちゃってたよー。
二年桜組、隠桐絹です。よろしくね」
唐突な先輩の登場に、人懐っこい紗江もさすがにたじろぐ。そもそも写真ってなんだ。
「あの晩、傷ついた君に癒術を施したのが絹君だ。そして、ウチの部隊の一人でもある」
「それはそれは、お手数をおかけしました。ありがとうございます」
ペコリと頭を下げると、絹はその頭を抱き寄せて、その胸に埋めさせる。
「やだー、ちっちゃ可愛い~。いいのよ~、これからもバンバンお姉ちゃんを頼ってねぇ」
サラシに潰されているはずなのにまだわかる柔らかさ。もしや敵か? いやいや相手は恩ある先輩だ。落ち着こう。しかし、さっきから引き剥がそうとしているのに、一向に抜け出せない。
「絹君、それくらいに。紗江君が痙攣してる」
息苦しくなってきた辺りで天恵が制止してくれて、ようやく紗江は解放された。
「オ絹サンニハ逆ラワナイ。紗江、賢イカラ覚エタ」
カクカク震えながら呟けば、
「相変わらずトンチキなこと言っとるのう」
茉莉が苦笑しながら進み出て、その左右に並ぶように蘭と紅葉もやってくる。
「紗江ちゃん、退院おめでとう。無事でよかった」
「心配したんですのよ。本当にもう、貴女って人は!」
「ごめんね。まさか突発異界災害が出るなんて思わなかったし、ねえ?」
同意を求めるように茉莉を見れば、
「ま、あれは避けようがなかったの。むしろワシは咄嗟に庇ってもらって感謝しておる」
「――ほんと? なら、ちゅーしていいよ?」
頬を差し出すが、ぺしっと軽く叩かれてしまった。無念だ。
「ところで天恵先輩、咲良様は?」
「ああ、莉杏先生と一緒に、ご当主様に謝罪と報告に行ってるよ。本当はボクが先生に同行すべきだったんだろうけど――」
そこで天恵は身体を紗江に寄せ、声を抑えて耳元に囁く。
「――あの晩の君の力は、恐らくあの事件に絡むものだろう?」
問われて紗江は息を呑み。同意も否定もできずに身を固くする。
「大丈夫。現状で気づいているのは、莉杏先生と咲良君くらいだ。二人は当事者だからね。あの晩には当たりを付けていたようだよ。
ボクは断片的とはいえ、いくらかお姉様の関係で情報をもらっていたから、そうじゃないかと勘付けただけだ。他の子は、君が派手に魔法を使ったくらいにしか思ってないよ」
穂月の悪名がいい方に作用したという事か。
「そんなわけで、ボクでは詳細がわからないからね。咲良君に行ってもらった」
「天恵先輩、わたしは……」
紗江自身、あの時、自身の内から湧き出したアレは、神器だと感じた。
だが、それを断言するには情報が少なすぎる。そもそもなぜ、自分の中に、あんなものがあったのかすらわからないのだ。
表情を固くして言い淀む紗江に、天恵は首を振って人差し指を立て、自らの唇に。
「もう終わったんだ。難しい事はいいじゃないか」
紗江から離れ、両腕を広げて唄い上げるように告げる。
「――はからずも、ご当主様のご好意で、我が部隊は、他部に先駆けて合宿を決行できる!」
微笑みながら周囲を見回す天恵にツラれて、紗江も居並ぶ面々を見回す。
「え? え?」
「――上洲撫子女学校帰宅困難者救援部、通称帰宅部の新入生歓迎合宿の開催をここに宣言する!」