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B2  作者: 白基支子
5/9

BANG!②

 自室でマスクを被る時も、ヒナは矢張り全ての照明を落とした。光が肌に触れる様な感覚すら、邪魔になる。ダイブしてる時は、全神経をワイヤーとアバターに集中させているので、何をされても感知出来ない。ミラには、わざと、その事を伝えておいた。イタズラし放題だよ、という意味だ。

 サイバー・スペースの、平和な薄紫色パープルの空を仰ぎ、肉体の癖として、深く息を吸ってから、凪いだ水面にダイブする。薄皮一枚を挟み、肉食魚ばかりが巣食うトレンチに入る。平穏は簡単に破れる。暗い路地一本入れば、誰が殺されているか、判ったものではない。

 筋状の光が幾つも走るトレンチの無限絶壁(マリアナ)へ、ヒナは三本のワイヤーを伸ばした。目に見える、物質的な壁は偽物フェイク、遠近感は通用しない。馬鹿正直に絶壁にワイヤーを繋げば、そいつは一時間後に、名前から住所、性癖から小学校の卒業アルバムまで、全世界に公開される。

 ここで大切なのは、現実界リアルとは比べものにならないほど繊細な感覚。慎重さを欠いた者から、トレンチの底へ沈んでいく。手探りにワイヤーを進ませ、僅かな弾力に触れたら、決してオブラートを破らないよう、その表面に注射針を刺す要領で、接続アクセス

 これから訪ねるサイトは、管理人アドミンが偏執的な性格で有名だ。暗号パスワードは、常に変動するマリアナの壁面に、ある面積を持つ完備な三角形を描く事。厄介なのは、揺れ動くトレンチの海流が、求められる三角形を常に作らせない、という点にある。つまり、正攻法ではどうにもならない。ある程度の秩序を逸脱し、点列の収束する潮流をこっちが半ば強引に用意するしかない。流れは写像であり、抜け目ない極限を自ら生み出した上で、刹那の間に平面の三点を確定させる。

 接続待ち……通過パス……視界が反転、青白い光の行き交う海中は遠のき、台北タイペイの屋台市にヒナは立っていた。

 道の左右に並ぶカラフルなビルは、壁のひび割れが砂埃を数十年分は吸っているらしく、全体が茶色っぽい。その軒下に広東語の看板が続き、店先には生肉や珍味がそのまま陳列され、中華せいろの中では飲茶が湯気を吹いている。往来に置かれた椅子と机は薄汚れた白、どの机にも日除けのパラソルが差してある。

 無人であるという要素ファクターを除けば、ここは完璧な模写だ。違法イリーガルなくらい、現実と酷似している。現実界リアルにあんまり似過ぎたサイトは、政府によって禁止されている。使い古された銘文、「現実とゲームの区別が付かなくなる」恐れをなくす為に。

 舗装の剥げた道路の踏み心地すら再現した街をヒナは歩き、干したトカゲを売る屋台の奥、商店で唯一換気扇を回し、緑色の梁に「开门」という札を下げた料理屋に入った。

「いらっしゃいアルー」

 張りのある、若い女の声。赤いチャイナドレスを着た、ヒナと同じくらいの背の女店員が、カウンターから身を乗り出してこっちに声を掛けている。それにしても、わざとらしい中国娘だ。黒髪を二つのお団子結びにしているなんて。

「お一人様アルか?」

 それにこの喋り方。型通り(テンプレート)は時に重大な勘違いを引き起こすという典型だ。

「ドートと待ち合わせなんだけど」

 ヒナがそう言うと、店員は振り返って、

「店長にお客さんネ」

「おうよ。知ってるさ」

 いつの間にか、汚い長机の隅に、黒いマントを羽織った男が、ずんぐり座っていた。彼こそがドート、このサイトの創造主であり、偏執的な管理人だ。

「久し振りだぁな、ヒナっ子。まぁ、こっちゃ来い。テンテン、何か出してやんな」

「アイー」

 テンテンと呼ばれた店員が暖簾の向こうに引っ込むのを見送ってから、ヒナはドートと向き合うように座った。

「いつぶりだね。もう老いぼれの知恵なんぞ頼りにしなくても、平気なんじゃないかね」

 高い鼻を中心に、剥き出した目玉と、しわくちゃの皮膚。自分の姿なぞ、どんな風にでも誤魔化せる仮想体にも関わらず、ドートは現実の自分の姿の儘、電脳にいた。生粋のリアリスト……いや、現実の正確な贋作者でいたがっている。

「髪を切ったなぁ、ヒナっ子。こっちでも、髪は白に変えたんだぁな」

「まーね。ドートを見習って、本当の姿を真似たの」

「ほほぉ。それがええ。結局、人間は肉体の囚人だなぁ。現実に寄せるだけ、こっちでも生き生きするんだぁな」

 ドートは竹の箸を持ち、机に置かれたせいろの中から、水餃子を一つ摘まんで、口に入れた。歯が残っているか怪しい口をモゴモゴと動かし、それを飲み込む。

「その髪もよぉ似合っとる。可愛いヒナっ子。新しい仕事には慣れたかね」

「判んないよ、未だ」

 ヒナが軍警の「指」だと、ドートはもう知っていた。つまり、トレンチの深部では既に噂になっている訳だ。

「お待ちどさまネー」

 と、そこで、厨房からテンテンが顔を出し、山盛りの開口笑かいこうしょう……中華風ドーナッツ……の乗った皿をヒナの前に置いた。

「遠慮はいらんよ」

 ドートが水餃子を食べながら言う。

「これの金は取らんよ。カロリーもないしなぁ」

「嬉しい!頂きます」

 箸を取り、一個、口に放り込む。素朴だが、出汁が利いている。少なくとも、ウィルスは混入していない。

「美味しいよ」

「嬉しいネ。どんどん食べてヨ」

 テンテンはそう言うと、カウンターの方へ引っ込んだ。頬杖を突く中国娘を見ながら、ヒナは声を潜めて、

「ね……あのA.I.人格ピースも、リアルに寄せてるの?現実にモデルいるの?だとしたら、相当痛いと思うんだけど」

「まさかまさか」

 ドートは愉快気に応えた。

「ありゃあ、わしのオリジナル。リアルに寄せる為に作ったんだぁ」

「どういう事?」

「リアルっちゅうのは、時折、抜けてるもんだ。現実に寄せ過ぎるのも、不自然だわなぁ。現実にだって、リアルはないんだわ。そうだろう?ヒナっ子。お前さんの相棒は、リアルかいのぉ?」

「『完璧な人間はつまらない』ってのは、賛成出来るけどね」

 ミラの情報も漏れているのか。ドートは商売柄らしい、感情の読めない笑みを浮かべた。

「お前さんの相棒は便利だぁな。こっちの世界じゃあ、喉から手が出るってヤツだ。カメラに映らんとはなぁ。わしも未だ拝見しとらんよ。吸血鬼、わしも一度見てみたいのぉ。美人なんじゃろ?」

「飛び切りね。それに頭も良いんだから。ここに来たのも、美人吸血鬼のアドバイス」

「ほう」

 ドートは目を細めて、

「GLD爆破の件かね。この老いぼれ情報イン・アウト屋に何を訊きたいのかね?」

「ここの規則ルールは変わってないよね」

 ヒナは相手の反応を確認しつつ言った。

「『何が知りたいのかも知らない者に、教える事はない』……だっけ、ドート教授?」

「如何にも」

 ドートは満足そうな笑顔を湛えた。

「ヒナっ子は賢くて助かるなぁ。もっとちっこい頃から、腕っこきだったもんなぁ。そうだとも。情報屋を全知の主だと勘違いしている連中の、何と多い事か。詳細が欲しけりゃ、詳細を寄越すってのが、当然だて」

「はい教授。答えばかり欲しがる学生に、聞かせてあげたいですね」

「うむうむ。それで、ヒナっ子はどんなレポートを持って来たんだ?」

「えっとね」

 交渉トレードは成功したらしい。ヒナはマスクの記憶野に保存しておいたミラとの会話を、簡潔にまとめ直し、トードに話した。

「GLD爆破事件の、えーっと、まず、犯人像プロファイリング結果から。これはミラが作ったの。犯人は集団で、二十代から三十代の男数人。多分、三、四人じゃないかって。それから……テロリストじゃない。素人の犯行だって」

「ほほう。アマだとする根拠は?」

「爆弾の位置と、爆破の時間」

 開口笑を一つ口に放り込んでから、ヒナは机上にGLDの館内図を映し出した。

「見て、ここ、爆心地。ね?入口から直線十五メートル 爆弾はドームの玄関入ってすぐのとこに置いてあったの。爆破もライブ前。スタッフ用の通路に入れたなら、建物のもっと奥にも侵入出来た筈で、例えばここ、舞台の真下、オーケストラピットの中に置いて、ライブ中に爆破すれば、少なくとも概算六千人は殺せたのに、そうしなかった。途中でビビったんだろうって、ミラは言ってた。ビビる奴は訓練を受けていない、だから素人だって」

「ふぅむ。だが、その情報はチグハグだぁな」

「そう。違和感あるよね」

 から風が、外の屋台に干されたイモリの黒焼きを揺らす。こんな現実味リアリティは本当に必要だろうか?ドートが言った通り、現実にすらリアルはないのに。この事件がその好例だ。

「ドートの指摘は判るよ。素人にしては、仕掛けが巧妙だっていうんでしょ?」

「ヒナっ子も気になってたんだな?」

「うん。それがこの事件の核心だからね」

 ヒナは、自分でも意外なくらい、真剣な口調で言い継いだ。

「実行と準備で、技術にかけ離れた差がある。度胸のないビビリのくせに、GLDを半壊させるよう爆弾を用意したり、電子的にも物理的にも、警察の捜査網をかいくぐったりしてる。不釣り合い(アンバランス)だよね」

「まるで別人だぁな。複数犯だ言うてたが、その所為かね」

「多分、違う。こんな大事を失敗したら、普通、責任問題からの内部分裂になって、自首したり自滅したりする筈なのに、その兆候がないのは、多分、組織グループ全員がビビリだからだろうって」

「それも吸血鬼が?」

「うん」

 ミラは断定調で語っていた。責任問題に発展していないから、組織は多くても四人、もっと根本、最初に複数犯と断定したのは、こんなビビリ一人だったら、そもそも爆破その物が起きていないから。

「じゃあ、犯行組織は全員素人だと言うんか?」

「うん。プロの技術を持った素人組織」

「矛盾しとるなぁ」

 そう言うドートは嬉しそうだった。

「よぉ考察しとる。よき相棒は、万の石板に勝るなぁ。集積回路より以前の時代は、人間の頭脳にもっと質のいい電流が走っていたっちゅう、生き証人じゃ。それで、ヒナっ子、お前さんはこの老人に、何を訊きたい?」

「トレンチの新参者について」

 ヒナは一度呼吸整えた。

「それも、このマーク使ってる連中」

 そう言うと、ヒナはGLDの館内図を消し、代わりにあるマークを机上に投影した。それは簡単なマークで、丸の中に”IN”の二文字だけが記されたものだった。現場にて発見した引っかき傷(スクラッチ)から抽出したものだ。こういった、自己顕示欲高い点も、素人っぽさを濃くしているといえる。

「これを掲げてる連中の名前と、その居場所。ドート、知ってる?」

「これでも情報屋だて……居場所はトレンチの座標でえぇかい?」

「最高」

 ドートは最後の水餃子を食べてしまうと、徐にこう応えた。

「『天使を守る会』……奴らはそう名乗っとる。男の四人組で、つい先週、突然トレンチにサイトを作った連中じゃ。それもかなり浅いぞ。作りも雑ときた。よくもまぁ、今でもトレンチで生き残っとる。ヒナっ子が言うとった条件に合うじゃろ?」

 いつの間にかヒナは紙を握っていて、それを見てみると、「-0.298845 7.8554114 0 0 0 0」と手書きされている。これが座標らしい。浅瀬というより、殆ど海面に近い。ドートの言う通り、今までよく鮫に喰われなかったものだ。

「ありがとっ」

 ヒナは立ち上がって、

「代金はいつもより多目にあげる。領収書が切れるようになったから」

「ほほっ。軍警様々じゃな」

 ドートが手を降る。ヒナはそれに応え、ついでにカウンターで前髪をいじっているA.I.娘にも手を降った。

「ごちそうさま。お邪魔しました」

「ありがとネー。また来るヨロシ」

「パスが難しくなってなかったらね」

 ヒナはそう言ってサイトを離れながら、相場の倍近い情報料をドートに振り込んだ。これには口止め料も含まれている。ヒナがここを訪ねて何を訊いたか、その情報に値が付いてからでは遅い。金で買える内は、秘密は買っておくに限る。


 ヒナはマスクを脱ぎ、現実界の自室に戻った。濃い闇の中で浅く息を吐くと、部屋の扉が開き、光が差し込む。廊下の蛍光灯が放つその醒めた光を背景に、ミラが部屋に入って来る。

「終わったのか?」

「欲しかったものは買えたよ」

 起き上がりながら、ヒナは自分の服……黒いパーカー……が全く乱れていない事に気が付いた。

「イタズラ、しなかったんだ」

「私はキスから始める派なんでね」

 ミラはヒナが座る椅子まで来て、唇同士をくっ付けた。

「マスクしてたから、ズット待ってたんだ。仕事の邪魔もしたくなかったし」

「遠慮しなくていいのに」

「本音を言えば、実は我慢の限界だった」

 ニッと、ミラが笑う。その獰猛な笑み、尖った二本の犬歯が上唇から零れる笑顔が、深紅の瞳と共に、捕食者の余裕を滲ませる。こんな時、ヒナはもう心酔して、吸血鬼の手が自分の足を這い上がって、キャミソールの下の地肌に滑り込むのを許してしまう。

「仕事は終わり?」

 ミラが訊く。無邪気な顔で。流れる様な金髪に顔をうずめたい欲求に駆られながら、ヒナは寸でのところで首を横に振った。

「もう少しだけ待って。もう一回ダイブするから。ミラの読みのおかげで特定出来たの。男四人組、『天使を守る会』だなんて、ダサい宗教みたいな名前の連中。すぐ、現実の居場所も特定する……後一歩なの。そしたらこの仕事も完了だから、それまで……」

「判った。良い子で待ってるよ」

 ミラの手がすっと離れる……少し寂しい。

「ごめんね」

 ヒナが謝ると、ミラは彼女の額にキスした。

「いいさ。これでも『待て』は得意なんだ。でも、どうだろ?次は我慢が利かなくて、イタズラするかも」

「悪い子だね」

「吸血鬼だからな」

 二人はクスクス笑い合い、そしてヒナはマスクを被って、

「いいよ。我慢なんかしなくて」

 と、精一杯の蠱惑を込めた台詞を残し、再びトレンチへ潜った。

 遮断された視界は深海の色合い。サイバー・スペース全体を照らす、サイト判別用の可視光スペクトルが、トレンチの水面で屈折、乱反射し、やがて途絶える。座標履歴(ログ)がドートの情報屋から離脱した直後だった所為で、ヒナはトレンチでもかなり深い位置にいた。ここまで潜るとマリアナの情報光もまばらになる……勿論、行き交う情報量が少ない訳ではない。皆、巧みに隠匿しているのだ。

 そう、ここでは誰もが己の姿を隠している。オランダの諺に「大きな魚はより大きな魚に喰われる」というものがある。が、ここでは単なる諺に留まらず、実体験になりかねない。肉食獣しかいないジャングルでは、不用意に姿を現したものが餌になる。

 ヒナは海面を目指して上昇しつつ、ドートから買った座標を改めて確認した。


 -0.298845 7.8554114 0 0 0 0


 ランダム性も薄く、可視光によって常に晒されているこんな浅瀬にサイトを作るバカが、トレンチにいる筈がない。普通なら、罠か何か、或いはドートに一杯喰わされたのだと思う。が、今回は確信があった。連中は素人、トレンチの物理法則も食物連鎖も予習していない烏合の衆。

 でなければ、GLDを半分も吹っ飛ばしておきながら、死者二人なんてお粗末な結果を招きはしない。

 目的地に近付く。ヒナは、一応、身代わりの仮想体を呼び出し、昔捕まえたケチな犯罪者のアテストをその仮想体に紐付けた。座標を固定し、接続テスト。驚いた事に、ワイヤーを繋げると、”Password?”という文言が視界に出て、ヒナはつい笑ってしまった。パスワード?それも六桁?瞬殺じゃん。こいつら何で未だ生きてるんだろ。あぁ、そうか、きっと食べる価値もないって、皆から無視されてるんだ。

 相手のあまりな浅墓さに、呆れを通り越し同情するが、ヒナは早速解析を始め、六桁の数字を割り出した。「148627」。何か意味のある数字なのかと疑り、検索してみると、「オトリラ」のセンター、アリアの身長が148.627cmだった。

 厄介なファンを抱えたもんだね。

 独りごちつつ、「天使を守る会」のサイトに侵入する。

 転じて(フリップ)展開デコンプレス。景色が開ける。と、ヒナはマンセル要塞の屋上に立っていた。

 記録アーカイブで見た事がある……マンセル要塞は海上に取り残された廃墟だ。この、四本の細長い鉄の支柱の上に、錆びた鉄の箱が乗っかっただけの、歴史的な海上トーチカが、五角形に並び建ち、ヒナはそんな五角形の中心に位置する建物にいた。

 走査スキャンしてみても、構築物はこの六つのみ。他には晴れ渡った青空と、凪いだ青い海、それからヒナを除いては、四人分の仮想体だけ。

 ここが「天使を守る会」の秘密基地。

 素人の脳回路など取るに足らない容量キャパしかないだろうが、用心だけは欠かさない。一応、偽造アテストと繋げたワイヤーに氷鍵を噛ませ、パターンを素数分布に埋め込んでから、先端に目を仕込む。

 放射状に離れていく四本のワイヤーが、生体反応のあった構築物に各々の一端を繋げる。トーチカ内部の映像は視覚野に映され、その生中継ライブを、ヒナは肉体の癖として眼球を動かしながら眺めた。

 四つのトーチカ内部は、錆び果てた外観とは打って変わって、通常の一室、多少の個性は認められても、言ってしまえば面白味に欠けた、極々普通の内装だ。ベッド、ソファ、照明器具、本棚等の家具が壁際に並び、壁に「オトリラ」のポスターが貼ってある。特筆すべき事柄があるとすればこのポスターぐらいか。「オトリラ」のメンバー三人、センターでピースサインするアリアと、その右側でジャンプしているTCTは何ともないが、ポスター左側で両手を上げているリエの顔だけが、無惨に切り裂かれている。

 事件の動機はこれか。

 小柄で可愛いアリアは清楚系で盤石の人気を誇り、童顔ながらスタイルの良いTCTは天然女子として好評だ。この二人は正統派アイドルとしてファンから手厚い歓迎を受けている。が、エリは、その整った顔立ちからは想像も付かない程の毒舌、歯に衣着せぬというヤツで、度々問題を起こしている。それが却って清々しい、等身大のアイドル像だと、「オトリラ」のスパイスとして確固たる地位を獲得しているが、一部ファンの反感を買う要因にもなっている。

 観察を続ける……部屋の主は、それぞれ、思い思いの時を過ごしている。長身の二枚目はハンモックに寝そべり、大学教授然としたスーツの老人は「オトリラ」の曲に聞き入り、アイザック・アシモフが作った様なロボットは写真集を読み耽り、アニメ美少女は最新の疑似体験に没頭している。自慰真っ最中の奴がいなくて、本当に良かったと、ヒナは心から安堵した。

 ワイヤーを回収、中央のトーチカ内部に入る。仮想体にワイヤーを直で繋ぎ、相手の海馬から情報を抜き取る方法もあるが、四人となると手間は掛かるし、ヒナは潔癖症でもあった。電脳空間とはいえ、見知らぬ男の頭になんか触りたくない。

 それより、もっと効率の良いやり方がある。

 予想は的中した。中央のトーチカは会議室になっていて、白で統一された広い室内には、長机と椅子とホワイトボードのみ設定されている。連中はここであの杜撰な計画を立てた訳だ。

 ヒナは早速「タイムズ」を手中に呼び出した。今回は既に懐中時計の形を取っている。今回は細かな命令コマンドは打たずに、トーチカ内の座標を固定し、時刻を逆行させる。動画の逆再生の様なものだ。

 懐中時計の針が左回転する……その速度がどんどん上がって……一日が一分で過ぎる。最初の七分間は変化なし、空白ブランク。ここ一週間、会議室は使用していない様だ。それから二分後、先程の四人の姿が高速で部屋を横切り、ヒナは「タイムズ」を止めた。過去視ロール・バック、二進数の思い出が残滓となって、「天使を守る会」の四人が机を囲んで取り交わした、九日前、即ち事件前日の会話を再生する。

「爆弾は俺が運ぶよ」

 と長身のイケメンが真剣な面持ちで言う。

「大丈夫か?」

 とアニメ美少女が男の声で訊く。

「平気さ。一応、リーダーだしな」

 とイケメンが応える横で、老人がうんうん頷いている。

「それでこそ、だ。私には荷が重いよ。手が震えて、どんなしくじりをするか判らん。その点、リーダーならやり遂げてくれる」

「これでGLDともおさらばだね」

 とロボットが口を挟む。

「一回ぐらい、あそこのライブに参加したかったけど」

 郷愁的なロボットの台詞に、束の間しんみりとした空気が流れるも、リーダーと思しきイケメンが、机の上に旗印を映した事で士気が戻る。

「GLDには申し訳ないが、これも我らが使命の為、『オトリラ』は既に毒され切ってしまった。無垢な天使達にこれ以上毒素が回る前に、我らが正義をなさねばならんのだ」

 とイケメンは、あの丸に”IN”とだけ書かれたマークを頭上に掲げた。

 これだけで、爆破テロが奴らの犯行だったと立証された。が、ヒナは沸き立つ好奇心から、もう少しだけ、連中のやり取りを探ってみる事にした。ミラと出会う以前に相手取った、アイドルのライブをタダ見するせこい犯罪者達が、どうして爆発事件を起こす程に成長したのか、学術的アカデミックな興味があったのだ。

 掘れるだけの記録ログを採取するべく、「タイムズ」を再起動する。と、十分後に時計の針はピタリと止まった。それがこのサイトの誕生日、十九日前にここは作られた計算だ。

 大した容量はいらなかったね。

 ヒナは十九日分の会話情報(データ)を外部海馬に保存すると、マンセル要塞のベランダから、ノイズ混じりの波頭へ飛び込み、現実界リアルに帰った。

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