BANG!③
爆破犯を特定した、と、浩一が妹のヒナから報告を受けたのは、出勤してすぐだった。
軍警内に割り当てられた個室は、独房の様なもので、分署はどこも殺風景だが、ここも例に漏れず、四方をコンクリートに囲まれた灰色一色の部屋に、机と椅子とキャビネットがあるばかり。ここが浩一の作業場だった。そしてまた、ここも例に漏れず、常に上層部が監視している。反理想社会に監視は付き物らしい。が、自分を見張り続ける目に浩一はもう慣れっこで、そもそも見られてマズイものなどないのだから、まるきり意識せずに毎日を過ごしていた。
今朝も時間キッカリに席に着き、立体映像を呼び出す。と、画面中央に巨大なハートマークが明滅した。最初、外部からの攻性ウィルスかと勘繰ったが、ファイル名は「2478」、これがヒナの署内識別番号であったので、中身は忽ち察せられた。
書類を開くと、意外にも、報告書の体を守った書面が現れた。相方……あの礼儀正しい吸血鬼……に注意でもされたのだろう。妹だけなら、「注文のヤツ、見付けたから、処理していい?」の一文で終わっていた。
報告書に目を通す。
特定した経緯は意図的に省かれている。唯、諸経費が計上されているだけ。大方、トレンチの情報屋にでも頼ったのだろう。ヒナの得意分野だ。普通なら、情報屋に辿り着く前に、己の全情報を世界中に公開するハメになる。浩一の妹は、今やスッカリ、トレンチに籍を置いている。
犯人は四人。グループ名は「天使を守る会」。犯行動機は……浩一には凡そ信じられないが……「オトリラ」のメンバーの一人、リエが、アイドルらしくないから。「天使を守る会」は、アイドルとしての厳格な規範を独自に設けており、清楚、無知、純真の三項目を絶対の指針にしている。この三項目から逸脱したものは決してアイドルと呼べず、その者が若しもアイドルとして活動しており、かつこれからも活動しようとしていたならば、相応の罰を与え、その者の活動を停止させる事が、ファン代表たる自分達の正当な権利であると、心から信じているらしい。正直、浩一には頭がイカれているとしか思えない。人間は人形ではないのだ。が、犯罪者など、大なり小なり身勝手なもの、こいつらもそういう連中と同じというだけだ。
しかし、やり方が派手だ。ドームを爆破するなんてな。派手な行為は、命取りだ。
浩一は書類の中盤を読み飛ばし、「特筆すべきは」という文字列で始まっている段落に目を留めた。
下らない動機が明らかになると、手口の技術的高さが疑問になる。「アイドルの規範」なんて幼稚なものを掲げている連中だ。知能も技術も資金力も、一般人と同等、或いはそれ以下に収まっている。それが今や、浅瀬とはいえ、トレンチに自分達の巣を作って警察の目をかいくぐっているだけでなく、GLDを半壊させ得るほどの威力をもつ爆弾「小型MoAB」を製造し、実際に運用したのだ。それどころか、現在、「天使を守る会」のメンバーはPMCを雇い、自分達の身を守らせてもいるらしい。
裏で手を引いている者がいる。
報告書にはそう書かれている。浩一も同意見だ。しかし、裏に隠れた誰か探しは別部署の仕事。ヒナもそれは重々承知の様で、報告書はあくまで「天使を守る会」のメンバーの処遇について問い掛けている。即ち「注文のヤツ、見付けたから、処理していい?」と訊いているのだ。
浩一はこれに了解を出した。但し、「メンバーは生け捕りで」という条件付きで。
ヒナから返信がすぐにあった。
”ボディガードは?”
これに対し、浩一は簡素な返事を送ってから、自分の為にコーヒーを淹れた。
「『好きにしろ』って、お兄ちゃんから」
マスクに表示された浩一からの返信を、ヒナは読み上げた。
「いつの世も、傭兵は哀れだな」
ミラはそう言いつつも、口許に浮かぶ笑みを止められなかった。
「贅沢な使い捨て、消耗品だ。金の為、戦場で散る。まぁ、主義の為に死ぬよりマシだろうが」
「死ぬなら一緒じゃない?どんな理由でもさ」
ヒナはマスクを取ってから訊いた。
「いや、そうでもない。金はないと生きていけないが、主義はむしろ生きていく上ではお荷物だ。命懸けなら、前者の方が良い」
そう応えるミラは着替えの真っ最中だった。長い金髪は後ろで一つ結び、黒いトラックジャケットと揃いのトラックパンツが、痩身にピッタリ張り付いている。
「傭兵、殺すの?」
ヒナが訊く。ミラは苦笑して、
「殺すよ。きっと殺す事になる。殺そうとしてくる奴を相手にするなら、こっちも殺すつもりでいないと」
「殺されたらヤだよ」
「まさか。十九世紀の専門家ならまだしも、傭兵如き、何でも無いさ」
恋人を安心させるべく、ミラはヒナの頭を胸に抱いた。
「大丈夫。心配しないで。手加減はしないから」
「うん……あと、これ」
ヒナは身体を離すと、印刷したものをミラに手渡した。
「対象が潜伏してるとこの見取り図。住所はトヨシマ区二番街、旧池袋駅近くの図書館裏手に建ってるグラス・フォーム・マンションってとこの五階。灯台下暗しだよね。秘密基地は都内にあったんだもん」
「大したもんだ。警察は見逃したんだから。ヒナはどうやって見付けたんだ?」
「簡単だよ。奴らは引き籠もりだから姿を見せないけど、奴らが契約したPMCはそういう訳にはいかない。傭兵の足取りを辿ったら、頻繁に出入りしてるマンションがあったから、そこの監視カメラを覗き見したら、ビンゴ、全員引き籠もってたの」
「一か所にいてくれて助かった。一度の仕事で片付く」
着替えを終えたミラは、もう出掛けようかと考えた。が、これも一応仕事、上司である浩一の言い付けは守っておこうと考え直した。黒革のボディバッグを取り上げ、斜め掛け、バックルを留める。バッグには、拳銃が一丁、入っている。
「夕方には戻るよ」
午後二時、ミラは自分の影を部屋の影に溶け込ませ始めた。
「いってらっしゃい」
暗がり、タコの群れがひしめく海底の様に配線が床を這う部屋の中央で、ヒナが手を振る。一抹の不安を潜ませた顔で。ヒナの白髪は暗い部屋でよく目立つ。ミラは急に胸に切なさが込み上げた。長い人生の内で幾度も目撃した、戦地へ赴く夫と、それを見送る妻の別離の場面を思い出した。今もそれと似た様なものだと、ガラにもなく感傷に浸って、ミラは困った様な笑顔を返した。
吸血鬼の影は段々に溶け、部屋の外の影と混ざり合う。影から影へ、水が川を伝い落ちる様に、一路、北へ走る。光速、とまではいかないが、音よりは速い。意識を保ったまま、ミラは全身を影とし、曇り空が作る建物の薄影や路地裏の暗闇をひたすらに渡る。黒い薄膜となって。薄膜の表面で気配を探り、目的地近く、人影のない場所で、影の底から這い上がる。音もなく、金髪美人は道路の上に立った。
平日昼下がりの都会は冷たい。取り分けこういった住宅街は顕著だ。ビル詰めにされた昼間の勤め人だけが人権を有しているという顔で、それ以外の者、例えば現在のミラの様に、私服で路上をうろつく奴は殆どおらず、いたら即座にロクデナシの烙印を捺される。唯一、お目溢しされているのは、学生くらい。近頃、この傾向が強まった気がする。技術の進化は人間を自由にせず、却ってより複雑で過酷な座り仕事に縛り付けている。苦労は買ってでもしろ、という訳か。
しかし、ひとけがないというのは、こっちの仕事に好都合だ。
ミラはポケットから見取り図を取り出した。グラス・フォーム・マンション……眼前に建つ、模造品の赤レンガ造りのマンション、その玄関に嵌め込まれたプレートに刻まれている。ここの五階か。ミラは冷え切った空気を浅く吸って、玄関の硝子戸を押し開けた。
クリーム色の壁に色褪せたポストが密集するエントランスにて、ミラは恰幅の良い男とすれ違う……こいつは傭兵だ……男は何喰わぬ顔ですれ違っていながら、視線をミラから外さない。ミラは無視してエレベーターの上行きボタンを押す。
と、徐に男が振り返った。
「やぁ、嬢ちゃん……」
男がミラを呼び止める……その右手は懐の銃に触れている。ミラが振り返る。と、男の視界から金髪が消えた。かと思うと、男の後頭部に砲丸がめり込む感触、巨体はその儘床に倒れた……後頭部がへこんで、髪の毛の隙間から血が滲む。ミラは叩き込んだ右手を引っ込めてから、丁度到着したエレベーターの箱に乗り込んだ。
「5」のボタンを押してから、ミラはしみじみ見取り図を眺めた。冷気を湛えた鉄の箱は、軋む音を立てながら、ゆっくり上昇していく。蛇の様に無遠慮に足を這い上がってくる冷気をうとましく思いながら、ミラは見取り図を基に簡単な作戦を立て始めた。
目的地は、一フロアに八部屋が割り当てられたL字型の中廊下。エレベーターを出た正面突き当りには非常階段、そこを曲がり角にして、手前に四部屋、奥に四部屋。図に記された注意書きによると、ターゲットは奥の四部屋に一人ずつ隠れているらしい。他にも注意書きがある。「PMCは五人常駐、二十四時間交代制」、「PMC潜伏先は通報済み」、「マンション内完全武装(依頼人の要望で)」。よくも、まぁ、調べ上げたものだ。ミラは見取り図にキスした。
さて、これだけ判れば充分だ。が、今回は念入りに、もう少し詳しく作戦を練ろう。万が一、失敗したら、格好がつかない。
ミラは見取り図をじっと眺め、常駐している五人の傭兵が、一体、廊下のどこに配置されているか想像した。先ず間違いないのが、廊下最奥、角を曲がった先の壁際、依頼人の部屋全体が見られる場所。次に非常階段の前、そしてエレベーターの前にも必ずいるだろう。となると、廊下最奥とエレベーター前の状況を伝える者が必要になる。曲がり角に一人はいるか。
人数はどうだろう。階段は狭いから一人、連絡役も一人でいい。では、残り三人は?エレベーター前に二人いるか、廊下最奥に二人いるか……これは、出たとこ勝負になる。
エレベーターは上昇を続け、今「4」の数字が光った。間もなく「5」。ミラはストレッチ代わりに、一つ、伸びをした……。
……その頃、五階廊下は異様な緊迫感に支配されていた。エレベーターを見張る二人の兵士は、自分達以外使う者のいないエレベーターの数字盤が、「1」から順に、「2」、「3」と、カウントアップしている事実に殺気立っていた。願いも虚しく、数字は途中で止まらず、エレベーターは真っ直ぐここを目指している。うっかり配達員が迷い込みでもしたのか。それなら不幸だ。誰だろうと、約束なしで来た奴は、身体を穴だらけにする契約になっている。
複眼マスクを被った五人の兵士は、視覚野に無線接続された三十六個のカメラで隣と背後に目配せし合い、全員即座に高圧式白燐銃を構えた。銃口はエレベーターの扉に向けられている。
やがて「4」が消え、「5」が点く。ポーンッ……と、のどかなチャイムが廊下に響き、エレベーターの到着を知らせる。引き金に指が掛かる。鉄の扉が軋みながら横に開く……兵士の視線が箱に集中する……しかし、箱の中身は空っぽだった。
それから、次の瞬間、廊下の一番奥から、グシャリと、重たくも湿った音が響き渡った。そして、そこに立っていた兵士の頭がマスクごと叩き潰され、壁に真っ赤な血の花が咲いた。
曲がり角に立つ兵士は、一瞬、自分のカメラに金髪の女が映り込んだ気がしたのだが、確認する前に、足払い、身体が宙に浮かび、床に倒れると同時、スニーカーの踵で首を切断される感触を味わった。
非常階段を見張っていた兵士は、信じ難い光景の連続に、カメラの故障を疑った。同僚二人が、あっという間に、なす術もなく殺された……しかも、殺ったのは金髪の少女一人。どこから現れたのか、少女は突然廊下の最奥に立つや否や、閃くビームの様に二人目をもう殺し、既に自分の背後に佇んでいる。兵士は動けなかった。恐怖が全身を強張らせた。戦地に幾度も身を置いたが、こんな得体の知れない恐怖は味わった事がない。こちらが動けずにいる間にも、少女は腕を伸ばし……か細く白い手が、防弾ベストも背中も突き破り、兵士の背骨を掴んで、強引に引っこ抜く。背骨は、腰と首で引っ掛かり、血液や筋肉をまき散らしながら、バラバラと、床の上に散らばった。
……残り二人。エレベーターの前……。
兵士二人は振り返って、階段に発砲した。が、少女はそこにいない。エレベーターの扉が閉まる。少女はエレベーターの前に立っていた。兵士達は機敏に反応し、もう一度振り返った。が、少女は兵士二人の間にいて、ニヤリと笑みを浮かべると、左右の手で二人ののどぼとけをむしり取った。
……ふぅ……。
ミラは面倒事を片付けた余韻に浸りたかった。が、残念ながら、仕事は未だ残っている。血塗れの両手を舐めたい衝動をギリギリ抑えながら、ミラは己の影に溶け、廊下奥の部屋の中に忍び込んだ。
影から這い上がっても、室内は深淵だったが、夜目の利く吸血鬼には内部が見渡せた。汚い人いきれが充満した、埃っぽい部屋。珈琲でもこぼしたのか、配線の合間から覗くカーペットには茶色い沁みが広がっている。こういう時、見え過ぎるというのも考えものだなと、ミラはつくづく思う。マトリックスマスクを被った肥満男が、暗い室内で、一人遊びに耽っていた。部屋の外では殺し合いがあったばかりだというのに……。
腹が立ったミラは、マスクごと男の頭を殴った。「生け捕りで」という条件が付いていたので、死なない程度に。とは言え、マスクは派手な音を立てて壊れ、太った身体は真横に吹っ飛び、慣性の法則に従って壁に激突した。その儘気絶した男は、舌でも切ったらしく、ブクブクと血を吐いた。
白目を剥いて、いい気なもんだ。こっちは空腹だってのに。
ミラは気絶した男に近付き、その口元の血を拭って、舐めた。廊下でやり合った五人の傭兵の血と、肥満男の血が絶妙に混じっている。ミラはこれでも美食家な吸血鬼を自負しており、どれだけ混じり合った血であろうと、個々の味を感じ分ける事が出来た。
久し振りの生き血を味わい、幾らか落ち着く。冷静さを取り戻すと、頭がゆるやかに回転を始めた。薄汚い男共を、どうすれば簡単に生け捕れるか……いいや、考えるだけ無駄だ……結局、こうやって、気絶させるのが一番楽だ。
そして、次の部屋も、その次の部屋も、ミラは一人遊び真っ最中の男を殴り飛ばし、昏倒させていった。
しかし最後の部屋は様子が違った。明かりが点いていたのだ。痩せぎすの男はマスクを被っておらず、下半身を露出させずに、壁に耳を当てていた。隣室の大きな音を探っていたのだろう。間もなく自分も同じ目に遭うとは知らずに。
男はこけた頬を震わせ、部屋に突如出現したミラを指差すと、壁から急いで顔を離した。尻餅をつき、怯えた目で見上げてくる。不健康な唇は、何か言いた気にパクパク動くのだが、ヒューヒューと、か細い息が漏れるばかりで、一音節も奏でない。哀れにも、男は扉の外と部屋の壁を何度も指で差した。
吸血鬼なぞ根はサディスト。ミラは怯え切った男の目にそそられた。何かしてやろう。何か、死ぬほど驚く意地悪を。そうでなきゃ、仕事の愉しみってものがない。
暫し、ミラは今日一番に頭を駆使し続け、やがてある思い付きが浮かんだ。大した事じゃないが、この男の命運を分ける事だ。ミラは身体に巻き付けたボディバッグを開け、中から拳銃を取り出した。銃口が男の眉間を狙う。男は判り易く狼狽え、声にならない悲鳴を上げつつ後退りした。が、配線だらけの部屋は狭く、敢えなく背中が壁に到達する。ミラは一歩ずつ追い込み、眉間を狙った儘、到頭引き金に指を乗せた。そしてニッコリと微笑み、
「BANG!」
「ひっ……!」
ミラの戯れを真に受けた男は、短い悲鳴を上げると、呆気なく気絶した。イタズラが成功したミラは、満足気に、発射音を真似たその口で、煙の出ていない銃口に、ふっと、息を吹き掛けた。
「今回はよくやった。爆破犯四人の生け捕り、命令通りだ」
アルミらしい銀色の机を隔てた向こうに座った浩一が褒めてくる。賞賛の言葉に似合わない、粗悪アンドロイドの様な無表情で。しかし、これはいつもの事。彼は感情を表に出せない。一種の職業病だ。
「大したもんでしょ」
ヒナは薄い胸を張った。その隣ではミラが足を組んでいる。
「で、褒める為だけに、私達を呼び出したと?」
ミラは足を組み替えながら訊いた。軍警新宿分署内、五番会議室。ミラの着るレザージャケットの縮む音が窮屈そうに鳴った。
「それもあるがね」
と、浩一は身を乗り出して、
「一応、初仕事だからな。上司として感想の一つでも聞いておこうかと。ヒナ、どうだった?」
「超、最高」
ヒナは満面の笑みで即答した。
「自分の能力を全部使えるって、すっごい気持ちいい。籠の鳥から、渡り鳥になった感じ。太平洋を渡り切った充実感だね」
大きな瞳を爛々と輝かせ、興奮した口振りだ。隠れ家暮らしが長かった反動もあるのだろう。
「……そうか。愉しんで頂けたなら何より。では、吸血鬼殿は如何だった?」
座り直しつつ、浩一が慇懃な態度を取る。
「勿体ない事をしたな、と、少し後悔したよ」
ミラが皮肉気に応える。
「どういう事だ?」
「傭兵を相手にした時、曲でも掛ければ良かったよ。今時は、頭の中に直接曲を流し込めるんだろう?一曲聞きながらやれば、アクション映画のワンシーンみたいだったのに、勿体ない事をした」
怪物の尺度は判らない。いや、測ろうとする事自体、実に馬鹿馬鹿しい。浩一は黒手袋を嵌めた両手の指を絡ませ、ミラの真っ赤な瞳を見詰めた。
「掛けるとしたら、曲目は?」
「そうだな……『七ヵ国軍』が似合っただろう」
「歌詞通り、『いた所に帰れ』と言って欲しいか?」
浩一は眉をひそめて、
「それに、一曲分の時間はなかった筈だ。四分も必要なかった」
「『救世軍』と引っ掛けただけさ。それより、矢張り覗いていたんだな」
ミラが犬歯を剥き出しにして笑う。一体、その鋭い牙で、どれだけの人間を殺してきたのやら。
浩一にとって、これくらいは口を滑らせた内に入らない。吸血鬼もその点は承知していて、余裕綽々といった態度で微笑んだ。
「私の活躍、録画していたのなら、BGMを付けて送ってくれ。初任務成功の記念に」
「考えておこう」
浩一は改めて背筋を伸ばして私語を打ち切り、担当官に相応しい語調で会話を仕切り直した。
「二人の仕事ぶりは見事だった。良いチームだ。試した訳ではないが、これで安心して任務を回せる」
浩一は足元のジェラルミン・ケースを机に置いて、
「次の仕事が待っているから、私はこれで失礼するが、最後に一つ、報酬に関して確認したい事項がある。金額面での相談なし、充分に渡している積もりなので文句も受け付けないが、血液……食糧については、当人に確認して貰いたい」
と、ケースを開き、中から赤黒い液体で満ちたプラスチック・パックを取り出した。
「以前ヒナから聞いたよ。病院の輸血パックを狙ったんだって?形を似せたが、これでどうだ」
差し出され、ミラがパックを手に取る。似せたと言うが、これは少し変わっていて、丁寧にも飲み口が付いている。ゲル状飲料の容器と呼ぶべき代物だ。
ミラは蓋を開けて一口飲み、頷いてみせた。
「よし。では、以降、この形で血液は支給しよう」
浩一はそう言うともう立ち上がって、会議室を出て行った。
兄の背中が見えなくなると、ヒナは姿勢を崩し、椅子の上で胡坐をかいて、隣にいるミラの顔を覗き込んだ。
「良かったね。久し振りの血液だから美味しいでしょ」
「あぁ……そうだな」
ミラは完璧な作り笑顔を返した。ヒナに嘘を吐いたからだ。久し振りではない。この血は昨日飲んだばかりだ。パックはあの太った男の命で満たされている。ミラが殴り飛ばした、「天使を守る会」のメンバーだったあの肥満男の血。