何がとは言わないが何もかも揺れない。
無駄な三人称視点。
「なあ湊、俺は思うんだ」
「皆まで言うな。分かってるから」
潮風で砂埃が舞う校庭の片隅で、二人の少年は真剣な顔を同じ方向へ向け、静かに言葉を交わす。
「小学生の頃は、リレーとかマラソンとか、ただ走るだけでつまんないとか思ってたけどさ、中学あたりから、ごく一握りの人間だけが、その重要性に気付いて、今となっては、ここに居る俺たち全員が同志だ。これって、素晴らしい事だと思わないか?」
「皆まで言うなと言っているのに、お前って奴は・・・・・。でも、僕にもその気持ちは良くわかるよ。苦しみに耐えた分だけ、この幸せを噛みしめることが出来るってね」
そう言って額の汗を拭った彼の体操服は、ぴったりと肌に張り付き、骨ばったその身体が透けている。ジャージ生地のパンツは片側だけ土汚れが付いており、よく見ればその先に覗く膝には擦り傷があった。恐らく、走っている最中に転んだのだろう。
それでも、彼の声や表情に疲れが滲むことは無く、ただただ清々しさだけを感じさせた。
隣で体育座りしている長身の少年も同様に汗だくだが、寧ろ活力に満ちている。
「・・・・・揺れてるな」
「うん。揺れてるね」
彼らの余りに真っ直ぐな眼差しの先では、息を切らせながらグラウンドを走る女子たちの姿があった。
より詳しく記述するなら、体操服を押し上げる大小様々な丸みを帯びた物体があった。
「最高だな」
「言うまでも無いよ」
「「「「(コクコク)」」」」
そして、静かに言葉を交わす二人の周りには、いつの間にか同じ方向へ顔を向けた男子たちが集い、真面目腐った顔で頷き合っていた。
「湊。敢えて聞くが・・・・・・お前の一位は?」
「蓮。順位付なんて無粋だとは思わないのか?」
「敢えてって、言ったろ。別に優劣を付けようって訳じゃない。単純に友達として、好みを知りたいだけさ」
「なるほど。そう言うことなら・・・・・・茅ヶ崎さん、かな?」
そう言った少年の視線の先では、如何にも運動の苦手そうな小柄で華奢な少女が、息を切らせながら最後尾で走っていた。
何がとは言わないが、大きくも小さくも無い、標準的なサイズに見受ける。何となく二人の話に耳をそばだてていた周囲の男子たちも、微妙に首を傾げていた。
「ほう・・・・・ズレた感性を持つお前の事だから予想外、と言うほどでは無いが、理由を聞いても?」
「君らみたいなミーハーじゃ無いだけさ。理由は総合力。これに尽きる」
「総合力? 確かに顔は地味だが可愛い方だと思うけど、それだけでは?」
「まったく、これだから素人は・・・・・」
やれやれ、と言わんばかりに肩を竦める湊に、蓮を含め周りにいた男子たちは漏れなくイラッとしたが、空気を壊さない為か黙って話を聞いている。・・・・・・そもそも、何をもってして素人なのかという問いは、誰の口からも発せられなかった。謎である。
「良いか? まず、彼女のキャラから考えてみてくれ」
「・・・・・まあ、よく言えば大人しくて清楚な感じだな」
「そうだ。いつも控えめで引っ込み思案だから、表情の変化も少なく、加えて顔も服装も派手じゃないから、普段は目立たない。口下手なのか会話も小さな声で『えっと・・・』とか『・・・うん』みたいな、短い返事しか基本しない。・・・・・そんな彼女が、頬を紅潮させて『はぁはぁ』言いながら走ってるんだよ? おまけに見ての通り細いし小柄だから、余り大きく無いにも関わらず揺れが強調されている。見てごらん。普段の彼女からは考えられない、あの激しい上下運動を!」
「た、確かに・・・!」
あまりにも生々しく饒舌な表現が幸い(災い?)してか、男子たちは目を見開いてマジマジと茅ヶ崎と呼ばれた少女を見つめる。
・・・・・その視線に感づいたのかそうでないのか、彼女はビクッと体を震わせた拍子につまづきかけた。
「ふっ・・・・分かって貰えたかな?」
「ああ。俺の見込んだ通り、やはりお前は紛れも無い変態だ」
「よせよ。照れるだろ?」
どこに照れる要素があるのだろうか。
「それで? わざわざこんな話を振ってきたんだ。蓮、お前のナンバーワンはもう決まってるんだろ?」
「勿論だ。・・・・とは言え、なかなかに熾烈な争いだな。単純な大きさなら愛川に勝る者は居ないし、湊の言う総合力的なことを加味するなら、真面目で堅物な箱根委員長もその性格に反して中々にヤンチャなボディラインだ。・・・・・だが、俺は敢えて、伊勢原を推すぜ」
「「「おおっ!」」」
と、蓮が一人の少女の名を口にした瞬間、僅かに男子たちがどよめく。中には「そう来たか・・・・」などと噛み締めるように呟いている者も居た。
「へぇ・・・。僕とは逆で意外性が無いって言うか、思ったよりらしい所を突いて来たね。一応、理由を聞こうか」
「まあ確かに、お前の言わんとしてる事は分かるぜ。伊勢原はクラスでも一二を争う派手なギャルだ。服装だって普段からスカートバリ短の胸元もゆるゆるで、しかもモデル体型。体操服なんか着なくたって、スタイルの良さは一目瞭然だ。・・・・・だけどよ、よく見てみな?」
「ん・・・? はっ! そうか、そういう事か!」
「どうやら、お前にも俺の言いたい事が分かったみたいだな」
「「「・・・?」」」
二人だけで納得する湊と蓮の会話に、周囲の男子たちは首を傾げる。・・・・・今更だが、なぜ彼らは普通に会話に混ざらないのだろうか。
「なるほどね。今この時、この状況だからこそ、って事だね」
「ああ。その通りだ。モデル体型の伊勢原は、身体の全体的なバランスが抜群に良い。だからこそ、普段はどこか一箇所だけが強調される事は無い。例えるなら、でっかいダイヤの指輪を嵌めてても、他に同じくらいでかいルビーとかサファイアの指輪を嵌めてるせいで、その輝きが薄れてる状態だ。だが・・・・・今は揺れてる」
「その例えはイマイチだと思うけど、言わんとしてることは分かるよ。・・・・・確かに、思ってたよりも大きいね」
「だろ? 揺れている今だからこそ、改めてその素晴らしさが実感出来る。その点を加味して、俺のナンバーワンは伊勢原だ」
「「「(コクコク)」」」
どうやら、蓮の説明に湊だけでなく周囲の男子たちも納得したらしい。
・・・・・・と、そんな謎の一体感に包まれた彼らの前を、一陣の風が吹き抜けた。
「っと、そんな前で見てたら危ないじゃない!」
男子たちが視線を向ける女子の集団から抜きん出て、先頭を走っていた馬車道桜子だ。
その後ろから陸上部の女子も追い縋っているが、数十メートルは間が開いている。
「・・・・・・揺れてないな」
「うん。揺れてない」
「「「(コクコク)」」」
何がとは言わないが、彼女の何かは揺れていなかった。
「やっぱ、他の奴よりその分軽いから、あんだけ圧倒的に速いのか・・・?」
「でも、風の抵抗は一番強そうだけど。平面だし」
「ははっ。確かに・・・・ん? あれ? 他の奴らは?
「へ?」
相変わらず女子の集団へ視線を向けたままだった湊と蓮は気づかなかった。いつの間にか、自分たちの周りで話を聞いていた男子たちが、誰一人居なくなっていたことに。
「・・・・覚悟は出来てんでしょうね。あんた達?」
そして、再び振り返った湊と蓮は思い出した。
一瞬にして自分たちの元に戻って来た、青筋を額に浮かべるスレンダーな美少女が、地獄耳であることを。
そして悟った、この後自分たちが、地獄を見ることを。