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「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


薄い桜色の唇から、謝罪の言葉が溢れ落ちる。

青褪め、色を失った白皙の頬を止め処なく流れ落ちる透明な涙とともに。


「ごめんなさい。ごめんなさい。でもあの人が好きなの。どうしてもあの人がほしかったの」


だから?だからなに?

あの人がほしかったから、だからなんだというの?

あの人が好き?

好きなら、何をしてもいいと言うの?


そんなに泣いて、謝って、それで?

それで私にどうしろと言うの?


「子供がいるの。お腹にあの人の子供が」

「やめて」


言わないで。

聞きたくない。

喉の奥の引きつるような感触を無視して発した声は、酷く耳障りな低く掠れた声だった。

自分のものだとは思えない、思いたくない声だった。


「半年前に結婚したわ。――――お義姉様の代わりに」


ふざけるな!と罵倒しようと開いた唇からは、意味不明の呻きのような、嗚咽のような、嗄れた音が、細く長く漏れた。


「仕方ないわよね?だって…………お姉様は」


黙れ――――と、口を塞ぎたくて堪らなくなった。

ガタリと椅子を蹴立てて立ち上がって、手を伸ばして、一歩前に踏み出した足が縺れて、無様にも私の身体は床に崩れ落ちた。




「おまえに縁談はない」


ただの一つも。祖父ほども年の離れた相手の後妻の話も、何人もの妻を虐待しては捨ててきたと噂のある富豪でさえ私を求めはしない。

幼い頃からの縁はすでにない。

何度もサロンに足を運んで、デザイナーと意見を交わして、一年近い時間をかけて作り上げた白いウェディングドレスを着て、絢爛な王都の大聖堂で永遠を誓うはずだった人は別の女性と――――私の義妹と婚姻を交わしてお腹には新しい生命が宿っているという。


父の抑揚のない言葉に、私は俯いたまま小さく首肯した。


 


「かわいそうに」


距離をとったまま、義母はもう一度「かわいそうにね」と告げた。


「でも仕方のないことなのよ」


流石血の繋がった本物の母子というべきか。

『仕方ない』

まったく同じことを言う。


「だってあなたが悪いのよ」


悪い?私が?いったい私が何をしたというの?

私は何もしていない。

そのことはすでに証明されているはずだ。


「そんな瞳を持って生まれてくるからいけないのよ」


ヒクリと喉が震えた。




『ずっと隣にいよう』


ずっとお互いの隣同士に。


『はじまりは家と家の繋がりのための婚約だけど、それでもこの先ずっと長く共にいるのだから』


もう起き上がることもできない。足先は冷たくて、冷たいという感覚だけはあるけれど、もうそれだけで。

気怠くて重い瞼を薄く開いて開かない扉を見る。

もうずいぶん長く開くことはない。

どれだけ放置されているのか、ずっと眠りと覚醒の狭間をたゆたっているばかりの私にはわからない。

時折人の気配がするようには思う。

でも、なんとなくわかってしまう。


――――あの人は来ない。


一度も、来ていない。


隣にいると言っていたのに。

ずっと共にいると。



『全ては偽物だったのか?』

『君のことが大切だと思った気持ちも』

『愛おしい気持ちも』


『全て私自身のものではなく君が君の都合の良いように植え付けたものだったのか?その汚らわしく疎ましい瞳で』


最後に向けられたのは冷たい目と言葉で。

何度も違うと口にしたけれど。

言葉にされなくてもその目を見ただけでわかった。


――――もう私の言葉は信じられない。

信じない、とあなたが思っているのが。


家同士を繋ぐための婚約だったけれど。

親の決めた婚約者だったけれど。


好きだったの。

あなたが好きだった。


すぅ、と温かい感触が頬をすべり落ちた。


はじめは優しい人。いつか私の夫になる人。

素敵な人。可愛い人。

そんな気持ちからはじまって。

いつの間にか手を繋ぐたびにドキドキして、もっと側にいたいと思うようになって。


だけど優しい私の婚約者様。

あなたは私を断罪した。


あなたは私の言葉よりも義妹の言葉を信じて、私を罪人にした。




身体の表面上の傷は、あの場所を出される前に全て治癒術士によって何事もなかったように治された。

髪は乱れてパサついて色褪せて、青みがかった銀白色は老婆のそれのような白になって。

痩せこけた身体には骨や血管の筋が浮いているけれども。目に見える肌の傷や痣はキレイになくなっている。


治癒術士が行使する治癒魔法は目に見える全ての傷を癒やすことができる。

逆を言えば目に見えない傷は治せない。


おかげで私の身体は表面上だけは最低限取り繕われたものの、内側はボロボロ。私は治癒術士でも医官でも薬師でもないけれど。それでもわかる。

自分の身体がもう幾日も保たないと。


けれどそれで良かった、その方が良いと、頭の片隅に思う。


――――朦朧とした意識が闇に溶けていく。


きっとあと少し。

もうすぐ、楽になれる。




さようなら、私の婚約者様。



義妹(あのこ)があなたに告げたように、私のこの瞳で、あなたを魅了できたものなら。

私だけを見つめてもらえたなら。




私は――――、





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