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B2  作者: 白基支子
2/9

指と拳銃

 吸血鬼は美容室の待合ソファに座って紙の本を読みながら、こんな時代でも美容師は人間なんだなと、感心していた。長い時を生きてきたミラは、産業革命以降、あらゆる職種が機械に取って替わられる瞬間を目の当たりにしてきた。荷馬車が蒸気機関車に変わり、職人が工場のロボットに変わり、到頭人間の頭脳までもが集積回路とかいう小さな金属片に代用された時は、驚くより先に呆れたものだ。

 ミラは手中の本「魔都」のページを繰りつつ、チラと、今まさに美容師の、即ち人間の手によって髪を切られているヒナの方を窺った。吸血鬼にとって、美容室は危険地域デッド・ゾーンに等しい。鏡に映らない性質を持つ魔物が、そこかしこに鏡の貼られた美容室へ行くなど、言語道断、いつ正体を疑われるか判ったものではない。そもそも、吸血鬼は代謝が非常に遅いので、髪も殆んど伸びず、普段なら来る必要はない。が、ミラはヒナの護衛として、傍を離れる訳にはいかなかった。可愛いヒナが、更に可愛くなる瞬間を目の当たりにしたかった、というのもある。

 カットは終わり、現在ヒナは髪を染める為、奇妙な被り物をしていた。当代の人類は、兎角変な物を被りたがる。ミラはタンブラーに入れた血液に口を付けながら、ぼんやり考えた。この血液も、ヒナがマトリックス・マスクとかいう機械を被り、病院の警報装置を止めてくれたおかげでありつけた代物だ。形は変だが、被り物の力が偉大になった時代でもあるのだと、痛感する。

 久し振りの食事も頂き、可愛い相棒も出来、加えてミラが施設に戻る事も防いでくれるというのだから、至れり尽くせりだ。

 その可愛い相棒が、照れた顔で、ミラの許にやって来た。一通り終えた様だ。

「どう、かな?」

 訊かれたミラは、じっくり、ヒナを眺めた……黒一色の服装。厚底のエナメルシューズも、ニーハイも、セーラー服も短いスカートも黒。襟元に巻いたリボンだけが赤い。首元や腕には、神秘主義的な、十字架に目玉を組み合わせたシルバーが輝き、左右の指には嵌められるだけの指輪を嵌め、カチカチとぶつかり合っていた。退廃漂う衣装に、ヒナの顔はうまく調和する。大きく黒目勝ちな瞳、子供っぽい鼻に、小さな唇、柔らかそうな頬、人形みたいだ。そして、肝心の髪型は、伸ばし過ぎた黒髪はバッサリ切り、まるっとしたショートカット、それから髪色は……。

「あれ?金髪にするって言ってなかった?」

「うん。ちょっと、色の設定ミスって、脱色ブリーチし過ぎちゃった」

 ヒナは困った様に笑いながら、自分の白い髪をいじくった。ショートカットの白髪、合間合間に赤いメッシュが数本入り、アクセントになっている。

「いや、そうか、うん、よく似合ってるよ。失敗したのがかえってよかった。白はヒナにピッタリだ」

「そうかな……だったら嬉しいな」

 ヒナの背後では、女性美容師が「本当に」と褒めそやしている。 ヒナはそれに無反応だったが、

「流石は恋人さんですね、彼女さんの事をよく理解してます」

 という台詞には、振り返ってしまった。

「あの、私達、恋人同士に見えますか?」

「えぇ、それはもう、仲睦まじくて、親友かな?って最初は思いましてけど、お二人の感じは、親友以上でしたから」

 笑顔で応える美容師に、ヒナは何とも応えられなかった。恥ずかしさと嬉しさで、胸が一杯だったのだ。代わりにミラが、ヒナの肩を抱いて、

「そうさ。私達は、出会って日は浅いが、もう親友以上さ。私の恋人を可愛くしてくれて有り難う」

 と応え、店を出た。

 東京(シティ)の空は本日も曇天。これで、太陽が顔を見せなかった連続記録が、二百五十六日に更新された。大概の作物は工場の中で生産されているので、悪天候による食料自給への損傷ダメージは軽微だったが、少数の自然派農家ファーマー達は、今世紀最大の悲劇に見舞われている真っ最中だ。うつ病患者も日毎に増えているらしい。絶滅種もひっきりなしに報告されている。それでも、生物の都合などお構いなしに氷河期は進行を止めず、緯度に関係なく、一年の八割は真冬日という年が、今後十年は続くだろうと、気象研究者は口を揃えて提唱した。

 都会のビル肌は、その寒さに拍車を掛けた。曇天を塞ぐ複合ビル群は、どれも他人行儀な顔でそっぽを向いている。コンクリートは冷え切り、どの窓硝子も暗転して真っ黒い。

 ビル樹海の根本、空風に吹かれながら、しかし、ヒナは暖かさに包まれていた。美容室を出てすぐ、ミラが自分の黒いモッズコートを、ヒナに着せてくれたからだ。ここ二年、外出しなかったヒナは、外套を持っていなかった。

「私のを貸すから、これで我慢してくれ」

 出掛ける直前、ミラはそう言ってヒナにコートを差し出した。ミラの方が背が高いので、ヒナには少し大きかったが、余った袖を見ていると、ミラに背中から抱き締められている気がして、心が躍った。

 ミラの方は、今日は黒革のライダース姿だった。それがまた格好よく、ヒナの気持ちを上げた。

「さっきはゴメン。馴れ馴れしかったな」

 唐突に、隣を歩くミラが謝る。ヒナはポカンとして、ミラを見上げた。

「何で謝るの?」

「昨日会ったばかりで、もう恋人面したから。未だ早かったかな、と」

「そんな事、謝らないで。私は嬉しかったよ。それに、私は、ミラの事、ズット前から知ってたし」

「私の事を?」

「うん。あの……これ言っても、引かないで欲しいんだけど」

 と、ヒナは言い淀んだが、ミラと深い仲になるなら隠すべきでないと思案していた事柄を打ち明けた。

「実はね、私、二年前……援交してたの。仮想体でね。二年前、同級生にイジメられて、不登校になって、引き籠もったんだけど、やる事ないし、お金もないし、トレンチにある、中学生を斡旋する密会サイトの事は知ってたから、そこで売ってたの」

「仮想体で、ってのは、つまりどういう事なんだ?」

「うーんと、判り易く言うと、疑似体験かな。電子的に売ってたの。名前も変えてね。感覚はあったけど、リアルでやってた訳じゃないよ」

「そうか、キャラクターになってたんだな……それで、仮想体を売るってのと、私を知ったってのは、どんな風に繋がるんだ?」

「うん。そこのお客って、訳ありの金持ちばっかりだったんだけど、私を買ったおっさんもそうで、ある夜、一回終わったタイミングだったかな、お客に連絡が入ったの。そしたら、そいつの太った顔が見る見る青褪めて、つい口走ったんだろうね、『ヴァンパイアが逃げ出しただと!』……その時は私も吸血鬼を信じてなかったし、お客も冗談だって取り繕った。でも、何だか気になったから、おっさんのアテストに不正走査(スキャン)を仕掛けたら、大当たり、偶然政府の施設にアクセス出来た。ミラの資料もそこで少しだけ読めたんだ」

「二年前か。覚えてるよ」

 ミラは懐かしむ口調で、

「逃げる時、少し派手にやったからね」

「そうみたいだね。死人も結構出たって書いてあったから。で、ミラの事を知ったのはその時なんだけど、私を買ったお客がね、情報漏洩の責任で殺されたの。ミラの資料には重要機密の判子が捺されてたから。それに、私もミスってた。多分、ランプログラムからワイヤーを辿られたんだと思う。それから私も何度か脅されて、本当に殺されかけた事もあった。お兄ちゃんが用意してくれたセーフルームに逃げ込んで、ようやく安全になったけど、今度は別の理由で引き籠もる事になった……どう?援交とか、不正ランとか、やっぱり引いた?」

 心配気にヒナが訊く。ミラは「いいや」と首を横に振り、

「全然気にしないよ。その程度、私に比べれば可愛いもんだ。ヒナは元々可愛いけどな。それに、どうやら、私にも責任の一端はある様だし」

「そんな事ないよ。あれは私が勝手に……」

「いいんだ、別に。こうして護衛出来て、私は幸せなんだから」

「よかった!」

 ヒナははしゃいだ声を上げ、ミラと腕を組んだ。こんなに美しい吸血鬼と腕を組めるだけで、飛び上がるほど光栄だった。

「しかし、今でも髪は人間が切るんだな」

 ミラは話題を変えようと、先程の思い付きを話し出した。これ以上ヒナの過去を話し続けると、背後にいる、殺気立った追跡者ストーカー達を刺激しかねない。聞いていた通り、ヒナは本当に人気者(﹅﹅﹅)らしい。

「驚いたよ。大体の作業は、昨今、全部機械頼みだと信じていたんだが」

「美容師はね、どうしても人間じゃないとダメなの。はさみを使うから」

「刃物なら料理人コックだって使うぞ?」

「コックは死んだ魚や牛が相手でしょ?でも、美容師は人間が相手。昔、こんな事故があったの。機械の美容師が、誤ってお客の頸動脈を鋏で切っちゃって。その時の責任は、機械には負わせられないから、持ち主登録していたその美容室の経営者が、業務上過失致死で逮捕されてね。それ以来、機械美容師は全部破棄されて、経営者は人間しか雇わないようになった。そうすれば、似た様な事故があっても、責任は経営者じゃなく、美容師が負うから」

「ははぁ、成程。上の者が責任を取りたがらないのは、どの時代も同じだな」

 美少女二人の小さな笑い声が、大通り沿いの歩道に落ちた。シンジュク区五番街はシティの中でも随分治安がよく、美人だけで歩いていても、「いくら?」と訊いてくる者はいない。上着の下に銃をぶら下げている奴も少ない。後ろにいる連中も、ここでは下手に手を出せまい。ミラとヒナは、比較的安心して、目的地へと向かった。

 目的地というのは、ヒナの兄の職場だった。今朝、ミラと出会ったあらましを伝えたら、兄直々の呼び出しを食らったのだ。きっとお叱りを受けるだろうが、呼び出しはヒナにとっても都合がよかった。丁度、兄から新しい仕事を請け負おうと目論んでいたところだ。

 兄の職場は五番街と六番街の境目にある。ヒナは久々の外出に備え、両目に生電コネクトレンズを入れておいた。これで、視界上に経路ルートを示す矢印が出る。

「便利な世の中だな。コンタクトレンズが道案内してくれるとは」

 ヒナが迷わず道を曲がるのを見、ミラが感嘆する。

「便利は便利だけど、最新のレンズには色付きが出てなくて残念」

 視線の先に映る矢印を辿りながら、ヒナは溜息を吐いて、

「本当は赤いレンズが欲しかったのに。ミラとお揃いにしたかった」

「ふふっ……ヒナは黒い儘がいいよ。その儘でヒナの瞳は殺人的だから」

「もう、先に私がミラに殺されちゃうよ。でも、ミラは青いカラーレンズを入れてるんだね」

「これか?」

 と、ミラは自分の両目の前に手をかざした。

「こっちの方が便利だからな。金髪碧眼はザラにいる。深紅でいると、奇異の目で見てくる者が増えるから」

「でも、それ、普通のコンタクトだよね?生体レンズは入れないの?」

「いや、そういうのは苦手なんだ。視界に直接映るというのも抵抗感があるし、コンピューターは、過去に挑戦しようとしたんだが、サッパリだった。私が幽閉されている間に、パソコンはどんどん形が変わる。まるで追い付かないよ。箱形だった頃が遠い昔だ」

「じゃあじゃあ、今度、私が教えてあげる。型落ちにはなるけど、レンズじゃなくて、サングラス型のもあるし」

 きっとサングラスも、ミラにはよく似合う。格好いいミラの姿を想像しながら、ヒナは目的地である、軍警新宿分署の玄関階段を上がった。

 分署は旧シンジュク区役所の建物を改修したもので、昔ながらの役所にありがちな、四角いコンクリートの箱といった外観、広々した正面間口は、暗転した防爆ガラスに覆われていた。六番街とは通り一本で接しており、近所には、輸血パックを頂戴した、ニュー花園病院が建っている。

 入口を抜けると、間口の割に狭いエントランスに出、「受付」と書かれた机だけが置いてある。人の姿はない。が、ヒナは真っ直ぐ机へ向かった。

「二、四、七、八。烏羽浩一(こういち)大尉と約束した、烏羽ヒナですけど」

「承っております」

 部屋が返事をした、とミラは感じた。声はエントランスの天井からしたのだ。

「どうぞ、二階第五会議室へ」

 声がそう言うと、右脇の壁の立体映像ホログラムが失せ、階段が現れた。現代の隠し階段は、結局だまし絵かと落胆しつつ、ミラはヒナの後に従い、階段を上がった。

 誰もいない廊下の突き当たりに、五番会議室はあった。建物は静寂に包まれ、扉の前を横切っても、どの部屋からも話し声などは聞こえない。が、ミラはそこかしこから、人いきれと、厳重な視線を感じ取った。

 監獄めいた廊下の突き当たり、プレートに"No.5"と刻まれた重い扉を開ければ、会議室とは名ばかりの、狭い一室があった。銀色の机が中央、同色の椅子が上座に二席、下座に一席、天井には埋め込み式の正方形証明が、この部屋を相似型に照らした。無機質に白い明かりが満遍なく降り注ぐ室内には、これだけの代物以外なかった。

 入室するなり、ヒナは上座の一席に着き、目でミラに隣を勧めた。大人しくミラも着席し、血液入りのタンブラーを机に置く。と、見計らった様に扉が開き、すかさずミラが立ち上がる。入ってきた、髪を短く刈ったスーツの男は、キレ長の目を細めてミラを一瞥したが、間もなくヒナに静かな怒りをぶつけた。

「迎えに行くと伝えた筈だ。勝手に外に出るな。家からここに来る間に殺されても、おかしくないんだぞ」

「だって、途中で美容室に行ってたんだもん」

「その髪を見れば判る。で、行った美容室は対電波シャッター仕様だったとでも?」

「大丈夫だよ。ほら、私、ちゃんと生きてる。ミラが守ってくれたから」

 と、ヒナが目配せしたのを機に、ミラは自分の胸に手を当てて、

「初めまして、浩一さん。ミラ・ヴォルデンベルグです」

 と、礼儀にのっとった。が、挨拶の共に握手は求めなかった。この手の軍人は、決して握手しない事を、経験則で熟知している。何より浩一の両手には、黒手袋が嵌められていた。握手した瞬間、仕込み銃を撃たれるのは、願い下げだ。

「御丁寧にどうも。烏羽浩一です。この度は妹が大変な御迷惑を……まぁ、座って下さい」

 浩一が席に着くのを待って、ミラも再び着席した。その様子を見た浩一が苦笑して、

「ミラさんは礼儀正しい吸血鬼の様で」

「長生きしてきて、何より重要なのは、礼を尽くす事だと、学びましてね」

 ミラが美しい笑顔を返す。

「それは有り難い。話が早そうで助かります」

 浩一は苦笑を崩さず、

「では、詳しい自己紹介も頂けると、なお助かるんですがね」

「構いませんよ。『吸血鬼を憐れむ歌』でも歌いますか?」

「ピラトが手を洗うとこを見たんですか?」

「まさか、そんな長生きじゃありませんよ。アナスタシアが泣き喚いているのは見ましたけど」

 ストーンズを知らないヒナは、目の前で交わされる二人のこのやり取りを、キョトンと眺める他なかった。会話に含まれた作品に触れた事がないから、参加出来ないのだ。そうと察した兄浩一は、咳払いを挟み、相対する、洒落好きで慇懃ポリート、古風な貴族を思わせる、自称吸血鬼の本性を探るという、彼本来の仕事に戻った。

「えぇっと……それで、ですね、ミラさん、妹から昨夜の一件は聞き及んでいます。が、その全て、信じるに足らず、というのが、世間一般の見解です」

「当然でしょう。政府は吸血鬼の存在を公表していないし、『ロミオとジュリエット』が五日間の物語だと、大半の人間は知らない」

「恋愛感情は埒外ですよ。妹は思い込みが激しい。貴女みたいな美人に、一目で一方的に入れ込んでも、まぁ、不思議はありません」

 これにはヒナが抗議した。「ちゃんと相思相愛ですー」と主張したが、浩一はそれを黒手袋の手で制し、話を続けた。

「問題は山積してましてね。妹がトレンチにダイブ中、何者かに洗脳された可能性も視野に入れねばならなかった。貴女を、待ち望んだ吸血鬼だと思い込むよう、脳に植え付けられた、とかね。しかし脳波は正常。一先ず、兄としては安心しましたよ」

「恋も一種の洗脳だという意見もありますがね」

 ミラが茶化すも、浩一は取り合わない。

「私は詩人じゃない。一応、大人だ。昨晩、突然妹の部屋に侵入した貴女を、おいそれと信用する訳にはいかないんです。残念ながら、貴女は現在、吸血鬼よりも、強盗と呼ばれる方が相応しい」

「ちょっと、ミラに酷い事言わないで」

 ヒナが食って掛かろうとするも、今度はミラに手で制される。

「尤もですね、浩一さん。身元不明の私を疑わない者は、寛大ではなく、唯のバカだ」

「御理解頂けましたか」

「勿論。なので、信用は行動で勝ち取るべく、雇って貰いに来たんだ。それがヒナの願いでもあるんでね」

「妹の願い、ね……仕事内容も知らずに、それだけでよく来ましたね」

「ヒナに惚れてますから」

 ミラは足を組み替えて、

「大まかな内容はヒナから聞いてますよ。荒事だ、と。なら私の得意分野だ。それに、私も生きていく上で、糧を得なければいけない。世知辛くも、求職中というヤツでしてね」

「しかし、ミラさん、おいそれと仕事を分け与える訳にはいかないんですよ」

 浩一は襟元のネクタイを気にしながら、視線だけはミラから離さなかった。軍人らしい神経質さだ。

「我々は誰も信用しない。ですから、逆に、貴女が信用を勝ち取る必要はありません。それはこっちで対処するんでね。貴女が本当に吸血鬼かどうかすら、どうでもいい。必要なのは能力、抜きん出た能力だけだ」

 と、浩一は黒手袋の両手を組んで、

「我々の仕事は、少々特別(スペシャル)でしてね、電子的にも肉体的にも、求められる能力は世間並とはいきません。ですから、貴女が使える人材だと、証明して欲しいんです」

「証明、か」

 ミラは呟き、目に入れたカラーコンタクトを取った。深紅の瞳が露になる。これを目の当たりにし、浩一は束の間ギョッとしたが、すぐ持ち直して、

「目の色は、確かにそれらしいですけどね、金髪で目が赤かったら吸血鬼、とはならないんですよ」

「だろうな。それで、私は自分をどう証明したらいい?」

 足を組むミラを、浩一はじっと観察した。態度に乱れはない。妹ヒナの証言を疑う積もりもない。ヒナは嘘を吐く時、声が半オクターブ上がるが、今回の報告を聞いた際はソプラノの儘だった。

 しかし、浩一は自分の目で見たものしか信じない男だ。

「ある試験に挑んで貰いたい。この試験をパスしてくれたら、二人は晴れて我々の仕事仲間だ」

「話が違うじゃん」

 と、不機嫌なヒナが会話に割って入る。

「お兄ちゃん、私を守れるだけの人が出来たら、仕事くれるって、そう言ってたじゃん」

「我が儘言うな。これでもかなり譲歩してるんだ。第一、ヒナを本当に守れるかどうか、試さないと判らないだろ」

 それはそうだ、と、ヒナは心の中で納得してしまう。兄の指摘が的を射ている事は承知している。しているからこそ、とても悔しかった。

「なら、私も試験受ける」

 悔しさ紛れに不貞腐れてみるも、兄には効果がない。

「では、トレンチ内にいる犯罪者のアテストを釣り上げてくれ」

「そんなの五分で終わるじゃん」

「そうだ。ヒナの腕ならな。けどな、それがどれだけ大した事が、つまりどれだけ危険か、理解してないだろ?そんな危なっかしいお前を守る立場の人間には、試験の一つや二つ、軽く通って貰わないと困るんだよ」

 再度、マトモに正論をぶつけられ、ヒナはもう何も言い返せない。腕を組んでムッとするしかない。向こう一ヶ月は兄と会話してやらないと、胸に誓いながら。

「大丈夫だよ、ヒナ」

 ミラは穏やかな顔をヒナに向けて、

「心配せずとも大丈夫だ。人間の設けた試験くらい、軽く通ってやるさ」

「頼もしいですね」

 と、浩一が冷笑を浮かべ、

「そうでないと困りますがね。試験は至って単純、私を無力化してくれればいい、それだけですよ」

「そうか。簡単で助かる」

 ミラは落ち着いた声で、

「貴方はヒナの兄だから、まず殺しはしないし、出来るだけ怪我もさせないよう注意するよ」

「御配慮、痛み入りますがね、こっちは保証致しかねますな。実弾が飛び出しても、恨まないで頂きたい」

「気にしないでくれ。こっちこそ、貴方以外は、全身無事とはいかないかも知れんが、恨まないでくれよ」

 ミラがそう言うと、事態は刹那で動き、一瞬で収束した。ヒナの目には、何が起きたか、まるで追えなかった。大きな音がしたかと思ったら、全て終わっていた。トレンチ内を光速で行き交う情報データ群の脈拍を毎夜眺めているから、ヒナはそれなりに自分の動体視力に自信があったけれど、最新の生電レンズが残像すら計測出来ず、エラー報告(レポート)するほど、ミラの動作は素早かった。

 第五会議室の中が忽ち雑然とする。入口近くの床には、何処から現れたのか、保安特級装備に全身を包んだ人間が二人、割れたヘルメットの隙間から血を流しながら倒れている。ミラは倒れた二人の間にいながら、丁度、浩一の真後ろに立っていた。

 現状を作り出したミラは、浩一の後頭部にいつでも拳を叩き込めるように構えながら、自らの判断が正常に下されたか、結果も含めて思い返した。浩一が会議室に入って来た時、カラクリは判らないが、全身透明な人間が二人、一緒に入室してきた。透明人間は、目には見えないが、ミラはその血潮を肌で感じ、耳に聞いていた。ミラは構造物内部の流体には敏感だ。人間であれば血流が、機械ならば電流が、感じ取れる。そいつらが敵意を含んでいる事も、武器を持っているだろう事も、ミラにはすぐ察せられた。

 最初は、吸血鬼を警戒しているのだろう、と考えた。が、試験の話が出て、成程と、理解した。見え透いた罠は滑稽に見える。

 後は簡単だった。部屋の照明が天井中央にあり、光が八方に広がっていた事も助けになった。机の下と、浩一の背後に、影が出来ていたからだ。

 ミラは座った儘机の下の影に足を踏み入れ、魔物らしく、影から影へ渡り、人間業でない速度で、入口近くに立つ透明人間二人の頭を、ほぼ同時に殴った。頭は意外と硬かった。衝撃で仕掛けが壊れたらしく、透明化が切れたそいつらは、古風なロボットアニメに出てくる様な、緑色の、ゴツゴツした鎧を着込み、抱えるほどの鎮圧銃を持っていたが、一撃で気絶したらしく、今はピクリとも動かない。手心は加えたので、死んではいない筈だ。鼻くらいは潰れたかも知れないが。

「それで」

 ミラは浩一の頭から目を離さずに言った。

「試験の結果は?」

「合格だ」

 浩一は両手を上げ、降伏を示しながら、

「参ったな。特級装備は値が張るんだ。9mmくらいならはじくヘルメットなんだがな……落ち着いて話がしたいんで、席に戻って貰えるだろうか」

「喜んで」

 ミラはまたしても影を渡り、一瞬で元の椅子に、元の足を組んだ姿勢で座った。浩一は、怪物の殺気を向けられた後頭部がむず痒く、しきりにかきながら、必死に思考をまとめようと沈黙した後、徐に口を開いた。

「ミラさん、無礼は詫びよう。しかし、どうやら貴女は相当な厄介事を運び込んだ様だ。まさか、本物とはね。一体何処の施設から脱走したんだか」

「九龍、冬素子(ウィンターチップ)

「大陸からか。あのいかれ連中の要人となると、より厄介だが……」

「では、私を叩き出すか?」

「いや、足し引きで言えば、大いにプラスだ。歓迎しよう」

 浩一から言質を取り、ミラはニッと笑って、

「これで晴れて仕事仲間だな」

「そうだ。安心してくれ。冬素子ウィンターチップには我々が対処する。隠蔽するにしても、交渉するにしても、こっちがやる」

「つまり、それこそお前らが私に嵌める首輪、という事か」

 ミラが不敵に訊けば、浩一は冷徹に頷いて、

「その通りだ。吸血鬼を囲うなら、流石にそれなりのカードが必要になる」

 と、黒手袋の指先を神経質にこまねきながら、言い継いだ。

「貴女はヒナを守り、且つ我々の仕事を手伝う。そして我々は、貴女を狂人達から守り、報酬を払う。相互利益だ。こっちの世界では、こういったルールが、何より大事なんでね」

「相互監視と言い換えるべきだな。私は裏切らないさ。そちらが裏切らない限り……で、仕事の概要を教えて頂けるかな」

「簡単に言えば、仕置きだ」

 浩一は浅く息を吐き、事務的な口調で、

「悪ガキを痛め付ける。見せしめにな。同じイタズラをしちゃいけないんだと、他のガキに判らせる為に。ガキを躾けるのは、機械じゃなく、今も人間の仕事なんでね」

上品グラースな表現だ。内幕は、仕置きだけじゃ済まないんだろう?」

「どうだかな。どういう風に躾けるかは、私の裁量ではないんでね」

 と、浩一は肩をすくめて、

「指だ。ヒナが請け負う役は指と呼ばれている。仕事は目標を特定する事。そして、ミラさん、貴女は拳銃だ。実際に目標を攻撃する。しかし、我々の後方には、もっと大きいものが連なっている。()だ。その腕が誰を狙うか、そして何処を狙うか決める。腕が足を狙うなら、弾は足へ飛び、眉間を狙うなら、相手の頭蓋骨に弾がめり込む。それだけさ」

 世の常だな、とミラは思った。権力者は表舞台に上がりたがらない。いつも舞台袖からこっちにあれこれ指図するだけ。時代が進めば進むほど、舞台袖はより暗くなっている。恐らく、権力者同志ですら、自分の隣に誰がいるのか見えていないだろうし、見たいとも思っていないに違いない。暗闇の底で孤独にいる者だけが、最も長生き出来る時代だ。

「そうそう、後は報酬だが、金額は都度連絡する。他に必要な物は?」

 浩一が口調を少しやわらげると、

「輸血パック」

 ヒナはそう即答し、

「お金は沢山頂戴ね」

 と、もう席を立って、

「これで今日は終わりだよね?」

 浩一に訊いた。

「終わりだ。帰っていいぞ。寄り道するなよ。ヒナは、帰ったら一報寄越す事」

「はーい。じゃあね、お兄ちゃん」

 ヒナが会議室を出て行く。まだ倒れている可哀想な兵士二人には一瞥もくれずに。続いてミラも扉を抜けようとする。

 が、出て行く寸前、ミラは振り返って、

「そうそう」

 と、寒気のする美しい真顔で、忠告した。

「これから共に仕事する仲間として、()の皆さんに、年長者として助言しよう。どうせこの部屋も覗き見しているんだろう?どこにだって目と耳がある。私の姿は見えなくとも、声は聞こえている筈だ。いいか?どんな立場の人間でも、殺されれば死ぬ。指でも腕でも一緒だ。だから、極力恨みは買うな。特に、私の恨みはな」

 ミラの目に暗闇は関係ない。何処にいても、必ず復讐する。深紅の瞳はそう訴えていた。

「……何故、そうもヒナに肩入れする?」

 浩一が訊く。これは上に指示された質問リストにはない、個人的な疑問だった。

「陳腐だがね、愛だよ」

 と、ミラは苦笑しながら、

「私は一目惚れしか信じていないんでね」

 そう言って、五番会議室から出て行った。

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