立方体回路②
背景の至る所に内蔵されたポインターが、一斉に光線を放つ。夜空に瞬く星々の様に、暗黒から発せられた光の数々は、ステージ上の硝子スクリーンに映写され、まるで閃輝暗点が如く輝いたかと思うと、硝子の表面に精緻な点描画を描いた。半透明プラスチックを三段ドレープした衣装に身を包んだ歌手が、ドット特有のザラついた挙動で、硝子内を自由に踊り回る。しかし、次の瞬間、ドットは音もなく砕け散って、幾枚もの平面《テクスチャ―》となり、それらが段々と組み上がって人型多角形に変わる。が、それも数秒の事、ポリゴンの角はサラサラと砂の様に落ち、滑らかな曲線が腕や足を形成していった。
ミラはその様子をライブ会場の天井に貼り付いた儘、見下ろした。今、硝子スクリーンが左右に開き、白煙と虹色の光線の下、質量を持って登場した彼女こそ、今回の護衛対象、シノノメ・愛理。
増幅器が空気を震わせ、爆音を会場中に伝播する。客達は熱気の渦、愛里が腕を振るい指を伸ばす度に何か叫んでいる。曲調はストックホルム、ステップはディスコ。70年代の再来だな。ミラは呟いた。
愛里の背後に白いピラミッドが建ち、色と音が波になって観客席を浸す。LSDの世界だ。偶像とは実に巧い名付け、麻薬と酒と音楽は宗教に不可欠であり、故に過激な狂信者を生み出す。
そして今回の狂信者は、長い茶髪を毛先で巻いたあの十代を襲う積もりらしい。
最終戦争を標榜する嘘吐きが女優を殺して回ったのも70年代だった。サクラメントに吸血鬼が出現したのも同時代。ミラは冷笑した。どれだけ年月を経ようと、人間は相も変わらず。技術だけが不相応に進化している。
ミラは浩一の台詞を思い返した。
「アイドルに脅迫状なんてのは、お決まりのセットだが」
いつもの無表情、淡々とした語り口で、浩一は説明した。
「しかし今回は一味違う」
無機質な部屋。蛍光灯の白々しい灯りの下、ヒナはパイプ椅子を軋ませていた。
「どう違うっていうの?」
「腕が立つ。それから、殊更にイラつく奴だ」
そう言いつつも、浩一は眉一つ動かさない。手袋を嵌めた指をこすって、白い机の上に短い文面を呼び出した。
死を。愛里はマイクを置く。晴れ舞台が終わった後、血に濡れた姿で大衆を喜ばす。
浩一は短く嘆息したらしかった。
「不出来なボードレール。自己陶酔に付き合うのは癪だが、こいつがシノノメ・愛理の事務所サーバーに届いた。問題は、その経路だ」
「発信元《from》が特定出来ないとか?」
ヒナは似合わない熱心さで訊いた。愛里の大ファンだからだろう。この依頼を受けた時から、ヒナは興奮で寝付けない様子だった。ミラとしては、少し妬ける。
「それもある。だが」
対して、浩一は冷静さを貫いた。
「それだけではない。こいつがトレンチ深部を辿ってやって来たのは言うまでもないが、その道筋を辿ったところ、舐めた事に、我々軍警の中継サーバーの横をすり抜けていた」
「気付かなかったの?」
「気付いたなら即座に焼いた。相手はこっちの目を掠めていったんだ。我々だけじゃない。他機関のサーバー脇ギリギリを態々選んで通っている。欧州の歯車槽も、大陸の冬素子も、同様に」
これを聞いたミラは、九龍の連中が泡喰っているところを空想し、内心ほくそ笑んだ。
「挑発されてやんの」
ヒナがからかう。が、浩一は無表情の儘、
「売られた喧嘩だ。アイドル一人の話ではない。こちらも相応の対策を取らねば」
「で、私達が必要、と。役得だね」
と、ヒナが嬉しそうな声を上げる。
「護衛任務だが、探知も怠るな。奴を見つけ出せ。以上」
と浩一が言うのを合図に、辺りは真っ暗になった。会議との繋ぎが切れ、ヒナとミラもマトリックス・マスクを外した。
それにしても、とミラは考えた。これだけ電脳空間とやらが発展した時代に、それでも猶、現実の演奏を聞きに来るというのは、生の体験がそれだけ特別な価値を含んでいるからであろう。
視覚や触覚だけなら擬似で充分、とミラも重々承知していた。あれらは既に現実と差がない。脳の錯覚以上の何か、本物と呼んで差し支えない代物。
それは連中だってよく理解している。芸能界の連中。だからこそ、麻薬幻覚を模した演出に凝っているんだ。
今、ステージには、ドシン、ドシンと、地響きめいた足音を鳴らしながら、巨大な肉食恐竜が一匹闊歩している。愛里が歌う妖しい曲、その合いの手に、恐竜は大きな口をパックリ開けて、咆哮。赤茶けた砂漠を背に、恐竜は小さな眼をギラギラさせながら、何度も愛里を頭から喰おうとする。が、その度に彼女はダンスステップを踏んで躱す。やがて、向かって右端から、円柱状の光が降り注ぎ、天井から、円盤型のステレオタイプなUFOが出現、恐竜に紫色の光線を打ち込んだ。そんな戦争の間に挟まれながらも愛里は歌い続け、最後には恐竜は火だるまに包まれ、立った儘、まるで博物館の玄関にある様な全身骨格のみとなる。そしてUFOは上昇、天井へと姿を消した。
立体映像の賜物……影を巧く利用した質感は、観客を実際の白亜紀に連れて行った。無論、大型の肉食恐竜があんな風な鳴き声を上げたかは不明だが、ハイになった客にとってはどうでもいい事だ。
ミラは改めてシノノメ・愛理を眺めた。背景は何処かの洞窟に切り替わり、どんどん奥へ進む。美しい偶像。幼い印象の顔立ち……大きな瞳、小さな鼻、愛嬌のある唇……ヒナに少し似ている……長い茶髪がよく似合う彼女は、長い手足を存分に振るって、堂に入ったダンスを披露している。歌は、生粋のヴォーカルには劣るものの、高音域の伸びが良い。それから、笑顔。屈託のない、無邪気な笑顔は、現代では未発見ダイヤより得難い。
洞窟を抜けた先は氷河期だった。一面の銀世界。冷え切った景色。しかし何処からかハチドリが紛れ込み、愛里の周囲を飛び回った。すると、彼女の歌声が辺りを温めるという趣向なのだろう、吹雪は止み、雪は溶け、異常な速度で植物が氾濫、背景は一瞬で密林にまで成長した。極彩色な鳥や蝶が観客の頭上を優雅に舞う。愛里の歌声は穏やかな風となって会場に吹きわたり、木々の葉を揺らす。
私が監禁されている間に、人類はまた随分と映像技術を進化させたものだ。こんな事なら、もっと早く外に出れば良かった。あの白いだけの牢獄の中は、余白しかなかった。退屈で退屈で、来る日も来る日も、冬素子の奴らをどう始末するか、それだけをひたすら考えた。
実際に脱獄してみると、逃げる方を優先して、空想した殺し方の一割も達成出来なかったが。
ミラは洞窟に住まうコウモリの様に天井に逆さで貼り付いた儘、じっと、ステージに見入った。しかしヒナが夢中になるのも判る気がする。本当ならここにヒナも来たかっただろうが、あの子は別の仕事に掛かり切りになっている。操作盤を叩き続けて、何かをズット作っている。
「愛里を狙う奴は、絶対に許さない。必ず酷い目に遭わせてやる。どんだけ腕がいいか知らないけど、見つけ出して滅茶苦茶にしてやる」
隠れ家にて、ヒナは語気を強めて言っていた。
「でも、いいのか?私一人が護衛しても」
ミラが訊く。ヒナが愛里のファンならば、ちょっとでもお近付きになりたいのが当然だと考えたからだ。
が、ヒナは首を横に振って、
「いいの。どうせ、お兄ちゃんからは『対象とは直接的な接触を避けろ』って釘刺されちゃったし。それに、私、ミラに彼女の素晴らしさを布教したいの。だから気にせずに行ってきて。愛里を守ってあげて」
こんな健気な台詞を用意されては、ミラも熱を入れる他ない。
ミラの見立てでは、恐らく犯人は今回のライブツアーの最終日、即ち明後日に行動するだろう。こういう連中は妙なところに律儀で、慣習に従いたがる。この国、日本において、「マイクを置く」とあったら、それはライブの最終日に他ならない。
ショーはいよいよ佳境に入った。スクリーンは雲の上を映し、愛里の背中に純白の羽を生やす。見えない糸で愛里は吊り上げられ、歌いながら羽ばたく映像と共に身体は宙に浮き、天空高く舞い上がる。そしてスクリーン中央に空いた穴に、客には見えないよう強く発光させたその中心へ入り、天井から幾千の白い羽根が舞い落ちて、本日のライブは幕を閉じた。
自室に籠って操作盤を叩くヒナに、映像電話が掛かってきた。ミラからだ。
「はーい、もしもし」
「もしもし……今、演奏が終わった。これから愛里の自宅へ向かう」
視界一杯にミラの凛々しい顔が映り、見入って指が束の間止まる。やっぱり美人。作戦の都合上、ミラは愛里に付きっ切りだ。この顔を、少なくとも後二日はじかに見られない事が、今更切なくなった。
「どうだ?寂しくないか」
そんな気持ちをミラは直ぐ見抜いてくるから狡い。ヒナは自分の顔がニヤけるのを感じた。
「寂しい。でも、愛里は守りたいから、我慢する」
「そうか……うん。私も寂しいよ」
「うん。だから、こんなバカな事をした奴には、ちゃんと後悔して貰わないと」
疲れた笑み。ヒナは操作盤を叩いた。
「作っていたものは出来たのか?」
カタカタという音に気付いたミラが訊く。
「未だ未だ、全然」
「何を作ってるんだ?」
「立方体回路」
これを聞くと、ミラは首を傾げた。
「映画監督を作ってるのか?」
ヒナは、この二十世紀から目覚めたばかりの恋人に、最先端技術についてどう説明したものか悩んだ。つい、褒めて貰いたくて、自分が如何に高度な仕事を成し遂げようとしているか、一から捲し立てたくなる。
三次元構造体の中にマーク十一製の閉回路カセット集合体を縦横に並べる。その数は全人類の脳にあるシナプスの総数より多い。そうすると、構造体にある種の自我が芽生える。所謂A.I.だが、そこらの軍用とは処理能力が違う。これに更に銀行ターミナル接続と、個人認証管理ドメインを繋げ、それからヒナ特性のプログラム「タイムズ」と、遠回り迷路、無限延線、自壊コード、そして仕上げに賞金警報を組み込むと、相当面白い事が起こる。
ヒナは以上の仕掛けを、四つに分けたA.I.にそれぞれ分割統治させようと計画した。それぞれに名前も付けた。
迷路と銀行と賞金を担うギリアム。
「タイムズ」を管理するメイスン。
自壊コードを多次元に引き上げる役のライト。
無限延線内を通る情報を解析するウォーターズ。
名前の由来は、先日ミラがご機嫌に買ってきたレコードから。「月の裏側」。ヒナはこれを延々聞きながら、探知と破壊の一級回路を仕上げていた。
問題は、後二日で完成するかどうか、かなり危うい点。
しかし、ヒナはそれら全てを……自慢も、危険性も……飲み込み、簡単に、ミラにも判る箇所だけ説明する事にした。
「うーん、と、これはね、どんな相手も倒せる万能の武器を利用するプログラムなんだ。世界一の武器。判る?つまり、お金」
「ほう!」
ミラは甚く感心した様子で、
「鋳造された自由!真の支配者!私の可愛い恋人は、そんなものすら自在に扱えるんだな」
「へへへっ」
ご希望通り褒めて貰えて、得意になる。もっと、もっと、褒めて欲しい。けど、グッと堪える。
「ミラ」
「うん?」
微笑。吸血鬼の、血の滴る様な唇が、美しい曲線を描く。どんな命令中枢《OS》だって、この形は再現出来ない。
「愛里を宜しくね」
「判った」
切断。ミラの顔が消える。
溜息を一つ残し、ヒナは構造体の内側に戻った。
白一色の世界に、白い箱が雲の様に浮いている。果てしなく。A.I.は未だ目覚めない。後二日……ミラの予想では、犯人が行動するのは明後日との事。それまでに完成させないと。ヒナは意識を飛ばし、箱の一つに触れた。途端に、箱は形を変え、隆起し、山脈と化す。白く薄い山肌は透けて、向こう側で暗号が列をなす。もう少しで自我を得る。ヒナには、立方体の鼓動すら、聞こえるようだった。